2月5日のことを呟いたツイートをまとめてみました

(※金城実さんのアトリエの話など詳細は後日ですが…)

【2月5日のことを呟いたツイートをまとめてみました】

gajumui

(※昨日のツイートをひとつ再掲)
明日は朝早い。高江に行ってきます。姪っ子を連れて。ちょっと寄るだけしかできないけれど、それが始まりだと思って。只のきっかけ。躓くかどうか、後は彼女が考えること。
02-04 23:18


霧の高江

(※ここからは6日に呟いたツイート)

高江に行くとムーランに寄る。「活動」している人たちとは少し違う「佇まい」に、だらしない僕は脱力して、広がる山原の森を眺める。同行した母は、高々30分の「高江体験」で「意識の高い人」になったらしく、親父さんに色々と話し掛ける。「そんなに簡単なじゃない」と僕。奥さんがそっと頷いた。
02-06 09:09

ムーランのおじさん、あかまたを捕獲
(※ムーランのおじさんがアカマタを捕獲したときの写真)

辺野古のフェンス横の砂浜。米軍の監視カメラと目が合う。笑顔でピースしてみた。ふと足元を見るとヤドカリ。見渡すと、そこら中でヤドカリ達が、それぞれ自分の家を背負って歩き回っている。近くで、ふたりの男性と小さな船が、漁に出る準備をしていた。
02-06 09:27
辺野古のフェンス

辺野古のヤドカリ

ヤドカリアップ


恩納村の海の見える素敵なレストランで昼食。オーナーは元ライオンズクラブ会長の美しき女性。知り合いなのである(自慢です)。「高いよ」と母親を脅かしてテラスに席を取る。20食限定ランチ、コーヒーとデザートがついて1000円。「なんだ、高いって言うから…」「ここは、沖縄だよ」
02-06 10:07
海が見えるレストラン


恩納村の海

コバルトブルーの海に漁船が何隻か浮かんでいる。聞けばモズク漁だという。ここの夜のメニューには一品数千円が並ぶ。モズクを使った料理なんてあるのかな。なんだかアンバランスな光景だと、僕は面白がっていた。
02-06 10:19

(※ツイート中断と再開…)

残波岬のシーサーと

特牛節の歌碑

昨日の報告ツイートの続き。残波岬ででっかいシーサーと特牛節の歌碑をカメラに納め、金城実氏のアトリエに向かう。母親は「今日はどうも…」みたいな挨拶を始めるが、当然そんなのに興味を示さず。「姪っ子が彫刻をやってるんですよ、それで、今日連れて来たんです」途端に金城実の目が光った。
02-06 18:36

「俺の作った大獅子、見たか」「ハイ、ここへ来る前に」ここからの金城さんの話が実に面白かった。殆ど彫刻の話だけを語る金城実、そんなの初めて。でもやっぱり「金城実」なのである。ああ、間もなく搭乗開始の時間。残念。続きはブログにて。東京の雪、どうやら大丈夫みたい?
02-06 19:36

(※6日はこれで時間切れ、以下は東京に戻ってからのツイート)

予告風に。「ある日金城実のアトリエに、彫刻勉強中の19歳の女の子が訪れた。金城さん曰く《彫刻をやっている人間が此処に来たのは初めてだ》デッサンなんかくそ食らえ、大阪の銭湯で、じいさんの裸を一日中眺めて人間の骨格を覚え込んだ金城実の熱い話が始まる。彫刻家・金城実、近日ブログにて!」
02-07 13:30


自作を解説する金城実さん

何度も言うが「金城実的彫刻爆裂談義」はブログの方に書くとして、金城さんのアトリエをお暇した後、普天間飛行場をぐるりと回り、カミサンと母と姪をカミサンの実家で下ろし、小生はレンタカーを小禄まで返しに行き、モノレールで見栄橋へ、そこからタクシーで安謝の隣、港町の宝隆軒へ向かった。ふ~
02-08 08:49

「玄羽さんから紹介されて」と言ったら御夫婦途端に満面の笑顔、大サービスして頂きました。伊勢海老、ラフテー・・・もう最高!お酒込みで一人様~円… 内緒。ありがとうございました。今度は是非御一緒に。後ほどブログに画像アップ。 @b25225 宝隆軒も味のある店でしょう。楽しんでますか?
02-08 08:58
宝隆軒1

宝隆軒2

宝隆軒3

宝隆軒は日銀とか海上保安庁の御用達、だが極めて庶民的なお店。時の日銀総裁も、沖縄へ来ればこの店に訪れる。義理の妹夫婦が、お店の方のちょっとしたイントネーションを聞き分けて宮古の人だねと。ともかく暖かい。高江のムーラン、金城実夫妻、宝隆軒、この日会った三組の御夫婦。それぞれの沖縄。
02-08 09:12
御用達のお店

宝隆軒の誤夫婦

tag: 沖縄_呑処食処.カサラティーダ  沖縄_戦争・基地など.高江  辺野古  金城実  沖縄_呑処食処.夢蘭 

11月12日の呟きのまとめ《イオマンテの祭りの意味を僕らは知っているのか》

11月11日という日を、発表会だけで過ごしてしまった。だからといって、感じる必要のない「後ろめたさ」。だがいたしかたない、これが性分なのだと、最近は開き直ることにしている。それをいちいちこうして書き連ねて弁解するところが、もしかして僕、かわいい?

冗談である。

一週間くらい前から、事務所の入り口の正面の壁に、初めて首相官邸前のデモに行ったときに貰った“NO OSPREY”のビラを、発表会のチラシの傍の貼ってみた。

NO OSPREY

琉球新報の号外は、その後いつのまにか貼られていた。宇夫方女史が貼ったらしい。
「なんで貼ったの」
「あったから」

gajumui

11.11、昨日の10万人集会の情報を知りたいと、事務所のTVをつけてみた。ネットをあちこち巡ってみた。だが…
11-12 10:11

確信犯的メディアは別として、NEWSの価値をどう作り出すかとという戦略(←性に合わない言葉だが)について思う。北谷での朗読劇でなるほどと気づかされたこと。企画が持ち上がり、稽古が始まり、出演者が高江に行き、そして本番、その都度ニュースになった。有難かったと高江の人たち。
11-12 10:16

もうずいぶん前のことだが、状況劇場(赤テント)が戦略を変えた。それまでテレビを頑なに拒否していたが、そこへ劇団の役者たちを送り込む事に決めた。根津甚平、小林薫、時を隔てて佐野史郎…、ミイラ取りがミイラになったかどうかは知らぬが、今回はそれとは違う。すでに名の知れた俳優諸氏がノーギャラで引き受けた。観客を呼ぶ力のある人たち。
無名の役者であることが潔いなどと斜に構えてきた自分の20数年を、3.11以降、僕はとても後悔している。
入り口の看板は何でも構わない。看板に誘われて入った人たちに知ってもらえればそれでいい。きっかけが津嘉山正種でも北島角子でも、ヤンバルクイナでもノグチゲラでも、ジュゴンでも構わないのである。

辺野古のこと。「ジュゴンを守るために基地建設に反対する」のか、「基地を作らせないためにジュゴンを守る」のか、そんな内部対立があったという話を聞いた。運動に関わっていた人にそのことを話したら、あったかもしれないが大した問題ではなかったと。ひとつの聞きかじり、ふたつの聞きかじり。
11-12 13:55

動物好きの娘は読まないでください。父は嫌われたくないから。“社長とは呼ばないで”という僕の裏ブログ。「頗る貴重なスペースを避けて」イオマンテの祭りの意味を、お前は本当に知っていたのか。 http://t.co/ci6pW1rI
11-12 14:01

さらに僕は、2009年に“社長とは呼ばないで”に書いた記事も思い浮かべていた。
 ⇒生物多様性と自然淘汰
でも、これについては呟かなかった。自分のうちの飼い猫のことなら「冗談」と許されても、「ジュゴンを殺す」とまで言ってしまえば、きっとそこだけを取り出して立腹して責めたてる方々がいてもおかしくはない。

とはいえ、僕には飼い猫を食うこともできないだろう。ジュゴンを殺して構わないとも思っていない。
だが、切実に自らの生活が脅かされる事になったとして、それでも変わらずにいられるだろうか。僕たちは本当に、イオマンテの祭りの意味を知っているのだろうか。

そろそろ出掛ける時間である。頭を切り替えなければならない。

草野心平の「河童と蛙」や「るるる葬送」も、坂本遼の母親が死ぬ間際に、林檎と梨と、どちらのスープがいいかと問われて「安い方のがええ」と答えた話も、あながち無関係ではないと、後ろめたさから逃れるように僕は思い始めている。

プリモ芸術工房

tag: 沖縄_戦争・基地など.高江  辺野古 

再び辺野古2011

《8月4日(木)-2》
遊びは終わり。とっとと南へ向かおう。だが、ちょっと気になることがあって、少し遠回りだが、キャンプシュワブの脇を通ることにした。去年たくさんの人たちが集まって抗議していた場所。今年、何度も通ったはずなのだが、去年たくさんあった横断幕の記憶がない。どうしたのだろう。見逃したのか、そんなはずはないのだが、それをちゃんと確かめたかった。

ここだ。
null
やっぱり、何もない。
null
みんな、いったいどこへ行っちゃったんだろう。
(去年の画像を再掲)
2010年、座り込む人たちと演説する人とそれに聞き入る支援者たち

※数日後、Yusuke氏から画像が送られてきた。7月の30日、彼は辺野古の海に行ってきたらしい。その時の画像データを送ってくれたのだ。
null null
おや……? 画像をアップ。
null
この黄色い「沖縄に煮え湯を飲ますな」の横断幕、去年キャンプシュワブの前で撮影した時に写っていたのと同じものではないか? そうか、みんな、より工事現場に近いところへ移っていったんだ。それほど、事態は逼迫しているということなのか。


いったい僕は、ここへ何をしにきたのだろう。キャンプシュワブの金網に何も貼られていないことを確かめて、いったいどうしようというのだろう。
「俺は結局、傍観者でしかない」

宿をお世話してくださった“児童養護施設なごみの園”の園長さんにお礼の御挨拶に伺った。
null
結局、基地受け入れに賛成されているのか、あるいは反対なのか、僕には聞くことができなかった。
「聞いてどうするのか、ブログのネタ探しか」

僕は気分が沈んでいったのである。

tag: 辺野古 

辺野古2011(4)

《8月2日(火)-5》
「2006年のこと。一世帯当たり1億5千万円の一時金と年間200万円の補償金を国に要求する方針を決めたが、県内からも批判を受けて取り下げた」

公民館のロビーのガラス棚には、少年野球関連のトロフィーやら写真の額やらがたくさん並べられていた。
null

沖縄の夕方は、いつまでも明るい。公民館の表では子供たちが素振りをしていた。
null
山猫合奏団の公演を観た子供たちなのかどうか、数人の大人が付き添って指導していた。

今に始まったことではないのかもしれない。あるいは、沖縄ばかりではないのかもしれないから、どうか聞き流していただきたい。僕になんやかやと語る資格はない。
いつだったか、沖縄の方からこんなことを伺ったことがある。今、沖縄では子供に野球やサッカーをやらせることがとても流行っている。日曜や祭日の全てを、子供のスポーツの練習に付き合ったり、試合を観に行くことに費やす。子供のスポーツだけが生き甲斐というような親が増えているのだという。はっきりと口には出さないが、子供をプロ野球やプロサッカーの選手にする、そんな密やかな夢だけに支えられた生活。そこにしか主体的な希望を持てなくなってしまった沖縄、と、その方は言った。

カミサンの実家でも、家族の話題の半分は、子供のサッカーのことである。たとえ僕が沖縄の基地のハナシをしだしても、かつてのように深まっていくことなく、いつしかまたサッカーのハナシに流れていくので、最近は始めから黙っている。三線を弾いてみたところで、子供たちはさほど興味を示さない。キジムナーでの公演があっても、子供のサッカーの試合があればそちらが優先される。

「何々」より「何」の方が上等だというようなことを言いたいわけではない。ただ、「何か」しか見えなくなることは如何なものかと思うのだ。親がそうなっては、幼い子供はもっと見えなくなるに違いない。
僕には、それが一時金と補償金を要求しておかしいとは思わない感覚と決して無関係には思えないのだと、そんなことを言ってみても、きっと誰も聞かない。聞かなくてよい。僕には語る資格がないのだから。

夜のための買出しへ。西海岸まで出なければ大きな店がない。でも、例のトンネルを通ればあっという間だ。
null
1ドル=74円……
西の海は茜色の気配。
null

宿は東海岸。さびしいはずの東海岸だが。
null null
東の海はまだまだ明るい。
null
え、こんなところがこんなところに?そして、今晩はここに!
null

ダメだ、このままだと何を書き出すか、自分でも抑えられそうにない。日を改めて書く、と決めた。
だからさ、はやいところ“社長とは呼ばないで”という捌け口を再開しなきゃ。

tag: 辺野古  山猫合奏団 

辺野古2011(3)

《8月2日(火)-4》
僕らは座り込みはしていません。
null
どういうこと? だからさ……
 ⇒辺野古2011(1)
僕らは音楽家と、それから、えーと、僕、何?
null
明日の“どんぐり”のための合わせなのです。なんたって、久しぶりですから。今日の“ゴーシュ”は問題なし。お客さん次第ですけど。

近くの食堂へお昼を食べに行きました。
白石准ちゃんはヘチマの炒め物。
null
水っぽくて独特の匂いがあって苦手だという人もいます。こういう時は必ずチャレンジする准ちゃんは「いいね!」(facebook風)

あくまで一般論として、僕が思っている個人的な意見なのですが、食べ慣れないものについては、最低3回くらい食べてみるまで、能書きは控えておくのがよろしい。

カツカレーライス。家庭料理っぽい工夫がされてます。
null
つまり、家庭料理ってこと?
※「沖縄の家庭料理問題」については今までも時々書いてきました。
 ⇒沖縄の定番【那覇公設市場周辺】
 ⇒沖縄の家庭料理を出してもお金は取れない

沖縄へ来たんだから沖縄のもの食べなきゃっていうような沖縄フリークになってはいけません。何を食べようが自由です。

なんだか今日の僕はギスギスしてるなあ、なんでかなあ。

僕は“味噌汁”を頼みました。
null
“味噌汁”というのは、沖縄の大衆食堂の定番メニューです。具沢山のお味噌汁にちょっとしたおかずと大盛りご飯がついてきます。他に“おかず”という定食メニューもあります。そんなことを知らずに、“おかず”と“味噌汁と“ごはん”を注文しようものなら、大皿のおかずと小さなおかずと、どんぶりの味噌汁と小さな御碗の味噌汁と、山盛り御飯が三つ出てきて大変なことになってしまいます。

さあ、腹ごしらえ完了。いよいよ本番です。まずはチェロの演奏から。
「はじまったよーん」
null
「宇夫方さん録画中」
null
 ⇒Official_Blogの記事

今回の公演は、宇夫方隆士氏の教会関係のお友達という繋がりで実現しました。そのお友達とは“児童養護施設なごみの園”の園長さんです。ある事情で親と一緒に暮らすことの出来ない子供たちの施設。今日のお客さんは、そこの子供たちと、近隣のお年寄りだと伺いました。そのほかにも近所の子供たちが来ていたのかどうか、なぜだか聞けませんでした。

終演後、ピザをご馳走になりました。
null
でもお昼が遅かったので、けっこうお腹いっぱいなのです。それにこのピザ、米軍基地内の店のものです。基地に入ることのできるパスを持っている方に買ってきていただいたということで、デカイのです。うっぷ…
null

米軍基地へのパスは、このあたりの方はけっこう持っていらっしゃったのだとか。でも「色々あってから」簡単には発行されなくなったのだそうです。だからこのピザは、パスを持っているお友達に頼んで買ってきていただいたとのこと。しかし、いったいどういう方にパスを待つ許可が下りるのでしょうか。これも聞けなかった。ああ、思い切って色々なことを聞いてみればよかったと、ちょっと、いやとっても後悔しています。僕は本当の現実を知る機会を、自ら放棄してしまったのです。

「お前は、この問題に対して能書きを言う資格はない」
「ヘチマのことはウチナーグチで“ナーベーラー”と言います。色々な味付けで、今まで10回くらい食べたことがあります」
「で?」

ピザは半分ほど頂いて、残りは今晩のお酒のツマミにということで、お持ち帰りとなりました。

あれ、なんだか僕、頭がおかしくなったのかなあ。
早く、“社長とは呼ばないで”を再開したいと思っているのです。

tag: 辺野古  山猫合奏団  沖縄の呑食処.(その他) 

辺野古2011(2)

《8月2日(火)-3》
※去年の辺野古の記事を、是非お読みください。
 ⇒辺野古に行って考えたこと(2010/07/22)
そして今年……
開通した道。あえて言う。完成してしまった軍用道路。
null null

後日、必ず書く。

tag: 辺野古 

辺野古2011(1)

《8月2日(火)-2》
今日の公演地、辺野古へ向かう。
特に珍しい光景でもないけれど……
null

建設費数億円(9割が国の補助)の辺野古交流プラザ(辺野古公民館)。
null
基地建設反対の座り込みをしている人たちは入場できないという噂を聞いた。あえて確かめることはしなかった。政治には関わらない、それはそれでいい。しかし、だとしたら基地反対の人の入場を許さないというあからさまな「政治」にこそNOというべきではないか。それを言うのも政治だというのか。僕は、グッと目を閉じた。
 ⇒http://www.janjanblog.com/archives…
※上記の酷いブログのURLはもうデッドリンクになっているようです(2014年9月)

辺野古の海を見に行くことにした。
null

そうか、やっぱり辺野古の海は美しかったんだ、と、僕は孤独に思った。
null
キャンプシュワブは岬の向こう側。滑走路の建設は岬の先に見える島の奥で計画されている。
null

なんとかこの海の美しさを記録したくて……
null
何回も何回もシャッターを押してみたのだが……
null null null

左に見えるのが岬の先の島。右が大浦湾である。
null null null null

太陽と雲の具合で、刻々と海の色が変わっていく。
null null
辺野古の人たちの心も、海の色のように揺らいでいるのかどうか。

日が翳り、くすんでいく大浦湾。
null null null
※大浦湾に関するyouTubeは著作権の関係で削除されていた。
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-1232.html
(※他のサイトで見つけたので貼り換えました。)

だいぶ画像が多くなってしまった。
記事を、分けることにしよう。

tag: 辺野古 

詮無いこと【仲井真弘多氏と伊波洋一氏の高江訪問】

昨日の日曜日、宇夫方女史は琉球舞踊の本番でした。そのうち琉舞のブログにアップすることでしょう。
僕は、一日中事務所にて零細企業の社長っぽい仕事をしていました。
そして今日は、支払い登録のための計算。
僕の昨日今日の仕事については、お話ししても詮無いことです。

昨日は沖縄県知事選でした。
現職の仲井真弘多氏が勝って再選。
伊波洋一氏は破れました。

 ⇒高江のこと、知っていますか?【米軍海兵隊の北部訓練場】
 ⇒辺野古の前に報告しておきたいこと(1)
 ⇒辺野古に行って考えたこと

これが、僕ができる精一杯のことでした。
そして、いまさら詮無いことなのかもしれませんが……

【仲井真弘多氏の高江訪問記(2010年6月7日)】


【伊波洋一氏の高江訪問記(2010年10月4日)】


本質とは無関係の話で申し訳ないのですが……
仲井真氏と伊波氏、どちらも、こちらに全く予断のない問題について話していると仮定して考えてみてください。仲井真氏と伊波氏の話しっぷり。もし実際にそれぞれを体験したら、どちらに信用が置けると感じるでしょうか。
きっと、意見は分かれるような気がする。このところ、ずっと考えていることです。

重要なことは継続して考え続けること。そして見極めること。あえて選挙後にこういう記事をアップする、それなりに意味のあることだと思っています。
このふたつの動画が、削除されませんように。
(※12月6日現在、どちらの画像も閲覧者200人にも達してしません。)

続きを読む

tag: 沖縄_戦争・基地など.高江  辺野古 

今日は“空手の日”【辺野古を考える全国上映キャラバン@世田谷】

10月25日、空手の日
1936年(昭和11年)10月25日、沖縄県那覇市昭和会館にて琉球新報社主催の沖縄空手大家の座談会があり「唐手」の呼称が「空手」に改められた。2005年、沖縄県議会は10月25日を「空手の日」と決めた。
『沖縄大百科事典』によると……
「空手の名称は、手(ティー)→組合術→拳法→唐手(トーディー)→唐手(からて)→空手→空手道と変遷するが、空手と一般的に称されるのは、本土では1929年(昭和4)ごろ、沖縄では36年ごろのことである」
……とある。

「武器を一切用いず、徒手空拳のみで護身をはかる武道。〈空手に先手なし〉に象徴されるように、心技両面において先手非道を説く」

さて、今日の小生は、先手なしを決め込み、一日書斎に閉じこもっていれば、攻めてくるものにも出会うことなく、そうすればブログネタが増えることもないだろうと、静かにしていたのだが。

やはり『沖縄大百科事典』から。
「空手は、琉球古来の武術〈手(ティー)〉と中国伝来の〈拳法〉が融合し、発展したものといわれている」
しかし確証はないらしい。

「空手が沖縄で顕著に発達する時代背景は、尚真王(1477〜1526)の中央集権化と、1609年(尚寧21)の薩摩の琉球侵略(薩摩進入)にともなって実施された、2度にわたる禁武政策であるといわれる。これは、従来までの空手発達史の定説となっているが、確証はない」

要するに、空手なのだ。なにひとつ確実な根拠となる武器がないということだ。なんだか今日の気分に合っている。

と思いきや、メールなどという厄介な、じゃない便利なものがあるわけで。
“らくだとTUBO”の石田さんからメッセージが届いたので、そのママ転載する。

「また、また、辺野古になるまで」上映とお話の会も来週となりました。
お誘いあわせてお出かけ下さい。

◆辺野古を考える全国上映キャラバン@世田谷
2004年から、沖縄・辺野古で撮影を続けているドキュメンタリー映画監督・藤本幸久さんが、自作を持って全国キャラバンを行っています。普天間移設ー辺野古への新基地建設は沖縄の問題ではありません。日本に暮らす私たち一人ひとりにかかわる問題です。映像とお話を伺って、共に考え、行動しませんか。

日時:2010年11月1日(月)午後7時〜9時
場所:らくだとTUBO(定員50名)03-5313-8151
(世田谷区南烏山6-8-7楽多ビル2F・京王線千歳烏山駅下車徒歩3分)
上映:「また、また、辺野古になるまで」(2010年/33分)
お話:藤本幸久監督
参加費:1000円

映像レポート「また、また、辺野古になるまで」(2010年/33分)
新基地建設予定地とされる辺野古や大浦湾の海と暮らし。美しい大浦湾の水中映像。沖縄の人々の闘いと意思。名護市長選挙、9万人の県民大会、普天間基地包囲行動。2004年〜2005年の海上阻止行動の日々。
(撮影・構成・編集:藤本幸久、影山あさ子 水中撮影:牧志治)

藤本幸久(ふじもと・ゆきひさ)さん
1954年、三重県四日市市生まれ。北海道在住。早稲田大学卒業後、土本典昭監督の助監督を経て、初監督作品「教えられなかった戦争−侵略・マレー半島」(1992年)。主な作品として、「Marines Go Home-辺野古・梅香里・矢臼別」(2005年)、「アメリカばんざいーcrazy as usual」(2008年)、「アメリカ−戦争する国の人びと」(2009年)、「ONE SHOT ONE KILL−兵士になるということ」(2009年)など。

主催:今とこれからを考える一滴の会


しかし、今日は疲れている。少なくとも、何らかの結論を疑わず、ある同一方向の意識に満たされている空気の中から、ひたすら遠く離れたいという気分なのだ。それは、こんな過去の記事をふたつ、アップしたからなのかもしれない。

先ほどアップした過去の記事ふたつ。
 ⇒高江のこと、知っていますか?(7/17)
  タンデムのタッチ&ゴー

 ⇒九十九龍氏による東村・高江の記録(沖縄通信no.7)(10/15)
  ムーランさんとトミヒサさん


いつまでも、何も考えず、丸腰でいたい気分なのである。それなのに、このふたつの記事を、どうしても読んでいただきたいと思っている。そして、一緒に疲れてみていただきたいと、切実に思っている。

tag: 沖縄_この日何の日  辺野古  沖縄_戦争・基地など.高江 

孤立無援の交流

沖縄タイムスへ寄った。
真久田さんに会った。
「名護市民会館の、鳩山さんが記者会見したロビーで記念撮影してきましたよ」
「あそこは観光地じゃないよ」
と、真久田さんは笑った。

null

もう、山猫合奏団の高山正樹ではない。
では、何の高山正樹なのか。そのあたりがよく分からなくなってきた。なぜ沖縄なのか。全て「第4の琉球処分」の所為である。

「M.A.P.という会社の代表ではないのですか」
「しばらく、許して欲しい。会社がどうかなれば、責任は全て取る」

きっと、たくさんの人に会う。けれど、というか、だからこそというか、僕の沖縄へのアプローチは、きっと孤立無援なのである。
「お願いです。くれぐれもひとつの記事だけで、何かを判断してしまうことのありませんように……」

tag: 真久田巧  辺野古  沖縄タイムス