メトロポリタン・ロータリークラブ・クリスマスパーティー

池袋のビルの谷間のクリスマス。


僕らは営業。


豪華な控え室に上品な食事。


「カチャーシーを踊らないのは日本人だけです。踊るのがグローバルスタンダード、世界に広がるロータリークラブの皆さんだから、ここは踊るしかありません!」

ボクの呪文は効果覿面。


記念撮影。


喜多見に戻って、ばりき屋でお疲れさま…

tag: MAPの飲食処_喜多見周辺.ばりき屋  関りえ子 

内間安男と津嘉山正種

森口豁さんの“人類館”のフィルムがどうしても見たい。高山正樹の我がままを、Bar“土”のごうさんが森口さんに繋いでくれた。そうして実現した、たった一人のための上映会。
見れなかった前回の上映会のこと

その話を青年座に連絡したら、津嘉山正種さんが是非見たいといっているという連絡が来た。幸喜さんにも知念さんにも、青年座の方から連絡してもらうことにした。結局、幸喜さんは仕事、知念さんは体の具合で来られなかったけれど。

津嘉山さんが来ることを伏せて、上映会の告知をしてみたが、結局他には誰も来なかった。

約束の時間、パラダイス通りへ出てみた。案の定、遠くの方で、紙切れを持った津嘉山さんが、きょろきょろしていた。僕は大きく手を振った。津嘉山さんはこちらを見て、ちょっと笑った。

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カウンターで、生ビールを飲んで森口さんを待った。
「オリオンはないんですか」
「ありません。エビスだけです。」
「沖縄では、地元のオリオンを飲むことにしているのだが」
「メンテナンスが悪いんです。生ビールのサーバーは毎日洗わなければならないのはもちろんですが、週に一度くらいはメンテナンスに来てもらわなければならない、それなのに、いくら頼んでも来てくれなかった」
「アサヒ系列になってからそうなったの」
「いえ、その前からです」
「それはいけないですね。コマーシャルの話があるのだが、考えなくちゃいけないな」
「津嘉山さんが上に言ってくれれば変わるかもしれない」

(高山君、こんなこと、書いていいの)
(それで変わってくれればいい。変わってほしいから書くのです。)

2Fギャラリーにて
「沖縄の18歳」と、「一幕一場・沖縄人類館」の2本。

上映が終わって、宇夫方路が明かりをつけても、津嘉山さんは、しばらく振り返ることはなかった。

左から、関りえ子、土のオーナーごう、津嘉山正種、森口豁、高山正樹。
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その車座を、宇夫方路が撮っている。

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あの日、腕組みをして微動だにしなかった男が、調教師を演じた内間安男という男を褒めた。
「内間がいたから、この芝居ができたのだろう」
微動だにしなかったこと
その日の《表》の記事

津嘉山さんは、「人類館」をひとりで演じることの苦労を語った。泣けて泣けて仕方がない。しかしあまり泣いてしまうと、調教師役ができなくなる……、そう言った津嘉山さんの目から涙があふれた。
ごうさんの差し出したタオルで、津嘉山さんは涙をぬぐった。
「なんで俺は泣くのかなあ」

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「津嘉山さんは、何故この芝居をひとりでやろうと思ったのですか」
ある時、津嘉山さんは、東京の役者たちと沖縄の芝居をしたことがあった。津嘉山さんは方言指導も兼ねていた。稽古の最中、他の役者の言葉ばかりが気になった。稽古が終ると
「なんでネーネー(二回目のネーが下がる)というのかなあ、なんでネーネー(限りなく平板)と言わんかなー」
人類館をやりたいと思った時、やれる役者を東京で探すのは無理だと思った。
「ひとりでやるしかなかった」

ある芝居を、沖縄の連中とやったことがある。朝10時の稽古開始なのに、昼過ぎても集まらない。いつも早く来る役者は決まっているので、いつも同じところの稽古ばかり。「なんで時間通りに来れないかー」と聞くと「歯医者があってさー」。
蜷川幸男の芝居で稽古に遅れたら大変。稽古初日から立ち稽古だから、それまでにみんな台詞を入れてくる。
「そんな稽古を沖縄でやったら、三日で役者はみんなやめるね」

津嘉山さんは、この後予定が入っていてケツカッチンだったはずなのに、一時間も長くいて、あわてて帰っていった。

ちなみに、宇夫方路の踊りの先生で、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子はミーハーであることが判明した。
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ごうさんの携帯が鳴った。
「ビール代を払うのを忘れました」
「いえいえ宇夫方が払うと言っているから大丈夫です」
おいおい、ごうちゃん、そんなこと言ってないぜい。
「やった、津嘉山さんの電話番号ゲット!」
ごうさんも、ミーハーであった。
(文責:高山正樹)
[subcate.人類館事件]
[subcate.Bar土]
《そういえば…》
人類館の初演で辻の女性を演じた北島角子さんは、とっても若くてかわいいのでした。

tag: 青年座  人類館事件  沖縄の呑食処.Bar土  ごうさん  沖縄(2009年秋)  関りえ子  津嘉山正種  森口豁 

“うりずん”の記憶

新城亘さんが栄町の“うりずん”と、とても縁が深いということは、南林間の“舞天”で知りました。
 ⇒その日の記事を読む
僕も、“うりずん”には少なからず思い出があります。
結婚した時、沖縄の親戚との約束は、必ず盆正月には帰ってくること、でした。考えてみれば妙なハナシです。東京にだって盆も正月もあるのですから。
でも、沖縄には行きたかったから、正月は沖縄で過ごしました。「行かなきゃならないんだよ、それが約束なんだから」と女房の親戚の所為にして。
沖縄に行けば、必ず栄町の“うりずん”に顔を出しました。
閉店後、店の若者に説教するオーナーの土屋さん。店の忘年会での豚の丸焼き、日航のパイロット、オリオンビールの社長……
ある時、歩き始めたばかりの長男を連れて行ったことがあります。営業時間が終っても、僕は土屋さんと飲んでいました。土屋さんは息子の顔を見て、お前はウチナンチュだと言って笑いました。やがて店に残っていた人たちのカチャーシーが始まります。息子のためのカチャーシー、息子を躍らせて楽しむために。

そんなハナシを“舞天”で亘さんにしていたら
「その時三線を弾いていたいい男は僕かもしれないなあ」
だって。
「いや、そんないい男はいなかった」
その日その場で、亘さんは“うりずん”に予約を入れてくれたのです。
「土屋さん?17日、行くからさ」

そして、十数年ぶりの“うりずん”です。
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今ほど安い航空券の無い時代。子どもが大きくなってくれば、しがない貧乏役者が毎年家族を連れて沖縄へ行くことなどできるものではありません。そのうちに、東京にいても“うりずん”の噂が聞こえてくるようになりました。亘さんによれば、今は予約しなければ入れないらしい。敷居が高くなっちゃたのかな。でも今日は新城亘御大がいるから心強い。
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20年以上前のこと、亘さんと僕は、意外に近いところにいたらしい。
結局、その時はお会いすることはありませんでした。それが今になって、ここでこうしていることの不思議。
亘さんの歌うトゥバラーマが心に染みるのです。
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「亘さん、偉い先生がね、声のために、酒飲んだら歌っちゃいけないんだって。」
「それは間違ってる。酒を飲んだら歌わなければいけない。難しいこという人に限って歌は下手さ」
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亘さんの酒と三線の弟子、前城さんです。
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でも前城さんは亘さんのパソコンの先生。前城さんがいなければ新城亘博士は誕生しなかったということは内緒。

今日も宇夫方路は踊ります。
「酒を飲んだら踊らなければいけない」
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土屋さんは、宇夫方が踊っている間、ずっとニコニコ笑っていました。
あの時と変わらない同じ笑顔で。
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U:「上原直彦さんに電話したの」
T:「もう定年になって15年だから、比嘉稔さんに直接連絡したらって」
M:「比嘉稔って、琉球放送のですか?」
T:「ええ、制作部長の」
M:「彼なら同級生ですよ。昨日も会ってました」
前城さんはその場でアポと取ってくださいました。
M:「イチャリバチョーデーですよ」

関りえ子氏も合流して。
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不思議な縁。今日も実に沖縄っぽい夜でありました。

《おまけ》
松山にある、沖縄の藤山寛美、仲田幸子のお店。
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お弟子さんは師匠に似ず……
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たまんない……

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tag: 仲田まさえ  関りえ子  沖縄(2009年秋)  沖縄の呑食処.うりずん  沖縄の呑食処.仲田幸子芸能館  新城亘  沖縄芸能.三線 

「戦果アギヤー」のこと

紀伊國屋ホールへ、「OKINAWA1947」を観に行きました。

戦果アギヤーをモチーフにしたフィクション。戦果(せんくゎ)アギヤーを直訳すれば戦果をあげる人、戦後まもなくの沖縄では盗んだ米軍物資を戦果品と呼んだのです。

もう一度言いますが、これはフィクション、漫画です。宇夫方路の知り合いである作者のさいふうめい氏(竹内一郎さんのペンネーム)は、漫画の原作でも著名な方だから当然かな。
観劇した皆さんが、これは漫画であるということをきちんと理解した上で楽しんでいてくださればよいのですが(御自分の分身なのでしょうか、手塚治虫らしき少年が出てくるから大丈夫だとは思うのですが)、でもちょっと一言……

戦後沖縄での戦果アギヤーは、特別な集団ではありませんでした。普通の人が、普通に戦果アギヤーでもあったのです。家族を奪われ、土地を奪われ、「祖国」と信じていた(?)国からも見捨てられ、豊かな米軍から生活資材をちょろまかさなければ生きていけなかったという事情もあるのです。
現代の、どこかの海の海賊も、もしかすると…、いやいや失言です。戦果アギヤーは非武装、そこが全く違う。
「OKINAWA1947」において戦果アギヤーは罪悪感の全く無い盗賊団として扱われている、このことは、確かに沖縄の実感と合っているとは思います。でも実際の「戦果アギヤー」は、庶民のヒーロー「ねずみ小僧」のような、特別な存在ではありませんでした。

沖縄市が編纂した沖縄市史資料集の一冊に、「インヌミから 50年の証言」という号があります。(インヌミとは戦後間もなくの海外や沖縄県外からの沖縄へ引揚げてきた人たちを収容した施設の名前です。)
インヌミから
その中で、八木政恭さんという方が、次にような証言をされています。
「当時の(トラック運転手仲間の)あいさつは、『こんにちは』なんていわないです。『チャーヤガ、戦果ヤアティ』(戦果はあげたか?)なんです。戦果はあげて当たり前みたいなところがあって、中には亭主が戦果をあげきれないという理由から、離婚した夫婦もいたんです。」

また僕のカミサンの母親から聞いたはなしも御紹介しましょう。義母は、戦後、基地の中で働いていたのですが、シーツや枕カバーやコップなどを、ちょくちょく失敬してきたと言います。それも「戦果」であったのだと。
「今思い出すとドキドキするさー」
アメリカシーツは上等だったから、使わずにビニールに入れてずっとしまっておいたのだとか。
余談ですが、知念正真氏の「人類館」の中に出てくる「アメリカシーツ」のくだりを思い出します。沖縄の少しお歳を召した方々は、「人類館」という作品の中で語られる漫画のようなエピソードのひとつひとつが、かつて御自分たちが経験した実体験を映しているからこそ、「人類館」を観て聞いて、げらげらと笑われるのだと思うのです。

「戦果」にもいろいろあったのでしょう。いずれにしても、その頃の「戦果」について、悪いことだったと思っている沖縄の方は少ない……、いや、やっぱりこれは失言ですね。戦果アギヤーから、極悪非道として名高い沖縄やくざが生まれたこともまた事実なのですから。

戦果アギヤーが米軍基地から原子爆弾を盗み出してしまうという「OKINAWA1947」の着想は愉快です。観た方々が、これをきっかけにして、戦後間もなくの、本当の沖縄の実態に興味を持つようになってくれればいいなあと思いました。

そしてもうひとつだけ。
沖縄の独立を主張することから、日本への復帰を選択する立場へ到る道程は、決して単純なものではありません。お芝居の最後に、唐突に日本復帰の話がアナウンスされたのですが、それでいいのかなあと思ったのです。それが「まとめ」のように感じられて、それで僕は、ここまでクドクドと申し上げてしまいました。

現実のある一面を切り取って料理してみせる、これはアートの醍醐味です。漫画も同じ。でも、そこに「まとめ」みたいなことを忍び込ませるのは少し危険なのかも。
かの、よしのり氏の漫画をも含めて、そういう表現に出会って何かを感じたら、是非とも別の角度からの作品も、探し出して触れていただきたいと思うのです。
できれば、「カクテル・パーティー」とか「人類館」とかね。

竹内一郎さん、色々失礼を申し上げました。ごめんなさい。

関りえ子さんが振り付けた踊りについては、わたくし門外漢なので、そちらは宇夫方女史にまかせましょう。
関りえ子琉舞研究所が送った花

そんなことを考えていたので、打ち上げへのお誘いを丁重にお断りして帰途につきました。
あ、龍前照明の竹ちゃんとこに顔を出すの忘れちゃった。
(文責:高山正樹)

tag: 関りえ子  竹林功  カクテル・パーティー  「人類館」  龍前正夫舞台照明研究所  戦果  竹内一郎 

“OKINAWA1947”のお稽古に

私の師匠、関りえ子先生が踊りの振り付けを担当しているお芝居の稽古に行ってきました。
オフィスワンダーランドの“OKINAWA1947”
OKINAWA1947のチラシ

関さんがこの劇団の振り付けをするのは6年ぶり2回目。
琉舞を踊る女優さんたちは、なれない手の使い方を一生懸命に稽古していました。
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(黒い紅型の稽古着を着ているのが関りえ子さん。)

演出家の竹内一郎氏は、宇夫方路が早稲田小劇場の研修生だった時の仲間です。
竹内一郎氏
一緒に研修を受けた頃から早30年、お互い歳取ったなあと、しみじみ。
今回の公演には、やはり研修生だった細井史江さん(この日はいませんでしたが)もトレーナー(って何?)として関わっています。

具志充氏(右)も今回の芝居で使われる唐手の型の指導に来ていました。
具志充氏と共に
具志さんは関りえ子琉球舞踊研究所の後援会長。関先生の高校の同級生です。(ということは、高山正樹の奥さんとも同級生ということなのかしら?)

今回の芝居は戦後の沖縄の盗賊団「アギヤー」のお話し。踊りあり、エイサーありで楽しめる芝居。
「俺は暗い芝居は出来ない」と竹内くん。

ちなみに、照明のプランナーは、龍前正夫舞台照明研究所の竹林功くんです。
いやいやみなさんそれぞれ立派になられているわけですから「くん付け」はいけませんね。大変失礼しました。

20日から22日の三日間、新宿紀伊国屋ホールにて。みなさんどうぞ足をお運びくださいませ。
(それにしても、やっぱり狭い世界……、宇夫方路でした。)

tag: 竹林功  具志充  龍前正夫舞台照明研究所  竹内一郎  関りえ子 

宇夫方路の生徒さんたちが初舞台

毎年新百合ヶ丘で行われる恒例の麻生区芸能協会の発表会。
今年は新百合21多目的ホールで行われました。トリは関りえ子琉球舞踊研究所。関りえ子さんは高山正樹の奥方の親友で宇夫方路は関りえ子先生の一番弟子なのです。
宇夫方路が講師を務めている厚木カルチャーセンターとJIN DANCE FACTORYの生徒さんたちも「関りえ子琉球舞踊研究所」の門下生として、「四ツ竹」で初舞台を踏みました。
今回は関りえ子先生と同門の中村志津子先生(毎月沖縄から教えに来ていらっしゃいます)の東京の生徒さん5名に協力をお願いして、一緒に踊って頂きました。

一緒に舞台を踏んだメンバーと関先生です。
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舞台の進行が早くて、思ったよりも早く出番が来てしまいました。みんなリハーサルも心の準備もできないうちに本番を迎えることになってしまったのですが、何とか幕を降ろすことができました。初舞台としては合格点かな?

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厚木カルチャーからは5名が出演。前列左から知念さん、西里さん、後列左から城戸さん、安藤さん、山田さん。みんなとってもがんばりました。
あと一人、増田さんという方がいらっしゃるのですが残念ながら増田さんはクラス会で沖縄に帰っているため、出演できませんでした。次回はぜひとも一緒に舞台を経験しましょう。

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こちらはJIN DANCE FACTORY佐藤さん(左)と片野さん(右)です。片野さんは関先生のところで宇夫方と一緒に稽古をしていましたが、足首の骨を折ってからずっとお休みをしていました。現在JINさんの教室でリハビリ中。佐藤さんは一度沖縄に遊びに行ってすっかりはまってしまったということで今年の7月から踊りを始めました。関先生からなかなかすじがいいと太鼓判を押されました。ううん!宇夫方責任重大です。

tag: 内地在住ウチナーンチュ  四ツ竹  宇夫方路踊る  片野すゞ子  麻生区文化祭  関りえ子  MAP琉球舞踊教室 

青田いずみさんと新宿「かりゆし」へ

9月3日に観に行った「海の一座」の主演女優の青田いずみさんと話がしたくて、新宿の「かりゆし」に行きました。

「かりゆし」のママさんは山城ルミ子さん。
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うぶが琉球舞踊をはじめて舞台で踊ったときのパートナーなのです。
ライブでは娘のあやちゃんとの競演、三線と歌声が心に響きます。
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あやちゃん、大きくなったね。26歳にして琉球舞踊の教師なのです。

飛び入りで、踊らされちゃった、普段着で。
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青田いずみと高山正樹はコアな話をしていた…
「大和の役者が沖縄の人を演じることについて」

最後はカチャーシー、青田さんもうぶも踊り狂ったのでした。
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青田さん、あやちゃん、ママ、素敵な夜をありがとう。
いよいよ沖縄です。

《追伸》
高山正樹と宇夫方路がずいぶん前に出ていた芝居に青田いずみさんは去年まで出演していたのです。それも宇夫方がやっていたのと同じ役。
そして、おきなわおーでぃおぶっくの新企画は青年座の「人類館」なのですが、今回の「海の一座」の演出が青年座の磯村純さん。
青田いずみさんとも「おきなわおーでぃおぶっく」で何か一緒にできたらいいなあっと、ちょっと真剣に考えてます。
ちなみに山猫合奏団の楠さんが所属する劇団あとむの演出家、関谷幸雄氏は青年座と縁が深いのです。
まだあります。もともとこの「海の一座」は文化座がやっていた舞台。文化座はよく沖縄関連のお芝居もやるのですが、「ハブの子タラー」という舞台などで踊りの指導をした関りえ子さんは宇夫方路の琉球舞踊の師匠、実は関さんは高山正樹の奥方の親友で、その縁で高山が宇夫方に紹介したのです。
なんだか、色んなところで繋がっているんですねえ。

tag: 山城綾  山城ルミ子  文化座  青年座  三線  関りえ子  青田いずみ  沖縄居酒屋.新宿かりゆし  カチャーシーの光景