2012年09月11日(火)15時40分
川崎市阿部市長の定例記者会見と…
朝方ツイッターで知った情報。川崎市の阿部市長の定例記者会見。
「セシウム入り給食食材は、危険の中で生活していることを子どもたちに知って貰うために、今後も使い続ける」
ありえない発言だと思った。ツイッターをやらないfacebookの「友人」たちに、知ってもらいたいと思った。
「僕は、こんな市に住んでいます。そこの貴方も住んでいるんじゃなかったっけ?物言わぬ『良き人』たちが、この国の『安定した』システムを支え続けているらしい」
すると川崎市に住む高校時代先輩からコメントが来た。
「『そこの貴方』です。ワタシ的にはこの市長さん、以前からどうも解せません。福島出身だそうじゃないですか。それで逆にひねくれてるのでしょうかね…。」
この手の話題に反応してくれたのは初めてだったので、思わずひとりほくそ笑んだ。
だが、川崎市長が福島出身だとは知らなかった。僕は、ツイッターのリンク先のサイトにあった文言をそのまま紹介したのだが、それがどういう文脈で語られたのか、正確に知りたくなった。
そして見つけたのが、9月4日の記者会見の記録である。
⇒川崎市長記者会見記録
「教育のためにセシウム入り給食食材を使い続ける」
確かに要約すればそういうことになるのかもしれない。だが少し違う。この市長は、そうしなければ生産者が困ると本当に信じているのかもしれないと思った。市長と同じように考える「良き人たち」が、きっと身近にたくさんいる、と思った。この状況で「国を支えるシステム」を変えることは、並大抵な事ではない、と思った。
しかし、やはり市長の見解はゴマカシとすり替えに満ちている。今度の事故による放射能の影響は、その空間的・時間的広がりにおいて他の汚染と較べようもないほど大きく、またその犯罪性と予測不可能性と…、だが、それらのいちいちについて反駁する気力がなかった。その所為か、酷く腹が立たった。
gajumui
あっちにもこっちにも「~維新の会」。沖縄を鏡にして日本を見ると全く違った風景が見えてくる。明治維新とは何だったのか。沖縄にとっての明治維新を少しでも考えたことのある者なら、確信犯でない限り、「維新」と名付けることを躊躇するだろうに。
09-11 10:40池田信夫「まさか1000年に1度の大津波が今すぐ来ることはないから、時間をかけて対策を講じればいいと考えている。それなのに津波の2次災害である原発事故は、今すぐ起こると錯覚して止めようとする」・・・中学生並みの頭脳。原発事故と大津波を同質の災害として比較する、愚かさの極み。
09-11 13:02 なんと薄っぺらな呟きだろう。これでは誰をも説得することなどできはしない。だめだ。なんでこんなに腹が立っているのだろう。聞こえる事、目につく事のいちいちに文句が言いたくなる。直情的に呟けば収まるかと思ってツイートしてみたのだが、かえって気持ちが騒いでよろしくない。散歩して、人格、変えてこよう…
09-11 13:25
※【翌12日に追記】
東電が密かな(といっても、ネットでは既に言われていたことだが)発表、それをやはりツイッターで知って、それについてfacebookの近況(阿部市長の定例記者会見)に自らコメントして付け加えてみた。
今回の事故で放出された放射性物質は、チェルノブイリの4倍だったと東電が英語で発表したらしい。英語だけで。そして放射性物質はいまだに漏れ続けている。
98Bq/kgの栗が暫定基準以下になったからと出荷解禁になったらしい。福島県産の米は国が定めた暫定基準値100Bq/kgに満たなければ「安全です」というステッカーを貼って市場に出される。
たぶん、このようにしておけば食糧不足による財政逼迫を回避する事ができ、広大な福島の農地が壊滅することなく残り、20年もすれば何事もなかったかのように復活するのかもしれない。測っていない(あるいは公表していない)α・β核種が予想を超えるような悪さをしなければ、きっとそうなるのだろう。もうひとつ、フクイチの4号が崩れ落ちたり、新たな事故が起きたりしなければ。
貴方たちはそれを知っているから、福島の農家を応援するなどと言って、黙ってこれからの20年をやり過ごそうとしているのではないか。特にきっと、僕のFaceBookの「友人」たちの多くは、遠く沖縄に住んでいたり、比較的裕福で(あるいはとても裕福で)、少し高くても安全な食べ物を選ぶ事の出来る人たちなのだ。
でも、きっと確実に(そういう言い方が気に食わないのならば「もしかすると」と言い換えてもいいが)、たとえ保育園が弁当持参を許可してくれたとしても、家が貧しくて、弁当など持って行くことが出来ないような子どもたち1万人のうちの何人かが犠牲になるかもしれないのだが、貴方たちはそれを知りながら、20年後の安泰を信じて、黙っているのではないか。
たとえそんな気持ちは露ほどもないとしても、黙って声を上げず現状に甘んじていれば、同じことをしていると言えるのではないか。
すると、Tさんが初めてコメントを投稿してくれた。
「安全なものを提供したいというプライドはないのか。事故で出荷できない農家に死ねと言うのか。難しい。でも子どもにセシウム入りを摂取させることが傷みを知るという主張は…私には理解できません」
ほんとうにそうだ。実にまっすぐである。
しかし彼女も、そして僕も、ではどうすればよいのかという提案が出来ずにいる。ただ立ち竦んでいるのみだ。彼女に落ち度は全くない。問題は僕である。
2011年の6月、原発事故から3ヶ月、僕は次のようなツイートをした。
「今に始まったことではない原発作業員の被曝、だがそのことについて、僕らはあまり触れようとしない。放射能に怯える僕らは、福一を押さえ込むためのスケープゴートの存在を、心の奥のどこかで密かに切実に求めているのでないか、悪魔の如く」
僕は「貴方たち」の喉元に匕首を突きつけたのである。しかしそういう僕自身は何者なのか。人を責め立てながら、自分自身は何一つ解決策を持つわけでもなく、そのくせ人を責める事で自らはその責から逃れるかのような欺瞞。何ひとつ引き受けようとしない安全地帯からの「御意見」。それを自覚していたからこそ1年前、その時は「貴方」ではなく「僕ら」と言って逃げ道を作ったのだ。しかし匕首は僕自身を刺していたのである。
今回も同じ事であった。敢えて「貴方たち」と過激に問いかけてみたのだが、その「貴方たち」の中から僕自身を除外したつもりなど毛頭ない。
ただ僕は、自らの中にある国家との共犯性を自覚する以外に、僕がというか、僕らがというか、新たな道を覚悟を持って選択する方途はないと思っているのである。
※【さらに翌13日に追記】
Tさんのコメントに反応するとして、古い「友人」のSがコメントを寄せてくれた。彼は僕のfacebookの100数名の友人のうち、放射能についてコメントするほとんど唯一人の男である。彼は僕ほど女々しくはないから、提案することが出来るのである。ただし、それによって彼が何事かを引き受けたかといえば、それは怪しい。なぜなら彼は、この日本を捨てて、間もなくあの俗悪なアメリカへ移住しようというのであるから。そのSのコメントをここに転記して、この記事を終えようと思う。転載を快く許可してくれたS氏に感謝する。
Tさんの書かれていたことに反応してみます(笑。
残念ながら福一3号はMOX燃料を使用するプルサーマル炉なので、吹っ飛んだ3号機燃料格納プールは、チェルノブイリが足元にも及ばないプルトニウムなどの猛毒の核種をぶちまけました。もちろん今も福一は毎秒毎に高放射線物質を大量にたれ流し続けています。
高山が言う、今年5月に東電がさらっとゴメン間違ってましたと発表―日本国内では報道されず―した、福一はチェルノブイリの4倍(広島原発の4万倍)撒き散らしましたというのはあくまでもセシウムのみの話で、プルトニウムなど他の核種はまた別の話です。
つまりTさんが心配されているとおり、もう福島では農業も漁業も酪農も到底出来ないと見るのが妥当です。
そこで大事なのは、だからと言って農業漁業酪農が出来なくなった彼らに死ねと言うのではなく、だからと言って毒まみれの作物を作り続けろと言うのでもなく、福島を捨てた後に新しい生活が出来る保障をすることです。と言うより、それ以外の選択肢はあり得ないと思ってます。
ところが県や国は経済や地域の破綻を恐れ、福島に戻れ、福島を応援、などという政策を打ち出しています。そしてそのデタラメを可能にしているのが、他でもない福島県産食品を応援と称して買い続けている多くの日本人です。
福島を生殺し状態で維持しておけば、国が傾くほどの保障もしなくて済み、税収もこれまでどおり上がり、流通業者は福島県産食品を安く買い叩くことで大きな収益を上げ続けられる。そうした意図に支えられたデタラメな政策が、結局は福島を苦しませ続けます。
誰もが福島という土地を見捨て、福島に居続ける限り生きていけない状況を生み出せれば、国も本当の保障=本当の被災者救済に向かわざるを得なくなります。今の福島生殺し状態から福島以外での新しい生活の創生に取り組まざる得なくなるのです。
チェルノブイリ事故が起こった時、ソ連は膨大な人数の住民を強制移住させましたーーどうやら事故の5年後のことだったらしいのですが。
少なくとも当時のソ連ですら出来たことをこの国が絶対にしようとしないのは、ある意味興味深いことです。
事故で出荷出来ない農家に死ねと言わないために本当はなにをすべきなのか、食べて応援などという不謹慎な自己満足に陥ることなく、日本人はもっと真面目に考え行動すべきだと僕は思っています。
ちなみに文中の「福島」というのは福島限定の意味ではなく、福島県を含む高濃度汚染地域を指してます。
2012年09月07日(金)01時10分
思い浮かんでしまった光景(お弁当と給食のこと)
狛江市の給食問題(政治っぽくて嫌だが)について、そっとブログに新聞記事の画像を載せたのは去年の9月であった。でもそれ以上のことは語らなかった。だが、ここ狛江市辺りで小さなお子さんを持つ親御さんにしてみれば、何より気にかかることであるに違いない。事実、弁当持参を許可しない保育園と必死に交渉を続けている方々をツイッターで知っていたし、ずっと見守っていた。
狛江市長選挙があった。M.A.P.は狛江市に登記している。しかし僕は川崎市の住人である。だから選挙権はない。前任は共産党の市長であった。しかし、なぜか弁当持参を許可することについては慎重であった。理由は不勉強で定かではない。今回その方が退任して、選挙は新人同士の争いとなった。共産党市制を引き継ぐと宣言していたのが田辺氏である。きっと色々な争点があったに違いない。長く共産党の市制が続いていたから様々な弊害もあったのかもしれない。だが僕は、原発や放射能汚染だけを見ていた。未曾有の事故があって、少々の細かい点に問題があっても、原発に対する考え方が、雌雄を決する一番の要素であると思った。少なくともその点においては田辺氏の方が原発に対して厳しい見方をしていたように思う。しかし結果は、原発を容認する保守系の高橋氏が勝利した。その後、僕の情報源が偏っているのかもしれぬが、新市長のよろしくない評判ばかり聞こえてきていた。
「狛江市の政治」というtagも作った。
ところがである。旧市長の時にはなかなか実現しなかった弁当持参が、このたび自由になったらしい。まだまだ問題も残っているようだが、給食の安全性を心配する父母の皆さんにとっては大きな一歩である。新しい市長には古い利権のしがらみがなかったのかもしれない。また、新市長の判断ではなく担当部署の継続的な努力の結果だというようなことも聞いたが、はっきりとしたことは分からない。
そこで僕は、田辺氏に今回の件についての見解を、ツイッターを通じて聞いてみたのである。
gajumui
この度の保育園の弁当持参を許可する市の決定について、腹蔵なき御見解を是非をお聞かせください。経緯も御存知ならば是非。 @YoshihikoTanabe 高橋市長が所信表明。土木第一、行革第二。子育てや福祉はその後…
09-06 21:04東京湾で7万Bq/kgのアナゴの噂、例えばこのアナゴ50gを乗せたにぎり寿司一個食べると3500Bq。これって、おかずも米も全て100Bq/kgの食事500gを一日3食23日間食べ続けた時の総合計Bqと同じ。とんでもない値。でも7万Bq/kgのアナゴの話はどうやらデマです!
09-06 22:12連夜のニュースゼロのペテン。使用済み核燃料のリサイクルをやめると、やめないよりも多くのゴミが残るって、あたかも原発を止めない方がいいみたいな言い方。それはリサイクルに限った話でしょ。普通に原発動かせばゴミは増え続ける。原発全部止めて、リサイクルの研究だけなら許すってのは如何?
09-07 00:36・・・それも嫌だけど。なんか僕、浅はかな知識、間違ってますかしらん。寝ぼけマナコ。そういやあ田辺さん、返事くれないし。悪い事ばっかり指摘して、都合の悪い事はだんまりじゃあねえ・・・
09-07 00:51
しかし残念ながらすぐにはお返事を頂く事ができなかった。
実はこの記事は9月20日に書いている。ここまで田辺氏からお返事が来るのを待っていたのである。しかし本日、田辺さんが体調を崩されていて、今は復活したものの大変多忙であることを知った。本件については、いずれお伺いする機会もあるだろう。したがってもう待つのはやめて、半年ほど前、ふと思い浮かんだ想念について、書き残しておこうと思う。思いついたその頃、ツイッターで呟いてみようかとも考えたが、誤解を恐れた。でも給食を断って弁当を持参することが自由に出来るようになった今なら語ることも出来ると思った。
【思い浮かんだ光景】
狛江あたりでは、市が安全という給食に不安をもっていない、あるいは多少の不安はあっても致し方ないと考えている、またあるいは、内心大変気にしているのだが、その思いが大きすぎて却って考えない事によって何とか精神を支えている、つまり、みんなと同じ給食を自分の子どもに与えることを選択する親の方が圧倒的に多数派なのだろう。保育園や小学校のお昼の時間、子供たちの殆どは、みんな同じ、保育園や小学校から提供された給食を食べている。そんな中で、放射能の危険を勉強し、安全な食材を一生懸命調達して料理をする「意識の高い」母親を持った数少ない子どもたちが、自前のお弁当を食べる。「お前、放射能なんか気にしているのか」と、罪のない正直な友達の「いじめ」にあいながら。実際そういうことがあっただろうし、これからもあるのかもしれない。子どもの心を想像すれば胸が痛む。
だが、僕が思い浮かべた光景はそうではない。給食を危険と考えることがスタンダードになって、母親は自分の子どものために責任を持って出来るだけ安全な弁当を持たせることが当たり前になった時の保育園や小学校の光景である。間違いなく、毎日子どもに弁当を作って送り出す余裕のない家庭がある。もしそれが少数になって、ごく少ない子どもたちだけが、危険かもしれないと感じながら給食を食べるしかない状況。その時の子どもたちの不安、その悲しさは、先の光景の比ではない。
だからこそ行政が、誰もが納得する安全性を確保して給食を提供する、そうした環境を目指さなければならない、それはその通りである。しかし仮に、給食にもあるであろうあらゆる既得権益を排除してもなお、完璧な検査体制を作ってしまっては十分な食材を確保する事が困難になるとしたら、(既得権をすべて排除しあらゆる公務員の怠惰をなくせば食材確保は可能だという声があることを承知した上で)、給食という制度の中で弁当持参する権利を認めるということが、本当に次善の策なのだろうか。
昭和30年代、僕の周りの誰もが貧しかった。それが言い過ぎだとしても、今よりはるかに貧しい事が普通であった。そんな中でも、やっぱりさらに生活の厳しい家庭があって、そういえばそんな家の塀には、よく共産党のポスターが貼ってあった。その頃、そういう家を見下した感情が全くなかったかといえば、それを否定する自信が僕にはないのである。
「給食を作っている業者さんにも生活があるのです」
そう言った市の担当者に激怒するお父さんお母さんの気持ちは十分に理解するし共感する。しかし一方で、大きな会社から仕事を貰い、なんとかかんとか小さな小さな会社を動かしてきた僕には、その言葉は涙が出るほど重くもあるのだ。
僕は、今の状況の中では、弁当持参するも、給食を食べるも、自由に選択できることを100%支持する。ただ、一度思い浮かべてしまった光景は、脳裏に張り付いて離れない。その忘れる事ができない光景を、数ヶ月前、宇夫方女史に語って聞かせたことがある。
「どう思う?」
彼女は目に涙をためて「やっぱり原発はダメだと思う」と言った。
僕は原発をなくすことが現実的ではないという人々に問うてみたい。貴方たちは、原発の事故が一番弱い人間たちを苦しめるのだということ、たとえ原発の事故がなかったとしても、多くの原発作業員たちは被曝し続け、なによりもオーストラリアのウラン鉱山では、多くのアボリジニの人々が苦しんでいることを、どうお考えなのだろうかと。
僕は、反原発の輪が拡がるのであれば、危険を煽っても構わぬなどとは全く思っていない。原発を拒否するのは「私たち」が危険だからではない。反原発の真の理由はそこにはないのである。
大震災から546日目……
2011年12月31日(土)23時58分
2011年の最後に呟いたこと
【2011年の最後に呟いたこと】
gajumui
@nemo1109 暮れ押し詰まって大変申し訳ありません。ひとつだけ質問させてください。給食代を支払った上でお子様にお弁当を持たせるのもダメだというのですか?
12-31 17:34悔しいお気持ち、心からお察しします。 @nemo1109 小中学校と違い保育園では(給食費を取っていない。)と言う言い分なんです。学校給食はオプションで、保育園給食は保育の一環である。と言うのが、狛江市の判断だそうです。…
12-31 18:23正月は、このまま冷静に勉強を続けるさ。その結果、もしかしたら比較的安心ってことになるのかもしれない。しかしたとえそうだとしても、原発が「棄民」を条件にしたシステムであることはますますハッキリしてきた。それが国家の本質といえばそれまでなのだが。
12-31 18:48智内好文氏への業務連絡。結局昨日までの不摂生の所為で体調戻らず、残念ながら中央線沿線でのカウントダウン、諦めるより他なく、来年からは心を改めて健康ゲーム……ツイッターにアカウントもってなくても読んでいてくださる方もいるようで。哲っちゃん元気?リック、オーストラリアは如何?
12-31 19:47カミサンは猫の世話。息子は誰かとどっかへ行ったらしい。喪中だし、娘は年末年始働く条件でユニクロのバイトを決めたので、京都から帰ってこない。テレビは壊れて写らない。だから小生は書斎でひとり書見に勤しむのだが、原発本というのがどうもいかん。だからといってツイッターとは情けない。
12-31 20:43紅白歌合戦なる番組を一切見なくなってから何年になるんだろう。仕事の相方がバックの日舞の踊り手としてずっと出ていた。殆ど踊れない学生アルバイトの指導係も兼ねていたらしい。ええと確か何とか社中って言ってたよなあ。何だっけ。今もあるのかなあ。テレビ見えないからわからん。
12-31 21:31ubukatamichi
花柳糸之社中です。そうか紅白か。でもまだ仕事中。 @gajumui …ええと確か何とか社中って言ってたよなあ。何だっけ。
12-31 21:41gajumui
申し訳なし……。 @ubukatamichi まだ仕事中…
12-31 21:46サウジアラビア大使館勤務の知人の話。3月時点で日本からの避難指示があったが、今は全くない。ベルリンですし屋をやっていた知人の話。3月、日本の食材の輸入禁止。だが今は規制が徐々に無くなってきた。だがそれと反原発は無関係。来年は、誰もあまり言わないエネルギーの話をしよう。
12-31 23:33
tag: 震災と給食
2011年09月29日(木)23時05分
志はどこまでも高く
大震災から202日目……

猫が志の高い動物だとはやはり思えない。
それなりに多きいくなったゴーヤーはあと一個。

葉っぱも黄色くなってきたし、2011年のゴーヤーも終わりに近い。
あれ、なんだい、黄色くなりかかった三個のゴーヤー(左下にチラッと写ってる)は、昨日のまんま置きっぱなしの野ざらしかい。まあ、お忙しいのでしょう、きっと。
なんだか、今年は早かったなあ。でも、目を凝らすと、まだいくつかあるにはある。

チビって、差別用語なんですかね?

大っきい奴は収穫。

さっそく切ってみた。

ほったらかしゴーヤーも一緒に台所へ。

「もう事務所じゃないなあ」
「床磨いて、鏡を立てて、いろいろやることがあるわけよ」

【この日呟いたこと……】
15:20
門仲天井ホールから閉館決定の案内が来た。お金の問題というよりも消防法の方がハードルが高そうだ。あの非常階段ではNGなのだという。何か起きたら責任が取れないか。歴史、文化、リスク、責任、フクシマ……
“門天”には何かとお世話になってきた。なにか僕らに出来ることはないかと思案しているのだが。
2011年、変ろうとしているものは一見して哀しいことばかり。
「前を向いて再生!」と、素直に言えない諸々の事情。門仲天井ホールも、いま少し抵抗してみるらしい。
本日の室内線量。
「

M.A.P.琉球舞踊教室。やっと少し形に。

今日は持田明美師匠が地謡。こんな教室、滅多にあるもんじゃない。生の演奏で踊ることによって、その楽しさは倍増する。このM.A.P.の特徴を、どう宣伝していくか。それを考えるのが僕の仕事なのかもしれないが、しかしそれはひとりで出来るものではない。通ってきてくれている人たちに、まずその特異さを感じてもらうことが必要なのだ。
そして、地謡と一緒に練習することを、システムとして構築しなければならない。そうでないとホントの武器にはならない。
⇒M.A.P.琉球舞踊教室専用ブログの記事
ただ、気をつけなければならない重要なことがある。
ひとつは、一時の盛り上がりがずっと続くと勘違いしないこと。度を越してはしゃいでいると、近いうちに必ず弊害が出る。その対策が出来ていないとしたら、通常の稽古は、生の三線を入れないと決めておくほうがずっと落ち着いていて安全である。
もうひとつ、録音された演奏で反復練習することの大切さも忘れてはならない。「教室」なのである。ましてやそこに初心者がいるのなら、ある段階までは録音でやるべきかもしれない。多少進んだ後も7割程度は録音のほうがいいのかも。でないと、余程きちんと指導しないと、指導の揺らぎが、生徒さんがこの先苦労する種となりかねない。「教室」であることを捨てるなら必要のない配慮だが、そうではないのだから。
ちょっと余談だが、時々違う録音を使うというのもきっと面白い。生の三線で踊るのとは違った、はっきりした発見があるに違いない。
こうした気遣いが、最終的に生演奏で踊ることの本当の楽しさを深く知る基礎となるはずだ。
志は高く、なのである。
すぐにやること、急ぎ過ぎないこと、躊躇すること。そして責任者自身がその仕分けをきちんとすることが大切なのだ。宇夫方女史、分かってくれているだろうか。
僕は、稽古の端で、溜まった古新聞の整理をしていた。

「ふーん……、“花水木”に行こう」
“花水木”のお弁当のウィンナー。

後日、志の高いハナシを……
tag: 事務所の光景 猫 門仲天井ホール 震災と給食 喜多見_居酒屋.花水木 MAP事務所の線量 MAP琉球舞踊教室 ゴーヤー栽培.2011
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