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告知しました(おきなわおーでいおぶっくOfficial_Siteの更新記録⑧)

そして…

「おきなわおーでぃおぶっく」の儀間進氏のうちなーぐちを、たくさんの人たちで読んじゃおうという新企画がスタートです!

※おきなわおーでいおぶっくOfficial_Siteの更新記録⑧
  2008/10/31 TOPページ更新。「うちなーぐちフィーリング」「ずいせん学徒の沖縄戦」を告知 
 儀間進氏の告知文は、今はもう残ってはいない。それはつまりその後進展したから。
 一方、ずいせん学徒隊の方は、今もそのままである。残念ながら…


 「ずいせん学徒の沖縄戦」のロゴ

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tag: 別ブログへ  宮城巳知子  うちなぁぐちフィーリング  ずいせん学徒隊 

外間守善氏のこと

外間守善という方は、柳田国男とともに沖縄研究の祖師と仰がれるような存在です。伊波普猷の提唱した「沖縄学」、その志を引き継いだ人物で、沖縄を少しでもきちんと勉強しようとした人ならば、その名前を知らないということはない、そのような人です。
高山正樹の書斎にも何冊も外間さんの著作がありますが、なかでも「うりずんの島」という本は、高山のお気に入りです。
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27日のこと。《その日の記事を読む》
沖縄タイムスのロビーにて。儀間進さんのお話。
「外間守善は戦争のことは全く話さなかったですよ。同級生の大田昌秀はよくしゃべるけどねえ。外間守善は、ちょっとでも戦争の話になると、体が震えだしてねえ。それが最近になって語り出したようだ。沖縄タイムスに自分の回想を連載していて、その中で、戦争のことも書いていたのではなかったかなあ」

「じゃあ、タイムス社からもう出版されているんじゃないですかねえ」
高山はそういって、受付の又吉さんのところへ向かいました。
「あのね、外間守善さんて、知ってる?」

又吉さんは、社員名簿を開くという失態を、またもやらかしちゃったのです。
「あーあ」
「あ、またやっちゃいましたか」
「やっちゃいました」…
 《前に「やっちゃった」時の記事を読む》

そうして入手した本です。
「回想80年 沖縄学への道」外間守善
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高山はさっそくパラパラとめくってみました。そうしたら、そこにびっくりする記述を見つけたのです。
「あ、外間さんの妹さん、対馬丸に乗船されていらっしゃったのですね。そして、あの事件で亡くなられたのですね」
「ほー、それは知らなかった…」

沖縄にいると、とてつもない話が、すぐ身近にあるといつも感じさせられます。
人もそうです。人間国宝がカルチャーセミナーみたいな企画で教えていらっしゃったり、居酒屋に行けば民謡の大物がすぐそばで歌っていたり、映画を見に行ったら隣に有名な映画監督が座っていたり、古本屋を探していると池澤夏樹や又吉栄喜の署名本がちょこちょこ出てきたり。

考えてみれば、いつも気楽にお話させていただいていますが、儀間先生だって、大変なお方、今でこそ沖縄のメディアではたくさんのウチナーグチの話題で賑わっていますが、儀間先生はそのパイオニア的存在なのですから。

実は、この日の儀間さんのお話ですが、この外間守善氏の話の前後に、もっとずっと長い物語がくっついているのです。でもそれは、ここでは手に負えません。いずれ高山が、「社長とは〜」に書くと申しておりますので、ややこしい続きは、そちらの方で。
そして…

またタグが足りなくなりました。続きは次の記事にて。

続きを読む

tag: うちなーぐち  沖縄タイムス  外間守善  儀間進  対馬丸  又吉千夏  裏へ  伊波普猷 

三笑亭夢丸師匠とのコラボ旗揚げ

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本日、芸団協に伺いご挨拶。
三笑亭夢丸さんの新江戸噺とクラシックのコラボレーションを、いよいよ来年2009年の4月11日に、門前仲町の門仲天井ホールにて旗揚げすることに最終決定いたしました。

落語芸術協会ホームページの夢丸さんのページ
※元のリンクはデッドリンクになり、「故人」のリストに移動していたので、リンクを貼り換えました。(2017年11月15日)

夢丸さんのライフワークである新江戸噺については、お話したいことがたくさんあるのですが、もうafter5の範疇ではありません。これはすぐにもOfficial Siteを立ち上げて告知していかなければなりませんね。 ただ、まだユニットの名前が決まっていないので、まずはそれを決めて、そしてホームページを作成するまで、しばらくはここで、経過報告をして参ります。

改めまして… M.A.P.がプロデュースする「三笑亭夢丸vs???」を、皆様よろしくご贔屓のほど、お願い申し上げます。

tag: 三笑亭夢丸  東京奏楽舎 

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今月の半ばから、M.A.P.after_5は芸能関係の話題ばかり、まあ、アフター5の遊び心という意味では、なかなか他の企画の胎動がみられないので、それも致し方のない状況にあったというわけです。
但し、エンドユーザーにいかにアプローチするかということにおいてはどの業務も同じこと、今までのように親会社の方だけを向いていてはダメだということを意識して、何かできないかと試行錯誤してきた半年間であったことも間違いありません。

沖縄の帰りの羽田から、大荷物を抱えたまま親会社へ、小さな仕事の打合せに行きました。小一時間で失敬するつもりが、なんだかんだ話し込んでしまって、結局夕方までお邪魔しておりました。

不思議なことに、というか当たり前というか、眼をエンドユーザーに向けているということを、むしろ親会社が認めてくれるということもあるわけで、もしかすると、一緒にエンドユーザーを意識した仕事ができるかもしれない、という可能性を感じられた時間でもありました。
そんなわけで、お堅い業務のほうも、なかなか暇にはならないのかもしれません。しかし、我々の意識は今までとは大きく変わりました。あっちの業務とこっちの業務というような区別は、もうありません。異業種などという先入観を取り外したところにこそ、M.A.P.の行く道があるはずなのです。

大切なのはチャンプルー、つまりコラボレーションが生み出す相乗効果です。そして、その状況に可能性を感じることのできる仲間と、今後も頑張って参ります。 皆さん、よろしくお願いいたします。
代表取締役 高山正樹

tag: 地図の仕事  裏へ  MAP扱い商品  沖縄 

ほんとうの強行軍の記憶を抱えて(2)

ななしん屋でママに再会。
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三線を借りて定番の安里やユンタをやってみた。
何もしないという歌い方。テクニシャンの高山正樹には、これがなかなか出来ないのです。その奥深さに、高山は、真剣に三線を習おうと心に決めたのです。
《前回の「ななしん屋」の記事》

そして「土」へ。
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ごうさん。結婚おめでとう。今奥さんのお腹にいるお子さんが二十歳になったとき、ごう(のん)さんは80歳か。日本一かっこいい80歳になってください。
《前回の「土」の記事》
疲れた…。
あした朝、東京へ帰ります。
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他にもいくつかお話したいことがあるのですが、それは後日ということで…

tag: 三線  ごうさん  パラダイス通り  沖縄の呑食処.ななしん屋  沖縄の呑食処.Bar土  沖縄の旅_2008年10月 

ほんとうの強行軍の記憶を抱えて(1)

そして夜。
国際通りからちょっと入った竜宮通りという路地に見つけた「小桜」というお店。
竜宮通り入口
「小桜」とは、M.A.P.がプロデュースする三笑亭夢丸さんの落語の題名。気になったのでカシャと一枚。

大城立裕先生のお誕生会でお世話になった「じんじん」へ。
じんじん入口 じんじん店内
沖縄特有のおしぼりコースターです。
体に優しい肴
ちょっと疲れているみたいな高山の様子を見て、ママが体に優しいメニューを作ってくれました。すごくおいしかったのです。
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ありがとうございました。
そうだ、前回ご紹介できなかった、大城オジイのために設置した手摺です。
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《大城立裕先生お誕生会の日の記事》

じんじんを出てパラダイス通りへ向かう。
でもやっぱりタグが足りなくなった。記事を変えましょうね。

tag: 国際通り  島らっきょ  どぅるわかしー  沖縄の呑食処.じんじん  沖縄の呑食処.小桜  沖縄の旅_2008年10月  大城立裕 

「ほんとうの強行軍の記憶」の補足

前の記事の捕捉です。
識名壕は識名園のそばにあります。
識名園入口
和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。

でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。

確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。

ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞いたあと、最後にひめゆりの塔へ行きました。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。

ガマとかにはいると何か感じてしまうので、最初の壕だけ同行して、後は車の中で待っていた「女性スタッフ」にというのは、実は井上真喜さんです。前の記事の写真で、宮城巳知子さんのお話を撮影しているところとか、いくつか写真に写っています。彼女は、ひめゆりでさえ、その前を通りを通過するだけで嫌な感じになるそうです。
「ひめゆりってさ、鎮魂しているんじゃなくて、記憶を再生産しているんじゃないのかな。成仏してくださいというのとは反対にさ」
「そうかもしれない」
でも、東京の子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。

本日のところは、重い話はこのくらいにして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。
お帰りシーサー
これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。

和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。
遠くに見える久高島
遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつかあらためてご紹介しましょう。

夕方、大城立裕先生のお宅にお邪魔しました。沖縄に来た時は必ず、時間を作ってお伺いしようと思っているのです。

長い一日。夜のことは、また記事を分けることにします。

tag: 大城立裕  井上真喜  沖縄の旅_2008年10月  ひめゆりの塔  識名園  シーサー  久高島 

ほんとうの強行軍の記憶

沖縄に関わっていると、人と人の「つながり」ということを改めて思うのです。

高山正樹の奥方の親友に琉球舞踊の先生がいて(関連記事へ)、その方を舞台で共演していた宇夫方路に紹介してから、もう20年近くになります。その踊りのお仲間の宮城文子さん(関連記事へ)は、ずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんの義理の娘さんです。

巳知子さんのお話を是非とも伺いたいと思い、文子さんに紹介していただいて、沖縄の嘉手納で宮城巳知子さんにお会いしました。(関連記事へ)
その際に和光小学校の修学旅行のお話を伺い、世田谷にある和光小学校に校長先生をお訪ねして、その修学旅行に同行させていただけるようお願いすることにしました。(関連記事1へ)(関連記事2へ)

その修学旅行が今日だったのです。
その行程は、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialサイトのブログで報告しているので是非お読みください。
《Officialサイトのブログ記事》
(別窓で開く場合はシフトを押しながらクリックしてください。)



※2018年暮れ、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialブログの更新をしなくなって久しい。いつ無くなってしまうか分からない。ということで、こちらに転載しておくことにした…

宮城巳知子さんの辿った重い歴史の道を歩く

沖縄戦で法的根拠無く駆り出された学徒隊は、「ひめゆり学徒隊」ばかりではありません。他にも白梅学徒隊、積徳学徒隊、梯梧(でいご)学徒隊など、たくさんの女学生が従軍看護部隊として組織されたのです。
県立首里高女の「瑞泉(ずいせん)学徒隊」もそのひとつで、最も早く最前線に送られた学徒隊でした。
4年生61名が動員され、そのうち33名が戦死したのです。
ずいせん学徒隊には引率する教師がいなかったことからひめゆりのような記録が残っていません。それを独り語り継いでいらっしゃるのが、ずいせん学徒隊の「生き残り」、宮城巳知子さんです。

昭和20年3月23日、ずいせん学徒隊は第六十二師団の野戦病院として使われていたナゲーラ壕(那覇市と南風原町の境界にある)に配置されました。5月下旬、南部への撤退命令が出され、もはや助かる見込みのない重傷患者を残し、宮城さんらは、まだかろうじて動ける兵隊に肩を貸して、砲弾の飛び交う中、南の識名壕、さらには米須壕へと移動して行きました。
そして6月23日、米須壕は米軍の馬乗り攻撃を受けるにいたり、もはや生き地獄より死を望んで、意を決して壕を出たところを、米軍に収容されました。

東京の和光鶴川小学校の6年生の修学旅行では、この宮城さんたちの「ずいせん学徒隊」が辿った道を、子供たちが追体験するのです。もう20年以上も続けていらっしゃいます。
この度、私たちは、その体験旅行に同行させていただけることになりました。

ナゲーラ壕は、那覇ICの近く、県道82号線から路地を降りていったところにあります。地元の方でさえ、ここにそのような壕があることを知らないのだそうです。

ナゲーラ壕

ナゲーラ壕への道…
ナゲーラ壕への道

ガマ見学

この奥には、迷路のように、ガマが広がっています。
ナゲーラ壕2
この中には、多くの遺骨が、まだ収集されずに残っていることでしょう。

次に、子供たちは識名壕へ向かいます。

識名壕は光明寺の脇の階段を上り…
光明寺

識名壕へは民家と民家の間…
識名壕へ入る入口

識名壕入口
細い隙間を降りたところに、入口があります。

識名壕
明かりなどありません。子供たちはこの後、各自持っている電灯を消して、一分間の闇を体験しました。蓬(よもぎ)の葉を鼻に詰めて耐えたという、昭和20年の死臭を想像しながら。

そして最後の米須壕へ。
米須壕

どの壕も自然のガマ(鍾乳洞)で、一般の方が所有する土地の中にあるものです。
沖縄には他にもたくさんのこうしたガマがあり、きっとそれらのひとつひとつに、それぞれの辛い過去があるに違いありません。
同行した「おきなわおーでぃおぶっく」の女性スタッフたちは、あまりに重い体験に、最初のナゲーラ壕だけでいっぱいいっぱい、後のふたつには近づくこともできませんでした。

最後に「ずゐせんの塔」で待っていてくださった、84歳の宮城巳知子さんから、お話を伺いました。
碑

宮城巳知子さんのお話

重傷の隊長さんが、もう助からないことを悲観して、持っていた手榴弾を爆発させ、周りにいた生き続けられる可能性のあった何人もの人々を巻き込んで自爆したという話。
それは、子供たちの想像力をはるかに越えた出来事のように思えました。

お話の後、和光小学校の子供たちは、一年間練習してきたエイサーを披露しました。
エイサー
エイサーは、ご先祖さまを供養する踊り。そりゃあ地元の子供たちの迫力には及ばないけれど、でも東京の子供たちが一生懸命に叩いたの太鼓の音も、きっとニライカナイにいらっしゃるずいせん学徒隊の皆さんのところにまで、しっかり届いたに違いない、そう感じられて、熱いものが込み上げてきました。

ずいせんの塔には、宮城巳知子さんの他にも、県立首里高女の同級生の皆さんが集まってくださいました。「ずいせん学徒隊の生き残り」の方もいらっしゃいます。

子供たちが帰ってから、記念撮影です。
記念撮影

宮城巳知子さん以外の方々は、半世紀経った今となっても、自分たちの戦争体験を語ることができないのだそうです。
皆さんはおっしゃいます。
「巳知子さんは偉いさー」
でも、沈黙する皆さんの無言の《声》も、宮城巳知子さんの語られる《言葉》と同様に、大変に重いものとして私たちに迫ってきました。

和光鶴川小学校の子供たちが供えた折鶴です。
折鶴

かの有名な「ひめゆりの塔」の脇には、こうしたお供えを保管し飾って置く場所があるのに、ここにはそれがありません。若くしてお亡くなりになった同級生を祀るここにこそ、子供たちのメッセージを置いておきたいのに、雨ざらしにしないためには持って帰るしかないと、宮城さんは淋しげに語られたのでした。



ここではOfficialサイトのブログでご紹介しなかった画像を一枚。

識名壕の中から見た入口。
壕の中から見た入口
四角くシルエットに見えるのはウガミ(拝み)の場所です。なんとなく、写真を撮ることも憚られたのだけれど、どうしても知ってもらいたくて、それでもOfficialブログではアップすることをためらった一枚です。
帰り際に、先生がお線香を供え、手を合わされていらっしゃいました。

Officialサイトのブログ記事を転載したら、タグが足りなくなりました。
記事をあらためます。

tag: 井上真喜  エイサー  別ブログから  沖縄の旅_2008年10月  ずいせん学徒隊  宮城巳知子  ナゲーラ壕  識名壕  米須壕  ずゐせんの塔 

強行軍その2

15:30おきなわ堂
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おきなわ堂の会社の仕入部の部長さんとお会いして、そこを通して沖縄県内の書店にCDを卸していただくことになりました。大感謝です。

レジ脇にはお茶も飲めるお休み処があって、
そこにはCDの宣伝チラシと、宇夫方隆士氏の散文集が置かれてありました。
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おきなわ堂に関するミステリーは、まだまだ続くのです。

17:00琉球新報
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高山正樹は来年1月4日付の「晴読雨読」というコラムの執筆依頼を受けていたのですが、その担当の高良由加利さんに御挨拶。記者の久場さんに撮って頂きました。

そして新報ビルから撮った那覇の町。
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19:30明日の打ち合わせをカフェで。
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最近、沖縄にはこうした素敵なカフェが増えてきました。
おきなわ堂のミステリーと、ちょっと関係するんだよなあ。

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とってもおいしいピザ、御馳走様でした。

tag: ミステリー  久場安志  沖縄在住のヤマトゥンチュ  高良由加利  那覇  沖縄の旅_2008年10月  琉球新報  宇夫方隆士  沖縄の呑食処.zoucafe  おきなわ堂 

強行軍その1

10:30国立劇場おきなわ
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11:00FM沖縄にて山川悦史さん
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13:00沖縄タイムス
儀間進さんにお会いするのも、もう4回目、おきなわおーでぃおぶっく次回企画の詰めのご相談をしていたのですが、お話はあっちへ転びこっちへ転び、いつものことですが、それが全部ほんとに楽しくて貴重なお話なのです。今日もたっぷり聞かせていただきました。いずれゆっくりご紹介します。お楽しみに。
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お馴染みの又吉さんと儀間進さんの2ショット。受付の椅子に座っちゃう儀間先生の遊び心が大好きなのです。いつもはカメラを向けると、真面目なお顔をされてしまうのですが、今日は笑わしちゃった。そうしたらどうですこの笑顔。これがホントの儀間先生のお顔です。ああ儀間先生を持って帰りたい。一家にひとり儀間おじい…
 ⇒《儀間さんのスマシタお顔を拝見する》

tag: 裏へ  又吉千夏  FM沖縄  山川悦史  沖縄の旅_2008年10月  国立劇場おきなわ  沖縄タイムス  おきなわおーでぃおぶっく  うちなぁぐちフィーリング  儀間進