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「豚」の「わー」は声門破裂音です!【うちなーぐち講座“プロローグ”】

まずは鼻濁音のはなし。
去年の12月、アナウンス講座なるものを見学した際に、僕はこんなことを書きました。まずはお読みください。
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3ヶ月前は、ずいぶんと講座の先生に気を使って書いているようですが、あらためて僕は、「鼻濁音が日本語の美点というのはおかしい」と、大きな声で叫びたい気持ちになってきました。
沖縄には鼻濁音はありません。それは、なにも沖縄に限ったことではないのです。日本のかなり多くの地域で、鼻濁音などないのですから。

八木政男さんとお会いした時にも、この話題が上りました。
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ウチナーグチに「はなむにー」という言葉があります。まあこれは、風邪なんか引いたときの「鼻声」みたいな状態を指す言葉ですが、沖縄では鼻濁音も同様に笑われる対象、風邪ひきの優男(やさおとこ)がもてるのは、江戸という街だけということなのかもしれません。
役者の場合、経験上、標準語なら鼻濁音であることが正しい場合でも、時に確信犯的に鼻濁音を採用しないことがあります。そういう経験談を、去年もアナウンス講座の先生にお話ししてみたのですが、黙って無視されました。
また鼻濁音には強弱があって、時に鼻にかかる度合いが強くて、鼻濁音としては実にすばらしいのですが、しかしなんとも気持ちが悪いという場合もあるのです。
おきなわおーでぃおぶっくのCDのはなしですが、津嘉山正種氏の「人類館」のこと、ウチナーグチの部分は当然ですが、地の文でも、本来は鼻濁音でなくてはならない箇所の多くを、津嘉山さんは鼻濁音で語ってはいません。この「人類館」という作品にとっては、それが正解であり、「美しい」と思うのです。
そして昨日、あの、久米明さんの「ノロエステ鉄道」の朗読でさえ同じだったのです。伺ったところによると、久米さんは「沖縄を読む」ということで、鼻濁音をどうするか、かなりお考え下さったようです。結果、大城立裕先生がおっしゃった「鼻濁音の気持ち悪さ」は完全に払拭され、逆に「清い」美しさが加味されたと思います。

沖縄という風土の中で、鼻濁音に出会うと、とても違和感を感じます、そんなお話を、今日もしたのでした。鼻濁音は美しいものだ、それが正しい日本語なのだということが、まことしやかに語られるのはいかがなものでしょうかと。

もうひとつ。「わー」のはなし。
「私」も「豚」も、ウチナーグチではどちらも「わー」だというはなしです。
FM世田谷の“せたがやじーん”に出演した時もこの話をしました。
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儀間進さんとの雑談をご紹介した時も、「わー」のしゃべり方について触れました。
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つまり、「私」も「豚」も「わー」であるという言い方は、実は正しくありません。「私」も「豚」も、ひらがなで表記するならどちらも「わー」と書くしかないということなのです。
言語学的に言うと、豚の方の「わ」は声門破裂音(Glottal_stop)という子音です。声門(声帯)を閉じた状態から、発声と同時に声門を開いて声を出す破裂音なのです。国際音声記号では、クエスチョンマーク(?)から下の点を外したような記号が使われます。PCではこんな記号はありませんから、ここでは便宜上「?」で代用しますが、「私」の「わー」の「わ」は「wa」で「豚」の「わー」の「わ」は「?wa」です。
これをむりやりひらがなを使って表記しようとすると、「ぅわ」というのが一番近いのかもしれません。しかしやっぱり近いだけで「ぅわ」ではないということが問題なのです。ウチナーグチに触れたことのない大和の人たちには、この「わ」の前の「ぅ」は聞き取れません。というより、「ぅ」ではないのです。日本語の感覚で「ぅわ」を読んでしまうと、それはやっぱり「うわ」であって、これは声門破裂音ではありません。

母音と「わ行」と「や行」と、それらの関係については、そのうちきちんと体系的にまとめてご説明したいと思います。
また、ウチナーグチの表記についても、いろいろな考え方があるようで、もう少しきちんと調べて、その勉強結果をご報告したいと思っています。少々お待ちくださいませ。

その他、「口蓋化」や「高舌化」など、なんだかちょっとおもしろくなってきました。ウチナーグチを考えることで、日本語を再発見することにもなりそうです。
(文責:高山正樹)

tag: 儀間進  大城立裕  津嘉山正種  【音韻講座】  鼻濁音  八木政男  久米明  「人類館」  ノロエステ鉄道  声門破裂音 

日本語の二大美点?

コミュニティFM局というラジオ局が増えてきています。地域に根ざしたミニ放送局です。
現在、すでに全国で200局を優に越えています。
しかし東京などは周波数に空きがなく、開局したくてもできないという状況もあるのですが、ただ、2011年7月25日のデジタルテレビ放送への移行に伴い、86MHz以上の周波数が使えるようになるので、それを機に、爆発的に増えていくことも考えられます。

そうした中、アナウンサーが足りない、ということもあって、アナウンサー養成講座なるものが、ちょっとした流行り、その講座を終了した方々には、地方のミニFM局ではありますが、実践の場が与えられるというのですから、挑戦してみようかなという方もけっこういらっしゃるのではないでしょうか。

もう2週間くらい前になりますが、東京のある老舗のコミュニティFM局にて、そうした講座を見学させていただいたのです。
今回は体験用の講座でしたから、課程の始めから終了まで、ダイジェスト版のようで、内容は大変盛り沢山、まずは発声から最後は日本語のイントネーションのルールといった高度な概念まで、一通りの説明がありました。実際の講座では、それを一年半かけてやるということですから、なかなかなものです。

で、なぜ今さらそんな話をしたかというと、少し長くなりますがお付き合いのほどを。

講座の先生(元アナウンサー)がおっしゃっていらっしゃいました。
日本語の2大美点は「鼻濁音」と「無声音」であると。
「それができないと、絶対にアナウンサーにはなれません。ではみなさん、例文を読んでみてください。」

これ、意外とむずかしいらしい。特に関西出身の女性は悪戦苦闘していらっしゃいました。鼻濁音は関西にはないし、無声音だって「寿司食った」なんてのを明石家さんまなんかに言わせたら「すーしーくうた」みたいになって、こんなベトベトなマグロなんか食う気が失せるってなもんであります。
さすがに、わたくし高山正樹は、完璧に課題をこなしたのでありました。

しかし…

先日、津嘉山正種さんに伺った話。
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若い頃、ひたすら鼻濁音を練習した、たいへんな苦労をしたのだというお話し。アクセント辞典は今でも離さない。
「時々頼まれて、ドラマなどで沖縄の方言指導をするんですがね、地方出身の役者さんのほうがうまいですね。東京出身の役者は、アクセントを直したという苦しい経験をしていないから、方言を習得するのが下手ですね。」
「自分を、客観的に見ることができないということでしょうか」
「なるほど、そうかもしれない」

そんな津嘉山さんが、沖縄の舞台で沖縄の人の役をやったことがある。その公演の時の話。楽屋に大城立裕先生がいらっしゃった。先生曰く
「津嘉山くんよー、ぜんぶ鼻濁音になってるぞー」
沖縄には鼻濁音なんてありません。津嘉山さんは大城先生の言葉にハッとした。そして一晩かけて台本をチェックして、鼻濁音ではないように直したというのです。

アナウンス講座の先生は、この話をどう聞かれるのでしょうか。
「アナウンサーは役者ではありません」
ごもっとも、おっしゃる通りです。しかし、「2大美点」というのはどうなんだろう。「日本語」の「ご」は鼻濁音、では、「うちなーぐち」の「ぐ」を、先生はどう読まれるのですか。

今度の沖縄で大城立裕先生にお会いしたとき、その津嘉山さんのお話をしたのです。すると大城先生は…
「そんなことがあったかなあ。なるほど、鼻濁音が気持ち悪かったのだろうなあ」
と、笑っていらっしゃいました。
「僕は沖縄の高校演劇をずいぶん観て指導もしていたのだが、覚えているのは津嘉山くんだけだなあ。彼はあの頃から芯があった」

さて、なんで今日、こんな話を思い出したのかというと、もう暫くのご辛抱を。

山猫合奏団の大島純氏のふるさと、津山市のミニFM局から、「セロ弾きのゴーシュ」を紹介したいというご連絡をいただき、さらに、大島君が今度のお正月、ふるさとに帰った際、ゲスト出演することになったのです。

ただ、まだFM津山は開局前なので、現在はネット放送のみということではありますが。
 ⇒http://www.fm-tsuyama.jp

ということで少し聞いてみたのですが、そこには「2大美点」なんてありませんでした。でも、とっても素敵な津山弁が流れてきたのです。それがなんともいいのです。
アナウンス講座の先生にお伺いしたいのですが、地方のミニFM局は、1年半もかけて共通語を特訓したアナウンサーの技術というものを、ほんとうに求めているのでしょうか。

「地域のコミュニティFM局に課せられた重要な役割の一つに、災害時の放送がある。その時求められるのは、誰もが理解できる言葉なのです。」
よくわかるのです。その通りだとも思うのです。でもそこに「2大美点」が必要なのでしょうか。

日本語なんて、もう存在しないのだとおっしゃる学者さんもいます。今あるのは、みんなに通じるということだけのために作られた共通語、もはやそれは、日本語ではないのだという御説。とっても考えさせられます、なんて難しい顔をするのは、ただ僕ひとりだけなのでしょうか。
普遍と個性、実はこれ、30年間、ひたすら僕が考え続けていることでもあるのです。あー、死ぬまで分からんのだろうなあ…
(文責・高山正樹)

追伸。
FM津山さん、ネットでサイトにつないでも、どうしたら目的の番組が聞けるのか、ちょっとわかりにくいのが少し残念。お正月までには環境改善されるかな。期待しています。
そうだ、ちなみに本日のFM津山のゲストは、指揮者の松岡究氏。実は、わたくしの高校の同級生であります。FM津山の担当の方、よろしくって伝えてくれたかなあ。

tag: FMつやま  鼻濁音  駒場28  大島純  山猫合奏団  津嘉山正種  大城立裕  朗読  うちなーぐち