沖縄出張4日目(長ーい一日1)

朝一、対馬丸記念館再訪、“カクテル・パーティー”納入。
時間がちょっとあるので…
福州園へ

あら休園。
福州園休園

じゃあ、ということで識名園へ

途中、与儀公園の脇を通ったので……
与儀公園
休憩中(?)のおじさん二人と、よく見えませんが「フレンド」という赤い看板を撮影してみました。
夜、女性一人で歩いても安心な公園。なぜ?
男性の場合は100円ライター2回カチカチが合図だとか。何の?
ミステリー。

識名園、おや休園。
識名園休園

残念。そうだ、せっかくここまで来たんだから識名壕を覗いてみましょう。
今回は、お家の方にご挨拶ができました。でも灯を持っていないので、ちょっと入口を見るだけです。前回の画像は中から撮影したものです。
識名壕入口 
識名壕の御嶽
ここに休園なんかありません。毎日の生活の中に祈りがあるのだから。
振り返れば、ここにも生活の匂いがするこんな風景が拡がっています。
街並
前回の識名園と識名壕の記事を読む。

※でも新ブログに引っ越したため、サブカテゴリの数が足らなくなりました。というわけで、記事を分けることにしましょう。

tag: 那覇  対馬丸記念館  沖縄の旅_2009年2月  識名園  識名壕  福州園  カクテル・パーティー 

プリティちえちゃん登場(6日その2)

和光小学校の修学旅行に同行し、宮城巳知子さんのお話を伺った時にお会いした“プリティちえちゃん”に再会しました。
といっても、本ブログでは初登場。
まずは和光小修学旅行の時に識名園の前で撮影した画像で、プリティちえちゃんのご紹介です。
識名園の前でプリティちえちゃんと
(10月28日撮影)
その日の記事
その日のOffcial_Blog(別窓で開くならシフトを押しながらクリック)

ところで、今回、宇夫方路の訪沖の最大の目的は芸能チャリティ公演に出演して太鼓を叩くこと。(それについては明日報告します!)その稽古をして、そのあと太鼓の知名先生と、嘉陽田早苗さん(知名先生の門下生)のお店「美風歌(びふうか)」にやってきました。
美風歌看板

で、プリティちえちゃんは南風原高校の英語の先生。(なんでプリティなのかは、まだ本人に聞いてません。)
この日は新報ホールで英語の大会があったそうで、プリティちえちゃんはその司会を担当、それが終わってから美風歌に駆けつけてくださいました。
時間も遅かったので、早々に切り上げようと思ったのですが、ここは沖縄、プリティちえちゃんが那覇西高校にいたときのPTA会長さんの源河さんご夫婦がお店にやって来られて、ご一緒することに。
美風歌にて

源河さんのご主人は安冨祖流の三線をやられていて、奥様は琉球舞踊敏風会の教師。さすが芸能の島、いたるところに芸能人がいらっしゃるのです。

で、宇夫方路が所属する喜納の会の会主である伊波正江先生のそのまた先生、つまり大先生は亡くなられた喜納初子先生なのですが、その初子先生と、源河さんの奥様が所属する敏風会の会主、宮里敏子先生とは、かつて名コンビと言われていたのです。

で、美風歌のオーナー嘉陽田早苗さんは、源河さんの奥様と幼なじみ。
で、なんだかんだ色々なつながりがあって、すっかり盛り上がってしまったのです。

みなさん、ここまでのややこしい話に、ちゃんと付いてこれましたか?
で、です。一番重要な話はここからです。

プリティちえちゃんのお母様はずいせん学徒隊の生き残り、つまり宮城巳知子さんの同窓生でいらっしゃいます。しかし、プリティちえちゃんのお母様は巳知子さんのように当時のことを人前でお話になることはありません。でもプリティちえちゃんは、お母様たちの経験を、なんとか語り継いでいきたいと考えている、そこで御高齢の宮城巳知子さんの後を継いで、巳知子さんの体験を題材に、語り部となるべく勉強をしていらっしゃるのです。

で、です。「おきなわおーでぃおぶっく」では、宮城巳知子さんの書かれた「ずいせん学徒の沖縄戦」を、プリティちえちゃんに読んでもらおうと、白羽の矢を立てたのです。
そして今日、それを快諾していただいたと、こういうわけなのです。

で、最後になりましたが、プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さんです。なんでここまで本名を伏せて“プリティちえちゃん”で押し通したのかというと、ただでさえややこしい話なのに、宮城さんがたくさん出てきたらますますワケがわからなくなりそうだったからです。

あー説明、疲れました。明日、ちゃんと太鼓叩けるかしら。
(宇夫方路電話談、東京にて高山が代筆。疲れた…)

Official_Blogには、もう少し話が進んでから、ちょいと整理して記事を書きましょうね!

tag: プリティちえちゃん  沖縄の呑食処.美風歌  琉球舞踊  三線  宮城巳知子  ずいせん学徒隊  沖縄の旅_2008年12月  おきなわおーでぃおぶっく  識名園 

ほんとうの強行軍の記憶

沖縄に関わっていると、人と人の「つながり」ということを改めて思うのです。

高山正樹の奥方の親友に琉球舞踊の先生がいて(関連記事へ)、その方を舞台で共演していた宇夫方路に紹介してから、もう20年近くになります。その踊りのお仲間の宮城文子さん(関連記事へ)は、ずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんの義理の娘さんです。

巳知子さんのお話を是非とも伺いたいと思い、文子さんに紹介していただいて、沖縄の嘉手納で宮城巳知子さんにお会いしました。(関連記事へ)
その際に和光小学校の修学旅行のお話を伺い、世田谷にある和光小学校に校長先生をお訪ねして、その修学旅行に同行させていただけるようお願いすることにしました。(関連記事1へ)(関連記事2へ)

その修学旅行が今日だったのです。
その行程は、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialサイトのブログで報告しているので是非お読みください。
《Officialサイトのブログ記事》
(別窓で開く場合はシフトを押しながらクリックしてください。)

ここではOfficialサイトのブログでご紹介しきれなかった画像や話題などをいくつか。

ナゲーラ壕への道
ナゲーラ壕への道

2番目に行った識名壕は識名園のそばにあります。
識名園入口
和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。

でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。

確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。

識名壕へ入る入口。
識名壕へ入る入口

識名壕の中から見た入口。
壕の中から見た入口
四角くシルエットに見えるのはウガミ(拝み)の場所です。帰り際に、先生がお線香を供え、手を合わされていらっしゃいました。

もうひとつ米須壕にまわって、ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞き、そして最後にひめゆりの塔へ。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。

女性スタッフにとっては重過ぎて、最初の壕だけで後は遠慮したのですが、子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。

本日のところは、重い話はこのくらいにいたしまして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。
お帰りシーサー
これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。

和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。
遠くに見える久高島
遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつか改めてご紹介しますね。

長い一日。タグの数が足りそうもないので、記事を分けることにします。

tag: 沖縄の旅_2008年10月  識名園  シーサー  識名壕  ずいせん学徒隊  宮城巳知子