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“金細工またよし”再訪

一昨日おじゃましたばかりなのに
昨日のジーファーを持って
今日また来てしまいました。

一昨日とは一本違う路地から入ろうとしたら、そこにこんな看板が。
「くがにぜーく」とルビを振られた「金細工またよし」の看板「また来てしまいました」
「誰も来なくなったらおしまいさ」
「今日はどうしても見てもらいたいものがあって」
そう言って、義理の妹が使っていたジーファーを手渡しました。
「ほー」
そう言って、又吉健次郎さんは、いきなりそのジーファーを叩き始めたのです。
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見る見るうちに、曲がっていたジーファーがまっすぐになっていきました。知る人ぞ知る又吉健次郎が、記録として残すジーファー以外はもうは作らない、まして踊りのジーファーは一切作らないと宣言している名工が、昨日までカミサンの実家の箪笥の奥あたりに埋もれていた踊り用のジーファーを、たった今、僕の目の前で修理してくださっている、なんだか信じられない感じです。
「親父からこのカンカン叩く音を聞けとよく言われたが、その意味が分からなくてねえ、近頃やっと少し分かってきた」
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「これ銀ですか? 叩いて作った銀のジーファーは折れないと聞いていたから、こんなに曲がるのは違うと思ったのですが」
「銀だから曲がる」
そうか、曲がるから折れないんだ。そうでなければポッキリ折れてしまう。
「なかなか質のいい銀を使っているんじゃないかなあ。銀貨ではなさそうだ」
「は?」
聞けば、昔はいい銀が手に入らなくて、アメリカの25セント銀貨を溶かして使ったらしいのです。
「国の象徴の硬貨を潰すのもどうかと思うが」
今から60年前、健次郎さんが20歳の頃、戦後間もなくです。でも、その頃の銀貨は、それでも比較的質が良かったのですが、その後、銀に銅を挟んだりして使えなくなったとのことでした。
(当時、健次郎さんの父上、6代目盛睦さんは、米兵向けの指輪を作られていたようです。ちなみに、盛睦さんが濱田庄司や棟方志功と出会うのはそれから10数年後、1960年代のことです。)
しかし、このジーファーは、それほど古いものではないと思います。義理の妹が踊りを始めてから購入したものだから、復帰直後くらいに作られたものなのではないでしょうか。
「この頃は丁寧な仕事をしていたんだなあ。これはなかなかいいものですよ。大切にしなければいけない」

叩けば表面が荒れてツヤがなくなります。だから後は、磨かなければなりません。その作業は、磨くための道具を、専用の砥石で研ぐところから始まります。
「ずいぶん使っていなかった」
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ジーファーの尖った方を木の台に突き立てて固定し、道具の取っ手側を足の指で挟み、そこを支点にして、車のワイパーのように道具を動かして磨くのです。
「今度来る時までに、ちゃんと磨いておこうね」
「ほんとうですか! ありがとうございます」

それから、この刻印はなんなのでしょうか。
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「ああ、これはね、細いところに刻印してあるから、両側が切れてしまって分かりにくいのだが……」
健次郎さんは一本のポンチを出して、それを銀片に打ちつけて見せてくださいました。
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「これと同じ、わかる? 王府の紋だ」
なるほど、左三巴紋です。沖縄では「左御紋(フィジャイグムン)」と呼ばれました。
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(※後でよく見てわかったことなのですが、又吉さんのポンチは渦巻きが反対、これは右三巴紋です。これはいったい……。また謎が一つ増えました。)

やはり健次郎さんは、踊りのジーファーの大きさが気になるようでした。
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7代目のクガニゼーク、又吉健次郎が作るジーファーは、この小さな銀の塊から叩き出していくのですが、その重さは13匁、叩き磨いていく間に1匁ほど減って、完成品は12匁くらいになる。
(※1匁=3.45g)

「このジーファーは16匁あるなあ」
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踊りのジーファーは作らないという又吉健次郎さんが、箪笥に埋もれていた曲がった16匁のジーファーに手を入れて磨いてくださる。なんて幸せなジーファーでしょう。沖縄には、今も家のどこかに眠っているジーファーがたくさんあるのではないか、そんな気がしてきました。

ひとりの若者が、工房にやってきました。
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「お、8代目かい?」
「いえ、違います。ちょっと興味があって、叩かせてもらいに来ました」
すると健次郎さんがおっしゃいました。
「彼女に何か作ってあげたいのだろう。最初はそんなもんだよ」

僕は彼に席を譲って、ジーファーを預けて、工房を後にしました。

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tag: 「クガニゼーク」のこと  又吉健次郎  沖縄の旅_2009年11月  ジーファー  金細工“またよし” 

那覇のジーファー

“金細工またよし”の工房へ伺いました。
M.A.P.に注文が入って、それで制作をお願いしていた結び指輪を受け取るのが目的だったのですが、工房に上がると、いきなり又吉健次郎さんは、「あんたには感謝しているよ」とおっしゃられた。なんのことかと思えば、房指輪の意味のこと、「クガニゼーク」のこと。
「前からこれでいいのかなあと思っていたんだけれどね、あんたに言われて、あれがきっかけでちゃんとすることにしたんだ。」
健次郎さんがそう決められたという話は、前から宇夫方路に聞いていたことです。でも考えてみれば、そのはなしの後、僕が健次郎さんと直接お会いするのは今日がはじめてのこと、つまり健次郎さんは、僕ごとき者にも、きちんと礼を尽くしてくださったのだということに、後になって思い当たりました。なんとも頭が下がるばかりです。
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工房の看板、パンフレット、ホームページ、それから県の資料、それら全て直すことにされたそうです。
「大変ですねえ」
「一年ぐらいかかるかな」
「パンフレットだっていっぱい残ってるのに。僕の所為ですかね」
「いや、これはやらんといけないことだから」
健次郎さんご自身も熟考された結論なのだと安堵しました。

しかし、又吉健次郎さんが背負おうとしている伝統が「クガニゼーク」であるとしても、又吉さんの工房の看板は何故か最近まで「かんぜーく」だった。どうして「クガニゼーク」が「カンゼーク」と名乗ることになったのか、それについてあらためて伺ってみたのですが、残念ながら、やはり明確なことはわかりませんでした。

何年か前まで、踊りの小道具を作る、やはり「かんぜーく」を看板に掲げる工房があったそうです(※注)。銀のジーファーを1本2万円にも満たない値段で売っていた。材料の銀だけだって相当高くなっているのに。健次郎さんは、何故そんなに安く売るのかとその方に聞いたことがあったそうです。すると「仕事がなくなるのがこわくて値上げできない」という答えが返ってきた。
(※注:健次郎さんが首里の又吉と呼ばれていたのに対し、この方は那覇の又吉と呼ばれていた方であると思われます。)
気持ちも分からないではないと、健次郎さんは、ご自分の若い頃の話をしてくださいました。人がたくさん通るところに店を開いてはみたが、全く売れなかったはなし。

今だって、一週間どこからも連絡のないことがある。そんな時はとっても不安になる。

その踊りの小道具を作っていた「カンゼーク」の方はお亡くなりになった。踊りの人たちはとっても困ったはずなのですが、誰一人として健次郎さんに相談しに来る方はいなかったそうです。

いつから飾り職人は踊りの先生に頭が上がらなくなってしまったのか。対等だったはずなのに。

昔、ある時、お店に一人のおじいさんが来てこういった、なんで「クガニゼーク」というか知っているか、それは高い金細工を注文する時は、手付金として小金を置いていくからだ。クガニゼークが一番偉いんだ、なぜなら、頭の上に挿すジーファーを作っているから。だから一番上なんだ。

お父様である6代目の技術は神業だったというはなし。小物を作るための小さな道具しかないのに、それでおおきなものも作った。どうするとそんなことができるのか、今となっては知る由もない。ある時、父はそうして作ったヤカンを抱えて出ていった。戻ってきたとき、ヤカンは食料に換わっていた……。

健次郎さんは僕たちに1本のジーファーを見せてくださいました。千葉県に住んでいる方が大切に所蔵していたジーファー。それは時代を感じさせ、小ぶりの、実に美しい姿をしている逸品でした。
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「ジーファーは女性の姿をしているのだが、これは那覇のジーファーでね、首里のジーファーに較べて顔が小さくて、首の角度が少し深い。完璧な形だ」
はっきりと見えない刻印。
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「たぶん父の作ったものだと思うんだが」

那覇のジーファー、そして踊りの小道具…… もしかすると、それが「かんぜーく」と何か関係があるのでは? いや、決して先走ってはいけません。それはゆっくり調べればいい。

健次郎さんは、ジーファーの良し悪しを確かめる秘密の方法を教えてくださいました。このジーファーは見事に……
いえ、このお話はココまでです。
「この方法で僕の作ったジーファーを調べられたら困るからなあ」

又吉健次郎さんは、今の踊りのジーファーは大きすぎるとおっしゃいます。バランスも悪い。踊りの美意識はそれでいいのだろうかと思ってしまう。
「僕はあくまでも民具を作っているんだ。踊りのためだけの道具は作らない」
だからジーファーばかりではなく、房指輪も、踊り用の注文にはお応えにならないでしょう。
実は今日、宇夫方路は、来年やる予定にしている教師免許取得のお披露目公演のために、ジーファーを作って頂けないだろうか、無理を承知で頼んでみるつもりだったのです。でも、健次郎さんは踊り用でなくても、もうジーファーは、「クガニゼーク」の伝統のために、資料館のようなところ以外には作ることをしないと決められた。体力的にもそれが精一杯。それを知っては、もうお願いすることなどできるものではありません。きっぱりと諦めました。
でも、踊り続けるためには、ジーファーはどうしても必要なのです。さてどうしようか、宇夫方は、これからゆっくり考えることでしょう。

「あんたほど、一生懸命聞きに来て、一生懸命調べてくれた人はいなかったよ。」
又吉健次郎さんは、そう僕におっしゃってくださいました。
「何かわかったら教える。新しい資料もみんな送る。僕の言ったこと、何でもインターネットに書いてもいいよ」

ありがとうございます。健次郎さん。また来ます。


おまけです。
12月に又吉健次郎さんとcoccoの対談があるとのこと。「対談の相手は是非又吉さんに」、coccoのご指名なのだそうです。対談が終わったら報告してあげるから、ブログのネタにしなさいと、健次郎さんは言ってくださいました。楽しみだなあ。

ちょっと前の、又吉健次郎さんとcoccoさんの記事です。よろしければお読みください。
 ⇒http://lince.jp/hito/husayubiwa…

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tag: 「クガニゼーク」のこと  金細工“またよし”  又吉健次郎  沖縄の旅_2009年11月  ジーファー 

又吉健次郎さんの房指輪(6月の沖縄4)

北村三郎さんとお別れしたあと、私たちは又吉健次郎さんの工房にお邪魔しました。
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又吉さんは、先日東京へ行かれたそうですが、あんな忙しいところ、疲れるからもう二度と行かないとおっしゃっていました。
「20年前、二十歳の頃、歌舞伎町をウロウロしていたときは大丈夫だったんだけどなあ」
あれ? オジイ、幾つなわけ? 計算が合いませんよ。
そばから健次郎さんの話に突っ込みを入れる娘さんです。
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笑って仕事を続けるお弟子さん。
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なんでこの画像、こんなに大きいの?
手元がよく見えるようにです。大意はありません。

その傍の壁には、大和の書家(北古味可葉氏)の作品が。
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書かれてあるのは、「結ぶ」という文字です。

又吉健次郎さんが“沖縄map”のために提供してくださるのは、既にお知らせしたとおり、結び指輪と、それから房指輪の七つの素材を使ったネックレスです。

あらためて房指輪の七つの素材をご紹介します。
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さて、この七つの図案にどんな意味があるのか、いよいよ懸案の謎解きを…、と、いきたいところなのですが、なかなか奥深いこともあり、また本当のところがいまひとつ判然としないので、今少し時間を頂きたいのです。
確かに、6月6日の記事のコメントにてご紹介した説明での「意味」が、“金細工またよし”の公式な御案内であることには間違いはありません。今や金細工(くがにぜーく)の第一人者は又吉健次郎さんなので、インターネットで「房指輪」を検索すると、この又吉さんの工房の正式な案内が、それぞれのサイトやブログなどで、若干言葉を変えながらも、これ以外にはあり得ないという印象で上位に並びます。中には又吉健次郎さんのお名前なしで説明書きのみ使われている場合もあり、もはやこの見解が、琉球王朝時代から連綿と受け継がれてきた伝統であるかのような様相を呈しています。

この日、又吉健次郎さんは、大切にされている、ひとつの古い房指輪を我々に見せてくださいました。
それがこれです。
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作者はわかりません。

1960年に「大和」からやってきた陶芸家濱田庄司と版画家棟方志功。
健次郎さんの父、6代目又吉誠睦。
そして、ここにも戦争の影が…。
健次郎さんが最も大切にしていることは、父親の遺志をそのものを受け継ぐこと。

なんだか奥歯にモノが挟まったような物言いで、大変申し訳ありません。健次郎さんにもお許しを頂いていますので、若干残る靄が晴れたならば、その時はきちんとご報告したいと思っています。

前回宇夫方路がお伺いした時の記事でご紹介したお孫さんの絵を、ここに再掲したいと思います。
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もしかすると。このお孫さんが健次郎さんの後を継ぐというようなこともあるのでしょうか。
父という「定立」、息子という「反定立」、その弁証法的統一。あるいは即自・対自・即自且対自といってもいい。
物事はトライアングルになった時、父と息子の関係だけであったものが、新たな定立(テーゼ)として確固たる伝統になるのだと思うのです。
このことと通じるものが、“おきなわおーでぃおぶっく”の新作、大城立裕氏の「ノロエステ鉄道」にもあるのです。
それに関するこんな記事も、どうぞお読みください。
http://lince.jp/hito/noroesute…
これもまた、第三の目に違いありません。
こんな記事もどうぞ…
http://lince.jp/hito/…

ああ、またややこしい話をしてしまいました。反省であります。
又吉さん。今度は島酒担いでやってきます。
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(文責:高山正樹)

今日は、カンキチに会うことができました。
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でもこいつ、男は嫌いらしい。特に大和の男が?
金城君と一緒?

旅の続きへ

tag: 金細工“またよし”  沖縄の旅_2009年6月  又吉健次郎  房指輪 

5月のおきなわ、だい4ぽう

“ゆーゆーらーさん”でお昼。
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「ゆーゆーらーさん」とは、ゆったりいこうよ、みたいな感じ。

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フーチバーが別のお皿に。お好みでトッピングしてねということですね。

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御馳走様でした。

又吉さんの工房へ向かいます。
金細工“またよし”の看板

又吉健次郎さんです。
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又吉さんに初めて会った日のこと
若い人たちにがんばって貰いたい、私が参加することで華やかになり、後方支援になるならと、作品提供にも快くOKしてくださいました。こんなうれしいことはありません。
けれども、一緒に働いていらっしゃる姪御さんが、何でも引き受けて無理をして、後でうちあたいするんだからと心配されていらっしゃいました。うーん、この「うちあたいする」のニュアンスは難しいなあ。後で反省しちゃうというような感じでしょうか、でも、「うちあたい」には、ほんとうはもっと豊かなイメージが含まれてるんですよねえ。

ともかく、ご無理はさせられませんので、十分に配慮させていただきたいと思っています。

というわけで、ちょっと作品のご紹介。
房指輪という古式豊かな婚礼の指輪には、素朴な形の七飾りがついています。房指輪というものがどういう歴史を辿ってきたものなのかなどについては、ここで説明する余裕はないのですけれど、房指輪ばかりではなく、健次郎さんは、その七飾りのひとつひとつをペンダントにしたものも作っていらっしゃいます。
それがこれです。
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眩しい……!
もちろん、鎖まで全て銀です。

そしてもうひとつの指輪、“結び指輪”
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工房の入口に貼ってあった説明書きを引用させていただきます。

 2本の銀線を加熱して、親指と人差し指で結んだ指輪、その結び目には男と女の出会いと絆を表しているようにもみえます。
 1950年代、染色家の芹沢?介の供した資料を版画家の棟方志功が図案にした一枚のスケッチをもとに六代目誠睦が生みだすように復元したのがこの結び指輪です。
 芹沢?介の説によりますと、この指輪はその昔、辻町の遊女が身につけていたということです。首里王朝が衰退し、明治になってからは急激な世替わりが進み、そして戦争により遊女は姿を消しました。この150年の間に遊女が手にしていた銀の結び華は消えてしまったのです。
 世界のどこにでもなく、沖縄の、首里の、この工房にある一個の結び指輪は、長い年月を経て、遠い道程をたどって、こうして、いま、この金床の上にあるのです。琉球史の浮き沈みの中で咲いた結び指輪は今、多くの人とむすばれ親しまれています。


トンテンカン、カンカンカン…
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じいじが かんかんすると かんきち も わんわん

今度来たときには、無理をしていただかなくても大丈夫な作品を決定して、そして、お孫さんと、かんきち君にも会えるかな。

第5報に続く

tag: MAP扱い商品  うちなーぐち  沖縄の呑食処.ゆーゆーらーさん  又吉健次郎  沖縄の旅_2009年5月  金細工“またよし”  結び指輪  房指輪 

西岡美幸さんと又吉健次郎さん

M.A.P.の楽天市場に、西岡美幸さんは、とりあえず個人で参加してくださることになりました。軌道に乗って、お互い慣れてきたら、工房の皆さんの作品も扱いたいと思っています。
現在出品作品制作中の西岡さんからメッセージを頂いています。

 私は若い女性をターゲットに制作に取り組んでみようと考えてみました。
 幸せの青い鳥と四つ葉のクローバーモチーフを使って
 幸運のシーサーを作ってみました。
 生活の中に溶け込めるシーサー
 ラッキーアイテムが色々付いたシーサーなら
 お部屋に欲しい人もいるかな…

  制作中のシーサー

 白土で作っています。
 後から色が付きます。


というわけで、西岡美幸さんのカテゴリも作りました。

そして、そして…
なんと金細工(クガニゼーク)職人の又吉健次郎さんの工房も参加してくださることになりました。
最初はお弟子さんの作品をということでご相談したのですが、ご本人の作品も販売させていただけることになったのです。

又吉健次郎さんは1931年生まれ。
どんな方なのかは過去に記事がありますのでどうぞお読みください。
http://lince.jp/hito…

また、「社長とは〜」のもこんな記事が…
http://lince.jp/mugon…

なんだか、とっても素敵なことになってきました。
(4月26日に投稿)

tag: 金細工“またよし”  壺屋焼  シーサー  楽天市場  西岡美幸  裏へ 

又吉健次郎さん

那覇市の首里に住む金細工師の又吉健次郎さんのお宅に伺いました。私の父、宇夫方隆士のお友達です。
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金細工は沖縄を代表する伝統工芸品です。
又吉さんは琉球王朝時代から続く「金細工師」の家系の七代目。昨年2007年8月には浦添美術館で「沖縄の金細工(クガニゼーク)〜失われようとするわざ・その輝き〜」を開き、金細工の歴史や技術を紹介し話題を呼びました。
今月の10日には、日本文化を継承し、さまざまな分野で新しい試みに挑戦している人に贈られる「白洲賞」を受賞されました。
でも、健次郎さんの技を継承する跡継ぎがいらっしゃらないそうです。健次郎さんは「しかたないね」とおっしゃっていました。「もうやんばるくいなみたいなもんですよ。でもね、あっちは保護されているけど、こっちは保護されてないんだ」と言って笑っていらっしゃいました。

健次郎さんの工房の庭にマンゴーがなっていました。
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又吉さんは若いころラジオのディレクターだったのだそうです。沖縄文学界の重鎮、大城立裕さんにラジオドラマの台本を書いてもらったことがあるとおっしゃっていました。
実は、首里にお住いの大城立裕さんにお会いするついでに(失礼)又吉さんのところに寄ったのです。

なんだか、核心に近づいてきた感じ。

それから「社長とは〜」のブログの7月1日に、今日のこの記事についての記事があります。
時系列がおかしい? 気にしないでください。

この時は、まだミステリーでさえありませんでした…

tag: 裏へ  金細工“またよし”  沖縄の旅_2008年7月  金細工  又吉健次郎  ミステリー