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山猫合奏団祭り2016第二夜

告知記事はこちら…
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中川俊郎氏と

次の日に呟いたこと。

tag: 中川俊郎  知念ウシ 

9/7〜8のツイートまとめ

gajumui

朝起きると、あらら、まだ東京湾の7万Bqのアナゴのツイート。だからよー… http://t.co/CNTvX4d9 だからって安全だなんて言うつもりもサラサラないけれど。あまのじゃくの溜息。
09-07 09:25

沖縄で陶芸やってる俺のかわいい娘(と俺は勝手に思っている)から、9日沖縄に来ますかというメール。もし来るなら県民大会一緒に行こうって。残念ながら行けないよ。特に仕事はないが金もない。というわけで、実の娘が夏休みで帰って来ているので、東京の9日の集会に行ってみないかと誘ってみた。
09-07 17:17

かつて知念ウシ女史だったか、大和の支援者(活動家?)に向かって「もう沖縄から出て行け、自分たちの国を何とかしろ」というようなことを言ったと聞いたことがある。その時は「なんだかなあ」と思ったが、今になって、重く付き刺さってくる。
09-07 17:29

沖縄も原発も政治じゃない、政談なんかしない、と、そのつもりだったのだが。どうもヒタヒタと近づいてくる課題がいくつかあって、それでついつい。さて、どうしようかな。今から阿佐ヶ谷。微妙な夜になるのか、どうか…。
09-07 18:08


大震災から547日目……

阿佐ヶ谷の“グルくん”にてライブ決定。と、N監督から電話。新作「主権在民」上映会決定。それ以外にも告知しなきゃいけないことがいくつもある。そこへC氏合流、選挙の話。これこそ政治そのもの。静かに余生を、と思っていたのだがママならぬ。親父はいい時に死んだよなあ。
09-08 00:31

tag: 知念ウシ 

1/14~15のツイートまとめ

大震災から309日目になった……

gajumui

遅ればせながら、今読んでいる。 @kikuzatoyasuko 代議士から「1月4日、5日の琉球新報文化面の大城立裕さんと知念ウシさんの対談は読み込んだ方がいい」と指示あり。「ワッターは何者?」地元紙が議員会館に届くのは翌日の午後。
01-14 00:02


13:03、事務所外の線量……
0.08μSv/h
12年1月14日の事務所外の空間線量

腹が減った。
考えた。
ふくやに電話して聞いてみることにした。
「焼き鳥丼なんて作ってくれませんかねえ」
「いいよ」

ふくやの焼き鳥丼

「これ、メニューにしてくれればいいのに」
「そんなの出したら、みんな焼き鳥丼で腹いっぱいにして、酒もツマミも頼まなくなっちまうよ」

なるほど、親父さんの仰る通り。
生ビールとウーロンハイ一杯飲んで…
「ごちそうさんでした」
常連が増えると儲からないとは、親父さんから聞いた居酒屋経営談義のひとつ。

gajumui

「日本が沖縄に依存している」なるほどその通り。だがそう断言するなら敢えて言おう。要するに悪しき相互依存。ならばもう沖縄に妙な気の使い方をすることはやめよう。正直に言う。僕は沖縄を鏡として利用して自らを知り日本を疑う。だが沖縄も自ら疑え。「今のままの沖縄がジョートー」ではないはず。
01-14 22:03

ubukataicon ubukatamichi

4月15日に国立劇場で「海のチンボーラー」を踊ります。今日はそのお稽古でした。「海のチンボーラー」といえば、津嘉山正種さんが「人類館」の中で歌っている曲です。 http://t.co/L5ik7o6K
01-14 23:02

gajumui

「三線は打楽器である」とはヤマトンチュの言。ウチナーンチュはそう感じるか、否か。
01-14 23:40

ubukataicon ubukatamichi

わたくし東北人ですが、そんなふうに感じたことありませんでした。長唄もやってたけど、日本の三味線も違うかなあ。でも津軽三味線は打楽器かもね。 @gajumui 「三線は打楽器である」…
01-14 23:56

そのヤマトゥンチュとはもちだあけみセンセイ。いごたくさんのウチナーンチュのサンシンひきにきいたけど、みんなくびをかしげた。

大震災から310日目になった……

gajumui

新宿3丁目の奄美料理の“たかぐら”というお店の七草粥ってことだと思うんだけど…… @ubukatamichi 一週間前のことだけど、おいしかった! @yus429 一週間前のことだけど、おいしかった! @yus429 奄美の七草粥 http://t.co/h3O5p5yt
01-15 00:25

室内で自転車こぐ健康器具、あれに充電器つけたら絶対売れる、これで大儲け、海外脱出だ!って思ったら、もう既にそういう商品があった。ルームランナーで発電ってのはどうだろう。
01-15 00:46

ubukataicon ubukatamichi

後から後から地図の仕事がやってくる。今日も仕事を終えて、寝る前にやっぱりチーズでワインを一杯。一杯?いっぱい!海のチンボーラーで私は貝になる。あれ、酔ってる?
01-15 02:21

tag: 知念ウシ  大城立裕  MAP事務所の線量  喜多見_居酒屋.ふくや  地図の仕事 

辺野古の前に(2)【6・23 国際反戦沖縄集会にて】(沖縄通信no.6)

《辺野古の前に報告しておきたいこと(2)》
ややこしいことのふたつめ
Bar“土”のマスターごうさんの日記を、ごうさんに許可を貰って、ここに「沖縄通信」として転載します。

【沖縄通信 No.6】(from ごうさん)
第27回 6・23 国際反戦沖縄集会で
「大和から来た人たちは沖縄で活動しないで、大和に帰ってください」
「大和で活動してください」
演説の終わりで、Uさんは、このことを強調して演壇から下りた。

司会のHさんが
「ここにはいろんな考え方の人が集まっていますので、Uさんのように考えてる人もいますね」
と、フォローすると、
会場前列から「Uの意見を弱めるような発言をするな」と、声が上がった。

「Tさん、それなら、壇上に上がって、自分の意見を言ってください」
Tさんは壇上に上がり、更に民族主義的な、大和排斥的なことを言ったらしい。

聴衆の中の一人として、知花昌一が声を上げた。

「Tさん、やまとんちゅうにもうちなんちゅうにもいろんな人がいる。
排斥するよりも、力を合わせて運動を展開していくほうが活路が開けるんじゃないだろうか?
実際、辺野古新基地建設阻止運動は大和から来た人たちが半数以上いて、運動を支えている。
うちなーのことはうちなんちゅうでやる、と言ってるあなた自身、現地に行って、行動してるの?」

と知花昌一が問いかけると、Tさんは
「確かに知花さんは現地に行って戦ってるけど、うちなんちゅのみんなが知花昌一になれるわけじゃない」
と言い放って、議論はちょんちょん。

という一幕があって、その夜、金城実アトリエで、そんなこんなを議論した。

チェ・ゲバラはアルゼンチン出身だが、カストロやキューバの人たちから迎え入れられ、キューバ革命の大いなる力になったのではないか?

人頭税廃止運動を展開し、琉球王国によって課せられた重い人頭税に苦しんでいる宮古島の人々を重税から開放した。運動の中心人物は新潟出身の中村十作ではなかったか?

今、沖縄から靖国を問う裁判、靖国訴訟を支え続けてくれてる人々のほとんどは大和から来てる人たちだ。

だから、大和だウチナー(ウチナーで括ってしまったら、ヤイマーもミャーコも排除されるのだが)だのと、こだわりを捨て、世界規模で沖縄の基地のことなどを考える方向性をもっと浸透させなければ。
それをみんなに解ってもらうためにはどうしたらいいのか?

沖縄の住民の人たちのパワーをもともっと引き出すには何が必要なのか?
ということなどなどを、深夜まで、酒を酌み交わしながら、非国民的男どもは延々と語り合ったのだ。

しかし、沖縄県民は今回の選挙で
変節を繰り返してるあい子さまを選び、筋金入りの山城さんを見放したのだ。
いったい自分たちの将来を...

投票率は全国最下位。
あの県民大会などの怒りをどこに持って行けばいいのか解らなくなったのか?
日本にもアメリカにも沖縄にも民主主義は死語なのだろうか...

※6・23 国際反戦沖縄集会の会場にぼくはいなかったので、やりとりの正確さ詳しさが欠けてるだろうと思います。


【11月17日に追伸】
僕はこのごうさんの日記を転載するにあたり、この出来事について、何かを言おうとずっと考えていました。でも、なかなか書けずにいました。
この頃、多くの沖縄の人たちが大和を憎み始めているという印象を強く受けていました。だから、知花昌一さんの発言に救われた思いがして、そのことを書きたかったのですが、Uさんの名誉を傷つけることなく書くにはどうしたらよいかと考えていたのです。

さらにある日のこと、「やまとんちゅ」の運動家に寛容であった知花さんが、「もう独立しかないのではないかと思い始めている」と発言された場に居合わせることになりました。とうとうココまできたかと、その時僕は思いました。権力に対する闘争である限り、共闘は可能でしょう。しかし、独立運動となれば話は別です。支援はできても、知花さんの立つ場所とこちらとの間には、絶望的な溝が横たわっている、そんなことを考えていたら、ますますコメントできなくなっていきました。
(※その日の記事も、まだアップできずにいます。)

その頃から、沖縄のために活動している「やまとんちゅ」に対して、度々疑問を感じるようになりました。しかしなかなか説明しがたい。どういえばいいのでしょう、例えば活動家たちは、自分の考えの正しさを、あまりに天真爛漫に信じ過ぎているのではないか……

結果僕は、Uさんの「民族主義」に激しい嫌悪を感じながら、その一方で、Uさんの気持ちを尊重したいという思いに駆られるようになりました。
しかしUさんは、そういう僕と、「天真爛漫な活動家」とを全く区別しないでしょう。僕はUさんから拒絶されているのです。

だから、もう黙って転載だけしておくしかないと思ったのですが、結局少し語り過ぎてしまいました。

でも、これでようやく、辺野古のことを書く準備ができました。

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tag: 宮古  辺野古  知念ウシ  知花昌一  ごうさん 

「儀間進さんの長い雑談」の中で出た“うちなーぐち”の名手たち

ひとつ前の記事「儀間進さんの長ーい雑談」ではタグが足りない。そこで、儀間さんが名前をあげた“うちなーぐち”の名手たちのタグだけ、この記事に移すことにした。
それだけでは詰まらないので、その方々とのその後の交流を、追記していくことにした。
※2017年11月26日投稿

比嘉光龍
2009年6月14日に会う。しかし、のちにメールのやり取りをして分かったことだが、彼にとって尊敬すべき年長者は理念上の沖縄のお年寄りだけ。つまり「●●な人」であった。

親富祖恵子
2010年5月18日にまず宇夫方がお会いした。その後、2010年7月25日にゆっくりお話する機会があった。國吉さんに対する辛辣な評価なども含め、とても大切なお話を伺った。その時の写真は、残念ながらデジカメを紛失して残っていない。またお会いした時にと思っていたのだが、2012年11月10日に急逝されたという知らせが届く。もし生きてくださっていたら、たくさんのことを教えて頂くことが出来たに違いない。無念で仕方がない。

知念ウシ
その後、沖縄問題の周辺で、ウシさんの様々な話を聞く。そして2016年9月19日、ひょんなところでバッタリ会うのである。

伊狩典子
小那覇全人
玉城満

吉田妙子
2012年11月6日に共演。

八木政男
宇夫方路は、これ以前にも琉球舞踊の公演などで面識があった。2009年2月2日、あらためてお会いしてウチナーグチについてお話を伺う。

北村三郎
2009年6月12日にお会いする。そして2012年8月7日、うちなぁぐちフィーリングの録音にご協力いただくことになる。

北島角子
2012年11月6日に共演。

tag: 比嘉光龍  親富祖恵子  知念ウシ  伊狩典子  小那覇全人  玉城満  吉田妙子  八木政男  北村三郎  北島角子