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“Bar土”と知花昌一さん(6月の沖縄18)【沖縄通信 No.4】

“Bar土”がランチを始めたことは知っていました。100店シリーズの「昼ごはん夜ごはん」にも掲載されました。となればなんとしても行かねばなるまい、というわけで、沖縄に着いた日にごうさんに電話をしましたが、その時は繋がりませんでした。
そうしたら、昨日の夜になって、ごうさんの方から電話がかかってきました。
※お昼の土は9月をもって終了しました。残念。(9/30追記)

「携帯のデータが飛んじゃってさ。今、沖縄にいるの?」
「明日帰るけど」

帰りの飛行機の時間は19:30。じゃあ4時頃なら会えるねということで、今日、特別に早い時間から店を開けてくれて、ごうさんが出てきて待っていてくれました。
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特別に、食事も出してくれました。
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ごうさんがM.A.P.after5に初登場した時、ごうさんは「のんさん」でした。「のんさん」が「のんさん」を辞めたという話は聞いていないので、きっとまだ「のんさん」でもあるのでしょうが、表の世界での通り名は「ごうさん」のようです。

ごうさんは、最近、読谷に引っ越しました。夜のお店の営業は大西君に任せて、しばらく自分はお昼だけ出てきていたようですが、それも今は人に任せてしまいました。
ごうさんはいろいろと考えているようです。読谷で土を耕すこと。また“Bar土”での企画も盛りだくさんで、そのたんびにごうさんはお店に出てきて遊んでいるようです(失礼)。
大西君によると、“Bar土”は、今、沖縄で何かと注目されているのだそうです。でも、いったいどういう種類の人たちに注目されているのかなあ……

どんな催しを企画しているのかは、“Bar土”のブログでも覗いてください。
例えば、あの「日の丸事件」の知花昌一さんが、島唄を歌っていたり……
http://tsuchi2009.ti-da.net…
ちなみに、僕は知花昌一さんについて、ちょっとだけ書いたことがあります。
http://lince.jp/mugon/okuba…

ごうさんが知花昌一さんと初めて会った時に、知花さんから聞いた話を、ごうさんは「mixiという場所」で書いています。mixiという閉じられたところだけじゃもったいないから、ここに転載させていただくことにしました。
(まあ、ここで紹介しても、どれほどの方に読んでいただけるものか、あやしい限りですが、少なくともここは署名入りで全世界に公開しているわけで、それが、理念としてmixiとは違うのだと言いたい訳です。あれ、でもそういえば、ごうさんのほんとうのなまえ、知らないや。)

【沖縄通信 No.4】(from ごうさん)
あれは、高校国体が始めて沖縄に呼べると喜び、沖縄中で盛り上がってたんですね。
開催県は全ての種目にエントリー出来るので、必ず総合優勝出来るんですよ。
沖縄を総合優勝させることによって、大和に対する劣等感を払しょくさせ、自信をつけせるチャンスだったんです。
読谷村もその会場の誘致に懸命で、やっとその夢が実現する運びになりました。

しかし、大きなネックになったのが、国旗掲揚でした。

読谷村では4カ所で集団自決しているんですね。
僕が調査した「チビチリガマ」では85人が死に、83人が集団自決です。
そのうち12歳以下の子供が47人を占めています。
とても自分で死ぬことはできないわけで、その子たちは、お母さんに殺されたのです。
調査していて「あなたたちにはわからないかも知れないけど、当時はそういう教育だったんだよ」という話をある生き残った母親から聞きました。
降伏するくらいなら自決せよという軍国主義教育が母性さえ奪ったんだと思います。
沖縄戦は実は戦争が終わった後の9月7日まで散発的戦闘が続きました。
“最後の一兵まで戦闘せよ”と指令されていたからです。沖縄は、米軍の本土上陸を長引かせるために、まさに捨て石にされたのです。
また、戦闘の最中の5月に出た日本軍指令で、沖縄語をしゃべった者はスパイとみなして処刑されました。
こうした日本軍による住民虐殺や集団自決の象徴となったのが日の丸・君が代です。

当時、読谷村は村長も日の丸掲揚に反対していたし、議会でも日の丸強制反対決議を採択していたんですね。
国体のソフトボールの会場でも当初は掲揚しないことになっていた。
しかし、日本ソフトボール協会の会長が「日の丸・君が代をやらないのなら国体を他府県に移す」と言って紛糾したんです。
話し合いを重ねて妥協案が決まりました。
普通、旗のポールは5本だけど、6本目のポールを作って、その端っこに日の丸を立てる。
その反対側の端っこには非核宣言の旗を立てる。
メーンポールには国体旗を立てるというのが妥協案で開会式前日までこれで決まっていました。

村としても、がんばったんだし、端っこなら僕は焼くことはしなかった。
日の丸反対の横断幕を掲げるだけのハズでした。
ところが、当日になって協会長が「慣例なんだからメーンポールに立てろ」と強行したんです。
僕は、とっさにスコアボードに上って国旗を降ろし、燃やしました。燃やせば、もう揚げられないと考えました。
ところが、国旗に火をつけても、すぐに消えるんですね。
もう一度火をつけ、燃やすために火をつけた国旗を振りました。
そのことが、後になって、自分の行為を誇示したと見られ、裁判ではより重い刑が科せられる一因にもなったのですが。
スタンドから拍手喝采が起こりました。みんな、読谷村では当然のことと思ってたんでしょう。

その後、ぼくは逃げるつもりはなかったのですが、仲間が車を乗りつけ、逃げるんだ、早く乗れ。
と言うんで、成り行きでその車で家まで送ってもらいました。
家に帰り、妻に事情を話し、改めて警察に出頭しました。

以来、僕は「国賊」だと言われたりしましたが、本当に僕が国賊なら、僕の店はつぶれているハズです。
僕は30年間スーパーマーケットをやってきました。
日の丸を焼いた翌々日から右翼に店を襲撃され冷蔵庫を壊されました。翌年まで営業妨害を受けました。
でも、地域に支持されたから店はつぶれませんでした。
8年間闘って、裁判には負けました(一審で懲役1年執行猶予3年、二審で控訴棄却)けど、大変満足しています。
日の丸が大変な旗だということを全国で話すことができました。
日本人は、戦争で日の丸が果したことについてケジメをつけないとダメですよ。
それで新たに国旗を制定して日の丸が国旗になるのなら構わない。
でも、国旗が国内向けに必要なのでしょうか。旗というのは識別表示の記号であり思想を明示するものです。
船舶に立てたり、在外の大使館に国旗を立てるのは記号として当然です。
しかし、それが国内で自国民に向けて振られる時というのは、国が外へ出て行く意思表示をしている時、すなわち戦争につながると思っています。



M.A.P.としては、知花昌一さんの考えを全面的に支持するものではありません。というか、いかなる立場も主張することはいたしません。
また、ご紹介した文章の事実関係等を検証したわけでもありません。
あくまでも、“Bar土”のオーナーである「ごうさん」が、実際に知花さんとお会いして、そしてごうさんの頭の中に記憶された知花さんの話を、ごうさんが誠実に書き綴った文章があって、それをここに転載させていただきたいと思ったということであります。
(快く許してくださった「ごうさん」に心から感謝いたします。)
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ありがとう、そしてご馳走さまでした。

とまりんでレンタカーを返却して、空港へ向かいます。
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インターネットにある膨大な情報、その有効性を疑うものではありません。でもその恐ろしさを、この旅では考えさせられました。
あることを検索した結果、上位100個の記事全てに同じようなことが書かれていたとしたら、それを正しい情報だと信じてしまうのもいたし方ないことかもしれません。そしてその情報を、また自分のブログに書いたりしてしまいます。ところが実は、100個の情報の出所はたったひとつで、異論は101個目に押しやられている、しかし本当はその意見のほうが真実に近いということもよくあるのです。
間違っているかもしれない情報を、正しいものとしてしまうことに加担しないよう、あらためて肝に銘じています。

我々の過去の記事の中にも、安易に書いてしまった文章があるかもしれません。もし気づいたことがおありになりましたならば、是非ともご指摘くださいませ。

tag: 日の丸  沖縄の旅_2009年6月  100シリーズ  ごうさん  知花昌一  沖縄の呑食処.Bar土  沖縄の基地  チビチリガマ 

おきなわワールドへ(6月の沖縄16)

おきなわワールドに行きました。
前回おきなわワールドへ行った時の記事

まずは機織工房“しよん”さんへ。
しよんの皆さんからのメッセージです。

〜忙しい日々の中、ほっとくつろげるような手作りの物に出逢ってほしい〜
そんな思いで、私たちひとりひとりは、手染め・手織りの一点一点を作っています。
沖縄の南、青い空、豊かな緑、色とりどりの花の中
赤瓦民家の工房で制作しています。
沖縄の大らかな風を感じてください。


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“しよん”さんの作ったマース袋の記事


そして、紙漉き工房“紙芳”さんへ。
“紙芳”さんは、おきなわワールドの直営の工房です。今日は上江洲睦さんがお休み。ということで、工芸部の伊敷さんとお話させていただきました。
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漉いた紙で作ったポチ袋や葉書やら、それはそれでとても素敵なのですが、本当は紙そのものを売りたいのです。
おきなわワールドという観光施設の中では、なかなかそれは難しい、でもM.A.P.なら、まだまだ力は不足していますが、そのお手伝いが出来るかもしれません。

例えばこのお酒…
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サトウキビのお酒です。そして、ラベルには“紙芳”さんの漉いたサトウキビの紙が使われていて、それに著名な書家の方が一瓶一瓶、文字を書いているのです。いわば酒造りと紙漉きと書道家のコラボレーション。紙そのものを提供すること、それは新たなものづくりの可能性を生み出すことでもあります。

伊敷さんは、会社の管理職という感じが全くしませんでした。謙虚すぎる(?)上江洲さんをはじめ、若きものづくりの人たちを、とても大切にしているいらっしゃるようにお見受けしました。まあ、会社だから、外からでは見えない様々なご苦労もあるのでしょうけれど。

いろいろと、アイデアを出し合って、頑張ってみましょうね。
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「ちょっと、いい写真を撮りましょう。キャッチライトで照らして」
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「いいですよ、そんな…」「いやいや…」

カシャ!
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ほら、素敵な笑顔、ありがとうございました!

tag: 沖縄の紙漉き  紙漉き工房“紙芳”  沖縄の旅_2009年6月  おきなわワールド  織物工房“しよん” 

北へ…(6月の沖縄10)

勝連の城跡のある、うるま市で食事をして…
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ある人にお会いして…
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それから、さらに北へ…

tag: 沖縄の旅_2009年6月  森山さんの石鹸  沖縄の食物  ミステリー 

moso'sの工房訪問(6月の沖縄9)

moso'sの織ったコースターを、楽天市場の沖縄mapで販売しています。
http://item.rakuten.co.jp/okinawamap…

織物とは、機織の機械使って作った布のこと、そしていろいろな織物を、それぞれ「〜織」と呼ぶわけですが、それは、織り方の技法を表した呼び名だったり、また、その地域特有の、いわば「地域ブランド」を示す呼び方であったりして複雑です。
moso'sをあらためてご紹介する前に、沖縄の織物を総括的に説明したいと思っていたのですが、とても容易に出来ることではないと、今日のところは諦めました。

その代わりということで、沖縄大百科事典の「琉球の織物」の項から、その冒頭の記述をご紹介したいと思います。

「琉球の織物は、種類や技法の豊富さにおいても、またその発達の歴史においても、日本のどの地方のものとも比較にならないほど、特異なものがある。かつては琉球の女性たちのすべてが織手であり、家族の着るものを織っていた。それはたんに人間の身体を保護するのみでなく、人間の魂をも守るという、守り神の役目を果たすと考えられた。琉球の織物を発展させたもろもろの条件の根底には、女性たちの美しいものを造りだす力と魂があったことを忘れてはならない。」
(大城志津子)

なかなか奥深い記述ですねえ。
さて、これを踏まえた上で、moso'sの自己紹介文を読むと、イメージが膨らむのではないでしょうか。
「沖縄の古民家で染織する3人のユニット。沖縄の染料や技法を取り入れつつ“自分たちが欲しいと思うもの”をコンセプトに、自由に布を織っています。」

そして、彼女たちが採用している技法が「タテウキハナオリ」
それを、moso'sの皆さんは次のように説明してくれています。
「沖縄では、糸が浮いて模様をあらわすことをハナオリと言い、その中で模様がタテ方向に浮く織物をタテウキハナオリと言います。」

これについて、少しばかり補足をさせていただきたいと思います。
織物の中に「紋織り」という種類がありますが、これは全国に共通した織り方(技法)の名前です。そして、沖縄にある「紋織り」の総称を「ハナオリ」=「花織(ハナウイ)」と呼ぶのです。つまり、「花織」は、技法の名前でもあり、同時に地域(沖縄)限定の呼び名でもあります。
「花織」は、さらに地域的に細分化されます。「首里花織」や「読谷山花織」というふうに。そしてそれらは、単なる地域の違いだけではなく、違った歴史的背景を持っていて、基本的な技法は同じでも、やはりそれぞれ特色ある独自の技法を持っています。

また、技法だけの違いを捉えた名称の区別もあって、模様がヨコ方向に浮くものを「ヨコウキハナオリ」=「緯浮花織」(「読谷山花織」などがこれ)といい、そしてmoso'sは「タテウキハナオリ」=「経浮花織」の技法を使っているということなのです。

ということで…
moso'sの工房に伺いました。
(⇒前回宇夫方路が訪問した時の記事を読む
この日、初めてお邪魔した高山正樹は、きょろきょろ…
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タテ糸を巻く棒が2本ありますねえ。ちなみに、しよんさんは首里花織も織りますが1本です。

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女七踊のひとつに「かせかけ(かしかき)」があります。布を織るための糸作りのことを「かせかけと言うのです。その「かせ」がこれです。

「まあまあ、どうぞこちらへ……」
「ありがとうございます」
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「きいもも」をご馳走になりました。梅と桃を足して2で割った感じ。とてもおいしく頂きました。

「タテウキハナオリ」の他に、moso'sで忘れてはならないもう一つの「売り」が、全て天然素材で染めているということです。

これは「福木(フクギ)」。
福木
皮を剥いで使います。
袋に入れた福木
これで染めると黄色くなります。

それから「虫」。
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名前はコチニール。赤色の染料になります。でもちょっと紫っぽい感じもします。

色落ちを極力なくすために、染めては洗い、また染めては洗いを繰り返します。手間がとってもかかる。そこまでやっても、自然の染料なので色落ちは避けられません。でも、それが味になるんです。

「たくさんの命を頂いて染めているのです」

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3人の心が伝われば、値段が少々高くたって、絶対に売れます。
だから、3人の心を伝えるのが、M.A.P.の仕事なのです。
だから、3人の心が伝わるような作品を売りたいな。

今日は、会えて、話せてうれしかったです。又来ますね。

moso'sの工房の周りには、漆喰シーサーがいっぱい。
では、漆喰シーサーのミニ写真展です。
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漆喰シーサーについては、楽天市場で扱うようになることがあれば、またご説明したいと思っています。

tag: 沖縄大百科事典  シーサー  沖縄の旅_2009年6月  楽天市場  MOSO’S  織物 

又吉健次郎さんの房指輪(6月の沖縄4)

北村三郎さんとお別れしたあと、私たちは又吉健次郎さんの工房にお邪魔しました。
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又吉さんは、先日東京へ行かれたそうですが、あんな忙しいところ、疲れるからもう二度と行かないとおっしゃっていました。
「20年前、二十歳の頃、歌舞伎町をウロウロしていたときは大丈夫だったんだけどなあ」
あれ? オジイ、幾つなわけ? 計算が合いませんよ。
そばから健次郎さんの話に突っ込みを入れる娘さんです。
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笑って仕事を続けるお弟子さん。
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なんでこの画像、こんなに大きいの?
手元がよく見えるようにです。大意はありません。

その傍の壁には、大和の書家(北古味可葉氏)の作品が。
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書かれてあるのは、「結ぶ」という文字です。

又吉健次郎さんが“沖縄map”のために提供してくださるのは、既にお知らせしたとおり、結び指輪と、それから房指輪の七つの素材を使ったネックレスです。

あらためて房指輪の七つの素材をご紹介します。
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さて、この七つの図案にどんな意味があるのか、いよいよ懸案の謎解きを…、と、いきたいところなのですが、なかなか奥深いこともあり、また本当のところがいまひとつ判然としないので、今少し時間を頂きたいのです。
確かに、6月6日の記事のコメントにてご紹介した説明での「意味」が、“金細工またよし”の公式な御案内であることには間違いはありません。今や金細工(くがにぜーく)の第一人者は又吉健次郎さんなので、インターネットで「房指輪」を検索すると、この又吉さんの工房の正式な案内が、それぞれのサイトやブログなどで、若干言葉を変えながらも、これ以外にはあり得ないという印象で上位に並びます。中には又吉健次郎さんのお名前なしで説明書きのみ使われている場合もあり、もはやこの見解が、琉球王朝時代から連綿と受け継がれてきた伝統であるかのような様相を呈しています。

この日、又吉健次郎さんは、大切にされている、ひとつの古い房指輪を我々に見せてくださいました。
それがこれです。
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作者はわかりません。

1960年に「大和」からやってきた陶芸家濱田庄司と版画家棟方志功。
健次郎さんの父、6代目又吉誠睦。
そして、ここにも戦争の影が…。
健次郎さんが最も大切にしていることは、父親の遺志をそのものを受け継ぐこと。

なんだか奥歯にモノが挟まったような物言いで、大変申し訳ありません。健次郎さんにもお許しを頂いていますので、若干残る靄が晴れたならば、その時はきちんとご報告したいと思っています。

前回宇夫方路がお伺いした時の記事でご紹介したお孫さんの絵を、ここに再掲したいと思います。
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もしかすると。このお孫さんが健次郎さんの後を継ぐというようなこともあるのでしょうか。
父という「定立」、息子という「反定立」、その弁証法的統一。あるいは即自・対自・即自且対自といってもいい。
物事はトライアングルになった時、父と息子の関係だけであったものが、新たな定立(テーゼ)として確固たる伝統になるのだと思うのです。
このことと通じるものが、“おきなわおーでぃおぶっく”の新作、大城立裕氏の「ノロエステ鉄道」にもあるのです。
それに関するこんな記事も、どうぞお読みください。
http://lince.jp/hito/noroesute…
これもまた、第三の目に違いありません。
こんな記事もどうぞ…
http://lince.jp/hito/…

ああ、またややこしい話をしてしまいました。反省であります。
又吉さん。今度は島酒担いでやってきます。
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(文責:高山正樹)

今日は、カンキチに会うことができました。
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でもこいつ、男は嫌いらしい。特に大和の男が?
金城君と一緒?

旅の続きへ

tag: 金細工“またよし”  沖縄の旅_2009年6月  又吉健次郎  房指輪 

北村三郎さん(6月の沖縄3)【運玉義留(ウンタマギルー)】

今年の2月5日、金城君と待ち合わせたのと同じ場所で、今日も同じく金城君を待ちました。
2月5日と同じ場所で、空を撮影してみました。
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2月5日の空を見る
2月には無かった葉っぱがたくさん。

そしてこんな実もついていました。
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これ、何の木なんだろう。金城君、教えて。

はたして、私たちM.A.P.の「沖縄」という樹木にも、あれからいくつか実がついたのでしょうか。青く硬い実であるにしても。

車で、日航那覇グランドキャッスルへ向かいました。1973年に開業した首里の老舗のホテルです。
日航という名前は残っていますが、2007年に外資系の会社に売却され、今は別会社が運営しているようです。
今回の旅のテーマのひとつは、もしかするとホテルかな…。

一階のラウンジには、北村三郎さんがもうすでに来ていらっしゃいました。
ああ、また沖縄の「オジイ」(失礼)をお待たせてしてしまいました。申し訳ありません。沖縄全部が沖縄タイムだなんて、やっぱり間違っています。
関連記事を読む

北村三郎さんについては“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログに書きました。どうぞそちらをご覧くださいませ。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

ホテルの方にお願いして、記念撮影です。
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「ウンタマギルー」という映画をご存知ですか。1989年の映画、小林薫主演、監督は高嶺剛。その映画に、北村三郎さんは安里親方役で御出演されています。そればかりではなく、「方言指導」もなさっていたはずです。また「ウンタマギルー」は字幕スーパー付きの映画で、多分その翻訳も担当されていたのではないでしょうか。
この映画には、他にもたくさんの沖縄の芸能関係者が出演しています。間好子、平良トミ、玉城満、照屋林助、大宜味小太郎、藤木勇人、嘉手刈林昌。聞き覚えのある方だけでもこんなにたくさん。これからもっともっと沖縄と深く関わるようになれば、テロップで流れる方々のうち、さらにたくさんのお名前を知ることになるかもしれません。

北村三郎さん曰く、「僕も出てたけどね、あの映画はさっぱり訳がわからなかった」
シュールで好きな映画だったのですが、なんだか我々の青臭さを、たしなめられたような気もしたのでした。

Wikipediaの「ウンタマギルー」の項には、沖縄県西原町に伝わる民話「運玉義留」という記述がありますが(2009年6月時点)、1983年に沖縄タイムスから刊行された沖縄大百科事典では、船越義彰氏が、運玉義留は「沖縄芝居で有名な義賊」で、「あくまで明治以後発達した商業演劇の創作で、歴史上、運玉義留のモデルらしき人物はみあたらない」と書いています。
私たちにどちらの記述が正しいのかを判断する能力はありませんが、みんながWikipediaの記述の印象から判断して、「運玉義留」のことをインターネットに書き込むようになると、いつしか「運玉義留」は古くからの伝説であるということになってしまうのかなあと、ちょっと心配になりました。

「インターネットの情報とは」、そのことが、今回の旅の、ふたつ目のテーマかもしれません。
私たちも、こうして世界に情報を発信している限り、気をつけなければいけないのだと、あらためて襟を正しています。

私たちの記事においても、シーサーの歴史についての記述に誤りがあったことを発見し、直ちに修正をしました。
あたかも単体のシーサーが、もともとの沖縄土着の信仰であるかのような説明をしてしまったのですが、それは間違いでした。ここで謹んでお詫びを申し上げます。
修正した記事はこちら

また、修正した記事に対して、さらにここで補足の説明を掲載しておきたいと思います。
(『沖縄大百科事典』「シーサー」大城精徳氏による記述から)
「魔除けの獅子像のこと。(中略)獅子像を魔除けまたは守護神として用いる習俗は遠くオリエントにその源を発し、B.C.2世紀ごろ西域をへて中国に入り、中国―琉球の交流がさかんになった14,5世紀ごろ沖縄にもたらされたものと考えられる。(中略)明治以降瓦葺き建築がさかんになるにつれ、屋根に獅子像を据える習慣が一般に浸透していった。(中略)獅子像を据える形式には二通りあり、一つは開口・閉口の形態をもって対で据える形式で、城門や寺社の門に多く、いま一つは屋根獅子のように単躯のものである。」

今後は、十分注意をしていきたいと思っていますが、もし正確さを欠いた記述にお気づきならば、是非ともご連絡、コメントなどを頂きたいと思っています。よろしくお願いいたします。

【おまけ】
書斎で見つけた“ウンタマギルー”
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テレビ放映を録画したCDと、新里堅進さんの漫画。

tag: モモタマナ  沖縄大百科事典  金城史彦  北村三郎  沖縄の旅_2009年6月  シーサー  うちなぁぐちフィーリング  別ブログへ 

ホテルのランチ(6月の沖縄2)

さて、かりゆしウェアーを着てシャキッとした(ダラッとした)後は腹ごしらえです。

最近の沖縄には、ランチに力を入れているホテルがたくさんあります。リーズナブルなものからちょっとおしゃれなものまで、バイキング形式も人気です。観光客や宿泊者向けというよりも、地元の方々をターゲットにしているようです。
(なぜそうなのか、要するに、観光客の宿泊だけではなかなかやっていけないということらしい。それについては、今回の沖縄報告のどこかで、またご報告したいと思っています。)

前々から「あそこのランチは安くてお勧めだよ」と聞いていたサンパレス球陽館へ。
ランチの宣伝幕 サンパレス球陽館の表札

今日のランチは味噌漬け牛肉のステーキ。
今日のランチ
やわらかくてレアーで、とても美味でありました。ご飯はおかわり自由、その上フリードリンク、これで650円というのですからびっくりです。
ちょっと上等に、月替わりのランチもあります。
「月替わりOLミニ懐石」
月替わりOLミニ懐石
上等といっても840円。やっぱり安いですねえ。
この日も12時を過ぎる頃から、観光客ではない感じの方々で賑わってきました。近くの会社のOLさんらしき方々もいらっしゃいます。

お昼のメニューを色々と企画しているのが、木佐木留美さんです。
木佐木留美さん
神奈川県出身、元東京ボードビルの女優さん。自称風来坊。それ以上のことは内緒。

留美さん、ごちそうさまでした。とってもおいしかったです。

ロビーには島野菜が飾ってありました。
これも木佐木さんのアイデアなのかな。
島野菜
真ん中の黄色い野菜はバナナピーマン。
味は? 
「ピーマンの味です。」
ああ、なるほどね。すいません、ひねりが無くて…

旅の続きへ


tag: 沖縄の旅_2009年6月  沖縄の食物  沖縄の呑食処.サンパレス球陽館 

小池恭子さん【狛江は絵手紙発祥の地・見て来て描いて狛江展】

暖かくていい天気なんて言ってる場合じゃありません。
暑い……
枯れそうなサボテン
うちの事務所はサボテンも枯れる?
(M.A.P.は、あんまり忙しくて、植物の水やりなどもママならず、電磁波を吸い取るサボテンさえも枯れるという、良からぬ噂があるらしい。)

さて昨日のこと。
お昼を食べた“ボンボニエール”で見つけた一枚の葉書サイズのチラシ。

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そうだ、そういえば狛江は絵手紙発祥の地なんだ。
裏に返すと、ああ、これは「いずみの会」という老舗絵手紙サークルの展覧会開催の案内なんだ。

来て見て描いて狛江展会場案内地図

会場の泉の森会館は狛江の駅のすぐそばなんですね。
自転車で行ける、でも今日は雨だから、明日、行ってみよう…

…ということで、今日はとってもいい天気、展覧会に行ってみたのです。
素敵な作品がいっぱいです。
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たくさんの絵手紙が展示されてある中に、狛江の街を描いた作品のコーナーがあって、そこに“ボンボニエール”の絵手紙が何枚もありました。
なぜ昨日の“ボンボニエール”にこの展覧会の案内が置いてあったのかという理由がこれだったのです。
その中から2枚だけご紹介。
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“ボンボニエール”でおいしいのはスパゲッティーだけではないのです。スウィーツもお勧め。この“TOKYO狛江ぷりんせす”というスウィーツは“ボンボニエール”の創作で、狛江のスウィーツコンテストで最優秀になった逸品。
こんどは是非、このスウィーツを食べに、また“ボンボニエール”に行かなくちゃ。

絵手紙の創始者である小池邦夫氏の奥様、小池恭子さんです。
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(ご自分の作品コーナーの前で、撮影させていただきました。)


この他にも、小池さんはたくさんの著書を出していらっしゃいます。

実は、この展覧会にお邪魔したのには、ちょっとしたアイデアが閃いたから。で、この出会いを、このまま終らせたくはない、でもそれはまだまだ生まれたばかりのミステリー、また別の機会にということで。
(5/16投稿)

tag: 泉の森会館  ミステリー  小池邦夫  小池恭子  松原通_イタリアン.ボンボニエール 

またもや宇夫方路の沖縄報告その7「MOSO’S」

北中城にあるMOSO’Sの工房へ。
機織機

MOSO’Sの三人です。
真ん中の橋川さんは、先日お会いした時にご紹介しましたが、今日また、あらためて。
MOSO’Sの三人
左から
“きのこ”こと大城智海(ともみ)さん。
“お団子”こと橋川初美さん。
“大人の女”こと玉城由加さん。

まだまだ織物だけではとてもやっていけない。だからみんなアルバイトしながら頑張ってます。決して楽ではないはずですが、なんて素晴らしい笑顔なんでしょうか。笑顔を忘れないこと、今の日本、彼女たちに見習わなければならない人たちがたくさんいるのかも。ねえ高山さん。
三人の笑顔のアップ
わたしたちは、もうすっかりMOSO’Sの三人のファンになってしまいました。
M.A.P.は、MOSO’Sの作品を、“しよん”に続く第2弾として、全国に届けるお手伝いができればいいなあと思っているのですが。

きのこさんのおばあちゃんが住んでいらした古い民家がMOSO’Sの工房。
トートーメー(仏壇)もそのまま。きっとおばあちゃんが見守ってくださっているのでしょうね。
トートーメーの前でお仕事

さあ、皆さんの作品をご紹介しましょう。
専属モデルでもある、“大人の女”さんに、作品のショールを巻いてもらいました。
ショールを巻いた“大人の女”さん
めがねを外して、ちょっとお化粧なんかしたら、きっと楽天市場で初のアイドルなんてことになったら楽しいのになあ……

3人の大切な作品たちです。
コースター、エコバック、箸袋(箸付き)、はがき、手ぬぐいなど。
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一点一点丁寧に織られていて、色合いも落ち着いていて、どれもこれもとてもいい感じ。染料も糸もすべて天然の素材を使って作っているのです。染料は草とか虫とか、虫? ひえー。

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今、化学製品アレルギーの子どもたちも増えています。そんな方たちには最適なのではないでしょうか。

きのこさん、グァテマラで織物の勉強をしていたことがあります。
最初は、グァテマラの織物の色に惹かれて興味を持ちました。調べるうちに色んなことを知りました。グァテマラでは各家庭で子供たちに着せるために織物をするのが当たり前、食事を作ったり掃除をしたりすることと同じように機織の仕事があるのです。村や家庭によってそれぞれ柄が違い、柄を見ればどこの村の誰が作ったものなのかがわかるのだそうです。
(もしかして、これが「生活の柄」ということかしら?)
それがとても素敵なことだと思ったきのこさんは、グァテマラまで飛んでいっちゃった、そして本格的にグァテマラ織を習ったのです。
でも、いくらやってもきのこはきのこ、グァテマラ人にはなれない、やっぱり自分の故郷で作りたい、そう思って沖縄に帰ってきたのです。

グァテマラ織は、木の棒に糸を巻き、それを自分の体に固定させて、反対側を柱などにくくりつけて織っていきます。
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え、それじゃあトイレにいけないじゃない、確かにトイレに行けないときもある、ってきのこさんは言ってました。
きのこさんのブログのサイドバーに、実際に木に括りつけているところの画像があります。どうぞご覧あれ。
 ⇒きのこ(Tonmy)さんのブログ

グァテマラ織りです。
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きのこさんの織ったグァテマラ織りを、金城君が紅型で染めた作品です。コラボレーションですね。
金城君、「やっちゃいました」
これからどしどしやっちゃいなさい。

オマケに続く…

≪追伸≫
どれもこれも捨てがたい笑顔だったので、全部のっけちゃいました。
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染織ユニットMOSO’Sのブログ

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新宿で会って食って飲んで…

一夜明ければ、次へ向かって走り出さなければなりません。
船津好明さんのご紹介で、「沖縄語を話す会」の事務局長、國吉眞正さんに、新宿でお会いしました。
國吉眞正さん
(國吉さんの右には、もう一人いらっしゃるのですが、今日のところはご紹介を控えます。)

たっぷりと5時間近く、お話ししました。ウチナーグチについて、お伝えしたいことが山のようにあるのですが、しかし、ブログというような時間にせっつかれた場所では、なかなかご報告することは困難です。したがって、慌てて語ることは諦めました。いずれアカデミックに、“おきなわおーでぃおぶっく”のOfficial_Siteに専用のページを作成して、そこできちんとまとめようと考えています。

とはいえ、今までのブログ記事と関連のあることを、エピソードっぽくご披露しましょう。
でもそれは次の記事にて、「うちなーぐち講座」というカテゴリーを立てて。


おなかがすいた…
そうだ、喜多見のお寿司屋さんにいた菊地さんとこ行こう!
「おや、久しぶりだねえ」
菊地さん
今は歌舞伎町で板さんやってます。
花粉症で鼻声(ハナムニー)の男が江戸前の寿司を食う…
ご馳走さんでした。

さあ、帰ろう(けえろう、これも、高舌化なのかな?)…
夜の新宿

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