2008年08月05日(火)22時36分
菅家ゆかりサンプル録音の日
おきなわおーでぃおぶっく、大城立裕シリーズ第2弾「対馬丸」を読む。
元日テレアナウンサーの菅家ゆかりさんが、狛江にあるM.A.P.の企画室でテスト録音をしました。
七夕の日以来の喜多見ですね。

さすが、昔とった杵柄、スイスイとお読みになる。しかし、それでOKとならないところが難しい。NEWS原稿じゃないからね。

ディレクターは高山正樹。sibuya-hokouはプロデューサー?本日のエンジニアは佐々木大。
※追記:後に開設した「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogに、この日のことをこの日の日付で投稿しました。
⇒http://ameblo.jp/okinawaaudiobook/entry-10147179583.html
※おきなわおーでいおぶっくOfficial_Siteの更新記録③
対馬丸のページをアップした。

大城立裕の『対馬丸』より
――「撃沈」「死とたたかう漂流」を読む
1944年7月、サイパンが陥落する。日本軍は沖縄決戦に備え、非戦闘員である老人・女性・子供を疎開させよとの指示を沖縄へ送る。対馬丸は、この疎開活動に当たっていた。
同8月22日鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け対馬丸は沈没する。
大城立裕と「対馬丸」
大城立裕氏は、対馬丸遭難学徒遺族会遺族から対馬丸沈没の「事件」の記録の執筆を依嘱され、そうして1961年、「悪石島 疎開船学徒死のドキュメント」が、 文林書房より大城立裕・船越義彰・嘉陽安男の共著で出版された。しかし、実は執筆を依嘱されるまで、大城立裕氏でさえこの「事件」については知らなかったというのである。
その「あとがき」から、少し長いが引用させていただく。
「体験者の話をつきあわせてみて、むじゅんを発見したことも、たびたびです。年月をへた記憶のあいまいさにもよることでしょうが、 いまひとつ、あのおそろしい記憶をしいて払いおとそうと努めたひとや、なぜか真実を語ることためらわれたひとが存在するということも、ここに報告しなければなりますまい。 これもまた、あの暗い時代における遭難の悲劇の延長線にほかならない、と考えるからです。結果として、わたくしたちの判断を加味し、また現存のひとびとの気もちを察して書きました。 (中略)またわたくしたちの筆のつたなさから、語ってくださった体験者の語りほどには迫力をだしえなかったをもどかしく思います。」
いわゆる沖縄戦の真実を語るとき、いつも出てくる問題が、ここにもある。以来、「対馬丸」という事件の「大城立裕説」なるものが一人歩きを始めるのだが、 それが幸福なことであったのかどうか、大城立裕という小説家が、宿命的に背負わされたものをそこに感じるのだ。 やがてこのドキュメントは「対馬丸」と題名を変えて理論社より出版され、数多くの日本人が、「対馬丸」の悲劇を知ることになる。 大城立裕氏は、沖縄をヤマトに伝えるという役割を、ここでも引き受けたのだといえるだろう。
今回、大城立裕氏の作品をオーディオブックにするにあたり、大城氏ご自身より『対馬丸』の中の「撃沈」と「死と戦う漂流」(大城氏が執筆担当した箇所)を朗読してはどうかとのご提案を頂き、 気易くそれに従ったのだが、「対馬丸」は「ひめゆり」や「集団自決」にも匹敵する歴史的事件であることを、改めて感じ、その責任の重さを今更のように痛感しているのである。
犠牲者の数や当時の天候を始め、「対馬丸」という事件に関連する詳細な史実を云々する資格を我々は持たない。 それらについては、対馬丸記念館の資料や専門の研究者の方々の報告などに是非とも触れていただきたいと思う。 ただ我々にできることは、理不尽にも幼い命を奪われた子供たちへの、深い悲しみをたたえた大城立裕氏の眼差し、つまり沖縄の眼差しを伝えることによって、 これまで「対馬丸」を語り継ごうとされてこられた方々のご努力に対して、少しでもお手伝いができたならと願うのみである。
⇒更新記録④へ
元日テレアナウンサーの菅家ゆかりさんが、狛江にあるM.A.P.の企画室でテスト録音をしました。
七夕の日以来の喜多見ですね。

さすが、昔とった杵柄、スイスイとお読みになる。しかし、それでOKとならないところが難しい。NEWS原稿じゃないからね。


ディレクターは高山正樹。sibuya-hokouはプロデューサー?本日のエンジニアは佐々木大。
※追記:後に開設した「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogに、この日のことをこの日の日付で投稿しました。
⇒http://ameblo.jp/okinawaaudiobook/entry-10147179583.html
※おきなわおーでいおぶっくOfficial_Siteの更新記録③
対馬丸のページをアップした。

大城立裕の『対馬丸』より
――「撃沈」「死とたたかう漂流」を読む
1944年7月、サイパンが陥落する。日本軍は沖縄決戦に備え、非戦闘員である老人・女性・子供を疎開させよとの指示を沖縄へ送る。対馬丸は、この疎開活動に当たっていた。
同8月22日鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け対馬丸は沈没する。
大城立裕と「対馬丸」
大城立裕氏は、対馬丸遭難学徒遺族会遺族から対馬丸沈没の「事件」の記録の執筆を依嘱され、そうして1961年、「悪石島 疎開船学徒死のドキュメント」が、 文林書房より大城立裕・船越義彰・嘉陽安男の共著で出版された。しかし、実は執筆を依嘱されるまで、大城立裕氏でさえこの「事件」については知らなかったというのである。
その「あとがき」から、少し長いが引用させていただく。
「体験者の話をつきあわせてみて、むじゅんを発見したことも、たびたびです。年月をへた記憶のあいまいさにもよることでしょうが、 いまひとつ、あのおそろしい記憶をしいて払いおとそうと努めたひとや、なぜか真実を語ることためらわれたひとが存在するということも、ここに報告しなければなりますまい。 これもまた、あの暗い時代における遭難の悲劇の延長線にほかならない、と考えるからです。結果として、わたくしたちの判断を加味し、また現存のひとびとの気もちを察して書きました。 (中略)またわたくしたちの筆のつたなさから、語ってくださった体験者の語りほどには迫力をだしえなかったをもどかしく思います。」
いわゆる沖縄戦の真実を語るとき、いつも出てくる問題が、ここにもある。以来、「対馬丸」という事件の「大城立裕説」なるものが一人歩きを始めるのだが、 それが幸福なことであったのかどうか、大城立裕という小説家が、宿命的に背負わされたものをそこに感じるのだ。 やがてこのドキュメントは「対馬丸」と題名を変えて理論社より出版され、数多くの日本人が、「対馬丸」の悲劇を知ることになる。 大城立裕氏は、沖縄をヤマトに伝えるという役割を、ここでも引き受けたのだといえるだろう。
今回、大城立裕氏の作品をオーディオブックにするにあたり、大城氏ご自身より『対馬丸』の中の「撃沈」と「死と戦う漂流」(大城氏が執筆担当した箇所)を朗読してはどうかとのご提案を頂き、 気易くそれに従ったのだが、「対馬丸」は「ひめゆり」や「集団自決」にも匹敵する歴史的事件であることを、改めて感じ、その責任の重さを今更のように痛感しているのである。
犠牲者の数や当時の天候を始め、「対馬丸」という事件に関連する詳細な史実を云々する資格を我々は持たない。 それらについては、対馬丸記念館の資料や専門の研究者の方々の報告などに是非とも触れていただきたいと思う。 ただ我々にできることは、理不尽にも幼い命を奪われた子供たちへの、深い悲しみをたたえた大城立裕氏の眼差し、つまり沖縄の眼差しを伝えることによって、 これまで「対馬丸」を語り継ごうとされてこられた方々のご努力に対して、少しでもお手伝いができたならと願うのみである。
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