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沖縄出張2日目の夜

そして定番の、パラダイス通りハシゴルート。
まずは「ななしん屋」
ななしん屋のママママのふるさとは宮古の伊良部島です。宮古から本島へ行く場合、「沖縄へ行く」というのだそうです。つまり本島と宮古は、それほどまでに違う場所ということなのです。

ママがはじめて那覇へやってきたときのこと、宮古出身であることは言わん方がいいよと、ある人から言われた、でもママは、「なんでかー」と、その忠告に従いませんでした。
ここから先の話は、今日のところは控えることにしましょうね。
(この、「~しましょうね」というウチナーヤマトグチ独特の言葉を、僕は敢えて時々ブログで使うようになりました。この言葉を使うことが、とてもしっくりすることがあるのです。それはどういう場合なのだろう、はっきりしたら、またどこかでご報告したいと思っています。)

ただ一つだけ。
宮古には、正月や清明祭(シーミー)より大切な「後生の正月」というものがあり、それは旧暦の1月16日(ジュウルクニチ)に行われます。「後生の正月」、つまり、あの世のお正月なのです。

さて、宮古には「宮古民族」の他に、「誇り高き池間民族」が住んでいます。彼らは「ジュウロクニチ」を1月15日に行うのだそうです。住む場所も、体格も風貌も、暮らしぶりも全く違う「二つの民族」ですが、互いに尊重し合い、行事などは干渉せずに仲良く暮らしているのだと、ママから聞きました。

ななしん屋のママは、ウチナンチュとナイチャーの区別など全く興味ないのではないか、それはナイチャーの僕がママと話をしていて、なんとなく肌で感じるうれしい感覚なのです。ほんとかな、そのことを確かめるために、また、何度でも来ます。


ココまで来て、「土」に顔を出さないわけにはいきません。
土の入口にて
「何してんの?」
「写真、撮ってんの……」

ご挨拶
「いらっしゃい」
「久しぶりだね」
酔っ払いの、ごうさん
ごうさんと宇夫方路

今日は、もう一回、ななしん屋に戻って、そこでシメだね。なんだか、そういう気分なのです。
金城君、最後までお疲れさまでした。
(文責:高山正樹)

tag: ウチナーヤマトグチ  沖縄在住のヤマトゥンチュ  渡久山トヨ  宮古  沖縄の旅_2009年2月  ごうさん  パラダイス通り  沖縄の呑食処.Bar土  沖縄の呑食処.ななしん屋  金城史彦 

八木政男氏(沖縄2日目夕方)

八木政男さんとお会いするために琉球放送へ。
琉球放送会館

儀間進さんが橋渡しをしてくださいました。
 ⇒儀間さんが八木さんに声を掛けた話
八木政男さん
でも、つながりはそれだけではありません。
宇夫方路の琉舞の師匠である関りえ子さんは、2005年に芸能生活40周年を迎え、その年の9月25日に、その記念公演として、「絆・・・我した島~うむいまさてい」を沖縄県立郷土劇場で開催しました。その時の企画で、沖縄歌劇「仲直り三良小(なかなおりさんらーぐわー)」を上演したのですが、八木政男先生にはその演出をお願いし、また主人役での出演もしていただいたのです。そんなことがあって、宇夫方路は八木政男先生と面識がありました。
だからでしょうか。話はトントン拍子。

何のためにお会いしたのかはOfficial_Blogをお読みいただくこととして、そのほか大変おもしろいお話も色々づらづらと伺うことができて(ミステリー?)、中にはご報告できないようなものや、ご報告するのは問題ないのだが、ウチナーグチが分からなくて、聞いた時はとてもおかしかったんだけれど、今となってはうまく説明できないものなど(今度お会いする時はボイスレコーダーを持っていこう!金城くん助けて)、ご紹介できないのが残念至極です。

また「ウチナーグチの標準語」という、とても興味深いお話については、近いうちにOfficial_Blogか、Official_Siteにて、きちんとご報告しようと考えています。どうか、今しばらくお待ちください。

(この日、本当は儀間さんも御一緒にお食事をと考えていたのですが、昨日、儀間さんは高熱を出されて病院に運ばれたとのこと、決してご無理なさらないでと、儀間さんには後日お会いすることといたしました。というわけで、今日は八木さんとココでお別れです。)

かつお飯を食いに「苗」へ。
(怪しげに写っているのは金城史彦…)
苗の提灯と金城君 苗の看板
(文責:高山正樹)

tag: 別ブログへ  沖縄の呑食処.苗  金城史彦  うちなぁぐちフィーリング  沖縄の旅_2009年2月  八木政男  琉球放送会館  儀間進  うちなーぐち  沖縄の標準語 

沖縄出張2日目の午後

金城君の案内で。

首里の末吉公園近くの路上から撮影した那覇郊外の風景です。
那覇郊外の風景
当たり前のことですが、ここには沖縄の「普通の」人たちの生活があります。
画像左下に見える銀色のタンクは水を貯めておくもの。沖縄では一般の家屋にも「普通に」よくあるものです。
10年以上前に聞いた話。
「沖縄は恒常的な水不足で、台風の時期に一挙に降る水を各家庭で確保し、水不足に供えている。しかし、水の不足する時期にも貯めてしまうので、それがまた水不足を助長している。」
ダムがいくつか出来て、今はだいぶ改善されているようですが、全てうまくいっているのでしょうか。ダムと自然環境は、うまく折り合いがついているのでしょうか。金城君、教えて。

さて180度振り返ると、路地の反対側には…
下門の入口
沖縄そば下門(しむじょう)の入口。
沖縄で「門」を「じょう」と読むのは「普通」のこと。でも「『門』を『じょう』と読む」という表現はどうなのでしょう。「『城』を沖縄では『じょう』ではなく『グスク』と読む」というより、「沖縄の『城』は『グスク』という」という方が正しい感じがする。それに従うと「沖縄の『門』は『じょう』という」のが正しいのでは?
ああ、なんだか分かんなくなってきた。カナグシク君、助けて。うり、カネグシクは間違い? ああムチカシイ。「ムチカシイ」って、首里言葉では何て言うんだっけ……

ブツブツ言いながら入って行くと…
下門の建物1
2007年の3月に、国の登録有形文化財に指定された家屋です。
中は、観光客の方で賑わっていました。

ソーキそばを注文して、出来上がる前のちょっとの間、表を巡ってみました。
下門の建物2
下門の建物3

裏手にはこんなものが。
フール
フールです。豚の飼育小屋 兼 人間の便所。
人間の汚物を豚が食べる。いわば自動餌供給システムですね。
「カミサンの母上はやんばる出身、20年以上前だが、その実家のあたりで普通に見た記憶がある。もちろんもう使ってはいなかったけれど」とは、高山正樹の便、じゃない、弁。

便所の後に食べ物の画像とは、ちょっと気が引けないでもありませんが、結局、育った豚は人間に食べられたわけだから、この並びも間違いではありませんね。
下門のソーキそば
ご馳走様でした。

表に出ると、あ、モノレールだ。
モノレール
冒頭の画像のちょっと右側、駅舎に停まっている車輌、分かりますか?

さて、腹ごしらえも終わり、いよいよ金城君引き回しの旅のはじまりです。

まずは沖縄タイムス社へ。
さあ、あらためて、金城君のご紹介です。
又吉さんと金城君
左側で笑いこけているのは金城君じゃありませんよ。例の又吉千夏さんです。
右でにこやかに笑っているのが金城史彦。年齢不詳。

続けて琉球新報へ。
久場安志記者と金城君
いつも“おきなわおーでぃおぶっく”を記事にしてくださる久場安志記者と金城君。
久場さんのお兄さんが金城君の同級生だと判明。(こんなふうにあっちの友達とこっちの親戚が繋がっているみたいなことは沖縄では「普通」のこと。)
つまり、金城君は久場さんより年上だということですね。で、久場さんはおいくつなの? ミステリー!

沖縄出張2日目は、まだまだ続く……

tag: 金城史彦  又吉千夏  久場安志  那覇  沖縄の呑食処.下門(しむじょう)  うちなーぐち  ソーキそば  琉球新報  沖縄タイムス  沖縄の旅_2009年2月 

大城立裕氏(沖縄2日目の午前中)

朝一番、対馬丸記念館へ。
下の画像にもありますが、あの中島高男さんの本が出版されました。
受付にて販売中  
 ⇒Official_Blogを読む
事務局長の瑞慶覧さんと記念撮影。
瑞慶覧さんと記念撮影
なんか変ですか…。
昔の美川憲一さんをちょいと太らせた感じ?
もすこし笑ってくださればいいのにね。
きっとカメラマンの問題ですねえ。

対馬丸記念館の裏には、琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社(琉球八社)のひとつ、波上宮があります。
波上宮の鳥居

波上宮の案内看板
なんだか大和風で、拍子抜けしますか? これも、沖縄です。
またその隣には波上山護国寺という沖縄最古のお寺もあるのです。察度王時代の1368年、波上宮の別当寺として建立され琉球王の勅願寺でした。境内には、明治初期のキリスト教宣教師ベッテルハイムの碑もあります。
いずれご紹介しましょう。
この護国寺と対馬丸記念館(小桜の塔)の関係について、対馬丸記念館のホームページに記述があります。
小桜の塔は愛知県のすずしろ子供会が募金を集め、愛知県の協力によって沖縄に贈られた。建立にあたっては、波上山護国寺の住職 名幸芳章大僧正が尽力し、昭和29年(1954)5月5日の子どもの日に除幕式がおこな われた。船首を那覇港に向け、旭が丘公園の展望台を挟んで対馬丸記念館の反対側に建っている。
 ⇒対馬丸記念館から小桜の塔へ

そして、久米明さんのことをご報告に、大城立裕先生のお宅へ。
立裕オジイはカメラを向けると、いつも難しいお顔をされるので、なんとか笑わせて、写真家の石川真生さんが撮影したような笑顔をゲットしたかったのですが……。
大城さんのニコリ 大城さんのニヤリ

大城さんのオホホ
まあ55点というところでしょうか。
ちなみに、芥川賞決定の電話を受け大喜びの大城氏という、あの有名な写真は、実際の芥川賞決定報告の電話を切ったあとに、写真を撮りそこなった新聞記者に頼まれてポーズを取った「やらせ」なのだそうです。ああ、こんなこと、バラしてしまっていいのでしょうか。まあ、おめでたいことだし、やらせに乗ったのも喜びの延長の遊び心だったということは、皆さんの笑顔を見れば分かります。時効ということでひとつお許しください。
(文責:高山正樹)

大城氏のご自宅を辞して、さあ、金城くんと再会です。

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