2022年11月16日(水)23時11分
調布市の読書会へ
もしかすると、参加者の何人かは、資料館に来てくださるかもしれない。しかし、狛江ではなく、調布の人たち。
そしてここでも、こうした分野での狛江の質の低さを思い知らさた。図書館のことだが、一時が万事。
知らぬは狛江市民ばかりなり。
しかし、それが新しい市民の選んだことだというなら、僕はもうこの街にいる意味などない。十数年、俺はいったいこの街で、何をしようとしてきたのだろう。ひどく、ひどく、こっぴどく虚しいのである。僕にできることが残されているとすれば、ただブログに、自分自身の墓碑銘を綴ることのみ。
fc2ブログのサムネイルだが、何故だか画質が悪い。だからまずTwitterに画像をアップして、それをリンクさせている。でも、Twitterがどうなるか分からないので、このままでいいのかどうか、思案している。
2019年02月27日(水)23時50分
県民投票とヤマトゥンチュー
“沖縄県民の意思にどう応えるか”
そんなイベントが午後あることを知り、決して発言しないと決めて覗きに行くことにした。衆議院第2議員会館の多目的室。資料代が1000円、学生は無料だという。基調報告は元山仁士郎、主催は[国民投票/住民投票]情報室となっている。
Lisaに会う日に元山君と会う偶然の不思議。Lisaが絡むといつも不思議なのだ。

「今夜、リサと会うんだよ」
「トリオさんですか」
松下さんも来ていた。

この日のことは後日追記するとして。
夜はLisaと。

いずれにしても、県民投票が終わって僕が呟いたことは、どうやらさほど間違ってはいなかったらしい。
そうだ、いいことを思いついた。
明日、告知記事を書こう。
2019年02月17日(日)22時55分
「ボランティア」を論理的に知る
ちょっと混んでいて(それはいいことだ!)、開始の1時半も回ってしまったし、それにそもそもハナからあまり行く気はなかったのだ。

「ボランティア」も、「市民活動」も好きではない。なんだか独善と偽善の匂いがする。つまり、俺は相当ひねくれているらしい。
定員20人。締め切り2月9日とあるのに、このチラシをこまえくぼの●●さんに貰ったのは、2月15日の「中央公民館のつどい」の会議の時だ。よっぽど人が集まっていないらしい。そりゃそうだろう。ひねくれた俺じゃなくっても、決して面白そうな話ではない。
でも逆に、いったいどんな人たちが来るのだろうという興味が沸いてきて、それで覗いてみることにした…
結局のところ、パネラー以外の参加者は7人程度、そのうち3人は知った方であった。どうやらバリバリとボランティア活動をされている方ではない。社会的な活動をされてはいる、でもボランティアではない。またある方は、無償で活動されているのかもしれないが、政治的な活動だ。たぶん、日本の政治的活動は、今日のテーマであるボランティアの範疇ではない。無償で選挙を手伝うことは、関係者はボランティアと呼ぶが、被災地に行って作業をするようなボランティアとは遥かに遠い。
それにだ、ボランティアすることに即時的に充足している方は、こういう講演会で、偉い先生の話を聞いてあらためてボランティアを知って考えて深めようなどとは思わないだろう。悩んでいる方は、きっとあくまでも現場の中で考えようとするだろう。いったいどんな人たちが来ているのか、要するに俺のような、ホントのボランティアとは程遠いタイプの人間が来るということなのかもしれない。
しかしながら、というべきか、だからこそというべきか、どうやら小生と同い年の枝見太朗氏の話は実に興味深かった。
欧米の場合、ボランティアの精神は、キリスト教的な神の存在に収束する。「隣人に対する愛」である。ところが、キリスト教とは縁のない日本人がボランティアに携わる場合、ボランティアとは何かについて、論理的な理屈が必要だというのである。ホントだろうか、実際にボランティア活動をしている日本人が、そんな論理的バックボーンを持ってやっているとは思えない。むしろ「隣人への愛」に近い精神を持っておられる。俺のような、ボランティアを斜に見ているような人間にこそ、論理的な理屈が必要なのではないか。
とすると、俺はマンマと枝見氏の術中に嵌ってしまったということだ。
さて…
(続きは次の日の呟きで)
【追記…翌日の呟き】
デビット・C・コーテン
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月17日
社会が機能するために必要な三部門。
①社会の秩序を維持する権力者
②モノとサービスを提供する商人
③権力者と商人に圧力をかけ、権利を行使し責務を果たす市民
さて、③でいうところの市民の「責務」とは何か。数十年前のアメリカ経済学者コーテンが何を指して言っているのか僕には分からないが、枝見氏は、納税だとか遵法精神だとか、そうした義務を越え、もっと広い意味で捉えているらしい。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月17日
「外部」と聞けば、すぐに民間委託ということが思い浮かぶ。阪神淡路大震災の3年後、1998年に施行されたNPO法も、そうした大きな流れの中で成立した。しかし当初、ワケの分からない団体の税金を優遇するなどできないというのが大蔵省の見解だったらしい。権利と責務の両面が見える。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
こまえくぼの業務を、市の職員で賄えば、職員ひとりにつき700万の予算が必要。指定管理業者に委託すれば、予算は三分の一で済む。重要なことは「委託」から「協働」へ。「委託」はあくまでも行政の指示のもとだが、そこを変えなければならない。官と民を同等に、ということ。(結局、同等が限界?)
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
制度も変わってきている。NPO法人は、許認可制から認証制へ。一定の条件を満たせば誰でも立ち上げることができる。ハードルはものすごく低くなった。しかし、その実態はどうなのか。ここで、市民の行政に圧力をかけ監視するという役割が問われることになる。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
元々行政の業務だったものをその外部へ、それはNPOを含めた民間の法人に限った話ではない。いよいよますます個々ボランティアの役割が大きくなっている、という話へ。(こうして咀嚼してみて、給与支給できるNPOと個人のボランティアを繋ぐ論理的な回路が見えないことが気になり始めたボク。)
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
有償ボランティアとか、交通費くらいは欲しいとか、いろいろな考え方はあるだろう。しかし本来ボランティアとは、無償であるべきもの。一切の見返りを求めない。「ありがとう」という言葉は魔法の言葉だが、感謝の言葉がないと不安を持つならやめるべき。感謝の言葉さえも求めてはならない。本来は。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
東京オリンピックのボランティアが「ブラック」とか言われているが、元来ブラックなボランティアなんてないのである。あの条件で、それでもやりたいと思う人がやればいいのである。やりたくなければやらない、それだけのことだと。だから皆さん五輪のボラに参加してみてくださいって、なんだかなあ…
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
問題。
「ありがとう」という言葉の反対はいったい何でしょうか?
Forではなく、Withへ。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
それって、みんなで◯◯狛江のコンセプトですな。
にもかかわらず、利己から利他へ、さらには自己犠牲などという言葉が出てくると、いやいやちょいと待ってと言いたくなる。ちっとも論理的に整理などされてはいないではないか。ナショナリズムとパトリシズムの曖昧さとも共通点があるな、などとオレは思っている。
それから別の話。ボランティアと決めて始めたことを、中途で変えてはならない。嫌ならやめればいい。頼まれて仕方なくやっているボランティアなんて、害でしかない。どんなチラシが必要か、ホントに議論したのか。ホントに考え抜いたのか。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
すっかり話があちこちになってしまった。
いったいチラシって何のことだ?
様々なことが、絡み合っているのだ。チラシについては、15日の記事と、ひとつ前の記事でちょっと触れた。
⇒ひとつ前の記事(裏にイベント全体の案内が載った紙を使えばいい)
⇒15日の記事(情報とデザインを両立させるということ)
本筋は、18日の、池上洋通さんの会に触れて呟いた呟きに続けることにする。
いずれにしろ、記事を改めよう。
【追伸】
チラシのことを考えていたら、こんなチラシが出来ました。
⇒その1(3月2日のイベント西河原)
⇒その2(3月6日の中央公民館のつどい)
2017年12月16日(土)23時00分
モヤモヤ
本日、観たい舞台があったのだキャンセルして、急きょ「福島関連」の催しに参加することにした。案内すると「その日は先約があって伺えません」などという返信が来たりする。それは要するにその人にとって優先順位が低かったのだと理解する。さて、僕にとって「福島」の優先順位はどうなのだろう…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年12月16日
モヤモヤ… pic.twitter.com/DrX37Um765
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年12月16日
高山さんがキャンセルした舞台はこれです。
わたし宇夫方は行きました。


モヤモヤ。
出先から、南灯寮の寮監さんに電話をしました。
実は、とある会社の方から、忘年会でエイサーをやりたので教えて欲しいとお願いをされているのです。その方は以前狛江に住んでいらして、ウチの事務所からエイサーの曲が聞こえてきたのを覚えていて、それをネットで探して電話したのだそうです。でもウチは琉球舞踊教室、エイサーとはだいぶ違う。とはいえ、忘年会のエイサーくらいなら教えられます。けれど問題は太鼓や衣装です。ウチにはありません。そこで思い出したのが南灯寮です。もしかしたら貸してもらえるかもしれない…。
寮監さんのお答えは、予想通り「学生に聞いてみないと分からない」とのことでした。そうなんです。南灯寮は何でも学生たちの自治会で決めるのです。
というわけで、学生さんの返事を待っています。
16時半くらいから、18日月曜日の、西川郷子さんとの対バンの合わせ。
合わせが終わって、来年第一回のニャイト倶楽部の収録。
2017年06月02日(金)23時04分
呟き三つ(…と、次の日の饒舌)
昨日の朝からどうも調子が悪い。年を重ねるとはこういうことか。クソ面白くない。しかし、いつまでも寝ているワケにもいかない。さてさて…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月2日
⇒そして告知西川郷子さん曰く「ニシカワmeetsフォーク、小田急線喜多見に初お目見え。昨日の夜、みんなで踊ろう の打ち上げ二次会に移動の5分の間に緊急決定(笑)」
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月2日
アテにならない神が降りて来るのを待っていてもダメだね。今回は人間臭~くいきませう。というわけで、告知の詳細は、今夜か明日か。
明治大学。明日来られなくなったので、今日来た。目当てはテントであったのだが、強風のため会場が校舎の中に変更になった。テントは明日の準備をしている。乞食行進の「理屈」が語られている。もしテントで開催されていたら、その「理屈」はどう変容しただろう… pic.twitter.com/S7Ra6kNNm3
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月2日
【…追伸、次の日の呟き】
「新たな境界線」という解釈に異論。むしろ境界線なるものを根本的に破壊せんとする行為でなければ面白くない。突如現れた「乞食の行列」や「禍々しき芝居のテント」が、安全地帯から眺めるだけの存在であったら、たいした恐怖など生まれない。境界のない存在が、我々を根源から揺り動かす。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
その意味では最終的にテントなど不要なのである。大学の校舎を異空間に変貌させる覚悟があればそれで十分なはずである。大学という守られた囲いの内部に、教授に呼ばれて(アカデミックに論理武装されて)建てられたテントに、はたしてどれほどの力があるのか、まずそこを疑ってみるべきなのだ。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
かつて、学生たちが河原乞食と共謀して学内にテントを呼び込み、大学当局と対峙させた。だからそれは、大学にとって体内に入り込んだ異物として極めて危険な存在であったのであり、当局もそのように認識した。だから東京大学は、学内での風の旅団の上演許可を取り消したのである。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
見る者見られる者、またその構造をどれほど複雑にしても、さらにそこに写す(記録する)という行為を加えてみても、結局欠落するもの。70年代演劇的に言えば「身体性」ということか。間近から飛び立つ戦闘機の轟音、街ですれ違う米軍兵士の体臭。そして、そこからの時間的空間的な広がり。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
昨夜もまた、学者や教授の限界を感じた。自らと他者の間に境界を引き、閉じた場所から語る存在。しかし、僕はそれを批判する資格を持たない。僕自身が「傍観者」という自らのあり方に苦悩してきたのだから。ただ僕が問うのは、「あなた方は、あなた方のそのあり方に気づいていますか?」ということ。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
炎天下、自宅から事務所に向かって歩きながら、ずっと「境界」について考えていた。例えば比嘉賢多も、沖縄と大和の間にある「LINE」を見つめた。境界=LINEを破壊する、あるいは突きつけるためには、まずその存在を認識しなければならないわけだが…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
現代日本人は、虹は七色だと思っている。そう思ってみれば虹は七色に見える(まあそれも怪しいのだが)。米と英は六色だし、ロシアは四色らしい。虹は三色だというアフリカのある部族は、極めていい目をしているだろうに虹は三色にしか見えないらしい。さらに、古く沖縄の虹は二色だったとか…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
境界とは、かくも曖昧なものである。曖昧な現実を、人は分析し始める。例えばどこかの学者が境界を引く。そうして引かれ認識された境界は、今度は人間の思考を縛っていく。いずれにしろ、深い思索のために「境界」の可視化は不可欠なのだが、その過程で「概念」が絶対となり「身体性」が失われていく。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
どうも俺は、どこぞの「学者」や「教授」と同じ間違いを犯し始めている。そう気づいたら、酷くつまらなくなってきた。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
一歳の時に伊江島で終戦を迎え、マラリアに罹り、その後の“銃剣とブルドーザー”を体験した金城さんがポツっと言った。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
「伊江島から波照間に移住した人たくさんいる」
画像は波照間の共同売店。特に意味はない。明大の講演で阿波根昌鴻氏の写真集にあった共同売店の話が出てきたのでなんとなく… pic.twitter.com/rTjosSK44Y
その金城さんはウチの琉球舞踊の生徒さん。また狛江には 『人間の住んでいる島-沖縄・伊江島土地闘争の記録』の出版を阿波根昌鴻さんに薦めた写真家の磧谷さんがいる。このふたりで何かできないかとずっと考えていた。そうか学者さんが加われば!とピンと来たつもりだったが…。どうも違うらしい。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
なんとも言いたいことが言えていないもどかしさ。いくら語っても何か間違っていて気持ちが悪い。だから饒舌になる。沖縄という巨大な「人類館」、俺もその「事件」に加担しているのではないか。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
「しばらく黙っていれば?」
女房と娘から、さっき出掛けにそう言われたような気がする。
tag: 西川郷子
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