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「戦果アギヤー」のこと

紀伊國屋ホールへ、「OKINAWA1947」を観に行きました。

戦果アギヤーをモチーフにしたフィクション。戦果(せんくゎ)アギヤーを直訳すれば戦果をあげる人、戦後まもなくの沖縄では盗んだ米軍物資を戦果品と呼んだのです。

もう一度言いますが、これはフィクション、漫画です。宇夫方路の知り合いである作者のさいふうめい氏(竹内一郎さんのペンネーム)は、漫画の原作でも著名な方だから当然かな。
観劇した皆さんが、これは漫画であるということをきちんと理解した上で楽しんでいてくださればよいのですが(御自分の分身なのでしょうか、手塚治虫らしき少年が出てくるから大丈夫だとは思うのですが)、でもちょっと一言……

戦後沖縄での戦果アギヤーは、特別な集団ではありませんでした。普通の人が、普通に戦果アギヤーでもあったのです。家族を奪われ、土地を奪われ、「祖国」と信じていた(?)国からも見捨てられ、豊かな米軍から生活資材をちょろまかさなければ生きていけなかったという事情もあるのです。
現代の、どこかの海の海賊も、もしかすると…、いやいや失言です。戦果アギヤーは非武装、そこが全く違う。
「OKINAWA1947」において戦果アギヤーは罪悪感の全く無い盗賊団として扱われている、このことは、確かに沖縄の実感と合っているとは思います。でも実際の「戦果アギヤー」は、庶民のヒーロー「ねずみ小僧」のような、特別な存在ではありませんでした。

沖縄市が編纂した沖縄市史資料集の一冊に、「インヌミから 50年の証言」という号があります。(インヌミとは戦後間もなくの海外や沖縄県外からの沖縄へ引揚げてきた人たちを収容した施設の名前です。)
インヌミから
その中で、八木政恭さんという方が、次にような証言をされています。
「当時の(トラック運転手仲間の)あいさつは、『こんにちは』なんていわないです。『チャーヤガ、戦果ヤアティ』(戦果はあげたか?)なんです。戦果はあげて当たり前みたいなところがあって、中には亭主が戦果をあげきれないという理由から、離婚した夫婦もいたんです。」

また僕のカミサンの母親から聞いたはなしも御紹介しましょう。義母は、戦後、基地の中で働いていたのですが、シーツや枕カバーやコップなどを、ちょくちょく失敬してきたと言います。それも「戦果」であったのだと。
「今思い出すとドキドキするさー」
アメリカシーツは上等だったから、使わずにビニールに入れてずっとしまっておいたのだとか。
余談ですが、知念正真氏の「人類館」の中に出てくる「アメリカシーツ」のくだりを思い出します。沖縄の少しお歳を召した方々は、「人類館」という作品の中で語られる漫画のようなエピソードのひとつひとつが、かつて御自分たちが経験した実体験を映しているからこそ、「人類館」を観て聞いて、げらげらと笑われるのだと思うのです。

「戦果」にもいろいろあったのでしょう。いずれにしても、その頃の「戦果」について、悪いことだったと思っている沖縄の方は少ない……、いや、やっぱりこれは失言ですね。戦果アギヤーから、極悪非道として名高い沖縄やくざが生まれたこともまた事実なのですから。

戦果アギヤーが米軍基地から原子爆弾を盗み出してしまうという「OKINAWA1947」の着想は愉快です。観た方々が、これをきっかけにして、戦後間もなくの、本当の沖縄の実態に興味を持つようになってくれればいいなあと思いました。

そしてもうひとつだけ。
沖縄の独立を主張することから、日本への復帰を選択する立場へ到る道程は、決して単純なものではありません。お芝居の最後に、唐突に日本復帰の話がアナウンスされたのですが、それでいいのかなあと思ったのです。それが「まとめ」のように感じられて、それで僕は、ここまでクドクドと申し上げてしまいました。

現実のある一面を切り取って料理してみせる、これはアートの醍醐味です。漫画も同じ。でも、そこに「まとめ」みたいなことを忍び込ませるのは少し危険なのかも。
かの、よしのり氏の漫画をも含めて、そういう表現に出会って何かを感じたら、是非とも別の角度からの作品も、探し出して触れていただきたいと思うのです。
できれば、「カクテル・パーティー」とか「人類館」とかね。

竹内一郎さん、色々失礼を申し上げました。ごめんなさい。

関りえ子さんが振り付けた踊りについては、わたくし門外漢なので、そちらは宇夫方女史にまかせましょう。
関りえ子琉舞研究所が送った花

そんなことを考えていたので、打ち上げへのお誘いを丁重にお断りして帰途につきました。
あ、龍前照明の竹ちゃんとこに顔を出すの忘れちゃった。
(文責:高山正樹)

tag: OKINAWA1947  関りえ子  竹林功  カクテル・パーティー  「人類館」  龍前正夫舞台照明研究所  戦果  竹内一郎 

“OKINAWA1947”のお稽古に

私の師匠、関りえ子先生が踊りの振り付けを担当しているお芝居の稽古に行ってきました。
オフィスワンダーランドの“OKINAWA1947”
OKINAWA1947のチラシ

関さんがこの劇団の振り付けをするのは6年ぶり2回目。
琉舞を踊る女優さんたちは、なれない手の使い方を一生懸命に稽古していました。
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(黒い紅型の稽古着を着ているのが関りえ子さん。)

演出家の竹内一郎氏は、宇夫方路が早稲田小劇場の研修生だった時の仲間です。
竹内一郎氏
一緒に研修を受けた頃から早30年、お互い歳取ったなあと、しみじみ。
今回の公演には、やはり研修生だった細井史江さん(この日はいませんでしたが)もトレーナー(って何?)として関わっています。

具志充氏(右)も今回の芝居で使われる唐手の型の指導に来ていました。
具志充氏と共に
具志さんは関りえ子琉球舞踊研究所の後援会長。関先生の高校の同級生です。(ということは、高山正樹の奥さんとも同級生ということなのかしら?)

今回の芝居は戦後の沖縄の盗賊団「アギヤー」のお話し。踊りあり、エイサーありで楽しめる芝居。
「俺は暗い芝居は出来ない」と竹内くん。

ちなみに、照明のプランナーは、龍前正夫舞台照明研究所の竹林功くんです。
いやいやみなさんそれぞれ立派になられているわけですから「くん付け」はいけませんね。大変失礼しました。

20日から22日の三日間、新宿紀伊国屋ホールにて。みなさんどうぞ足をお運びくださいませ。
(それにしても、やっぱり狭い世界……、宇夫方路でした。)



この日、奏楽舎の門天公演のチラシをHPにアップした。
奏楽舎門天チラシ

tag: 戦果  OKINAWA1947  竹林功  具志充  龍前正夫舞台照明研究所  竹内一郎  関りえ子  東京奏楽舎