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諸ちゃんの墓碑銘

深夜、ひっそりとひとつ過去のブログを書いた。
 ⇒最悪な反省会

gajumui

どうもお金は思ったほど人を幸せにはしないらしい。しかし、そのお金がなくて、うちは倒産の危機に瀕している。今、お金があれば世界で一番幸せを感じるのは、うちの会社ではないかと思うくらいなのである。泡沫(うたたか)の幸福。しかし、うたたかではない幸せなんて、どこかにあるのだろうか。
08-22 00:19

僕は川崎の病院に通っている。コロナは受け入れていない。大きくて新しい病院なのに。でもそのおかげで、何かあってもコロナ以外なら対応してくれる。だから、僕は安心していられるのだ。たぶんそういう人たちがたくさんいて、このことって、なかなか理解されていないような気がする。
08-22 00:26

諸々の腹立たしさにはワケがあって、でもそれは誰にも言えないこと。たとえば我が子が救急搬送され、なんとか病院に入ることができたとすれば、その病院がコロナの患者を受け入れていなかったことに感謝し、でも生死を彷徨っていたとしたら、感謝どころか世界のどんな問題にも無関心になるだろうし。
08-22 00:46


7分前…

だから、もう歯を磨いて寝るのだ。
08-22 00:51


0時58分






そらぼっくりさん、ようこそ。

東堂さんと木下さんとそら姐さん

※ブログに画像をサムネイルを使って貼り付けると、どうも解像度が悪くなってボケる。画像をクリックしてもらえばそれなりに鮮明な画像が表示のではあるが。Twitterに画像を投稿し、そのツイートを貼り付ける方がずっときれいな画像になるが、PC版で閲覧すると、スペックなどによっては読み込みにひどく時間がかかっていたりする。スマホで見ると読み込みは早いし、そもそも画面が小さいので画像の鮮明度もさほど気にならない。もしかすると、PCの場合、サイドバーが重いのかもしれない。なんとも難しい…


食あたりイベントで、二週遅れの読経会。コロナで座談はナシ。でも、それもこれも、それらのおかげで、この日の朝にお経を読んだことが、かえって深く記憶に刻まれることになったような気がします。

諸ちゃんが救急搬送されたことは、連絡を受けて知っていたのです。そのあと手術が成功し、でも意識が戻ったわけではなく自力では呼吸できないということ、まだ予断を許さないのだということ…

この画像を撮影した時には、まだ知りませんでした。コマラジの諸熊聡子さんが、この日の未明(0時58分)、天国に旅立ったということ。

事務所に戻ると、UJIちゃんから悲しい知らせが届いていました…

正式なお知らせを待って、この記事を更新し、「墓碑銘」のタグを追加しました。



gajumui

琵琶の音源が届く。でも、明後日どうしようか、迷っている。
08-22 23:59

tag: 墓碑銘  諸ちゃん  泉龍寺  読経会  琵琶  東堂さん  コロナ  そらぼっくり 

暗闇レストランで子供向けの「耳なし芳一」

10時半、視聴覚室入り。



視覚障害の聡子さんに介護されるボク。
痛風男と目の見えない優しい人。助けたり助けられたり。
いや、助けられっぱなしか?


暗闇レストラン

琵琶を弾いてくれるのは凛子さん。

僕は面白かったんだけれど。芳一と怨霊だけの場面は、視覚的な描写を排除し、表現をすべて音だけの世界に変えたのだが、そんな苦労、理解しただろうか。子供たちがアイマスクを外してしまうことが、その苦労を台無しにするということ、分かっただろうか。

昨日の夜に生まれた違和感が膨んでくる…

tag: 伊藤聡子  痛風  琵琶  小林凛子 

本番前日の合わせ

午前中は事務所で“きんたの会”三線チームの稽古。

午後一…
琵琶と合わせ

6時から、ミュージカルCOCO~の通し稽古。
その所為か、足の甲が腫れる夜。

明日は耳なし芳一の本番。黙ってはいるが、障害者関連だとしても、本当に面白いイベントにするという意欲があるのならば、補助金なしで成り立つことを目指すべきだろうと思うのだが。来年は別の補助金を…って、なんか違う気がする。

tag: 痛風  琵琶  小林凛子  きんたの会  ミュージカルCOCO~ 

琵琶を弾く人、ぼく語る人


ここに行こうとしているのよ。
暗闇レストラン2019
※使われているチェロの画像は、今回とは無関係です。こういうところ、ちょっとダメなところ。

tag: 小林凛子  琵琶 

ちょっと呼ばれまして



ちょっと調べてみた。小生が学校回りしていた頃の記録。

1983年6月24日 第七小学校
1984年11月1日 第八小学校
1984年11月2日 第五小学校
1984年11月5日 第三小学校
1984年11月7日 第四小学校
1984年11月8日 第一小学校
1984年11月12日 第二小学校
1984年11月14日 第六小学校
1994年10月27日 二度目の第五小学校

30年以上前、狛江で子供だった多くの人たちは、この時に体育館で台詞を喋っているボクを見ていたはずで、もしかしたらそんな彼らと、どっかの居酒屋で顔見知りだったり、十分あり得る話で、不思議な気分である。


地霊をなだめることが琵琶法師の仕事であった…

tag: 琵琶