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国立療養所沖縄愛楽園



名護から奥武島へ渡りそこから屋我地大橋で愛楽園のある屋我地島へ、という南からのルートを選ぶ。
大橋のたもとの小さなパーキングで見つけた“のがれじまの碑”
のがれじまの碑

ジャルマ島とは、奥武島の西約500mに位置する小さな無人島。
ハンセン病患者でもあったキリスト教伝道師、愛楽園の創設につくした青木恵哉の苦難の歴史については、また勉強して報告したいと思うが、各地を追われた青木恵哉が、1935年(昭和10年)に逃れたどり着いた島がジャルマ島で、そこは風葬に使われていた水のない無人島だった。人の住める平地は約300平方メートルで、子供3人を含む40人ほどが暮らしたが、その後、ようやく屋我地島を安住の地とし、1938年(昭和13年)に愛楽園が生まれたのである。

国立療養所沖縄愛楽園は、屋我地島の北の端にある。
愛楽園入口

なぜ、沖縄にはキリスト教徒が多いのか、それだけでもきっと十分大きな研究課題になる。
カトリック聖ザベリオ教会

この愛楽園で、金城実さんの彫刻と森口豁さんの写真のコラボ「沖縄の傷痕~アメリカ世の記憶」展が開催されたのは一昨年のこと。主催は愛楽園の自治会。昨日金城さんのアトリエで会った知花さんに自治会のことを少し伺っていた。
今日、ココに訪れたのは、去年の沖縄映画祭「沖縄愛楽園から伝えたいこと」を上映させていただいたことのお礼と、そして次回の映画祭「忘れてほしゅうない」という強制不妊手術の映画を上映することになったので、その上映会の時に、トークの資料になるようなものがないか、そんなこともご相談したかったのである。
※愛楽園での強制不妊手術のことが、新聞報道されたのは、今年の5月のことだった。
 ⇒断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性羽交い締め 屈辱の手術
しかし…
※浮かんできた微妙な気持ちを、ともかく沖縄を発つ前に吐露しておきたくて、この日の夜、那覇空港で呟いた。

このことについては、もう少し考えて、モヤモヤした思いをどうにか形にした上で追記したいと思う。
少し先を急ぐ。

貸し出せる資料などについては交流会館の学芸員、辻さんが詳しい。ということで交流会館の方に伺った。
愛楽園交流会館
しかしこの日、辻さんはお休みだった。
さらには、交流会館の展示を見て回るうちに、映画祭のために何かお借りするのは難しいかもしれないとも思い始めていた。そこで、展示されている資料の中から、上映後のトークの時に御紹介できるエピソードの類いをメモして、これでヨシとした。それをここに、アップさせて頂こうと思う。

「奪われる命」というコーナー、案内パネルにはこう書かれていた。
「社会から排除された入所者の中には、生きる希望を失い自ら命を絶つ者が多かった。療養所には開園当初から解剖室があり、患者は死後、解剖された。また、療養所では子どもを生むことは禁じられており、医師や看護婦などの手によって強制的に断種、避妊中絶が行われた。生まれて間もない命さえ絶たれた。逃げ出した夫婦の中には、親や親戚の下で生んだ例もあったが、それを断られて療養所に戻り、処置を受けた例もあった。我が子を抱きしめることのできない親たちがいる。」

アメリカーに見られた断種手術
僕は戦後第1号の断種だよ。知念看護婦は見つけてすぐに引っ張って行った。だからあれが来たらみんな逃げよったんだよ。承諾書なんてないよ。強制なんだから。
青空で手術。僕ともう一人、一緒に手術したよ。戦前からあった手術台はコンクリートで残ったから、それに乗せられて。周りをアメリカーがぐるっと取り囲んで、見られたよ。あの頃は麻酔も消毒もないだから、病棟に入ることもない。痛いとも何とも言えない。手術を受けたことは知られたくないから、すぐ帰って来てなるべく普通にしておったよ。人に分からんように。みんなそうだったよ。

堕胎された夫婦
<妻>
このお腹に打つ針は本当に大きかったよ。ちょうどおへそのあたりに、ばんっと打つ。胎児堕胎するときでも病棟の普通のベッドの上でだよ。ちゃんとしたところでじゃない。医者でもない、看護婦たちだよ。呼んで寝かして、お腹広げておって、ヨーチンみたいの塗って、針もってきてばすっと。中にいる赤ちゃんに当てて殺すつもり、本当の殺人。お腹に注射打ったのは誰かわからんよ。マスクで顔隠れているから。注射打ってね。もうお腹張ってね。中で動かんでしょう。どうしても出てこないでしょう。「いつなったら出るね」と言ってもね、分からない。
<夫>
注射打ったまま、そのまま看護婦はほったらかしだよ。いつ出てくるか分からないから側に付き添っていて。一週間くらいかな。(妻は生んだの)覚えていないよ。無意識のうちに産んでいるから。あれは夜だったね。「出てきているから」って看護婦にお願いしてから、初めて看護婦も来ていた。看護婦よばなかったらこないわけよ。看護婦は注射打ってそれだけさ。そしたら、そのまま子どもをベッドの下に、箱に入れて置いてあるわけさ。後片付けは自分でやれって言わんばかりに。赤ちゃんはタコみたいだった。薬で真っ黒くしてだらーっとして・・・。



そして、『ボク』という詩

瓶ノ中
ホルマリンニ浸ッテ
モウ ドノクライ経ッタノダロウ

手ノヒラハ ツイニヒラカズ
ヘソノ緒ヲ浮カシ
ウツラウツラネムリ呆ケテ
四十年
「モー イイカイ?」
「マー ダダヨ!」

未来永劫
育タナイ ボク
ラッキョウミタイナ
オチンチン

ボクノ
オトッツァンョ
オッカサンョ
ライハ
イッタイ
イツ終ルノデスカ!?


なんだか、重くなった。
続きは、記事をあらためることにする。

tag: 沖縄の旅_2018年10月  愛楽園 

シアタードーナツへ

新しい事業を始めたので、平日、狛江の事務所を何日も空けるわけにはいかない。宇夫方女史は朝の飛行機で帰った。

ボクは、真喜ちゃんに沖縄市に面白い人がいるという情報を貰ってさっそくやって来た。

シアタードーナツ1 シアタードーナッツ2

シアタードーナツ3

階段を上がっていくと、そこはカフェ兼待合室。手づくりドーナツがウリ。
だからシアタードーナツ。
上映中はお静かに。
シアタードーナツ4

まるでホームシアター。渋谷のアップリンクにも通じる。
シアタードーナツ5
寄せ集め(?)の椅子なのはウチと一緒。広いとソファーも置けるんだな。だけどそれはまだまだお客さんが少ないということでもある。大盛況の映画館になればこうはいかない。でも、そのほうがいいよね。だからこれは、今だけの光景なのかもしれない。

残念ながら、このシアターの主、真喜ちゃんに「会ったらいいさ」と言われていた宮島真一氏は出張で不在でした。
でも、スタッフの方とお話が出来た。

スタッフの方からこんなことを聞かれた。
「映画館の興行組合に加盟してらっしゃいますか」
「いえ、ウチは映画館ではないので。映画祭をやる度に、防火対象物一時使用届け(要するに建物の目的外使用の申請)を消防署に出しています」
「そうなんですね」
「だから、そもそも組合には入れない」
「加盟していないと、上映を断られる映画があるので」
上映映画を探すのに苦労していらっしゃるらしい。年に2回の映画祭をやるだけのウチだって大変なのだから、通年毎日3本程度の作品を上映しているシアタードーナツのその苦労は想像に難くない。ウチの場合、映画館ではないということが、逆に制約を免れているのかもしれない。
「ドキュメンタリー映画ばかりにしたくないので」
それは予期せぬ話の展開だった。ここへ来るまで、というか、昨日の夜はじめて真喜ちゃんに聞いてここを知ったのだし、沖縄の映画を、それもたぶんドキュメンタリー映画を中心に上映するところだと思っていたし、それですぐにここに飛んできたのである。事実ネットでは「シアタードーナツは県産品映画を上映するカフェシアター」というふうに紹介されている。沖縄を題材にした映画は数多くあれど、「県産品映画」と限定すれば、ガレッジセールのゴリさんの映画や(それも吉本興行だし)、高嶺剛や若い才能ある沖縄出身監督の作品などもあるが、きっと多くはドキュメンタリー映画にならざるを得ない。でも、当初のコンセプトはどうあれ、今のシアタードーナツは、決してそれでヨシとしているわけではないらしい。
ふと周りを見れば、「ET」や「ひまわり」といった映画のポスターが貼られていたりする。
12月に開催する「喜多見と狛江の小さな映画祭」のことだが、はじめて意識的に、できる限り劇映画をやろうと考えた。それは何故かということを、どうにかして伝えたい、このところとずっと考えているのだが、そのためには、「ドキュメンタリー映画を上映することイコール政治的プロパガンダと見做される」というあたりから話を始めなければならない。たとえそのドキュメンタリー映画が政治的プロパガンダとして制作されたのだとしても、それを上映するという営為は、必ずしも政治的プロパガンダではないということ。ドキュメンタリー映画もひとつのフィクションであるということ。また、娯楽のために作られた一本の劇映画が、観た人の人生を決めることだってあるということ、つまりその人の「政治的な立場」をも大いに左右する可能性だってあるのだということ。

「ウチが、比較的に劇場にかかった映画を上映することが出来るのは、狛江市に映画館がないかららしいのです。だから地域の興行を牛耳るプロの興行屋さんの影響がない」
「わかります。コザにもたくさんあった映画館が、今は全部なくなってしまいました。だからココを立ち上げることが出来た…」
つまり、映画館が無くならなければ、宮島氏は自前で映画館を運営することなどなかったということでもあるのだろうと思った。

東映、東宝、新東宝、大映といった配給会社の映画は、ウチで上映することは一切できない。それでも、日活さんなどは色々と考慮して下さってきたし、松竹さんは、無料上映会ならばDVDでの上映を(もちろん上映料を支払ってのことだが)許可してくれていた。大変感謝している。ところがそれもなかなか難しくなってきた。それは、ウチが認知されてきたからというより、フィルムセンターなどが出来てそこで素材が一括管理できるようになってきて、お金があれば別なのだろうけれど、ウチのような小さなところにとっては、なかなか厳しくなってきたのだ。(まさかジャスラックのようなことがなければいいが。ジャスラックがこのコザという街の文化を潰したというハナシを以前、記事に書いたことがある) この状況は、今後ますます進んでいくに違いない。狛江のようなπ(パイ)の少ない街で、劇映画をできるだけたくさん取り上げるという映画祭を、いったいこれから続けていくことができるのだろうか。同じ内容のイベントをもっと大きな町でやれば今の10倍のお客さんが来るとよく言われるのだが、それに対して「いやこの小さな街で、この街の人たちがやって来るような映画祭にしなければ意味がないのだ」と、果たしていつまで突っ張って叫んでいられるのだろうか。

ボクは俄然、宮島真一という人に興味が沸いてきた。今ボクが考え悩んでいることを、もっともよく理解してくれる人が、もしかするとココにいるのかもしれないと思ったのである。そこでボクは、宮島氏宛に手紙を書いてスタッフの方に託し、必ずまたこのシアタードーナツに来て、今度こそ宮島真一さんに会うと心に決めて、沖縄市唯一の、小さくて、だからこそ素敵な映画館を後にしたのである。
※以上、若干の脚色を交えて、その日のことを再構成してお伝えしました。フィクションも、また真実なのですからw

参考までに。
コザ最後の映画館は「コザ琉映館」、ウィキペディアにはこう書かれてある。
1960年(昭和35年)7月に設立。コザ市内としては最後に開館した映画館。開業当初は第二東映の専門館だったが、その後は各社の邦画を中心に上映。1970年代以降はピンク映画へとシフト。
2010年代に入り、映画業界は本格的なデジタルシネマ時代に突入。沖縄県内の既存映画館が相次いでデジタル上映へと移行していったが、コザ琉映は35mmフィルム映写機のみ設置しており、フィルム映画の上映に特化して営業していた。しかし開業から半世紀以上を経て老朽化が進んだこともあり、2016年(平成28年)7月31日をもって閉館。56年間営業を続けた当館の閉館により、沖縄市内の映画館はすべて姿を消すことになる。(一部省略)



会えなかった宮島真一さんとはこんな人。
表紙に宮島真一さん

tag: 沖縄の旅_2018年10月  シアタードーナツ  宮島真一  コザ 

首里城祭り①~公文書館

なんみんさんでひと仕事を終えて、僕は国際通りへ向かった。
途中、待機する琉球王朝の集団。
まもなくパレード

神宮会館での授与式が終わり、祝賀会(要するに食事会)が始まった頃だろうか、こちらではパレードが始まる。
今日は首里城祭り。その関連イベントである。
琉球王朝絵巻行列
首里城祭りパレード



ボクは大東そばで昼飯。
大東そばランチセット

レンタカーで、波之上に宇夫方女史とまる子さんを迎えに行く。
千日屋でぜんざい。
千日屋

それから一度行ってみたかった公文書館へ。
公文書館

展示室

琉球王朝絵巻行列を見た後だから、なかなか興味深い資料であった。
江戸上り

tag: ソーキそば  沖縄の呑食処.千日  ぜんざい  沖縄の旅_2018年10月  国際通り  沖縄の呑食処.大東そば 

「初心」を見つけに南部へ

今日は“読谷祭り”に浦添の“てぃーだ祭り”などなど、色々被っている。でも、今日は南部に行くと、昨日ハロウィンを見て決めたのだ。

海軍戦没者慰霊之塔

海軍壕入口

※三日後に、どうしても帰る前に呟こうと思って呟いたこと。


アメリカの人なのかな。
アメリカ人かな1

アメリカ人かな2

三月に前田高地に行った時も、やはり米軍族関係者と思われる外国人が多かった。ただあの頃は、映画ハクソーリッジが公開されていたから、きっとその影響なのだろうと思った。だがたぶん、30年前にここを訪れたあの時代に較べれば、今は、沖縄の戦跡に対するアメリカ人の興味ははるかに増している、そう思えて仕方がない。
しかし、それがいいことなのかどうか、アメリカンビレッジのハロウィンに感じたのと同じ思いに駆られるのだ。

この土産は、いったいどういう人が買って行くのだろう。
海軍壕のお土産1

海軍壕のお土産2

定番の戦跡へ。
陸軍病院壕跡1

陸軍病院壕跡2

修学旅行生たちが大挙してやってきた。
修学旅行生1

修学旅行生2

少し安堵している俺がいた。
修学旅行生3

修学旅行生3

ひめゆり。
定番1
ひめゆりの塔には、10年前に寄ったことがある。しかしその時は、お土産のシーサー以外一枚も写真を撮っていない。それほど、僕にとっても、当たり前すぎて興味のない場所になっていたのだ。

平和祈念資料館。
定番2

摩文仁。
定番3

30年ぶりの「初心」
本当かな。ボクは考え続けていた。

tag: 日の丸  沖縄の旅_2018年10月  ひめゆりの塔  旧海軍壕  平和祈念資料館 

識名園へ

新しい展開のため、動き出さなければならない。
まずは新しいOKINAWA100シリーズの仕入れから。今まで放ったらかしだったおかげで、他では売り切れ、ウチにしか在庫のないものもあり、そうか、それをウリにして宣伝を始めるのもありかもしれないと思う。

※17日に呟いた今日(16日)のこと。



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#識名園#おきなわ #沖縄 #桃源郷#世界遺産

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ちょいと歩くと汗ばむ。
なので、かねひでにて島ゾーリゲット。400円也。国際通りの半額。
かねひでの島ぞうり

そうだ、島ゾーリもネット販売しようかな、ただのビーサンですけど。

tag: 沖縄の旅_2018年3月  識名園