メトロポリタン・ロータリークラブ・クリスマスパーティー

池袋のビルの谷間のクリスマス。


僕らは営業。


豪華な控え室に上品な食事。


「カチャーシーを踊らないのは日本人だけです。踊るのがグローバルスタンダード、世界に広がるロータリークラブの皆さんだから、ここは踊るしかありません!」

ボクの呪文は効果覿面。


記念撮影。


喜多見に戻って、ばりき屋でお疲れさま…

tag: 喜多見_焼肉.ばりき屋  関りえ子 

第3回M.A.P.発表会“沖縄の歌と踊りとその仲間たち”

gajumui

いざ、出陣。 @ubukatamichi いいお天気!発表会日和です。お散歩がてらおいでください。 https://t.co/Gpz0lFJvkg
10-19 08:31

 ⇒発表会の告知記事

取り急ぎ、まずスナップを一枚だけ。
終演後。
終演後

玉城流喜天の会の、色をつけるのは、これから。

今まで、狛江のBarで宇夫方と飲んでおりました。今日は(もう昨日ですが)わざわざお越しいただき、拙い芸をご覧下さり、ありがとうございました。@agarieken 本日の発表会お邪魔致します。良いお天気のようですので、川沿いを自転車でよんなーよんなーと参ります。
10-20 00:22

tag: MAP琉球舞踊教室  MAP三線教室  関りえ子 

アイヌのこと、少し……

智内さんから電話があった。松元さんがNPOを立ち上げて、そのパーティーが今日の夜、青山であるから行かないかというお誘いである。智内さんはいつもいつも今日の今日電話してくるからなあ。今晩は三線教室、残念ながらパーティーには行けそうにない。

三線教室のことは宇夫方女史が専用ブログに書くだろうから、こちらは別のこと。

最近、比較的大きな劇場に芝居を見に行くと、大量のチラシを渡されて辟易する。開演前の時間つぶしにはいいのだが、その後の始末に困る。それでも、沖縄関係の演目があれば、それだけは商売柄スクラップ用に持ち帰るので抜き取るが、後は座席の下に重ねておく。

先日の紀伊国屋ホールでは、文化座のチラシを一枚だけ持って帰った。それと同じチラシを、今日の三線教室、持田明美が持ってきた。その芝居で三線の指導をしたのだという。文化座は沖縄にずっとこだわってきた劇団でもある。宇夫方女史の琉球舞踊の先生で、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子さんが、文化座の「ハブの子タラー」で踊りの指導をしたのはもう20年も前のことだったと記憶するが、2004年の再演の時には、持田女史のユニットのシーサーズが、三線に加えて踊りの指導もしたらしい。なんだかなあ。

「銀の滴降る降るまわりに 首里1945」
銀の滴降る降るまわりにチラシ表 チラシ裏
それもこれも、きっと新城亘しぇんしぇいと文化座の繋がりがあってのことなんだけど。
佐々木愛さんと亘さんはお友達。

詳細は下記サイトからご覧いただくとして……
 ⇒http://www.bunkaza.com/theater/ginnosizuku…

実は、ボクの沖縄はここから始まった。
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そして今、ウチナーグチの勉強をしているのも、きっとここが始まりなのだと思う。
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“社長とは呼ばないで”に、「アイヌのこと」というカテゴリがあって、遅々として進まず停滞中だが、しかしそれがもう少し進めば、いずれこちらの表のブログでも、アイヌのことを正面から扱う時がくるのかもしれない。だから、「アイヌ」というカテゴリを作ってしまうことにした。今はまだ、アイヌの周辺をウロウロしているだけの記事ばかりだが。
果たして、あらためて読んでくださる方などいるのだろうか。
アイヌのことを語り始めれば、沖縄のように大変なことになることが分かっている。
だから、文化座の芝居、見に行こうかどうしようか、迷っている。

やっぱり、これから青山は無理だな。智内さんに連絡したが、留守番電話だった。しょうがないから三線教室の皆さん、一時間一本勝負で飲みに行きましょうか。

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tag: 佐々木愛  三線  アイヌ  智内好文  持田明美  MAP三線教室  関りえ子  沖縄_うちなーぐち. 

少女像贈呈祝賀昼餐会【“赤い靴はいてた女の子”永遠の友情の証に】

【サンディエゴからの第三報】
(日本時間28日午前7時・現地時間27日午後3時)

ひとつ報告漏れ。
宮城文子さんの沖縄のお土産です。嘉手納銘菓。
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前にも一度おはなししましたが、嘉手納の基地騒音は24時間ぶっ通しで、やっぱり住んでみなければわからないと文子さんが言っていました。

では本題。
式典は正午から始まりました。日本は27日の朝4時ですね。
会場は  Bahia Resort Hotel, Mission Bay Ballroom

サンディエゴ・横浜姉妹都市協会
“赤い靴はいてた女の子”永遠の友情の証に

少女像贈呈祝賀昼餐会

サンディエゴは、日本の横浜と姉妹都市です。今年はサンディエゴと横浜が姉妹都市となって50年、その記念行事として、サンディエゴにはスモモを、横浜の根岸森林公園にはハナミズキを記念植樹するなど、さまざまなイベントが行われてきました。
昨年、姉妹都市の横浜が開港150周年ということで、サンディエゴには赤い靴の女の子の像が建てられることになりました。今日の式典はその完成祝賀昼餐会として行われたのです。横浜からもたくさんの人が参加していました。
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「私たちはどこかしら ……」
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「18番テーブルね、いい番号。」

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「番茶も出ばな、18歳!」
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「あのう……」

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テーブルに置かれた引き出物(赤い枡に入ったチョコボール)も赤い靴の少女の絵も、昼餐会の責任者、ビショップ金子さんが全てお一人で作られました。お歳は八十を越えていらっしゃると伺いました。頭が下がります。
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赤い靴のモデルになった少女は、実際にはアメリカには行かれなかったと聞きました。この少女は病気の治療のためにアメリカに行くことになっていたのですが、出発前に亡くなってしまったのだとか。
※話は伝わっていく間にどんどんと変わっていきます。“アメリカからやってきた宣教師の養女となった少女が、結核にかかってアメリカに渡ることができなかった”というのが「赤い靴」の「定説」のようです。まあ、それにも様々異論異説があり、赤い靴は挫折した共産主義の象徴だとか、そんなことあるわけないとか、侃々諤々。それでいいんです。伝説とは変遷していくもの。一応、サンディエゴの「赤い靴」は、どの説とも関係ありませんということらしい。ただ永遠の友情を祈念する象徴。アメリカっぽい。
(高山正樹)

・・・PROGRAM・・・
開会の辞 ビショップ金子(サンディエゴ・横浜姉妹都市協会会長)
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祝辞 シェリー・ライトナー(サンディエゴ市市議会議員)
挨拶 松永 春(赤い靴記念事業団団長)
祝辞 遠藤雄介(在ロスアンゼルス日本国首席領事)

日米国家斉唱

〜昼餐会〜

琉球舞踊 玉城流喜納の会関東支部関りえ子社中
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挨拶 マイケルB.ビクスラー(サンディエゴ港湾局行政理事)
挨拶 鈴木正之(横浜・サンディエゴ友好委員会委員長)

「赤い靴はいてた女の子」合唱 かぐや姫合唱団
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閉会の辞 ビショップ金子


かぐや姫合唱団というのはサンディエゴ在住の日本人の方々が、週に何回か集まって歌の練習をしているグループです。「かぐや姫」って、とっても意味深なお名前ですね。故郷を遠く離れ、でもいずれ戻っていく方々。“赤い靴”の他、懐かしき日本の歌をいくつか歌われました。
そのあと、閉会の辞の前に、プログラムにはないセレモニーがありました。
マイケルB.ビクスラーさんと鈴木正之さんとの間での写真交換。ビクスラーさんによって横浜の大変古い貴重な写真が横浜市に返還され、鈴木さんからは今の横浜の写真はサンディエゴ市に贈呈されました。
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さらにそのあと、これもプログラムには無かったのですが、かぐや姫合唱団とは別の、横浜からやってきたというグループが“赤い靴”を歌われました。
そのグループの中に一人若い女性がいて、少女の役をされていたのですが、彼女のソロになると、会場はシーンとなって、うちのメンバーはみんな涙を流して聞いていました。

その女性は羽島実優さんとおっしゃいます。元々はオペラが御専門。でも歌では音符に縛られて言葉を思ったように伝えられない、そう考えた彼女は、1年前から朗読の勉強をはじめました。そのおかげで、最近は歌でも言葉を伝えられるようになってきたとおっしゃっていました。
彼女の朗読の先生は岡田和子さんだとか。あららら、和子さんならよく存じ上げております。亡くなられたご主人、島さんとは舞台でご一緒させていただいたこともあります。
※ちなみに、岡田和子さんは、私たちがお世話になっているふじたあさやさんの妹さんでいらっしゃいます。(高山正樹)

実優さんはお友達と二人でユニットを組んで朗読をやったりしています。
うちの山猫合奏団おきなわおーでぃおぶっくの話もとっても興味をもって聞いてくれました。
お別れの前に、実優さんを交えて記念撮影しました。
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最後に、ビショップ金子さんご夫妻(中央右)とも写真を撮らせていただきました。金子さんは80歳を越えていらっしゃるんですよ。お若くてびっくりですよね。
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(今回の式典への参加は、片野さんやそのお知り合いの方の御尽力で実現しました。両端のお二人は受付のお手伝いをされていらっしゃいました。たくさんの皆さんに感謝!)

《おまけ》
「赤い靴」の歌は通常4番までなのですが、実は5番まであるのです。それを歌うのは実優さんたちのグループだけなのだそうで、そういえば先に歌った地元のかぐや姫合唱団の人たちは確かに4番まででした。

1:赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった
2:横浜の 波止場から 船に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった
3:今では 青い目に なっちゃって
 異人さんの お国に いるんだろう
4:赤い靴 見るたび 考える
 異人さんに 逢うたび 考える

5:生まれた 日本が 恋しくば
 青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
 異人さんに たのんで 帰って来(こ)

旅の続きへ

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tag: ふじたあさや  片野すゞ子  琉球舞踊  関りえ子 

東京琉球舞踊協会公演 “翔舞Ⅳ”の打ち上げ

本番が終わって皆さんリラックス、打ち上げ会場は何故か山形料理のお店。お酒も泡盛なんてありませんでした。そのことに誰も疑問なんて抱きません。考えてみれば、それが普通です。
ちょうど真ん中くらいから、上座に向けて写してみました。
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ずっと向こうには瀬底先生と名誉会長の仲田清祐さんと、それから川口喜代子会長が並んでいらっしゃいますね。
瀬底正憲先生は今回の公演では眞境名正憲というお名前で出演されました。今後はこの由緒あるお名前で活動されるのかもしれません。

以下、写真の順序は無茶苦茶です。上座も下座もなし、写っていない方もいらっしゃればお名前を失念した方々もあり、この際は無礼講ということでどうかお許しくださいませ。

上座とは反対方向の謙虚な(?)方々。
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(って、宇夫方路はどっちにも写ってるし……)
アップ。
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左から首里製麺初代オーナーの久保頼野先生、瑞慶山和子先生(中央)、瑞慶山先生のお弟子さんの大和田さん(右)です。
久保先生と高山正樹は、沖縄料理店についての話で盛り上がっていました。

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ちょんまげの男性は金城康子先生のご長男、今回は事務局として頑張ってくださいました。宇夫方路と関りえ子先生の間に小さく写っていらっしゃる方は仲宗根善久先生ですね。

関りえ子先生のお母様と高山正樹のツーショット。
関りえ子先生のお母様と高山正樹
高山正樹の結婚式以来、募るハナシもあったようで。

野村流古典音楽保存会の水谷亮介さん、ヤマトゥンチュです。
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今回の組踊りの地謡をお願いした比嘉先生が、是非とも東京で頑張っている若者もメンバーに加えて勉強させたいと参加させたおふたりのうちのひとりです。

関先生を真ん中にして……
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若いふたりは双子の尭之と杏那。関先生の御子で教室のホープ。そして東京沖縄県人会および東京琉球舞踊協会の名誉会長、仲田清祐さんと奥様の仲田美智子さんです。

執心鐘入の“宿の女”で頑張った野原千鶴先生と。
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左の方は、川口会長のお弟子さんで独立された川口弘美先生です。
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名誉会長ご夫妻も加わって。
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田中京子さんと。
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今回は事務局で頑張ってくれました。
もう一枚!
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(※撮影は山川夏子さんでした。)

tag: 山川夏子  こんな人あんな人_沖縄関連の人.水谷亮介  沖縄_沖縄の人.野原千鶴  川口喜代子  関りえ子 

東京琉球舞踊協会公演 “翔舞Ⅳ”今日は【とうがんの日】

国立劇場小劇場。
東京琉球舞踊協会10周年記念公演“翔舞Ⅳ”

《昼の部》
幕開きはもちろん「かぎやで風」
その他「四ツ竹」「前の浜」「作田節」「高平良万歳」「金細工」「鳩間中岡」「繁昌節」など。最後は「エイサー」

《夜の部》
「かぎやで風」「四ツ竹」「前の浜」「高平良万歳」「金細工」は昼の部と同じ。その他「かせかけ」「諸屯」「若衆特牛節」「たらくじ」など。
そして組踊り「執心鐘入」
 中城若松 藤原悦子(真踊流佳藤の会藤原悦子琉舞道場)
 宿の女 野原千鶴(琉舞鶴之会野原千鶴琉球舞踊研究所)
 座主 眞境名正憲(瀬底正憲:国指定重要無形文化財「組踊」保持者)
 小僧一 諸見喜子(玉城流敏風会関東支部諸見喜子琉舞研究所)
 小僧二 宇夫方路
 小僧三 関りえ子(玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所)
  ⇒昨年11月17日の稽古風景と「執心鐘入」について
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(小僧の居眠りの場面のみ特別に許可を頂いて掲載しています。)
さて、出来はいかがだったのでしょうか。批評眼がないので何とも申し上げられないのですが。
横道萬里雄さんが見に来てくださいました。楽屋の方へとご案内したのですが、いえいえと丁重にご辞退されました。残念ながら、横道先生のことを知っていらっしゃる方は殆どいなかったようです。
でも、後で瀬底先生にお伝えしたら、先生は横道萬里雄さんをよく御存じで、観に来てくださったことにたいへん感謝されていました。
いずれ時をみて、横道先生にお礼を申し上げ、御感想でも伺ってみたいと思っています。ちょっとこわいけど。

打ち上げの様子は、タグが足りないので記事を分けましょうね。

《おまけ》
りっぱなプログラムです。
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そこに、喜多見で沖縄語を話す会の広告を掲載しました。

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そうしたら、紅型の風呂敷がM.A.P.に届きました。
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ちなみに今日は4月10日で、とうがんの日です。
冬瓜をウチナーグチで[sibui]という、だから4。10は「とうがん」だから。ウチナーグチと日本語の合わせ技の語呂合わせ。ところで山形弁で冬瓜のことはなんていうんだろう。「とうがん」は「とうがん」かな。つまんないの。

tag: 沖縄_沖縄的食物.シブイ  うちなーぐち  ゆんたくの会  紅型  この日何の日  横道萬里雄  瀬底正憲  琉球舞踊  執心鐘入  関りえ子 

西原佐代子さんの披露公演【藤の会関東支部開設記念免許披露公演】

川崎市の多摩市民会館大ホールで、藤の会の西原佐代子さんの教師免許披露公演がありました。
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でも、パンフレットの表紙には西原佐代子さんの名前はありません。藤の会の会主の新崎恵子先生のお名前だけ。つまり藤の会の関東支部開設のお披露目という感じなんですね。
チラシのほうには西原さんのお名前がちゃんと載っていました。
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後援も協賛もたくさん。あー、私の場合はどうなるのでしょう。色々考えなければいけないことがたくさんあるなあ。

西原佐代子さんは仲嶺舞踊小道具店のみどりさんの妹さんなのです。
関りえ子琉舞研究所の佐藤美智子さんが仲嶺小道具店のみどりさんとご親戚だということは以前ご紹介しましたが、ということはつまり、西原佐代子さんは佐藤美智子さんのご親戚ということですね。
うーん、ボチボチ人間関係相関図を作らないといけませんねえ。
 ⇒SPYSEE“宇夫方路
その佐藤さんもいらっしゃっていました。
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あ、北島角子さんからお花が来てる。

会場に来ていらした流舞協会の先生方と記念撮影です。
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左から野原先生、山崎先生(野原先生のお弟子さん)、川口会長、私、関先生
東京琉球舞踊協会の川口喜代子会長は、私と山崎さんが、どっちがどっちだか分からなくなるのだそうです。そんなに似てるかなあ。
それではと、会長にちゃんと覚えてもらうために、ふたりで一緒に写真を撮りました。
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今度会長にお会いした時、必ずこの写真をお渡ししなければ!

山川夏子さん発見。
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なっちゃん、確か一昨日の沖縄語を話す会で、「明日は着物を着ていく!」と張り切っていたはず。それなのに、なんだスーツじゃないのさ。
朝から張り切っていたんだけれど、一人で着れなくて断念したんだって。今度、着せてあげるから、持っておいで!
(宇夫方路)

tag: 山川夏子  川口喜代子  関りえ子 

内間安男と津嘉山正種

森口豁さんの“人類館”のフィルムがどうしても見たい。高山正樹の我がままを、Bar“土”のごうさんが森口さんに繋いでくれた。そうして実現した、たった一人のための上映会。
見れなかった前回の上映会のこと

その話を青年座に連絡したら、津嘉山正種さんが是非見たいといっているという連絡が来た。幸喜さんにも知念さんにも、青年座の方から連絡してもらうことにした。結局、幸喜さんは仕事、知念さんは体の具合で来られなかったけれど。

津嘉山さんが来ることを伏せて、上映会の告知をしてみたが、結局他には誰も来なかった。

約束の時間、パラダイス通りへ出てみた。案の定、遠くの方で、紙切れを持った津嘉山さんが、きょろきょろしていた。僕は大きく手を振った。津嘉山さんはこちらを見て、ちょっと笑った。

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カウンターで、生ビールを飲んで森口さんを待った。
「オリオンはないんですか」
「ありません。エビスだけです。」
「沖縄では、地元のオリオンを飲むことにしているのだが」
「メンテナンスが悪いんです。生ビールのサーバーは毎日洗わなければならないのはもちろんですが、週に一度くらいはメンテナンスに来てもらわなければならない、それなのに、いくら頼んでも来てくれなかった」
「アサヒ系列になってからそうなったの」
「いえ、その前からです」
「それはいけないですね。コマーシャルの話があるのだが、考えなくちゃいけないな」
「津嘉山さんが上に言ってくれれば変わるかもしれない」

(高山君、こんなこと、書いていいの)
(それで変わってくれればいい。変わってほしいから書くのです。)

2Fギャラリーにて
「沖縄の18歳」と、「一幕一場・沖縄人類館」の2本。

上映が終わって、宇夫方路が明かりをつけても、津嘉山さんは、しばらく振り返ることはなかった。

左から、関りえ子、土のオーナーごう、津嘉山正種、森口豁、高山正樹。
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その車座を、宇夫方路が撮っている。

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あの日、腕組みをして微動だにしなかった男が、調教師を演じた内間安男という男を褒めた。
「内間がいたから、この芝居ができたのだろう」
微動だにしなかったこと
その日の《表》の記事

津嘉山さんは、「人類館」をひとりで演じることの苦労を語った。泣けて泣けて仕方がない。しかしあまり泣いてしまうと、調教師役ができなくなる……、そう言った津嘉山さんの目から涙があふれた。
ごうさんの差し出したタオルで、津嘉山さんは涙をぬぐった。
「なんで俺は泣くのかなあ」

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「津嘉山さんは、何故この芝居をひとりでやろうと思ったのですか」
ある時、津嘉山さんは、東京の役者たちと沖縄の芝居をしたことがあった。津嘉山さんは方言指導も兼ねていた。稽古の最中、他の役者の言葉ばかりが気になった。稽古が終ると
「なんでネーネー(二回目のネーが下がる)というのかなあ、なんでネーネー(限りなく平板)と言わんかなー」
人類館をやりたいと思った時、やれる役者を東京で探すのは無理だと思った。
「ひとりでやるしかなかった」

ある芝居を、沖縄の連中とやったことがある。朝10時の稽古開始なのに、昼過ぎても集まらない。いつも早く来る役者は決まっているので、いつも同じところの稽古ばかり。「なんで時間通りに来れないかー」と聞くと「歯医者があってさー」。
蜷川幸男の芝居で稽古に遅れたら大変。稽古初日から立ち稽古だから、それまでにみんな台詞を入れてくる。
「そんな稽古を沖縄でやったら、三日で役者はみんなやめるね」

津嘉山さんは、この後予定が入っていてケツカッチンだったはずなのに、一時間も長くいて、あわてて帰っていった。

ちなみに、宇夫方路の踊りの先生で、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子はミーハーであることが判明した。
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ごうさんの携帯が鳴った。
「ビール代を払うのを忘れました」
「いえいえ宇夫方が払うと言っているから大丈夫です」
おいおい、ごうちゃん、そんなこと言ってないぜい。
「やった、津嘉山さんの電話番号ゲット!」
ごうさんも、ミーハーであった。
(文責:高山正樹)
[subcate.人類館事件]
[subcate.Bar土]
《そういえば…》
人類館の初演で辻の女性を演じた北島角子さんは、とっても若くてかわいいのでした。

tag: 青年座  人類館事件  沖縄の呑食処.Bar土  ごうさん  沖縄の旅_2009年11月  関りえ子  津嘉山正種  森口豁 

“うりずん”の記憶

新城亘さんが栄町の“うりずん”と、とても縁が深いということは、南林間の“舞天”で知りました。
 ⇒その日の記事を読む
僕も、“うりずん”には少なからず思い出があります。
結婚した時、沖縄の親戚との約束は、必ず盆正月には帰ってくること、でした。考えてみれば妙なハナシです。東京にだって盆も正月もあるのですから。
でも、沖縄には行きたかったから、正月は沖縄で過ごしました。「行かなきゃならないんだよ、それが約束なんだから」と女房の親戚の所為にして。
沖縄に行けば、必ず栄町の“うりずん”に顔を出しました。
閉店後、店の若者に説教するオーナーの土屋さん。店の忘年会での豚の丸焼き、日航のパイロット、オリオンビールの社長……
ある時、歩き始めたばかりの長男を連れて行ったことがあります。営業時間が終っても、僕は土屋さんと飲んでいました。土屋さんは息子の顔を見て、お前はウチナンチュだと言って笑いました。やがて店に残っていた人たちのカチャーシーが始まります。息子のためのカチャーシー、息子を躍らせて楽しむために。

そんなハナシを“舞天”で亘さんにしていたら
「その時三線を弾いていたいい男は僕かもしれないなあ」
だって。
「いや、そんないい男はいなかった」
その日その場で、亘さんは“うりずん”に予約を入れてくれたのです。
「土屋さん?17日、行くからさ」

そして、十数年ぶりの“うりずん”です。
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今ほど安い航空券の無い時代。子どもが大きくなってくれば、しがない貧乏役者が毎年家族を連れて沖縄へ行くことなどできるものではありません。そのうちに、東京にいても“うりずん”の噂が聞こえてくるようになりました。亘さんによれば、今は予約しなければ入れないらしい。敷居が高くなっちゃたのかな。でも今日は新城亘御大がいるから心強い。
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20年以上前のこと、亘さんと僕は、意外に近いところにいたらしい。
結局、その時はお会いすることはありませんでした。それが今になって、ここでこうしていることの不思議。
亘さんの歌うトゥバラーマが心に染みるのです。
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「亘さん、偉い先生がね、声のために、酒飲んだら歌っちゃいけないんだって。」
「それは間違ってる。酒を飲んだら歌わなければいけない。難しいこという人に限って歌は下手さ」
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亘さんの酒と三線の弟子、前城さんです。
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でも前城さんは亘さんのパソコンの先生。前城さんがいなければ新城亘博士は誕生しなかったということは内緒。

今日も宇夫方路は踊ります。
「酒を飲んだら踊らなければいけない」
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土屋さんは、宇夫方が踊っている間、ずっとニコニコ笑っていました。
あの時と変わらない同じ笑顔で。
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U:「上原直彦さんに電話したの」
T:「もう定年になって15年だから、比嘉稔さんに直接連絡したらって」
M:「比嘉稔って、琉球放送のですか?」
T:「ええ、制作部長の」
M:「彼なら同級生ですよ。昨日も会ってました」
前城さんはその場でアポと取ってくださいました。
M:「イチャリバチョーデーですよ」

関りえ子氏も合流して。
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不思議な縁。今日も実に沖縄っぽい夜でありました。

《おまけ》
松山にある、沖縄の藤山寛美、仲田幸子のお店。
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お弟子さんは師匠に似ず……
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たまんない……

続きを読む

tag: 仲田まさえ  関りえ子  沖縄(2009年秋)  沖縄の呑食処.うりずん  沖縄の呑食処.仲田幸子芸能館  新城亘  三線 

「戦果アギヤー」のこと

紀伊國屋ホールへ、「OKINAWA1947」を観に行きました。

戦果アギヤーをモチーフにしたフィクション。戦果(せんくゎ)アギヤーを直訳すれば戦果をあげる人、戦後まもなくの沖縄では盗んだ米軍物資を戦果品と呼んだのです。

もう一度言いますが、これはフィクション、漫画です。宇夫方路の知り合いである作者のさいふうめい氏(竹内一郎さんのペンネーム)は、漫画の原作でも著名な方だから当然かな。
観劇した皆さんが、これは漫画であるということをきちんと理解した上で楽しんでいてくださればよいのですが(御自分の分身なのでしょうか、手塚治虫らしき少年が出てくるから大丈夫だとは思うのですが)、でもちょっと一言……

戦後沖縄での戦果アギヤーは、特別な集団ではありませんでした。普通の人が、普通に戦果アギヤーでもあったのです。家族を奪われ、土地を奪われ、「祖国」と信じていた(?)国からも見捨てられ、豊かな米軍から生活資材をちょろまかさなければ生きていけなかったという事情もあるのです。
現代の、どこかの海の海賊も、もしかすると…、いやいや失言です。戦果アギヤーは非武装、そこが全く違う。
「OKINAWA1947」において戦果アギヤーは罪悪感の全く無い盗賊団として扱われている、このことは、確かに沖縄の実感と合っているとは思います。でも実際の「戦果アギヤー」は、庶民のヒーロー「ねずみ小僧」のような、特別な存在ではありませんでした。

沖縄市が編纂した沖縄市史資料集の一冊に、「インヌミから 50年の証言」という号があります。(インヌミとは戦後間もなくの海外や沖縄県外からの沖縄へ引揚げてきた人たちを収容した施設の名前です。)
インヌミから
その中で、八木政恭さんという方が、次にような証言をされています。
「当時の(トラック運転手仲間の)あいさつは、『こんにちは』なんていわないです。『チャーヤガ、戦果ヤアティ』(戦果はあげたか?)なんです。戦果はあげて当たり前みたいなところがあって、中には亭主が戦果をあげきれないという理由から、離婚した夫婦もいたんです。」

また僕のカミサンの母親から聞いたはなしも御紹介しましょう。義母は、戦後、基地の中で働いていたのですが、シーツや枕カバーやコップなどを、ちょくちょく失敬してきたと言います。それも「戦果」であったのだと。
「今思い出すとドキドキするさー」
アメリカシーツは上等だったから、使わずにビニールに入れてずっとしまっておいたのだとか。
余談ですが、知念正真氏の「人類館」の中に出てくる「アメリカシーツ」のくだりを思い出します。沖縄の少しお歳を召した方々は、「人類館」という作品の中で語られる漫画のようなエピソードのひとつひとつが、かつて御自分たちが経験した実体験を映しているからこそ、「人類館」を観て聞いて、げらげらと笑われるのだと思うのです。

「戦果」にもいろいろあったのでしょう。いずれにしても、その頃の「戦果」について、悪いことだったと思っている沖縄の方は少ない……、いや、やっぱりこれは失言ですね。戦果アギヤーから、極悪非道として名高い沖縄やくざが生まれたこともまた事実なのですから。

戦果アギヤーが米軍基地から原子爆弾を盗み出してしまうという「OKINAWA1947」の着想は愉快です。観た方々が、これをきっかけにして、戦後間もなくの、本当の沖縄の実態に興味を持つようになってくれればいいなあと思いました。

そしてもうひとつだけ。
沖縄の独立を主張することから、日本への復帰を選択する立場へ到る道程は、決して単純なものではありません。お芝居の最後に、唐突に日本復帰の話がアナウンスされたのですが、それでいいのかなあと思ったのです。それが「まとめ」のように感じられて、それで僕は、ここまでクドクドと申し上げてしまいました。

現実のある一面を切り取って料理してみせる、これはアートの醍醐味です。漫画も同じ。でも、そこに「まとめ」みたいなことを忍び込ませるのは少し危険なのかも。
かの、よしのり氏の漫画をも含めて、そういう表現に出会って何かを感じたら、是非とも別の角度からの作品も、探し出して触れていただきたいと思うのです。
できれば、「カクテル・パーティー」とか「人類館」とかね。

竹内一郎さん、色々失礼を申し上げました。ごめんなさい。

関りえ子さんが振り付けた踊りについては、わたくし門外漢なので、そちらは宇夫方女史にまかせましょう。
関りえ子琉舞研究所が送った花

そんなことを考えていたので、打ち上げへのお誘いを丁重にお断りして帰途につきました。
あ、龍前照明の竹ちゃんとこに顔を出すの忘れちゃった。
(文責:高山正樹)

tag: 関りえ子  竹林功  カクテル・パーティー  「人類館」  龍前正夫舞台照明研究所  戦果  竹内一郎