2009年04月04日(土)23時53分
さき、ぬでぃねーらん
酒断ち、半日もたず。
さき、ぬでぃねーらん

浅野さんの娘さんと、秋武一也君と、浅野さんの仲間。お店の仕事を終えてのお疲れさんらしい。まだ暖簾出てるのに、さき、ぬでぃねーらん
ぼく、帰りましょうね、っと。
さき、ぬでぃねーらん
浅野さんの娘さんと、秋武一也君と、浅野さんの仲間。お店の仕事を終えてのお疲れさんらしい。まだ暖簾出てるのに、さき、ぬでぃねーらん
ぼく、帰りましょうね、っと。
tag: うちなーぐち 松原通_居酒屋.あさの 地域繋がりの人たち
2009年04月04日(土)16時10分
「三母音」について(沖縄語の勉強会)うちなーぐち講座《1》
昨夜は鳥の研究。本日はガラっと変わってウチナーグチの研究です。
ウチナーグチの母音について、[e]が[i]に、[o]は[u]に変わるので、だから[a]、[i]、[u]の三つしかないのだというような言われ方を、よく耳にすることがあります。これって、ちょっと昔、かの伊波普猷先生が、何かの書物で書いてしまって、それが定説っぽく伝わったので、そう思い込んでいる人たちが多いということらしいのです。
ちなみに、[e]が[i]に、[o]が[u]に変わることを高舌化(高母音化)といいます。[a]と[i]と[u]は、極めて区別しやすい安定した母音なので、この三つしか母音を持たない言語は、アラビア語やブライ語など、世界中にいくらでもあります。
しかし実際は、沖縄語の母音は三つだけではありません。確かに、短母音での[e]と[o]は極めて少ないのですが、皆無ではありません。例えば「蝶」のことをハベル(haberu)というように、[e]や[o]の短母音も存在するのです。
また、連母音[ai]は長母音[e:]に、同様に[au]が[o:]に変わるというのも、ウチナーグチの特徴で、つまり[e]と[o]も、長母音でならいくらでも存在するということですね。
この[ai]→[e:]、[au]→[o:]という変化は言語学的には普遍的な現象で、この変化によって3母音体系から5母音体系に移行した言語も多いのです。サンスクリット語などもそれです。逆に5母音から3母音へ単純化された言語もあり、ウチナーグチもそのひとつだということになっていますが、ということは、ウチナーグチはその後、再び[e]と[o]を、[e:][o:]という形で組み込んだということなのでしょうか。
もともと日本語の母音は8音だったとか6音だったとか、いろいろな説があるのですが、ともかくそれよりもずっと前の紀元300年くらいに沖縄と大和のことばは分化されたというのが、今のところ一番有力な説ではあるらしいのです。しかし、もともと大和の言葉の基本母音は3音であって、だからウチナーグチは、こうした音韻に関しても古い大和言葉を残しているのかもしれないというような試論もないわけではありません。だとすると、大きく変化したのは大和の言葉のほうだということになりますね。でも、この説はちょっと無理があるかな。
それはそれとして、ウチナーグチに見られる変化と同様の現象は、大和の言葉にもあります。
ちゃきちゃきの江戸弁では、大根を「でーこん」、大概にしろは「テーゲーにしやがれ」といいます。どうです、これ、ウチナーグチで起こった変化と全く同じです。といってもこの音の変化は、やっぱり世界中にある現象なので、特にウチナーグチと大和の言葉を、ことさら関連付ける類の話ではありません。
ほかにも東北弁と比較するのもとてもおもしろいのですが、今日のところはこの辺で。
さて、今、僕に興味があるのは、こうした変化が何故起こるのかということなのです。もちろん政治や経済の「力」が大きく影響してきたということも否定できません。時にその「力」が、理不尽な「暴力」であったこともあるわけで、それは決して許されることではありません。しかし、長い歴史における言葉の変化を知れば知るほど、行きつ戻りつ、大きなうねりを伴いながらも、人智の及ばない根源的な何ものかへ向かって変わっていこうとする「言葉の不思議」も見えてくるのです。そうしたとき、言葉の平板化も、鼻濁音の衰退も、「ら抜きことば」も、言葉の乱れとは全く別の顔を見せ始めるのです。
[e]が[i]に、[o]が[u]に変わる高舌化は、口や舌の動きが小さくなるので、一種の省エネですね。そのようして労力を減らしておきながら、空いた[e]と[o]の席に、まったく別の出自をもつ連母音を長母音化して座らせたウチナーグチ。これ、勉強を始めたばかりの僕には、なんとも不思議なことなのです。
1から24までの正方形の駒を、1個の隙間を利用して順番に並び替えていく、あの懐かしいパズルを思い浮かべます。
今のコンピューターには、ハードディスクの中のデータを整理してくれる「デフラグ」という機能があります。あれ、結構時間が掛かりますよね。なんだか言葉も、それに似た作業を、気の遠くなるような年月をかけて行っているのではないのか、そう思えてきたのです。
生きたウチナーグチを残す、そうしたいと思って「おきなわおーでぃおぶっく」の新しい企画を始めたわけですが、しかしほんとうの意味での生きたウチナーグチとはどういうものなのだろう、甘受すべき変化も、見極めなければならないのではないか、なんだか迷宮の入口に立っているような、そんな不安に僕は包まれています……
というようなことを考えながら、「沖縄語を話す会」の勉強会へお伺いしたのでした。
上級者と初心者に別れての勉強。僕は初心者のテーブルに席を頂き、見学させていただきました。
本日のテーマは「無(ね)ーらん」の二つの使い方について。
「飲んでない」をこの表現を使っていうと「ぬでーねーらん」といいます。
「飲んでしまった」は「ぬでぃねーらん」といいます。
これって、よく使われる表現なのですが、難しくないですか。飲んだのか飲まないのか、真逆の意味です。病院で薬を飲んだか飲まないか、間違えて看護士さんに伝えたら大変なことになってしまいます。
グループごとの勉強会を適当なところで切り上げて、後半はみんないっしょになって昔物語(んかしむぬがたい)を読みます。
今日の題材は「大里ぬ鬼(うふじゃとぅぬうに)」です。
このはなし、オバアから聞いたことがあるよとか、うちのほうではこういうんだとか、実に楽しく豊かなひと時です。
あっという間の2時間半、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。もっとたくさんのことをご紹介したいのですが、間違ったことをお伝えしてはいけないので、僕自身もう少し勉強してから、お話ししたいと思っています。
【復習】
この勉強会で習っているのは、基本的には首里の言葉ということで、帰ってからちょっと調べてみたのですが、沖縄本島の中部、今帰仁(なきじん)地方では、なんと「飲んでない」も「飲んでしまった」も、どちらも
「ぬでぃねん」
というのだそうです。では、どのように区別するのでしょうか…
それは「飲んでない」の方を
「ぬでぃ ねん↑」
と微妙な間を入れて上昇調で言うことによって区別するのだそうです。
うーん、ウチナーグチのCD、やはりハードルはかなり高そうですねえ。
訳あって、もう「さき、ぬまん」
ウチナーグチの母音について、[e]が[i]に、[o]は[u]に変わるので、だから[a]、[i]、[u]の三つしかないのだというような言われ方を、よく耳にすることがあります。これって、ちょっと昔、かの伊波普猷先生が、何かの書物で書いてしまって、それが定説っぽく伝わったので、そう思い込んでいる人たちが多いということらしいのです。
ちなみに、[e]が[i]に、[o]が[u]に変わることを高舌化(高母音化)といいます。[a]と[i]と[u]は、極めて区別しやすい安定した母音なので、この三つしか母音を持たない言語は、アラビア語やブライ語など、世界中にいくらでもあります。
しかし実際は、沖縄語の母音は三つだけではありません。確かに、短母音での[e]と[o]は極めて少ないのですが、皆無ではありません。例えば「蝶」のことをハベル(haberu)というように、[e]や[o]の短母音も存在するのです。
また、連母音[ai]は長母音[e:]に、同様に[au]が[o:]に変わるというのも、ウチナーグチの特徴で、つまり[e]と[o]も、長母音でならいくらでも存在するということですね。
この[ai]→[e:]、[au]→[o:]という変化は言語学的には普遍的な現象で、この変化によって3母音体系から5母音体系に移行した言語も多いのです。サンスクリット語などもそれです。逆に5母音から3母音へ単純化された言語もあり、ウチナーグチもそのひとつだということになっていますが、ということは、ウチナーグチはその後、再び[e]と[o]を、[e:][o:]という形で組み込んだということなのでしょうか。
もともと日本語の母音は8音だったとか6音だったとか、いろいろな説があるのですが、ともかくそれよりもずっと前の紀元300年くらいに沖縄と大和のことばは分化されたというのが、今のところ一番有力な説ではあるらしいのです。しかし、もともと大和の言葉の基本母音は3音であって、だからウチナーグチは、こうした音韻に関しても古い大和言葉を残しているのかもしれないというような試論もないわけではありません。だとすると、大きく変化したのは大和の言葉のほうだということになりますね。でも、この説はちょっと無理があるかな。
それはそれとして、ウチナーグチに見られる変化と同様の現象は、大和の言葉にもあります。
ちゃきちゃきの江戸弁では、大根を「でーこん」、大概にしろは「テーゲーにしやがれ」といいます。どうです、これ、ウチナーグチで起こった変化と全く同じです。といってもこの音の変化は、やっぱり世界中にある現象なので、特にウチナーグチと大和の言葉を、ことさら関連付ける類の話ではありません。
ほかにも東北弁と比較するのもとてもおもしろいのですが、今日のところはこの辺で。
さて、今、僕に興味があるのは、こうした変化が何故起こるのかということなのです。もちろん政治や経済の「力」が大きく影響してきたということも否定できません。時にその「力」が、理不尽な「暴力」であったこともあるわけで、それは決して許されることではありません。しかし、長い歴史における言葉の変化を知れば知るほど、行きつ戻りつ、大きなうねりを伴いながらも、人智の及ばない根源的な何ものかへ向かって変わっていこうとする「言葉の不思議」も見えてくるのです。そうしたとき、言葉の平板化も、鼻濁音の衰退も、「ら抜きことば」も、言葉の乱れとは全く別の顔を見せ始めるのです。
[e]が[i]に、[o]が[u]に変わる高舌化は、口や舌の動きが小さくなるので、一種の省エネですね。そのようして労力を減らしておきながら、空いた[e]と[o]の席に、まったく別の出自をもつ連母音を長母音化して座らせたウチナーグチ。これ、勉強を始めたばかりの僕には、なんとも不思議なことなのです。
1から24までの正方形の駒を、1個の隙間を利用して順番に並び替えていく、あの懐かしいパズルを思い浮かべます。
今のコンピューターには、ハードディスクの中のデータを整理してくれる「デフラグ」という機能があります。あれ、結構時間が掛かりますよね。なんだか言葉も、それに似た作業を、気の遠くなるような年月をかけて行っているのではないのか、そう思えてきたのです。
生きたウチナーグチを残す、そうしたいと思って「おきなわおーでぃおぶっく」の新しい企画を始めたわけですが、しかしほんとうの意味での生きたウチナーグチとはどういうものなのだろう、甘受すべき変化も、見極めなければならないのではないか、なんだか迷宮の入口に立っているような、そんな不安に僕は包まれています……
というようなことを考えながら、「沖縄語を話す会」の勉強会へお伺いしたのでした。
上級者と初心者に別れての勉強。僕は初心者のテーブルに席を頂き、見学させていただきました。
本日のテーマは「無(ね)ーらん」の二つの使い方について。
「飲んでない」をこの表現を使っていうと「ぬでーねーらん」といいます。
「飲んでしまった」は「ぬでぃねーらん」といいます。
これって、よく使われる表現なのですが、難しくないですか。飲んだのか飲まないのか、真逆の意味です。病院で薬を飲んだか飲まないか、間違えて看護士さんに伝えたら大変なことになってしまいます。
グループごとの勉強会を適当なところで切り上げて、後半はみんないっしょになって昔物語(んかしむぬがたい)を読みます。
今日の題材は「大里ぬ鬼(うふじゃとぅぬうに)」です。
このはなし、オバアから聞いたことがあるよとか、うちのほうではこういうんだとか、実に楽しく豊かなひと時です。
あっという間の2時間半、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。もっとたくさんのことをご紹介したいのですが、間違ったことをお伝えしてはいけないので、僕自身もう少し勉強してから、お話ししたいと思っています。
【復習】
この勉強会で習っているのは、基本的には首里の言葉ということで、帰ってからちょっと調べてみたのですが、沖縄本島の中部、今帰仁(なきじん)地方では、なんと「飲んでない」も「飲んでしまった」も、どちらも
「ぬでぃねん」
というのだそうです。では、どのように区別するのでしょうか…
それは「飲んでない」の方を
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と微妙な間を入れて上昇調で言うことによって区別するのだそうです。
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