(暫定投稿)加藤登紀子さん登場

新宿南口の紀伊國屋書店でのトークショー。
トークショー

おときさん現る。
加藤登紀子登場
その手前には宇夫方女史が座っています。

トークショーは盛況のうち終了。
(肝心なところは後日追記します。)

相変わらずチ●コを出したがるリック・タナカであった。
ちんぽ
(↑こすると、じゃない、クリックすると、ちょっとだけ大きくなります。画像が。)

リックは、あさっての夜、オーストラリアに帰る。
だから記念の、たぶん始めてのスリーショット。半分顔を隠すリックと智内さん。
リックと智内さんと

大先輩と。
駒場の大先輩加藤登紀子さんと

最後の晩餐ではないけれど…
加藤登紀子さんの行きつけのお店で。
加藤登紀子さんの行きつけのお店にて
リックは、やはり最後は顔は隠して、「ち●こ」ではなく「らしさ」を見せたのであった。

おとき先輩、ご馳走様でございました。
(もろもろお話したいことあれど、それは後日のお楽しみということで。)

【追伸】
gajumui

ご馳走様でした。今度は鴨川でお会いできますことを… @TokikoKato パーマカルチャー、の本をテーマにトークイベント。糸長さんとリック田中さん。友達を応援にきました。紀伊国屋、高島屋店3階。 http://t.co/TZPBXa7x
01-31 00:49

ubukatamichi

加藤登紀子さんと写真を撮りました。そのあと、ご馳走してもらっちゃった♪ http://t.co/pcAv1A5X http://t.co/r0l0FKVk
01-31 11:43

gajumui

僕「放射線の高い所での公演は、その場所にとどまることを応援することになりはしないか」お登紀さん「そうだよね~」某氏「でも色々な事情があってその場所から離れられない人がいる」お登紀さん「遠慮しないで行けばいい」僕「うん」お登紀さん(笑顔) http://t.co/RL5irWOU
01-31 13:51

tag: こんな人あんな人_智内好文  都立駒場高校_  リック・タナカ  こんな人あんな人_歌を歌う人.加藤登紀子 

鴨川自然王国の花見(暫定記事)

《4月2日(土)-5》
東日本大震災から22日目の千葉県鴨川……
※4月4日に、鈴木雄介からこの日(4月2日)の画像が届いた……

千葉県の鴨川に、自然王国というところがある。
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4月2日は鴨川自然王国での花見の開催日。

前から智内さんに誘われていた。だから本当はボクもとっても行きたかったのだが、どうしてもスケジュールが合わなかった。残念至極である。
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いろいろ考えるところあり、記事は後日ゆっくり書くとして、本日は送られてきた画像に付けられていた鈴木雄介のコメントをひとつコピペしておくか……

「加藤登紀子さんはものすごく元気な方で、昼前からビールをガンガン呑んで、しゃべって、餅つきをして、夕方突然『山登りに行く人この指とまれ!』と宣言するや手を使わないと登れないような秘密の場所に連れて行ってくれました。」
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お登紀さんの記事は二つ目ですな。
 ⇒加藤登紀子さんの一個目の記事

ははん、夜も飲んだわけね……
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重ね重ね、行けなかったのは残念である。

 ⇒明日の鴨川へ……

tag: こんな人あんな人_歌を歌う人.加藤登紀子  こんな人あんな人_智内好文  都立駒場高校_ 

成城の“びっくり寿司”《残念ながら東京都立駒場高校サッカー部は負けました》

《〜2010年12月31日26時30分》
今現在、2011年1月1日午前0時20分。あ、もう21分になった。
ということは、明けましておめでとう、なのだろうか。どうなんだろう。初夢だって1日の夜から2日にかけて見る夢をいうのだし、つまり、まだ年は明けてないんじゃないの。これから寝て、太陽とともに起きて、そして新年なんじゃないのかな。なんだか、その方が自然な気がする。

暫定記事でいいから、大晦日までの記事を、とりあえず全部やっつけてアップしようと頑張ったのだが、この31日の記事がこぼれてしまった。

ここのところのM.A.P.after5は、巷にありがちな居酒屋紹介ブログみたいなことになっている。しかし、そんなつもりはこれっぽっちもないのだ。確かに、喜多見のお店の情報は、なるべく御報告したい。でも、たとえどんなに旨いものを食べたとしても、それだの記事にはしたくないと、いつも思っている。だから、なかなか書けずに、暫定記事ばかりが増えることになる。

そして何週間も遅れてなんとか記事を仕上げるのだが、「喜多見あたりにおいしいお店はないものか」と検索してきてくださる読者には、この僕がその店で誰に会って何を話したかなんて話題はいらぬ話だ。

そればかりではない。例えば沖縄のこととかに興味を持って時々来てくださる嬉しいお客様がいても、時系列無茶苦茶、同一カテゴリの過去の記事をまず順番に読んでおかなければ理解不能、これでは読むのが面倒になって、結局オサラバという結末も当然である。

どうやらM.A.P.after5は、よほど物好きな方にしか読んでもらえないブログらしい。会社的には「作業対効果」最悪。このままでは間違いなく仕分け対象、それを続けているのはワンマン社長のエゴということか。

それでも最近、このブログの居酒屋情報をお読みくださっているという方にちょくちょくお会いする。それはそれで有難いことなので、それならそれをどう捉えて、これからどうしていこうか、少し思案してみなければなるまい。

いずれにしても、ブログそのものが目的なのではない。きっかけは居酒屋情報でもOKだ。問題はそのあと。そこで我々がどのような仕掛けをメッセージに組み込んでおけば、なるたけ多くの方に、M.A.P.の隣の部屋と扉を開けてくださることになるのかということ。もちろん、フィッシングのようなイカサマなシステムではなくである。

今日(31日のこと、つまりまだ年が明けていないことにしたのだから)の昼食は、びっくり寿司の成城店へ行った。
成城の“びっくり寿司”
成城といっても、住所は調布である。今まで、びっくり寿司のことなんて書いたことがない。沖縄から西岡さんが来た時も、彼女を連れて食べに行って、ほんのちょっと書いたけれど、それだけのこと。

今回、表題に“びっくり寿司”を入れて記事を書くのは、ちょっとした実験なのである。はたして、「成城のびっくり寿司」と検索して訪れる人がどのくらいいるのだろうかという実験。

成城の“びっくり寿司”は、お正月も休み無しで営業します。

「河岸、休みでしょ。ネタどうするの」
「生簀があるでしょ。あとは殆ど冷凍ものを使っていますからね」
「なるほどね」

なるほど、決して安くはないが、3,000円も払えばお腹一杯。回転しないお寿司屋さんとしては比較的リーズナブル。それにしても「冷凍ものを使っています」なんて堂々と言っちゃって、板さん、正直ですな。

関連記事あり。
 ⇒生簀の魚はやっぱり不味いというハナシ
 ⇒河岸に行った日とそうじゃない日のネタについて

それから、“びっくり寿司”のでっかい御椀のお味噌汁が、すごく小さくなりました。前のを知って期待して注文する人にとっては、殆ど詐欺です。

というわけで、本年はここまでにいたします。ほんとうにありがとうございました。また来年も御贔屓のほど、よろしくお願いいたします。
只今、2010年12月31日、26時15分です。皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
(M.A.P.代表取締役 高山正樹)

【追伸】
わが母校、東京都立駒場高校は、滝川第二高校に1対6の完敗でありました。滝川第二という名を聞いて北海道のチームと思い込んでいた僕は、一回戦ぐらいは突破するのだろうと観戦に行かなかったのですが、どうやら滝川第二は今大会の優勝候補らしいのです。知っていれば応援に行ったのに。
数十年前に都立駒場サッカー部のキャプテンだった弟の情報によると、西が丘サッカー場は満員。駒場の応援席にはOBが一杯。しかしその応援は、吉永小百合を輩出した元女子高らしく極めてお上品。サポーターによる地元の利なんて全然ない。まあ駒場らしいといえば実に駒場らしいですなあ。
試合を観ての感想は、ワールドカップ優勝チームと日本代表くらいの実力差があったとのことです。
とにかく、残念でした。

tag: 都立駒場高校_ 

「ひめゆり」上映会を応援する。そして……

連続ドラマ風に。
前記事のラストシーンから…

店は混んでいる。何もかも散漫な感じ。
それはこの用件で来たからだ。
映画「ひめゆり」の案内
みやらびの竹原学くんが中心になって、映画「ひめゆり」の自主上映会を開く。その話題になかなかたどり着けなくて、なんだか落ち着かない。
お客さんが途切れて、やっと少し話せそうになった。

「竹原くんがマーキーさんの後輩なんて驚いたよ」
「ねえ、僕もおどろいた」
「豊見城高校なんだってね。実はさ、俺のカミサンも豊見城高校」
「へえ、そうなんですか」

やっぱりなんだか少し空回りしている…


今日のドラマは此処からである。
10月23日に、●●さんからメールが届いた。その内容は、少し長いので、記事の「続き」で書いた。そちらを読んでいただきたい。

「この“ひめゆり”のさあ、柴田昌平って監督、俺の高校の後輩なんだよね」
それがどうしたという類のはなしである。

少し話しが飛ぶが、許して欲しい。
都立駒場高校の同窓会報、その86号に対馬丸の話題が載っていたことは、7月31日の記事の最後に会報の画像を載せてほんのちょっとだけ触れた。「ほんのちょっとだけ」しか触れなかったのは、同窓会費が未払いだからというだけではない。別にも理由があった。それはチエちゃんが言っていた武州丸のことが気になっていたからだ。

対馬丸の事件は大城立裕氏等が小説に仕立て、その映画まで出来たりして、それなりに多くの人に知られるようになった。それでも“ひめゆり”の知名度に比べれば全く足りないという思いから、我々M.A.P.でも、駒場高校で同窓だった元日テレアナウンサーの菅家ゆかりに声を掛け、対馬丸のCDを作ったのだ。
しかし、その頃の僕らは、武州丸なんて聞いたこともなかったのである。武州丸のことを知っている人って、いったいどのくらいいるのだろう。

武州丸とは奄美大島の学童疎開船。徳之島の疎開者など約200人を乗せて九州本島に向かう途中、トカラ列島沖で米潜水艦の魚雷によって沈没し、77人の子供を含む182人が命を落とした。

先日、都立駒場高校の同窓会報の87号が届いた。
都立駒場高校の同窓会報87号
そこに「ひめゆり」の監督である柴田昌平氏の記事が載っていた。「ひめゆり」に続く新作「森開き」を紹介するのが本旨だが、旧作「ひめゆり」のことも書いてあった。
「(ひめゆり)は誰でも知っている名だが、実は生存者本人たちが体験をきちんと語った映画記録はこれまでほとんどなかった。香川京子や吉永小百合主演の劇映画は、他者が想像をまじえて神話化していったものだった」
駒場高校は柴田昌平氏を招いて、「ひめゆり」の上映会とトークショーを開催したらしい。

おい柴田、お前は沖縄のことを必死に考え続けている先輩が喜多見にいることを知っているか。その先輩(俺の事だが…)は、少しでも多くの人たちに沖縄を知ってもらいたいと、ずっといろいろ活動を続けているのだ。同窓会報を作っている連中に、そのことを伝えて、是非とも高山正樹のことも記事にしろと伝えておけ!

因みに、柴田昌平は弟と同い年、弟は帝京と全国大会の東京代表をかけて戦った都立駒場サッカー部のキャプテンだった。その時に駒場に通っていたなら、よほどのガリ勉でもない限り、弟を知らぬはずはない。そこで弟を使ってコンタクトを取ってみるかなどと考えたりもしたが、柴田が、いやいや柴田君が天下の東京大学のご出身と知って、弟の伝手でなんとか柴田さんに繋がろうなんてお下品なことはやめることにいたしました、ハイ。自爆。

もちろん冗談ではある。しかしだ。柴田昌平は、対馬丸のこと、武州丸のこと、そしてずいせん学徒隊のことを知っているだろうか。ずいせん学徒隊の唯一の語り部である宮城巳知子さんがどんな思いで「ひめゆりは嫌いだ」と呟いたのかを知っているだろうか。
「僕たちもさ、上映会を企画して開いたことがあるんだけどさ」

西山正啓監の“ゆんたんざ沖縄”と“チビチリガマから日本国を問う!”の上映会2本。
5月18日に西山監督を連れて“みやらび”にやってきた日、竹原くんは不在だったけれど、西山監督は一生懸命店の女の子に話をしていた。その時のハナシ、女の子は竹原くんに報告してくれたのかなあ。

竹原くん、僕が上映会のチラシを持参して“みやらび”に来た日のこと、君は覚えているだろうか。

我々の上映会の日、5月26日と、5月28日、きっと竹原くんは仕事で忙しかったのだろうね。

結局、僕らがやった上映会に来てくださったお客さまはごくわずかだった。竹原くんが宣伝してくれなかったからだなんて言うつもりは全くない。集客できなかった原因は僕らの努力が全然足りなかったの一言に尽きる。

でも今度の竹原くんのやる上映会はきっと大丈夫だ。竹原くんにはたくさんのいい仲間がいるみたいだから。もちろん僕たちだって出来る限り協力するよ。といっても、自分たちの上映会にさえろくろくお客さんを呼べなかったのだから、偉そうなことは言えないね。

柴田くんの“ひめゆり”は、上映用のデータを借りる料金が一日3回上映の場合は20万、2回なら15万、チラシも一枚いくらで買うらしい。僕らの上映会は、少ない入場料をそのままお支払いしようとしたが、西山監督は何かの足しにしてよと言って、受け取ってはくださらなかった。

「チラシ、預かっていくよ」
映画「ひめゆり」のチラシ
チラシには宮本亜門の推薦文が印刷されていた。

「亜門は大学で一緒に演劇を学んでいた」
どうでもいい話である。

柴田昌平と西山正啓、いったい何が違うのだろう。
裏には僕のカミサンが大好きなCoccoがメッセージを寄せている。

僕は竹原学氏の今回の挑戦を精一杯応援しようと思う。11月の山猫合奏団の公演まで、きっとバタバタと忙しいが、それでも合間を縫って宣伝したいと思っている。

「狛江に狛食っていう中華の食堂があるの知ってる?」
「いや」
「あそこの奥さんのお母さんがひめゆりの生き残りなんだよ」
「そうなんだ、行ってみようかな」

結局、店を出たのは午前3時過ぎ。
白い看板の前で
ちょっと疲れた感じ。なんだって仕事は大変だ。客商売となれば尚更。誰もが「ひめゆり」のことを知りたいわけじゃない。

けれど、ひとつだけ竹原氏にお願いがあったのだ。“ひめゆり”のことをたくさんの人に知らせたいと考えた竹原君なら、僕らがやっている沖縄の色々なことにも、どうか目を向けて欲しい。たとえば、ひめゆり部隊とは違って引率の先生がいなかったために、殆ど記録の残っていない“ずいせん学徒隊”のことも、多くの人に知ってもらいたいという我々の思いに、今度の君の上映会で少しばかり協力してはもらえないだろうかということ。
でも、会場は調布市の施設だから難しいのかな。僕らは会社の事業としてやっている。だから営利だとみなされる。元さえ取れていない。それどころか大赤字なのにね。元が取れるとも思っていないけれど、ひどい赤字では続けていけない。だから君の今度の上映会も、絶対に成功して欲しいのだ。

ピンボケ写真
頑張って、そしてできることならばよろしくね。
もう午前3時半、今日のところは、おやすみなさい……


【追伸】
学徒隊の貴重な証言を集めた労作があります。あまり知られていませんが、大変貴重な資料です。そういうものもあるのだということも知って頂きたいと思うのです。有名なものだけがすばらしいわけではないということ、それを沖縄にこだわり続けることによって僕は教えらたのです。
 ⇒行田稔彦編『生と死・いのちの証言“沖縄戦”』のこと

【さらに追記】
監督の柴田昌平氏は民族文化映像研究所の御出身らしい。
民族文化映像研究所の姫田忠義氏のことを書いた記事が「社長とは呼ばないで」にあります。
そこに書いた僕のエピソードは、僕の沖縄経験の原点です。是非お読みください。
 ⇒物語の始まりのエピソード

そして今朝方自転車で自宅へ。書斎にてブログ記事のアップ方法を思案して、夜の8時、また自転車で事務所へ戻る。明日までに諸々支払い登録の手続きなどをしなければならない。でも、ちょっとした不手際があって、今日のところは中途までしかできなくなった。残りは明日。早いうちに片付けなければならないから、明日の朝は8時から作業開始だな。

というわけで今日は少し時間ができた。これから、昨日“みやらび”で預かったチラシを持って“中む食堂”に行く。今晩こそは午前様にならないように。

いったい健康ゲームなのか、不健康ゲームなのか。

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tag: #竹原学  狛江_中華.狛食  西山正啓  沖縄_おーでぃおぶっく.対馬丸から  都立駒場高校_  沖縄_戦争・基地など.沖縄戦  沖縄_戦争・基地など.対馬丸  沖縄居酒屋.みやらび(つつじヶ丘)  健康ゲーム  沖縄_戦争・基地など.ずいせん学徒隊 

本当に“美ら島”に歓迎されているのか

那覇空港に着くと、こんな横断幕が張られていました。
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「歓迎 美ら島沖縄総体2010」
※ウチナーグチの「ちゅら」という言葉に「美しい」という字を当てることはおかしい、「清ら」が正しいのですと、いつもいつも國吉先生はおっしゃいます。「ちゅら」が大和の「美」だと理解してしまったら、沖縄の文化は正しく伝わらない。そのことをいつか書かなければと思っていながら、ここまで来てしまいました。この旅の間に、どこかであらためて書ければいいのですが……

私事ではございますが、わが母校、東京都立駒場高校が、あの強豪帝京高校とともに東京都のサッカー代表で出場するらしいのです。さらに私事ですが、今から数十年前、全国高校サッカーの東京予選決勝で、東京都立駒場高校は帝京高校に延長で3-4のスコアーで破れ、惜しくも全国大会出場を逃したことがあります。その時の駒場のキャプテンが、僕の弟でした。弟は準決勝の本郷戦で、ファールを受けて骨折し、決勝には出られなかったのですが、松葉杖を突いてベンチ入りした弟は、決勝戦のテレビ放送のおいしい話題であったようで、何度も何度も画面に登場し、アナウンサーはその度に準決勝での弟の活躍を水増しして伝え、「おれを国立へ連れて行け」などとドラマチックに絶叫し、おかげで弟は、他のどの選手よりも目立っていました。
その試合を、僕はスタンドで観戦していましたが、その時の駒場側の応援スタンドレポーターが、やはり駒場の同級生、日テレの新人アナウンサー、菅家ゆかりさんでした。その彼女が今、おきなわおーでぃおぶっくの「対馬丸」を読んでくれているのだから不思議なものです。

さて、本題です。
今、沖縄の少年たちは、サッカーや野球に一生懸命です。そして、子どもより一生懸命なのが、親であるらしい。
数年前、沖縄でこんなことを聞いたことがあります。今の沖縄では、現実的な夢を持つことができない。だから大人たちは、自分の子だもたちが、プロのサッカー選手や野球選手になるという夢を追って、何をも差し置いて、子どものスポーツ活動を優先している、それがちょっと問題なのだというはなし。

「歓迎 美ら島沖縄総体2010」
そして僕は、ますます憂鬱なのでありました。

tag: 都立駒場高校_  沖縄_うちなーぐち.「美ら」について  こんな人あんな人_菅家ゆかり  沖縄_おーでぃおぶっく.対馬丸から 

森口豁inBar“土”vol.2【玉川大学】と【都立駒場高校を中退して大検】

沖縄に来た時は連絡する、それがBar“土”のごうさんと交わした約束。だから羽田で飛行機に乗る直前、ごうさんにメールしました。そしたら「今夜なら那覇にいる」との返信が来た。ということで、真喜ちゃんとの食事を終えて、金城君を誘って“土”へ行きました。

今日の“土”は、2階のギャラリーで「森口カフェin那覇」というイベントが開催されていました。元日本テレビの沖縄特派員でもあったジャーナリストの森口豁(かつ)さんが制作した映像作品を鑑賞し、その後、森口さん御本人を囲んでゆんたく(おしゃべり)するという企画です。今回はその第2回目、題して「人類館の舞台に立つ青年の足跡をたどるドキュメント」。

森口豁さんは1937年生まれ。森口さんがテレビ番組のために制作したドキュメンタリーは29本にのぼります。少ないですか? いえいえ、どれもこれも重い題材ばかり。そんな企画を中央のテレビというメディアに供給し続けることがどれほど大変なことであったか、想像するに難くありません。

この夜の「森口カフェin那覇vol.2」では、その中から、演劇集団「創造」の伝説の舞台、「人類館」の初演で調教師役を演じた内間安男さんを追い続けた『沖縄の十八歳 』シリーズの中から3本が上演されました。

第一作の「沖縄の18歳」は、沖縄の「祖国復帰」に先立つ1966年の作品。当時コザ高校の3年生だった一人の少年に焦点を当てたドキュメンタリーです。復帰を望んでデモにも参加するその少年の名は内間安男。
「熱い長い青春・ある証言から」(1972年)では、高校卒業後タクシーの運転手となった内間青年の目を通して、復帰しても何も変わらない沖縄の苦しみを見つめていきます。
まさかこの青年が、それから数年後、「人類館」の舞台に立つことになろうとは、森口さんはもちろん、内間さん自身だって知る由もありませんでした。
そして1978年、内間安男というひとりのウチナーンチュを、自分と重ね合わせるように追い続けた森口豁は「一幕一場・沖縄人類館」を制作します……

“人類館”の作者・知念正真氏の思いに関する記事
“人類館”初演時の台本についての記事

是非ともこの三作目を見たかったのですが、遅れて“土”に行ったバチが当ったのでしょうか、映像のトラブルがあって上映順が変わり、残念ながら第二作しか見ることが出来ませんでした。

上映が終わると、静かなゆんたくの時間。
森口豁さんです。
森口豁さん
まず森口さんのお話があって、そのあとお客さんから森口さんへの質問があったり、やがて森口さんの映像に触発された皆さんは、それぞれいろいろな思い出話を話し始めました。

復帰の頃、佐藤栄作首相が沖縄に来た時、歓迎のために振る日の丸を作るのが小学校の宿題だったという女性、復帰から6年経った1978年の7月30日(いわゆる「ナナサンマル」の時)、車がそれまでの右側通行から左側通行に変わったため、海へ行く道の右側にあった釣具店が、帰り道になってしまってたくさん廃業したというお話をされた男性、どれもこれも興味深く聞かせていただきました。

皆さんのいろいろな話を聞いていたら、やっぱり3本とも見たかった、見なきゃいけなかった、という気持ちになりました。
ねえごうさん、今日はちょっとお客さん少なかったから、11月に津嘉山正種さんの「人類館」が“国立劇場おきなわ”で上演されるはずだから、その時また来るから、それにあわせてもう一回この作品の上映会をやってくれないかなあ。国立劇場のお客さんにも宣伝してさあ。
津嘉山正種「人類館」沖縄公演のこと

イベントが終わって、久しぶりにごうさんと話をしました。
“土”のギャラリーでの様々な企画は、最近沖縄で密かに話題になっている、でも採算を考えると大変らしい。そりゃそうだよね、お客さんからお金取らないんだもん。

帰り際、ごうさんが「これ読んで」と壁に貼ってある詩を指差しました。
9.11の時に書いたんだって。
ちょっと長いけど画像を載せちゃおう。
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「ここのギャラリーでさ、何かやりたいことがあったら、早めに企画出してよ」
わかった。そうだよね、真剣に何か考えようと思っています。そのときは、よろしくです。
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でも、宇夫方路の夜は、まだ終らない……
(報告:宇夫方路、執筆:高山正樹)

続きを読む

tag: 日の丸  人類館事件  沖縄(2009年秋)  沖縄の呑食処.Bar土  都立駒場高校_  森口豁  ごうさん 

やっとアップしました《出発前に告知したかった記事》

本日最後の合わせ。
劇団あとむのワゴン車

明日朝早く、津山へ発ちます。
その前に諸々いくつか告知しておきたいことがいくつか、でも時間がなくて間に合いませんでした。
後日追記します。
行ってきます。

【告知追記その1(9/14)】
延期になっていた東放学園の実習公演“無伴奏デクノボー奏鳴曲”ですが、新しい期日が決定しました。10月20日(火)と21日(水)です。正式な開演時間は未定ですが、ソワレです。
場所も変わらず、京王線府中駅前のグリーンプラザ府中けやきホールです。

当然、お芝居の内容に変更はありません。
最初の告知記事をご参考に。
http://lince.jp/hito/dekunobo…

時間等、最終決定しましたら、あらためてご案内します。

【告知追記その2(9/15)】
森山さんの石鹸について、こんなことをお知らせしていましたが…
http://lince.jp/hito/chousen…
新しい石鹸開発中なのです。
試行錯誤の試作品たち
色々と試行錯誤しながら、一歩一歩さらに良いものを目指しています。つきましては現在販売中の石鹸を皆様に使っていただき、その御感想などを参考にして、新商品開発に役立てたいと考えています。
そこで楽天市場の沖縄mapでモニターを募集しました。
沖縄mapの「石鹸」のページ
ところがここでの告知が遅れて、もうモニター募集が締め切りになっちゃいました。ごめんなさい。なんと1000名という方から申し込みがあり、25名が当選となりました。楽天市場恐るべしです。第2次もあるらしい。担当は上原です。

【告知追記その3(9/16)】
沖縄から、こんな雑誌が届きました。
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琉球新報社が出している情報誌「うない」の9・10月号です。
その中の記事を、いくつかご紹介したいと思います。

まず、9・10月号のメインの特集は又吉健次郎さんなのです。
特集:沖縄の伝統工芸「琉球王朝時代の金細工を未来へつなぐ」
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先日、又吉健次郎さんの房指輪の謎解きをしましたが、この記事でも「金細工」にはきちんと「くがにぜーく」とルビが振ってありました。
そればかりではありません。この雑誌では房指輪の説明もされているのですが、そこには次のように書かれてあります。
「又吉さんによると、灯明は石榴(ざくろ)、鳩は桃という説もあるとか。石榴は子孫繁栄を意味する縁起物ですし、桃は、中国では古くから長寿の象徴でもあるそうです」
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なんともうれしい限りではありませんか。高山正樹のちょっとした疑問が、こういう形で結実したのですから。ちょっと、大げさかなあ。
ことの発端
又吉健次郎さんの房指輪の謎解き

それから加藤登紀子さんの記事を見つけました。加藤登紀子さんは高山正樹の高校の先輩なのですが、へえ、おときさんの娘さん、沖縄に住んでいらっしゃるんですねえ。ついでに、おときさんの沖縄関連イベントがあるようで、そのちょっとしたご案内です。
Peace Music Festa!’09 from 宜野湾 わったー地球(しま)はわったーが守る
日時:2009年 9月 21日(月曜・祝日)開演 12:00/終演 21:00
http://peacemusic.ti-da.net…

そして三つ目は本の紹介記事です。
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平田大一「シマとの対話【琉球メッセージ】」
この平田大一さんは沖縄ではちょっと名の知れた詩人・演出家ですが、宇夫方隆士さんのお友達で、隆士氏が自作の詩を朗読した映像作品、「一瞬のコーヒー」で、笛を吹いてくださっているのです。
「一瞬のコーヒー」のページへそして平田大一さんは、今こんなことをやっています。
現代版組踊「翔べ!尚巴志」
http://showthestage.ti-da…
こちらもインフルエンザで延期になったらしいです。
それから、高山正樹の書斎の本棚にこんな本がありました。
南風・海風に吹かれて

他にもまだ告知したいことがあったのですが、今日のところはこの辺で。


tag: 都立駒場高校_  沖縄_沖縄の人.平田大一  金細工  又吉健次郎  #宇夫方隆士  山猫合奏団  無伴奏デクノボー奏鳴曲  沖縄_勿忘草.森山さんの石鹸