2009年11月17日(火)23時15分
“うりずん”の記憶
新城亘さんが栄町の“うりずん”と、とても縁が深いということは、南林間の“舞天”で知りました。
⇒その日の記事を読む
僕も、“うりずん”には少なからず思い出があります。
結婚した時、沖縄の親戚との約束は、必ず盆正月には帰ってくること、でした。考えてみれば妙なハナシです。東京にだって盆も正月もあるのですから。
でも、沖縄には行きたかったから、正月は沖縄で過ごしました。「行かなきゃならないんだよ、それが約束なんだから」と女房の親戚の所為にして。
沖縄に行けば、必ず栄町の“うりずん”に顔を出しました。
閉店後、店の若者に説教するオーナーの土屋さん。店の忘年会での豚の丸焼き、日航のパイロット、オリオンビールの社長……
ある時、歩き始めたばかりの長男を連れて行ったことがあります。営業時間が終っても、僕は土屋さんと飲んでいました。土屋さんは息子の顔を見て、お前はウチナンチュだと言って笑いました。やがて店に残っていた人たちのカチャーシーが始まります。息子のためのカチャーシー、息子を躍らせて楽しむために。
そんなハナシを“舞天”で亘さんにしていたら
「その時三線を弾いていたいい男は僕かもしれないなあ」
だって。
「いや、そんないい男はいなかった」
その日その場で、亘さんは“うりずん”に予約を入れてくれたのです。
「土屋さん?17日、行くからさ」
そして、十数年ぶりの“うりずん”です。

今ほど安い航空券の無い時代。子どもが大きくなってくれば、しがない貧乏役者が毎年家族を連れて沖縄へ行くことなどできるものではありません。そのうちに、東京にいても“うりずん”の噂が聞こえてくるようになりました。亘さんによれば、今は予約しなければ入れないらしい。敷居が高くなっちゃたのかな。でも今日は新城亘御大がいるから心強い。

20年以上前のこと、亘さんと僕は、意外に近いところにいたらしい。
結局、その時はお会いすることはありませんでした。それが今になって、ここでこうしていることの不思議。
亘さんの歌うトゥバラーマが心に染みるのです。

「亘さん、偉い先生がね、声のために、酒飲んだら歌っちゃいけないんだって。」
「それは間違ってる。酒を飲んだら歌わなければいけない。難しいこという人に限って歌は下手さ」
亘さんの酒と三線の弟子、前城さんです。

でも前城さんは亘さんのパソコンの先生。前城さんがいなければ新城亘博士は誕生しなかったということは内緒。
今日も宇夫方路は踊ります。
「酒を飲んだら踊らなければいけない」

土屋さんは、宇夫方が踊っている間、ずっとニコニコ笑っていました。
あの時と変わらない同じ笑顔で。

U:「上原直彦さんに電話したの」
T:「もう定年になって15年だから、比嘉稔さんに直接連絡したらって」
M:「比嘉稔って、琉球放送のですか?」
T:「ええ、制作部長の」
M:「彼なら同級生ですよ。昨日も会ってました」
前城さんはその場でアポと取ってくださいました。
M:「イチャリバチョーデーですよ」
関りえ子氏も合流して。

不思議な縁。今日も実に沖縄っぽい夜でありました。
《おまけ》
松山にある、沖縄の藤山寛美、仲田幸子のお店。

⇒その日の記事を読む
僕も、“うりずん”には少なからず思い出があります。
結婚した時、沖縄の親戚との約束は、必ず盆正月には帰ってくること、でした。考えてみれば妙なハナシです。東京にだって盆も正月もあるのですから。
でも、沖縄には行きたかったから、正月は沖縄で過ごしました。「行かなきゃならないんだよ、それが約束なんだから」と女房の親戚の所為にして。
沖縄に行けば、必ず栄町の“うりずん”に顔を出しました。
閉店後、店の若者に説教するオーナーの土屋さん。店の忘年会での豚の丸焼き、日航のパイロット、オリオンビールの社長……
ある時、歩き始めたばかりの長男を連れて行ったことがあります。営業時間が終っても、僕は土屋さんと飲んでいました。土屋さんは息子の顔を見て、お前はウチナンチュだと言って笑いました。やがて店に残っていた人たちのカチャーシーが始まります。息子のためのカチャーシー、息子を躍らせて楽しむために。
そんなハナシを“舞天”で亘さんにしていたら
「その時三線を弾いていたいい男は僕かもしれないなあ」
だって。
「いや、そんないい男はいなかった」
その日その場で、亘さんは“うりずん”に予約を入れてくれたのです。
「土屋さん?17日、行くからさ」
そして、十数年ぶりの“うりずん”です。
今ほど安い航空券の無い時代。子どもが大きくなってくれば、しがない貧乏役者が毎年家族を連れて沖縄へ行くことなどできるものではありません。そのうちに、東京にいても“うりずん”の噂が聞こえてくるようになりました。亘さんによれば、今は予約しなければ入れないらしい。敷居が高くなっちゃたのかな。でも今日は新城亘御大がいるから心強い。
20年以上前のこと、亘さんと僕は、意外に近いところにいたらしい。
結局、その時はお会いすることはありませんでした。それが今になって、ここでこうしていることの不思議。
亘さんの歌うトゥバラーマが心に染みるのです。
「亘さん、偉い先生がね、声のために、酒飲んだら歌っちゃいけないんだって。」
「それは間違ってる。酒を飲んだら歌わなければいけない。難しいこという人に限って歌は下手さ」
亘さんの酒と三線の弟子、前城さんです。
でも前城さんは亘さんのパソコンの先生。前城さんがいなければ新城亘博士は誕生しなかったということは内緒。
今日も宇夫方路は踊ります。
「酒を飲んだら踊らなければいけない」
土屋さんは、宇夫方が踊っている間、ずっとニコニコ笑っていました。
あの時と変わらない同じ笑顔で。
U:「上原直彦さんに電話したの」
T:「もう定年になって15年だから、比嘉稔さんに直接連絡したらって」
M:「比嘉稔って、琉球放送のですか?」
T:「ええ、制作部長の」
M:「彼なら同級生ですよ。昨日も会ってました」
前城さんはその場でアポと取ってくださいました。
M:「イチャリバチョーデーですよ」
関りえ子氏も合流して。
不思議な縁。今日も実に沖縄っぽい夜でありました。
《おまけ》
松山にある、沖縄の藤山寛美、仲田幸子のお店。
お弟子さんは師匠に似ず……

たまんない……
たまんない……
tag: 土屋實幸 仲田まさえ 関りえ子 沖縄の旅_2009年11月 沖縄の呑食処.うりずん 沖縄の呑食処.仲田幸子芸能館 新城亘 三線
2009年11月17日(火)18時53分
組踊“執心鐘入”考
宇夫方路は、今日も組踊りの稽古。僕はそれについて行く。
稽古場に入ると、先生は床を磨いていらっしゃった。

だから、床はピカピカである。自然と、頭が下がる。
今日も、まずは読み合わせから。

真ん中の、むこうの方に鏡に映った僕がいる……


今日はカメラマンなのです。
指導してくださるのは瀬底正憲先生。

伝統組踊保存会の副会長である。そんな偉い方が、こちらへどうぞと、僕に座布団を勧めてくださるのである。
教えを受けているのは、来年の4月10日、東京琉球舞踊協会の10周年記念公演で、組踊“執心鐘入”の舞台に立つ面々。

手前から、玉城流敏風会東京支部諸見喜子琉舞研究所の諸見喜子先生、宇夫方路、玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所の関りえ子先生、流舞鶴之会野原千鶴琉球舞踊研究所の野原千鶴先生。
そして、本番には今回の稽古には参加できなかった真踊流佳藤の会藤原悦子琉舞道場の藤原悦子先生が加わる。
要するに、我がM.A.P.の宇夫方路以外の皆さんは、それぞれご自分の教室を持っている先生方。宇夫方路の出演は大抜擢なのだ。
⇒関連記事を読む
組踊については、下記記事で少し説明した。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry…
今日は、いわゆる「道成寺もの」と「執心鐘入」について、もう少し説明してみよう。
道成寺は、和歌山県にある新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所。安珍・清姫伝説の舞台となった寺院である。
延長6年(929年)、熊野詣に来た修行僧安珍は、清姫の家に一夜の宿を求めた。清姫は安珍に一目惚れする。困った安珍は、熊野からの帰り道に再び立ち寄ると嘘の約束をして去る。約束の日になっても、安珍は来ない。裏切られたと知った清姫は、安珍の後を追う。日高川を毒蛇となって渡り、ついには安珍が逃げ込んだ道成寺で、鐘の中に隠れている安珍を、鐘ごと焼き殺したという伝説。
この話には、さらに400年後の後日談がある。道成寺は鐘を再興することにした。完成の折、女人禁制の鐘供養をした。すると白拍子の姿をした清姫の怨霊が現れ、蛇となって鐘を引きずり降ろし、その中へと消える。
この話しが、いわゆる道成寺ものの題材となった。
まずは能の「道成寺」、それを元に歌舞伎の「娘道成寺」が作られた。浄瑠璃の「道成寺」も名高い。
組踊の「執心鐘入」も「道成寺もの」のひとつとされている。確かに大和の芸能に造詣の深かった作者の玉城朝薫は、そのヒントを能などから得たのかもしれない。しかし、『沖縄大百科事典』の「執心鐘入」の項には、次のように書かれている。
「沖縄に古くから伝承されている中城若松にまつわる話をもとに南島独特な内容の組踊として創作されている。内容は、中城若松という美少年が首里王府へ向かう途中、日が暮れて山中の一軒家に一夜の宿を乞う。はからずも若松に恋慕していた女の家であり、女は好機とばかりに誘惑する。若松は女から逃れて末吉の寺に救いを求め、鐘の中に隠れる。女は鬼女と化すが法力によって説伏させられ、若松も助かるというもの。」
中城若松は、金丸(後の第二尚氏王統の始祖尚円)の息子だと伝えられ、ひたすらに首里へのご奉公のみを考える儒教道徳の権化だとされてもいる人物である。
ともかく、「執心鐘入」と「大和」との関わりを考える時、「安珍・清姫伝説」そのものではなく、大和から渡って来た修験者たちがもたらした熊野権現信仰を、その背景に見たほうが興味深い。
しかし、それはまた別のはなしである。

八八八六、サンパチロクのリズムとは、何なのだろう。八は、五三か、三五か。その音の響きの中で、僕は揺蕩(たゆた)っている。突然に現れる七五の大和風が、静かだった心を乱して、緊迫した空気が立ち上がってくる。これは朝薫の計算なのか。

再び八八八六。
あ、宇夫方の稽古着の柄に、トゥイグヮーが、などど、僕は呆けている……
お茶の時間。

組踊の稽古の時は、喉のために黒糖が一番と瀬底先生。
そして立ち稽古。

本番も、瀬底先生が、末吉の寺の座主を演じる。藤原悦子先生の若松は、今日の稽古では儀保政彦先生に代役をお願いした。
「されされ、座主加那志(ざすがなし)、露の身のいのち、救てたぼうれ」

「すいさんな小僧(くずー)」たち。

小僧3人が、なんともユーモラスなのである。まるで、大和風をパロディーにして、笑っているかのよう……

本当に若松がシテで、鬼女がワキなのか。
何故若松は自ら若松と名乗る必要があったのか……
女は狂ったのではなく、狂わされたのではないのか……

「禁止(きじ)もきじららぬ、とめもとめららぬ」


……知我身者即身成仏
得られぬ貴重な時間を過ごさせていただきましたこと、皆様に心より感謝いたします。
高山正樹
稽古場に入ると、先生は床を磨いていらっしゃった。
だから、床はピカピカである。自然と、頭が下がる。
今日も、まずは読み合わせから。
真ん中の、むこうの方に鏡に映った僕がいる……
今日はカメラマンなのです。
指導してくださるのは瀬底正憲先生。
伝統組踊保存会の副会長である。そんな偉い方が、こちらへどうぞと、僕に座布団を勧めてくださるのである。
教えを受けているのは、来年の4月10日、東京琉球舞踊協会の10周年記念公演で、組踊“執心鐘入”の舞台に立つ面々。
手前から、玉城流敏風会東京支部諸見喜子琉舞研究所の諸見喜子先生、宇夫方路、玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所の関りえ子先生、流舞鶴之会野原千鶴琉球舞踊研究所の野原千鶴先生。
そして、本番には今回の稽古には参加できなかった真踊流佳藤の会藤原悦子琉舞道場の藤原悦子先生が加わる。
要するに、我がM.A.P.の宇夫方路以外の皆さんは、それぞれご自分の教室を持っている先生方。宇夫方路の出演は大抜擢なのだ。
⇒関連記事を読む
組踊については、下記記事で少し説明した。
⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry…
今日は、いわゆる「道成寺もの」と「執心鐘入」について、もう少し説明してみよう。
道成寺は、和歌山県にある新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所。安珍・清姫伝説の舞台となった寺院である。
延長6年(929年)、熊野詣に来た修行僧安珍は、清姫の家に一夜の宿を求めた。清姫は安珍に一目惚れする。困った安珍は、熊野からの帰り道に再び立ち寄ると嘘の約束をして去る。約束の日になっても、安珍は来ない。裏切られたと知った清姫は、安珍の後を追う。日高川を毒蛇となって渡り、ついには安珍が逃げ込んだ道成寺で、鐘の中に隠れている安珍を、鐘ごと焼き殺したという伝説。
この話には、さらに400年後の後日談がある。道成寺は鐘を再興することにした。完成の折、女人禁制の鐘供養をした。すると白拍子の姿をした清姫の怨霊が現れ、蛇となって鐘を引きずり降ろし、その中へと消える。
この話しが、いわゆる道成寺ものの題材となった。
まずは能の「道成寺」、それを元に歌舞伎の「娘道成寺」が作られた。浄瑠璃の「道成寺」も名高い。
組踊の「執心鐘入」も「道成寺もの」のひとつとされている。確かに大和の芸能に造詣の深かった作者の玉城朝薫は、そのヒントを能などから得たのかもしれない。しかし、『沖縄大百科事典』の「執心鐘入」の項には、次のように書かれている。
「沖縄に古くから伝承されている中城若松にまつわる話をもとに南島独特な内容の組踊として創作されている。内容は、中城若松という美少年が首里王府へ向かう途中、日が暮れて山中の一軒家に一夜の宿を乞う。はからずも若松に恋慕していた女の家であり、女は好機とばかりに誘惑する。若松は女から逃れて末吉の寺に救いを求め、鐘の中に隠れる。女は鬼女と化すが法力によって説伏させられ、若松も助かるというもの。」
中城若松は、金丸(後の第二尚氏王統の始祖尚円)の息子だと伝えられ、ひたすらに首里へのご奉公のみを考える儒教道徳の権化だとされてもいる人物である。
ともかく、「執心鐘入」と「大和」との関わりを考える時、「安珍・清姫伝説」そのものではなく、大和から渡って来た修験者たちがもたらした熊野権現信仰を、その背景に見たほうが興味深い。
しかし、それはまた別のはなしである。
八八八六、サンパチロクのリズムとは、何なのだろう。八は、五三か、三五か。その音の響きの中で、僕は揺蕩(たゆた)っている。突然に現れる七五の大和風が、静かだった心を乱して、緊迫した空気が立ち上がってくる。これは朝薫の計算なのか。
再び八八八六。
あ、宇夫方の稽古着の柄に、トゥイグヮーが、などど、僕は呆けている……
お茶の時間。
組踊の稽古の時は、喉のために黒糖が一番と瀬底先生。
そして立ち稽古。


本番も、瀬底先生が、末吉の寺の座主を演じる。藤原悦子先生の若松は、今日の稽古では儀保政彦先生に代役をお願いした。
「されされ、座主加那志(ざすがなし)、露の身のいのち、救てたぼうれ」
「すいさんな小僧(くずー)」たち。
小僧3人が、なんともユーモラスなのである。まるで、大和風をパロディーにして、笑っているかのよう……
本当に若松がシテで、鬼女がワキなのか。
何故若松は自ら若松と名乗る必要があったのか……
女は狂ったのではなく、狂わされたのではないのか……
「禁止(きじ)もきじららぬ、とめもとめららぬ」
……知我身者即身成仏
得られぬ貴重な時間を過ごさせていただきましたこと、皆様に心より感謝いたします。
高山正樹
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