2018年03月16日(金)22時30分
識名園へ
新しい展開のため、動き出さなければならない。
まずは新しいOKINAWA100シリーズの仕入れから。今まで放ったらかしだったおかげで、他では売り切れ、ウチにしか在庫のないものもあり、そうか、それをウリにして宣伝を始めるのもありかもしれないと思う。
※17日に呟いた今日(16日)のこと。
ちょいと歩くと汗ばむ。
なので、かねひでにて島ゾーリゲット。400円也。国際通りの半額。

そうだ、島ゾーリもネット販売しようかな、ただのビーサンですけど。
まずは新しいOKINAWA100シリーズの仕入れから。今まで放ったらかしだったおかげで、他では売り切れ、ウチにしか在庫のないものもあり、そうか、それをウリにして宣伝を始めるのもありかもしれないと思う。
※17日に呟いた今日(16日)のこと。
仕入れ先からスグだったので、識名園へ。今まで何度も訪れて、いつも休園日で入れず諦めるを繰り返していた。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年3月16日
入場口脇のベンチに佇んでいたマヤーグヮーと自撮りツーショット。これだけでも来た甲斐があった。猫好きというワケでもないのだが、こいつはなんだか特別でさ… pic.twitter.com/PwqGr98V5s
ちょいと歩くと汗ばむ。
なので、かねひでにて島ゾーリゲット。400円也。国際通りの半額。

そうだ、島ゾーリもネット販売しようかな、ただのビーサンですけど。
tag: 沖縄の旅_2018年3月 識名園
2011年07月29日(金)15時58分
識名園の画像とコザの街のこと
《7月29日(金)-2》
キジムナーフェスタの特設会場(1)で、“チョンダラーの歌”の最後のリハーサルをしている頃、鈴木雄介は那覇にある世界遺産の識名園を訪れていたらしい。
実は一昨日の27日、鈴木夫妻と識名園の入り口まで行ったのだが、残念ながら定休日だった。どうも小生、識名園に縁がないらしい。いつ行っても何故か定休日の水曜日なのである。M.A.P.after5では2009年の2月4日の水曜日に門の画像だけアップした。
今回、鈴木雄介氏から識名園の中の画像が届いたので、ご紹介しよう。

もう識名園の定休日が水曜だということは忘れない。いずれ訪れて、M.A.P.after5的記事を書こうと思う。ただ、それまでM.A.P.の息が続いていればのハナシだが。
そして鈴木雄介氏から届いたもう2枚の画像。
コザの街にある照屋林助三線店“てるりん”。

そこで鈴木雄介が聞いたコザの町こと。家賃を払っている店はみんな閉めてしまった、家賃を払ってなお利益の上がる街ではなくなってしまったというハナシ。
確かに、中央パークアベニューの周辺は、シャッターを閉めた店だらけである。よくも悪くも、たくさんのアメリカ兵が闊歩していた頃とは比べものにならない。
※数日後、ある方からは、この街の衰退の原因は、米軍基地の縮小ではなく、大和と御同様、大型郊外店出店の影響だと伺った。それが本土資本なのかどうかはわからないが。
でも、この町を一見してゴーストタウンと呼ぶとしたら、きっとその人は、コザの何かを見落としている。確かにシャッター街であることに間違いはないのだが、「内地」の地方都市のそれとは何かが違う。
ここコザのシャッター街の中にも、かつてのコザの匂いを保っているような店が点在していて、そこは宇宙ステーションのように活気があるのである。
「家賃を払っている店はみんな閉めた」というが、ほんとうにそうなのだろうかと僕は思う。ところどころにある元気な店が、全て家賃を払っていないとは、どうも思えない。

どうやらコザは、まだ死んではいない、しっかりと息づいている、と、僕は感じている。
だが、その確証を語るには、僕はまだまだコザの街を知らない。
【おまけ】
ちょうど2年前のパークアベニューを見つけました。途中、痩せた猫が二匹。それからチャーリー多幸寿、そして最後は去年のメイン会場だったコリンザまで。
※因みに、コリンザは40億円近い負債を抱え清算、はたして今後どうなることやら。今回コリンザ3階のあしびなー劇場以外をキジムナーフェスタで使えなかったのは、たくさんの債権者全てから合意を得ることが困難だったということらしい。芝居なんかに貸すなんてもってのほかだという人もいるのだとか。その結果、得られるはずの収益も得られず、コリンザはコザの街にムダに凛(リン)と立っている。そのかわり、コザの街に数多くある空き店舗の中から、劇場として使えそうなところを、オーナーに賃料を払って特設会場として使用することとなった。コザの街復活のためなら賃料不要、街の人たちがそんなふうに協力してくれれば何かが変わるとも思うが、コリンザの状況を見ればあり得ないことか。
キジムナーフェスタの特設会場(1)で、“チョンダラーの歌”の最後のリハーサルをしている頃、鈴木雄介は那覇にある世界遺産の識名園を訪れていたらしい。
実は一昨日の27日、鈴木夫妻と識名園の入り口まで行ったのだが、残念ながら定休日だった。どうも小生、識名園に縁がないらしい。いつ行っても何故か定休日の水曜日なのである。M.A.P.after5では2009年の2月4日の水曜日に門の画像だけアップした。
今回、鈴木雄介氏から識名園の中の画像が届いたので、ご紹介しよう。





もう識名園の定休日が水曜だということは忘れない。いずれ訪れて、M.A.P.after5的記事を書こうと思う。ただ、それまでM.A.P.の息が続いていればのハナシだが。
そして鈴木雄介氏から届いたもう2枚の画像。
コザの街にある照屋林助三線店“てるりん”。


そこで鈴木雄介が聞いたコザの町こと。家賃を払っている店はみんな閉めてしまった、家賃を払ってなお利益の上がる街ではなくなってしまったというハナシ。
確かに、中央パークアベニューの周辺は、シャッターを閉めた店だらけである。よくも悪くも、たくさんのアメリカ兵が闊歩していた頃とは比べものにならない。
※数日後、ある方からは、この街の衰退の原因は、米軍基地の縮小ではなく、大和と御同様、大型郊外店出店の影響だと伺った。それが本土資本なのかどうかはわからないが。
でも、この町を一見してゴーストタウンと呼ぶとしたら、きっとその人は、コザの何かを見落としている。確かにシャッター街であることに間違いはないのだが、「内地」の地方都市のそれとは何かが違う。
ここコザのシャッター街の中にも、かつてのコザの匂いを保っているような店が点在していて、そこは宇宙ステーションのように活気があるのである。
「家賃を払っている店はみんな閉めた」というが、ほんとうにそうなのだろうかと僕は思う。ところどころにある元気な店が、全て家賃を払っていないとは、どうも思えない。
どうやらコザは、まだ死んではいない、しっかりと息づいている、と、僕は感じている。
だが、その確証を語るには、僕はまだまだコザの街を知らない。
【おまけ】
ちょうど2年前のパークアベニューを見つけました。途中、痩せた猫が二匹。それからチャーリー多幸寿、そして最後は去年のメイン会場だったコリンザまで。
※因みに、コリンザは40億円近い負債を抱え清算、はたして今後どうなることやら。今回コリンザ3階のあしびなー劇場以外をキジムナーフェスタで使えなかったのは、たくさんの債権者全てから合意を得ることが困難だったということらしい。芝居なんかに貸すなんてもってのほかだという人もいるのだとか。その結果、得られるはずの収益も得られず、コリンザはコザの街にムダに凛(リン)と立っている。そのかわり、コザの街に数多くある空き店舗の中から、劇場として使えそうなところを、オーナーに賃料を払って特設会場として使用することとなった。コザの街復活のためなら賃料不要、街の人たちがそんなふうに協力してくれれば何かが変わるとも思うが、コリンザの状況を見ればあり得ないことか。
2009年02月04日(水)13時23分
沖縄出張4日目(長ーい一日1)
朝一、対馬丸記念館再訪、“カクテル・パーティー”納入。
時間がちょっとあるので…
福州園へ
あら休園。

じゃあ、ということで識名園へ
途中、与儀公園の脇を通ったので……

休憩中(?)のおじさん二人と、よく見えませんが「フレンド」という赤い看板を撮影してみました。
夜、女性一人で歩いても安心な公園。なぜ?
男性の場合は100円ライター2回カチカチが合図だとか。何の?
ミステリー。
識名園、おや休園。

残念。そうだ、せっかくここまで来たんだから識名壕を覗いてみましょう。
今回は、お家の方にご挨拶ができました。でも灯を持っていないので、ちょっと入口を見るだけです。前回の画像は中から撮影したものです。

ここに休園なんかありません。毎日の生活の中に祈りがあるのだから。
振り返れば、ここにも生活の匂いがするこんな風景が拡がっています。

⇒前回の識名園と識名壕の記事を読む。
※でも新ブログに引っ越したため、サブカテゴリの数が足らなくなりました。というわけで、記事を分けることにしましょう。
時間がちょっとあるので…
福州園へ
あら休園。

じゃあ、ということで識名園へ
途中、与儀公園の脇を通ったので……

休憩中(?)のおじさん二人と、よく見えませんが「フレンド」という赤い看板を撮影してみました。
夜、女性一人で歩いても安心な公園。なぜ?
男性の場合は100円ライター2回カチカチが合図だとか。何の?
ミステリー。
識名園、おや休園。

残念。そうだ、せっかくここまで来たんだから識名壕を覗いてみましょう。
今回は、お家の方にご挨拶ができました。でも灯を持っていないので、ちょっと入口を見るだけです。前回の画像は中から撮影したものです。


ここに休園なんかありません。毎日の生活の中に祈りがあるのだから。
振り返れば、ここにも生活の匂いがするこんな風景が拡がっています。

⇒前回の識名園と識名壕の記事を読む。
※でも新ブログに引っ越したため、サブカテゴリの数が足らなくなりました。というわけで、記事を分けることにしましょう。
tag: 那覇 対馬丸記念館 沖縄の旅_2009年2月 識名園 識名壕 福州園 カクテル・パーティー
2008年12月06日(土)23時59分
プリティちえちゃん登場(6日その2)
和光小学校の修学旅行に同行し、宮城巳知子さんのお話を伺った時にお会いした“プリティちえちゃん”に再会しました。
といっても、本ブログでは初登場。
まずは和光小修学旅行の時に識名園の前で撮影した画像で、プリティちえちゃんのご紹介です。

⇒その日のOffcial_Blog(別窓で開くならシフトを押しながらクリック)
ところで、今回、宇夫方路の訪沖の最大の目的は芸能チャリティ公演に出演して太鼓を叩くこと。(それについては明日報告します!)その稽古をして、そのあと太鼓の知名先生と、嘉陽田早苗さん(知名先生の門下生)のお店「美風歌(びふうか)」にやってきました。

で、プリティちえちゃんは南風原高校の英語の先生。(なんでプリティなのかは、まだ本人に聞いてません。)
この日は新報ホールで英語の大会があったそうで、プリティちえちゃんはその司会を担当、それが終わってから美風歌に駆けつけてくださいました。
時間も遅かったので、早々に切り上げようと思ったのですが、ここは沖縄、プリティちえちゃんが那覇西高校にいたときのPTA会長さんの源河さんご夫婦がお店にやって来られて、ご一緒することに。

源河さんのご主人は安冨祖流の三線をやられていて、奥様は琉球舞踊敏風会の教師。さすが芸能の島、いたるところに芸能人がいらっしゃるのです。
で、宇夫方路が所属する喜納の会の会主である伊波正江先生のそのまた先生、つまり大先生は亡くなられた喜納初子先生なのですが、その初子先生と、源河さんの奥様が所属する敏風会の会主、宮里敏子先生とは、かつて名コンビと言われていたのです。
で、美風歌のオーナー嘉陽田早苗さんは、源河さんの奥様と幼なじみ。
で、なんだかんだ色々なつながりがあって、すっかり盛り上がってしまったのです。
みなさん、ここまでのややこしい話に、ちゃんと付いてこれましたか?
で、です。一番重要な話はここからです。
プリティちえちゃんのお母様はずいせん学徒隊の生き残り、つまり宮城巳知子さんの同窓生でいらっしゃいます。しかし、プリティちえちゃんのお母様は巳知子さんのように当時のことを人前でお話になることはありません。でもプリティちえちゃんは、お母様たちの経験を、なんとか語り継いでいきたいと考えている、そこで御高齢の宮城巳知子さんの後を継いで、巳知子さんの体験を題材に、語り部となるべく勉強をしていらっしゃるのです。
で、です。「おきなわおーでぃおぶっく」では、宮城巳知子さんの書かれた「ずいせん学徒の沖縄戦」を、プリティちえちゃんに読んでもらおうと、白羽の矢を立てたのです。
そして今日、それを快諾していただいたと、こういうわけなのです。
で、最後になりましたが、プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さんです。なんでここまで本名を伏せて“プリティちえちゃん”で押し通したのかというと、ただでさえややこしい話なのに、宮城さんがたくさん出てきたらますますワケがわからなくなりそうだったからです。
あー説明、疲れました。明日、ちゃんと太鼓叩けるかしら。
Official_Blogには、もう少し話が進んでから、ちょいと整理して記事を書きましょうね!
といっても、本ブログでは初登場。
まずは和光小修学旅行の時に識名園の前で撮影した画像で、プリティちえちゃんのご紹介です。

(10月28日撮影)
⇒その日の記事⇒その日のOffcial_Blog(別窓で開くならシフトを押しながらクリック)
ところで、今回、宇夫方路の訪沖の最大の目的は芸能チャリティ公演に出演して太鼓を叩くこと。(それについては明日報告します!)その稽古をして、そのあと太鼓の知名先生と、嘉陽田早苗さん(知名先生の門下生)のお店「美風歌(びふうか)」にやってきました。

で、プリティちえちゃんは南風原高校の英語の先生。(なんでプリティなのかは、まだ本人に聞いてません。)
この日は新報ホールで英語の大会があったそうで、プリティちえちゃんはその司会を担当、それが終わってから美風歌に駆けつけてくださいました。
時間も遅かったので、早々に切り上げようと思ったのですが、ここは沖縄、プリティちえちゃんが那覇西高校にいたときのPTA会長さんの源河さんご夫婦がお店にやって来られて、ご一緒することに。

源河さんのご主人は安冨祖流の三線をやられていて、奥様は琉球舞踊敏風会の教師。さすが芸能の島、いたるところに芸能人がいらっしゃるのです。
で、宇夫方路が所属する喜納の会の会主である伊波正江先生のそのまた先生、つまり大先生は亡くなられた喜納初子先生なのですが、その初子先生と、源河さんの奥様が所属する敏風会の会主、宮里敏子先生とは、かつて名コンビと言われていたのです。
で、美風歌のオーナー嘉陽田早苗さんは、源河さんの奥様と幼なじみ。
で、なんだかんだ色々なつながりがあって、すっかり盛り上がってしまったのです。
みなさん、ここまでのややこしい話に、ちゃんと付いてこれましたか?
で、です。一番重要な話はここからです。
プリティちえちゃんのお母様はずいせん学徒隊の生き残り、つまり宮城巳知子さんの同窓生でいらっしゃいます。しかし、プリティちえちゃんのお母様は巳知子さんのように当時のことを人前でお話になることはありません。でもプリティちえちゃんは、お母様たちの経験を、なんとか語り継いでいきたいと考えている、そこで御高齢の宮城巳知子さんの後を継いで、巳知子さんの体験を題材に、語り部となるべく勉強をしていらっしゃるのです。
で、です。「おきなわおーでぃおぶっく」では、宮城巳知子さんの書かれた「ずいせん学徒の沖縄戦」を、プリティちえちゃんに読んでもらおうと、白羽の矢を立てたのです。
そして今日、それを快諾していただいたと、こういうわけなのです。
で、最後になりましたが、プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さんです。なんでここまで本名を伏せて“プリティちえちゃん”で押し通したのかというと、ただでさえややこしい話なのに、宮城さんがたくさん出てきたらますますワケがわからなくなりそうだったからです。
あー説明、疲れました。明日、ちゃんと太鼓叩けるかしら。
(宇夫方路電話談、東京にて高山が代筆。疲れた…)
Official_Blogには、もう少し話が進んでから、ちょいと整理して記事を書きましょうね!
tag: 沖縄の人 プリティちえちゃん 沖縄の呑食処.美風歌 琉球舞踊 三線 宮城巳知子 ずいせん学徒隊 沖縄の旅_2008年12月 おきなわおーでぃおぶっく 識名園
2008年10月28日(火)23時12分
「ほんとうの強行軍の記憶」の補足
前の記事の捕捉です。
識名壕は識名園のそばにあります。

和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。
でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。
確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。
ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞いたあと、最後にひめゆりの塔へ行きました。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。
ガマとかにはいると何か感じてしまうので、最初の壕だけ同行して、後は車の中で待っていた「女性スタッフ」にというのは、実は井上真喜さんです。前の記事の写真で、宮城巳知子さんのお話を撮影しているところとか、いくつか写真に写っています。彼女は、ひめゆりでさえ、その前を通りを通過するだけで嫌な感じになるそうです。
「ひめゆりってさ、鎮魂しているんじゃなくて、記憶を再生産しているんじゃないのかな。成仏してくださいというのとは反対にさ」
「そうかもしれない」
でも、東京の子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。
本日のところは、重い話はこのくらいにして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。

これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。
和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。

遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつかあらためてご紹介しましょう。
夕方、大城立裕先生のお宅にお邪魔しました。沖縄に来た時は必ず、時間を作ってお伺いしようと思っているのです。
長い一日。夜のことは、また記事を分けることにします。
識名壕は識名園のそばにあります。

和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。
でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。
確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。
ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞いたあと、最後にひめゆりの塔へ行きました。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。
ガマとかにはいると何か感じてしまうので、最初の壕だけ同行して、後は車の中で待っていた「女性スタッフ」にというのは、実は井上真喜さんです。前の記事の写真で、宮城巳知子さんのお話を撮影しているところとか、いくつか写真に写っています。彼女は、ひめゆりでさえ、その前を通りを通過するだけで嫌な感じになるそうです。
「ひめゆりってさ、鎮魂しているんじゃなくて、記憶を再生産しているんじゃないのかな。成仏してくださいというのとは反対にさ」
「そうかもしれない」
でも、東京の子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。
本日のところは、重い話はこのくらいにして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。

これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。
和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。

遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつかあらためてご紹介しましょう。
夕方、大城立裕先生のお宅にお邪魔しました。沖縄に来た時は必ず、時間を作ってお伺いしようと思っているのです。
長い一日。夜のことは、また記事を分けることにします。
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