2019年02月27日(水)23時50分
県民投票とヤマトゥンチュー
“沖縄県民の意思にどう応えるか”
そんなイベントが午後あることを知り、決して発言しないと決めて覗きに行くことにした。衆議院第2議員会館の多目的室。資料代が1000円、学生は無料だという。基調報告は元山仁士郎、主催は[国民投票/住民投票]情報室となっている。
Lisaに会う日に元山君と会う偶然の不思議。Lisaが絡むといつも不思議なのだ。

「今夜、リサと会うんだよ」
「トリオさんですか」
松下さんも来ていた。

この日のことは後日追記するとして。
夜はLisaと。

いずれにしても、県民投票が終わって僕が呟いたことは、どうやらさほど間違ってはいなかったらしい。
そうだ、いいことを思いついた。
明日、告知記事を書こう。
2019年02月17日(日)22時55分
「ボランティア」を論理的に知る
ちょっと混んでいて(それはいいことだ!)、開始の1時半も回ってしまったし、それにそもそもハナからあまり行く気はなかったのだ。

「ボランティア」も、「市民活動」も好きではない。なんだか独善と偽善の匂いがする。つまり、俺は相当ひねくれているらしい。
定員20人。締め切り2月9日とあるのに、このチラシをこまえくぼの●●さんに貰ったのは、2月15日の「中央公民館のつどい」の会議の時だ。よっぽど人が集まっていないらしい。そりゃそうだろう。ひねくれた俺じゃなくっても、決して面白そうな話ではない。
でも逆に、いったいどんな人たちが来るのだろうという興味が沸いてきて、それで覗いてみることにした…
結局のところ、パネラー以外の参加者は7人程度、そのうち3人は知った方であった。どうやらバリバリとボランティア活動をされている方ではない。社会的な活動をされてはいる、でもボランティアではない。またある方は、無償で活動されているのかもしれないが、政治的な活動だ。たぶん、日本の政治的活動は、今日のテーマであるボランティアの範疇ではない。無償で選挙を手伝うことは、関係者はボランティアと呼ぶが、被災地に行って作業をするようなボランティアとは遥かに遠い。
それにだ、ボランティアすることに即時的に充足している方は、こういう講演会で、偉い先生の話を聞いてあらためてボランティアを知って考えて深めようなどとは思わないだろう。悩んでいる方は、きっとあくまでも現場の中で考えようとするだろう。いったいどんな人たちが来ているのか、要するに俺のような、ホントのボランティアとは程遠いタイプの人間が来るということなのかもしれない。
しかしながら、というべきか、だからこそというべきか、どうやら小生と同い年の枝見太朗氏の話は実に興味深かった。
欧米の場合、ボランティアの精神は、キリスト教的な神の存在に収束する。「隣人に対する愛」である。ところが、キリスト教とは縁のない日本人がボランティアに携わる場合、ボランティアとは何かについて、論理的な理屈が必要だというのである。ホントだろうか、実際にボランティア活動をしている日本人が、そんな論理的バックボーンを持ってやっているとは思えない。むしろ「隣人への愛」に近い精神を持っておられる。俺のような、ボランティアを斜に見ているような人間にこそ、論理的な理屈が必要なのではないか。
とすると、俺はマンマと枝見氏の術中に嵌ってしまったということだ。
さて…
(続きは次の日の呟きで)
【追記…翌日の呟き】
デビット・C・コーテン
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月17日
社会が機能するために必要な三部門。
①社会の秩序を維持する権力者
②モノとサービスを提供する商人
③権力者と商人に圧力をかけ、権利を行使し責務を果たす市民
さて、③でいうところの市民の「責務」とは何か。数十年前のアメリカ経済学者コーテンが何を指して言っているのか僕には分からないが、枝見氏は、納税だとか遵法精神だとか、そうした義務を越え、もっと広い意味で捉えているらしい。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月17日
「外部」と聞けば、すぐに民間委託ということが思い浮かぶ。阪神淡路大震災の3年後、1998年に施行されたNPO法も、そうした大きな流れの中で成立した。しかし当初、ワケの分からない団体の税金を優遇するなどできないというのが大蔵省の見解だったらしい。権利と責務の両面が見える。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
こまえくぼの業務を、市の職員で賄えば、職員ひとりにつき700万の予算が必要。指定管理業者に委託すれば、予算は三分の一で済む。重要なことは「委託」から「協働」へ。「委託」はあくまでも行政の指示のもとだが、そこを変えなければならない。官と民を同等に、ということ。(結局、同等が限界?)
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
制度も変わってきている。NPO法人は、許認可制から認証制へ。一定の条件を満たせば誰でも立ち上げることができる。ハードルはものすごく低くなった。しかし、その実態はどうなのか。ここで、市民の行政に圧力をかけ監視するという役割が問われることになる。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
元々行政の業務だったものをその外部へ、それはNPOを含めた民間の法人に限った話ではない。いよいよますます個々ボランティアの役割が大きくなっている、という話へ。(こうして咀嚼してみて、給与支給できるNPOと個人のボランティアを繋ぐ論理的な回路が見えないことが気になり始めたボク。)
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
有償ボランティアとか、交通費くらいは欲しいとか、いろいろな考え方はあるだろう。しかし本来ボランティアとは、無償であるべきもの。一切の見返りを求めない。「ありがとう」という言葉は魔法の言葉だが、感謝の言葉がないと不安を持つならやめるべき。感謝の言葉さえも求めてはならない。本来は。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
東京オリンピックのボランティアが「ブラック」とか言われているが、元来ブラックなボランティアなんてないのである。あの条件で、それでもやりたいと思う人がやればいいのである。やりたくなければやらない、それだけのことだと。だから皆さん五輪のボラに参加してみてくださいって、なんだかなあ…
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
問題。
「ありがとう」という言葉の反対はいったい何でしょうか?
Forではなく、Withへ。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
それって、みんなで◯◯狛江のコンセプトですな。
にもかかわらず、利己から利他へ、さらには自己犠牲などという言葉が出てくると、いやいやちょいと待ってと言いたくなる。ちっとも論理的に整理などされてはいないではないか。ナショナリズムとパトリシズムの曖昧さとも共通点があるな、などとオレは思っている。
それから別の話。ボランティアと決めて始めたことを、中途で変えてはならない。嫌ならやめればいい。頼まれて仕方なくやっているボランティアなんて、害でしかない。どんなチラシが必要か、ホントに議論したのか。ホントに考え抜いたのか。
— 高山正樹 (@gajumui) 2019年2月18日
すっかり話があちこちになってしまった。
いったいチラシって何のことだ?
様々なことが、絡み合っているのだ。チラシについては、15日の記事と、ひとつ前の記事でちょっと触れた。
⇒ひとつ前の記事(裏にイベント全体の案内が載った紙を使えばいい)
⇒15日の記事(情報とデザインを両立させるということ)
本筋は、18日の、池上洋通さんの会に触れて呟いた呟きに続けることにする。
いずれにしろ、記事を改めよう。
【追伸】
チラシのことを考えていたら、こんなチラシが出来ました。
⇒その1(3月2日のイベント西河原)
⇒その2(3月6日の中央公民館のつどい)
2019年02月16日(土)19時16分
“沖縄かりゆし演芸まつり”へ
※…って、いつから土曜日が琉球舞踊の稽古日になったの?と聞くと宇夫方は、新しい生徒さんが入ったからというので、だったら案内記事もちゃんとそのことを書かなきゃいけないんじゃないの?今まで平日だけだったのに、そこに土曜日が追加されるっていうのは結構重要な情報じゃないの?と言ったら、そうだねときたのだ。
さて、なぜ午前中の稽古かというと、今日はこれを見にいくから。

ロビーに知り合いいっぱい。
宇夫方女史は、県人会の人にも、何人かに声を掛けられた。
Sさん「出ないの?」
宇夫方「来週出ますよ」
Sさん「ああ、あれね」
宇夫方「見に来てくださいよ」
Sさん「忙しいからねエ」
来週出るとは、これのことらしい。

色々と変更があるらしく、なので変更のある部分をカットして、トリミングしたチラシ。もう決まったのかな。修正したチラシはできたのかな。知りません。
紀尾井ホール
2月23日14時開演
たぶん、これは変わらない。
座・高円寺は今年も満席。

前回の様子はどうだったっけな…
ははあ、去年も片付けが終わらず、だったのね。
結局その片付けは中途半端で、そのツケが膨らんで、今年も大変なことになっている。でも、今年は間もなく資料整理終了!…のはず。
打ち上げはやっぱり抱瓶。
また大心ちゃんの画像を拝借しちゃおう。

でもなあ、なんか話に色々とケチが付いたから、記事、あらためようっと。
【2月19日追伸】
琉球舞踊教室の案内記事に、土曜コースを追加しました。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-4623.html
2018年11月16日(金)23時50分
停滞から踏み出すヒントを得るために
久しぶりのシアターX
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年11月16日
白黒と、その外側で立ち尽くしているという三つ巴の停滞した構造から、一歩踏み出すための思索のヒント、それを得る可能性がほんの少しでもありそうなら、どこへでも足を運んで確かめようと、そう決めたのだ。 pic.twitter.com/Bb81mNhbZ4
去年の1月に会った井田雄大くん。二年経って、ずいぶんといい役を貰うようになった。今回は主役。どうやらアフタートークにも出たらしいし。佐々木愛さんに可愛がられているのか。さあ、ココからだよ!なんてね。また、遊びにおいで。 https://t.co/XWoF6WsIFC
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年11月17日
さて、ここから先がややこしい。理屈と感情の、実に古くさい問題。演劇や表現が、そんな黴臭い二元論などさっさと越えていけと思うが、しかし何か取り残していたとしたら。このことは、今度の映画祭で上映する「憲法九条・国民投票」に関わることなのだ。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年11月17日
ともかく、なかなか進まない映画祭の宣伝告知に手をつけなければならない。上映作品の個別案内をする中で、このややこしい話にも触れようと思う。ゆっくり考えてから呟くことにする。ふと躓いてしまった厄介なこだわりについて。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年11月17日
2018年07月15日(日)23時55分
いかだレース~「コスタリカの奇跡」
選挙とはこういうものなのだろう。だから大嫌い、分かっていたはずなのに。40年以上も前に、この場所から立ち去ろうと決めたのではないか。なのに何の因果か、また腹を立てているのだから、自分で呆れている。今朝も泉龍寺でお経を読んで、さて、いかだレースでも冷やかしに行こう。しかし、暑い。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年7月15日
来たけどさ、まあ暑くて、5連覇目指す村上君のチームはまだ来てないし、最終発走までいようかと思ったけど無理だ。死ぬ!なので退散しましたの巻。 pic.twitter.com/rGYBAiQhOr
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年7月15日
チャリ走らせて、これに行った。

この上映会を企てたのは上田要さん。会場で貰った資料に、要さんの「ご挨拶」があった。
「もし一旦戦争状態になったら一番先に排除されるのはたぶん我々だと思います。そして高齢者も排除される対象になるでしょう」
そして最後に、こう結ぶ。
「この映画をご覧いただいて、平和とは何なのか、戦争とは何なのかをご自分の立場で考えるきっかけとしていただければ幸いです」
障害者の立場でとは言わず「それぞれ自分の立場で」と、要さんらしいな。

上映とトークショーが終わって、最後の挨拶の出番を、舞台に出て待つ上田さん。終わったらゆっくり話そうと思っていたのだが、いくら元気になったとはいえ病み上がり、さすがにお疲れなのだろう、すぐに帰っちゃった。まあ、近々狛江でお会いしましょう。 pic.twitter.com/ENnSvqwpXJ
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年7月17日
2018年06月09日(土)23時59分
説教浄瑠璃
泉龍寺仏教文庫なう←初めて使ってみた「なう」
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年6月9日
この後、説教浄瑠璃の実演。日高川水入りなんとか?、いわゆる安珍清姫、道成寺ものだね。執心鐘入と同じ。座布団の正面が違うのが気になるボク。 pic.twitter.com/tOs93BZyOY
正しくは、説教節「日高川入相桜」清姫怨霊の段。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年6月9日
というわけで、鐘と龍を一緒に写してみました。 pic.twitter.com/YIsaUzltXq
tag: 泉龍寺
2018年05月18日(金)23時59分
吉祥寺のマンダラⅡで斉藤哲夫ライブなのだが
昨日の呟きから。
自分の頭で考えず、どっかで聞いたことのようなことしか言わない人は嫌だな、と言えば、そうだそうだという。ところがそんな人の中に、自分がそうなのにそのことに気づかず、自説を曲げない、というか視野狭窄なのだが、そういう方とは議論したくない。議論しても無駄なのだ。自戒も込めて。
— 高山正樹 (@gajumui) May 17, 2018
種子の件にしても、遺伝子組み換えにしても、そりゃね、感覚的にはとんでもないと思うさ。でもね、原発と同じでね、色々複雑なんだなあ。特に新しい知見もあるらしい。といって僕は詳しくないのでそれ以上は語れない。でもさ、たぶん貴方より詳しいような気がする。少なくとも視野は広いと思うよ。
— 高山正樹 (@gajumui) May 17, 2018
要するに、信仰宗教っぽい人は苦手なのだな。共産党も市民運動も、どっか似ているんだな。視野狭窄と、信じ込んじゃっているあたりがさ。まあ、議員や共産党が、単なる就職先ってのもどうかと思うが。再生せよ!というか、いまだかつて共産党がまともだったことがあるのだろうか。
— 高山正樹 (@gajumui) May 17, 2018
そして今日。三太郎から「え?遺伝子組み換えOKなわけ?」と来たのだ。
そうではない。巨大な資本によって進められる闇は、とてつもなく恐ろしい。だからダメなのだ。ただ純粋な研究として、もしも本当に進歩しているのなら知りたいと思うし、それをしないで反対しても、説得力ある言葉にはならないだろう。新しい知に対するアンテナは、常に立てておきたい。僕は、自分が反対することの確信を、むしろ反対していない良心的な人たちの知見や理論の中からこそ探し出したいと思っている。ミイラ取りがミイラになることも恐れない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、でなければ、真の確信なんか得られないだろう。
なかなか説明するのが難しい。ただ現状農薬の方がもっと嫌かな。沖縄で識名さんに聞いた。農薬がかかっているとミツバチが来ない。人間が受粉させるしかない。手を抜くつもりが却って手間がかかるという愚か。ハナシがズレたって?いやいや、これはこれで深い話の入口なのだが…
— 高山正樹 (@gajumui) May 18, 2018
排除すれば、そこに別のモノが入り込んでくる。往々にしてもっと悪いモノが。つまり肝心なことは除くことではなく、何で埋めるかということ。今夜はここまで。もうすぐ始まるのだから。 pic.twitter.com/djq26U4FSW
— 高山正樹 (@gajumui) May 18, 2018
ウチでのライブ、2年に1度くらいがちょうどいいなんて話していたけれど、少し早めようか、哲っちゃん。 pic.twitter.com/afqpoSwAG7
— 高山正樹 (@gajumui) May 18, 2018
23時から、事務所で秘密の会合。あら、遅刻。でも、まだ誰も来ていないらしい。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年5月18日
2018年02月17日(土)23時59分
片付けは終わらないけど高円寺
…と言いつつ、始めてしまった大片付けの終わりが見えず、Twitterまで、手が回りません。少々お待ち下さいませ。
— 喜多見と狛江で色んなことを (@kitamikomae) 2018年2月17日
片付けはさて置き、座・高円寺。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年2月17日
打ち上げは抱瓶。 pic.twitter.com/cUQCnHVCBr
大心の写真拝借。

2017年12月16日(土)23時00分
モヤモヤ
本日、観たい舞台があったのだキャンセルして、急きょ「福島関連」の催しに参加することにした。案内すると「その日は先約があって伺えません」などという返信が来たりする。それは要するにその人にとって優先順位が低かったのだと理解する。さて、僕にとって「福島」の優先順位はどうなのだろう…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年12月16日
モヤモヤ… pic.twitter.com/DrX37Um765
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年12月16日
高山さんがキャンセルした舞台はこれです。
わたし宇夫方は行きました。


モヤモヤ。
出先から、南灯寮の寮監さんに電話をしました。
実は、とある会社の方から、忘年会でエイサーをやりたので教えて欲しいとお願いをされているのです。その方は以前狛江に住んでいらして、ウチの事務所からエイサーの曲が聞こえてきたのを覚えていて、それをネットで探して電話したのだそうです。でもウチは琉球舞踊教室、エイサーとはだいぶ違う。とはいえ、忘年会のエイサーくらいなら教えられます。けれど問題は太鼓や衣装です。ウチにはありません。そこで思い出したのが南灯寮です。もしかしたら貸してもらえるかもしれない…。
寮監さんのお答えは、予想通り「学生に聞いてみないと分からない」とのことでした。そうなんです。南灯寮は何でも学生たちの自治会で決めるのです。
というわけで、学生さんの返事を待っています。
16時半くらいから…
18日月曜日の対バンの合わせ。西川郷子&白石准の新曲。新たな可能性。ややこしい曲であるが、ユニークであることは間違いない。合わせが終わって、来年第一回の山猫合奏団東京ニャイト倶楽部の収録。/星の飛ぶ 山猫の青く光る夜 Vol.3 https://t.co/HsGkxpstmT
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年12月16日
2017年10月01日(日)23時55分
原発を詩的に語るには時期尚早だという個人的な思い
耕雲寺というお寺の本堂で、「砂の棺」という芝居を観る。


原発事故を扱った芝居。
面白かった。一日しかやらないという。もったいないと正直に思った。
しかし原発事故や福島を題材にしているというただその一点で、僕はいまだ「面白い」と公言するのに躊躇する。
3.11の1年後、天願大介氏の「なまず」を池袋の劇場で観た。大好きな世界観で、その舞台を映像化した作品を映画祭で上映したほどで、その「なまず」を思い出した。
⇒「なまず」の告知記事
水槽の中に泳ぐナマズを踊るダンサーが強烈だった。「砂の棺」では、鼠と猫を踊るダンサー、その存在感。どこか似ていた。好きなのである、この感覚。
※ナマズは日本らしき国の北から南まで、その地下に眠る巨大なナマズ。その頭と尻尾のある場所には、大きな石が置かれ、伝説のナマズを封じている。北は、放射能で汚染され見捨てられた村。そこには、まつろわぬ者たちが国家を作り、そこで大きな石を守っていた。
※鼠(あるいはもっと大きな獣なのか)は、主のいない被災地の家の中を荒らす黒い鼠。猫は、その家で飼われていた白い猫。震災から何年後なのか(6年後なのか、10万6年後なのか)、家を掃除に来た夫婦。夫は自分の趣味だったウルトラマンのフィギヤを探す。妻はまだ生きていると信じる猫を探す。そして現れた猫。涙で抱きしめる妻。もう一度、ここでやり直そうと、妻は夫に語るのである。
それでも僕は、「まだだ」と思う。
3.11直後、僕は一本の芝居の構想を練った。
何十年か先の未来の話。ある湖のほとりに、老夫婦が住んでいた。ふたりは、夏休みを利用してもうすぐ孫たちがやって来るのを楽しみにしている、そんな第一幕。
第二幕の冒頭は、家の外で元気な子供たちの声が聞こる。町から子供たちが到着したのだ。そしてドアが開く。しかしそこには、防護服を着た子供たちが逆光の中に立っている。
そんな芝居の構想。
しかし僕は、この芝居を完成させる作業を放棄した。書けばどうしたって「詩的」にならざるを得ない。だが、現実に起こった原発事故を、詩的に語るには、まだまだあまりに尚早だと思ったのである。そしてその思いは、今も全く変わっていない。
10万2017年の故郷…「砂の棺」もまた優れて詩的であった。褒めこそすれ、批判しようなどとは少しも思わない。その資格もない。「詩的に語るには時期尚早」という思いは、あくまでも僕の個人的な感覚、自分自身に対する戒めにすぎない。
打ち上げにお邪魔した。


帰り際、伊藤絵理花(今は「岩﨑えりか」か)と話した。ちょっとお酒の入った彼女は、はたして僕が言ったことを覚えているかどうか。
インディアンには、七代先のことを考えて判断しろという教訓がある。反原発を標榜する人たちが好んで持ち出す話である。
僕は、原発対話の会という企画を2013年から続けているのだが、その第一回「どうする原発?異なる意見で対話する会」で、僕もその「七代先」の話をした。だが、多くの理系の参加者から、無感動にこんなこと言われた。
「たった7代先までしか考えないの?」
世の中には、詩的に語る以外に出口のないことは星の数ほどたくさんある。しかし、詩的な表現をもって人様の心を深くとらえるためには、詩的世界に逃げ込むことを、ギリギリまで絶え、論理的に考え続けることをしなければ決して叶わないのだと、僕はつくづく思っている。ことに原発の問題に関しては、そう簡単に詩的な世界に転がり込むわけにはいかないと、自分に言い聞かせ続けているのである。
えりかの父君、伊藤克さんが右脳と左脳の話をする。
「女性は、右脳と左脳の境を軽々と乗り越えることが出来るのだが、男はなかなかそれが出来ないんだ」

ピースしてるのは劇団仲間の女優、小野瑞穂さんである。
女優はたいがい誰でもみんな名優だが、めったにいい男優はいないと語ったのは鈴木忠だったか。
「克さん、僕、自分の演技をどこまでもどこまでも理論的に考える役者が好きなんです。たいがいそんな役者は華もなくてへたくそなんですが、それがダメだって分かっていても、理屈にこだわり続ける役者が、僕、やっぱり好きなんです」
すると克さんはニヤリと笑った、…と、そんな気がした。
さて…
以上はFacebookに投稿したものである。実は、珍しくこういう記事をFacebookの自分のタイムラインにアップしたのには訳がある。それは間近の10月7日(土)に迫った原発対話の会、記念すべき第20回目に、ちっとも人が集まらないからなのである。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-4614.html
総選挙の所為なのかもしれない。その日はアチコチで集会が開かれている。そういうイベントに勇んで参加するだろう人たちに向けて、ちょいとジャブのような宣伝をしてみたかったからなのである。
以下、その宣伝文を掲載する。
もうすぐ20回目の原発対話の会があります。電力中央研究所から元ICRPの佐々木道也さんを迎えて、「徹底的にトリチウムを考える」という勉強会です。
3.11前から、原発から流れ出て来る暖かい水(つまりそこにはトリチウムが含まれていたわけですが)の問題を指摘する論文や映画もたくさんありました。近海の生態系が壊れているという報告。反原発を唱える人たちは、そうしたことどもを事実として、だから原発はダメなのだと断じていました。そうした方々こそ、トリチウムを徹底的に勉強してみようという今回の企画に、興味が沸くはずだと僕は思ったのですが、しかし殆ど関心がないようです。放射性物質であるトリチウムを流す、いいわけないだろう、そんな分かり切ったことをなぜわざわざ勉強する必要があるのか、ということなのでしょうか。それともみなさんはちゃんと勉強して、もう学ぶことはこれ以上ないということなのでしょうか。元ICRPの佐々木氏でさえ「トリチウムは難しいので準備に三か月下さい」といったことだのに。
今度の土曜日です。お時間があれば是非参加していただきたい、また、ご興味のありそうな方に、是非声を掛けて頂きたいと存じます。
しかしながら、予約の電話はいっこうに鳴る気配がない。ジャブは空振りであったのか。あるいはクリーンヒットして、相手を怒らせてしまったのか。いずれにしても、戦ってはダメなのである。対話が重要なのである。そのことを忘れていた。この僕も、選挙戦とやらに影響されているらしい。
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