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秋を越えて、冬の気配


先週のツイートと一緒に。

なんとなく、足の指がスースーし、頭皮あたりがチクチクする。
ワクチンを打つと、免疫力が落ちるって、ホントかね。

秋を越えて、冬の気配。

深夜
gajumui

椿説弓張月の文庫本が見つからない。明日は十三夜、天気は月の出る時間に向けて下り坂。まんちゃーひんちゃーは宵待月。晴れそうもない。
10-18 00:00


こうしてまた自分の首を絞める。たぶん、何かに急かされている。生き急いでいるのか、死に急いでいるのか、定かではないが、どちらでも同じ。その違いは屁理屈か、気分という表層に過ぎない。



10月17日沖縄そばの日
 ⇒https://t.co/Vy6fT5oDgd
元来宮廷料理の"沖縄そば"は金持ちの食べ物で、庶民が食べるようになったのは戦後のことだった
“八月十五夜の茶屋”のことを書いたブログ記事に追記するためにいくつか呟いた。
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-5843.html

tag: 泉龍寺  読経会 

琉球舞踊新人賞みんな合格!


そしてみんな合格しました!



gajumui

虫唾が走るくらいFacebookが嫌になってきて、ブログ回帰。ホントはネットなんか全部やめればいいのだが。時々出る病気、でも今度は長そうな気がする。 https://t.co/Z9dc1nr3QL
08-26 12:04

琉球舞踊教室とコマラジはパラレルワールド。


コマラジ寿限無台本第一稿完成。現代ラジオドラマ風と落語風のツーパターン。いくらでも直したくなるが、まずは明日はこれで行く。まずはKOMAE AMの枠で、パーソナリティーの野崎淳之介さんとパートナーの花咲希実さんと、そして火曜のKOMAE AM担当のノクティと僕で落語版やっちゃいます。#コマラジ
08-26 22:45

夜は井戸端会議にそらぼっくりさんと乱入、現代ラジオドラマ風を決行!はたしてどうなることやら。おもしれえなあ。コマラジ寿限無だらけ作戦の始まりです。#コマラジ
08-26 22:47


諸熊ちゃんからバトンを受け取ったのさ。だから一生懸命子供向けにしようと思ったんだけど、ついつい…
08-27 00:29



そら姐さんが、相談ぶっこいた火曜日の画像を使って明日の宣伝してくれました。
朗読劇じゃないけどね(笑)

tag: MAP琉球舞踊教室 

故宮城巳知子!

数日前、沖縄タイムスのネット記事で「故宮城巳知子」という文字を見つけて驚いた。

“宮城巳知子さん死去 元瑞泉学徒隊、沖縄戦体験を継承”
娘婿の成井俊美さんが

沸き起こる色々な思い、何かつぶやかなければ思いつつ、この日になった。
巳知子さんの手記をオーディオブックにしようと考えながら、officialサイトにそのことを告知しながら、しかし資金が乏しくてそのまま止まっていた。そうか、お婿さんの成井さんが動きはじめたんだ、僕らが"おきなわおーでぃおぶっく"でやろうとしていたことは、お婿さんの成井俊美さんがやってくださんだ。なんだか申し訳ないような、安堵したような。

 ⇒成井さんが、うちの事務所にいらっしゃった時の記事

成井さんと事務所でお会いしたのは、もう12年も前のこと。その後、いつだったか、羽田か那覇か、お姿をお見受けして声を掛けようかと思ったが、一向に進まない企画、それでなんとなく躊躇したことを覚えてる。

残された時間をどう生きるのか、僕は僕で考えなければと、ふとそう思った。

今さらながら、心からご冥福をお祈りする。
そして、お亡くなりになった日の記事に【墓碑銘】を追記した。

 ⇒2015年10月31日の記事



【Twitter】

gajumui

降りて来た神様が、ちょっと変で、こんなのになっちゃったのよん、というワケで、名古屋ちゃんとこ行ってひと仕事してきた。はたしてどうなることやら。んだ!!#コマラジ
08-11 19:32

tag: 成井俊美  宮城巳知子  コマラジ 

確かめたかったこと


実は確かめたいことがあった。この画像は、ハンセン病資料館ではなく、国立療養所多磨全生園をウロウロして撮ったモノ。確かめたかったのは、ハンセン病資料館の映像ホールで行われるイベントで、はたして手話通訳されているかどうかということ。

tag: 全生園  手話  要約筆記 

来年に向けて



Sus4へ。
沖縄で、真喜ちゃんにきいた西表のオジイのことを聞きに来たのである。
野仏群2
まだ、ないしょ。

tag: 西河原公民館  調整会  MAP琉球舞踊教室  喜多見_フレンチBar.Sus4 

お金にならない十三夜



今日は旧暦9月13日ジューサンヤ、商売の神、金銭の神をまつる日らしいのだけれど、あ~あ、ちっとも仕事にならない…

tag: MAP琉球舞踊教室  油味噌  渡口初美 

常磐津と守礼門

元来組織が大嫌い、権威なんてクソ食らえ、そんな人間が、三線で賞を貰おうなんてことを考えること自体あり得ないハナシだったわけで。でも、ひたすらに伝統を真似て、それでもなお滲み出てきてしまう個性、そんな古典芸能の魅力も十分に理解しているつもり。だから…

たとえ師匠が間違えても、弟子はそっくりそのまま、師匠が間違えたままなぞらなければいけないという理不尽さを、ボクは大いに面白がってもいたのだ。でもね、そうした魅力的な伝統に付随する醜悪さはやはり受け入れ難く。有り体に言えば、師匠だから偉いのは稽古場だけだということ。




首里城の守礼門は、中山門に続く首里城の第二の坊門として、第二尚氏第四代、尚清王代に創建された。『中山世譜』によれば、1528年と翌29年、二度にわたって請封使(琉球国王の冊封を要請する使節)を中国に派遣した際に加健されたとされる。つまり、冊封使を迎える文字通り一世一代のイベントに先駆けて、中山門に匹敵する国門を造営したのである。はじめ、この門には「待賢」の額が掛けられ、次いで「首里」、そして尚永王の代の時に「守礼之邦」の額が作られ、冊封使が滞在する間だけ掛けられた。尚質王の時にそれが常設となる。門の名称も、額の文字によって、「待賢門」「首里門」「守礼門」と変わっていった。

1933年(S8)、「国宝保存法」によって旧国宝に指定されたが、老朽化が激しく、所有者である那覇市は国庫の補助を受けて1936年(S11)の10月から8ヶ月かけて解体修理を行った。しかし1945年(S20)の戦災で、基盤、礎石、敷石の一部を残して破壊され焼失した。

その後1958年(S33)、個人が保存していた原図を基に復元。
今から60年前の今日1958年10月15日 は…
新しい守礼門の復元落成式のあった日 である。

そういえば、しばらく首里城に行っていない。だから画像もない。今度、あらためて訪れてみようと思う。

《追伸》
10月28日に首里城へ行ってきた。夜だけれど、守礼の門も撮影できた。
守礼門

そして11月30日、あらためて昼間の守礼門を撮影してきた。
2020年の守礼門

《再追伸》※2021年の10月に
沖縄県公文書館のサイト「守礼門の復元落成式」より抜粋~
戦後、沖縄の文化財は、戦闘中の損傷や米軍人の持ち出し、一部住民による破壊等により危機的状況にあった。民間有志や市町村は、焼け残った文化財の収集や博物館設置に尽力し、1954年(昭和29)6月、「琉球政府文化財保護法」が制定され、文化財の指定・保護行政が本格的に始まる。
1956年(S31)、沖縄の政財界、文化財関係者らは、那覇市長を会長にして守礼門復元期成会を結成。礼節を重んじる琉球王国の理想を伝えていくため、「守礼之邦」を扁額に掲げていた守礼門を復元する資金を集める取り組みを始めた。そして、総工費23,514$を、琉球政府や那覇市の補助金、琉米親善委員会や海外在住沖縄人、一般住民の寄付金によって捻出した。
翌57年(S32)着工。守礼門柱材を納入する儀式(木曳式)には首里高校の生徒や教職員も参加。工事終盤には琉球大学美術部の学生が彩色を施す等、多くの住民が関わった。
1958年(S33)10月15日の落成式には、当間重剛行政主席、安里積千代立法院議長、仲松恵爽上訴裁判所主席判事、そしてドナルド・ブース高等弁務官、オルコット・デミング総領事らが出席。門の前で「御前風」の演奏等、数々の余興が披露された。

所蔵している沖縄アーカイブ写真と別冊太陽『首里城』より
本二冊

守礼門の画像たち

戦前の守礼門
戦前の守礼門

tag: 沖縄この日何の日 

市民センターでの利用者懇談会

昨日の密談を踏まえて、抑止力の会議で方針を決定した。
それからあたふたと、狛江市民センターの会議に向かうのであった。

tag: 狛江市中央公民館  調整会 

今日も一日は長い(その2)市民センター利用者懇談会

これからの諸々の企画のために、調整会に行き、チラシを作成して告知記事に貼り付け、また新規告知記事をアップし…

そして15時からは、明後日の、直近のイベントのための会議。

変更あり。

そこで告知記事の情報を修正更新した。

それから、少し時間ができたので、公民館の利用者懇談会に顔を出すことにした。本日2度目の西河原公民館である。

さて、この覚書を、どのように料理して記事にしようか。



※以下3月20日に追記

狛江市にふたつある公民館(中央公民館、西河原公民館)には、調整会というシステムがある。利用を希望する月の三か月前の1日から10日に、日付と部屋を申し込む。その段階で、希望が重なっていなければそのまま希望通り決定するのだが、重なった場合は、西河原公民館はその月の15日月、中央公民館は20日に、(休館日の場合はその翌日)それぞれ開かれる調整会に参加して、相手の団体の代表と話し合って調整するという会である。

西河原公民館のホールに限って6か月前に申し込むことが可能で、六か月前の1日の朝に行われるのだが、この日の朝に行われた調整会はそれであった。西河原公民館ホールの6か月前の使用申し込みは、別の部屋とは区別して「特別申請」というらしい。調整会のやり方は、3か月前に行われる通常の調整会と基本的には変わらないが、希望団体が少ないということもあり、いつもあまり問題なく決定する。希望が被ったとしても、半年前ということもあり、日程変更の余裕もあって、たいがいはスムーズに決まる。この6か月前の調整会で決まるのはたいがい土日や祭日のうちの一部で、決まらなかった枠は他の部屋と同じ扱いとなる。6か月前に申し込みするのを忘れると、たとえ希望日が空いていたとしても、三か月前まで待たなければならない。

今朝の調整会は、この6か月前の調整会であった。そちらの様子は、今朝の記事に追記しよう。

さて、今夜の問題は、3か月前の通常の調整会のことである。2019年、公民館の施設予約システムが新しくなるらしい。それに合わせて、この際、色々と問題のある調整会の在り方を考えようと、利用者懇談会が開かれたのである。

…ただ今、記事更新中

tag: 西河原公民館 

7/22のツイート

tag: 泉龍寺  狛江フェスティバル