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激辛“中む食堂”

中む食堂。

ラフテー。
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おや、とうがらしが乗っている。
ここのとうがらしは危ない。なにしろここの料理人である西表出身の石垣仁は、客に辛いものを食わせて、客が悶絶するのを笑って観察するのが好きというとんでもない男だからだ。
 ⇒はひめてひたひのほと(初めて来た日のこと)

一年以上も大量の島とうがらしを浸したコーレーグース。
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辛いもの好きのハンサムマーキーさんに異常だと言わせた代物の更なる進化形だ。
 ⇒ハンサムマーキーさんが異常だと言った日のこと

こんな危ないものがあった。ハラペーニョ。
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この日、これを石垣仁に騙されて食わされたお客が、トイレに駆け込んで、しばらく出てこなかった。

石垣仁は、当然笑っていたのである。

tag: 沖縄の食物  狛江_居酒屋.中む食堂  沖縄居酒屋.中む食堂  ラフテー 

最高のアンサンブル間もなく

だーれだ
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君も音楽家になるのかい?
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CAFE&SPACE PushPull にて。

デモです。
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皆様、お気に入りのようで。
あとはスケジュールの調整。
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名田綾子さんはシフォンケーキ   大島純さんはレアチーズケーキ
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菅野恵子さんはレモンタルト
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そして桃原健一さんはハヤシライスのサラダ付

最高のアンサンブル?
2010年秋の東京奏楽舎、間もなく告知です。
(※今年の2月には「告知前夜」だなんてことを言っていたのですが、今度こそ、ひとまわり大きくなってお知らせできそうです。)


tag: 喜多見_喫茶店.PushPull  桃原健一  東京奏楽舎  名田綾子  菅野恵子  大島純 

宮森小学校米軍ジェット機墜落事件《普天間基地の危険を想像してみる》

6月30日
宮森小学校米軍ジェット機墜落事件のあった日


今からおおよそ半世紀前の今日、1959年の6月30日、嘉手納基地を飛び立った米軍ジェット戦闘機が旧石川市の宮森小学校に墜落、児童11名を含む17名が死亡、負傷者は212名に上った。
事故の原因や賠償の問題など、沖縄の米軍絡みの事故にいつもつきまとう話しが、この事件にも当然のようにある。

『沖縄大百科事典』によると、この事件が沖縄での反基地闘争の萌芽となり、復帰協結成へと進展していったという。当時、世界の航空史上稀な大惨事として内外に報道されたというが、生まれたばかりの僕にその記憶があるわけもなく、以来、一度も聞いたことがなかった。
僕はこの事件のことを、先日の文京区民センターで初めて知った。

1999年、琉球朝日放送が、宮森小学校米軍ジェット機墜落事件の原因は、当時発表された不可抗力などではなく、明らかな人為的ミスであったという米軍の事故報告書を公表する番組を制作した。しかし今現在まで、米軍は対外的には墜落原因を公表していない。

決して過去の話ではない。2004年の8月、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した事件は記憶に新しい。

大江健三郎風に言えば、こうした事故に対する想像力を持っている者ならば、普天間基地と共存するなど考えられないであろう。ただ目先の利益のために、あえて想像力を働かせないことに慣れてしまった者たちだけが、沖縄の基地に依存して生きていることを言うのである。

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仮に今の普天間基地の現状を知りながら、その危険を感じることができないとしたら、刺激的な情報の氾濫する中で、等身大で正常な想像力を失ってしまっているのかもしれないと、一度自らを疑ってみることが必要なのかもしれない。

よく聞かれることだが、はじめは基地の周りには何もなかった。後から住民が移り住んできたのだという主張。それは元々どういうふうに住民が土地を奪われたのかとか、普天間基地返還の計画とか、沖縄の土地の少なさとか、諸々の事実を全く考慮しない薄っぺらな議論であるということはさておいても、正常な想像力が機能していれば、どういう理由で基地周辺に人々の生活圏が形成されたかという理由がどうであれ、異常さを感じる取る想像力の結果に変わりはないはずなのだ。自殺しようとしている男が、今にもビルの屋上から飛び降りようとしている光景の恐怖感は、その男の人となりとはなんの関係もない。

静岡空港は、滑走路の延長上に成長した木があってその開港が大幅に遅れた。それは間抜けな話しだと笑って済ませることもできるが、普天間基地の滑走路延長上には、もっと危険な建造物が建っていて、米軍機はそれを避けて離着陸をしているのである。当然、日本の法律でも空港のそばにあってもいい基準を其の建造物は全く満たしていない。しかし日本政府は、普天間は米軍施設であって日本の航空法を適用する飛行場ではないと嘯くのである。当然、米軍の基地建設の条件からもかけ離れているのである。(このことは、近日中に別記事で書く。)

ちなみに、宮森小学校米軍ジェット機墜落事件を忘れないための講演活動を続けていらっしゃるのは、1945年6月23日に摩文仁で自決したとされる牛島満中将の御息子、牛島貞満さんである。
その貞満さんはこう語った。
「軍隊は住民を助けることはない。父がそれを証明している」と。

tag: 牛島満  牛島貞満  宮森小事件  沖縄この日何の日  普天間  沖縄大百科事典 

男は可哀想

ノニを、バケツから出してみました。(⇒8日前のノニ
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だいぶ黒くなって、硬くなってきた。匂いも少しおさまっています。
「1ヶ月くらいで実がぐちゅぐちゅになるから、そしたら種を取り出して、洗わずに地面に植えると芽が出る」と、京王デパートの沖縄物産展のおじさんが教えてくれたけど、もうあれから一ヶ月半になりますよ。どうするの、宇夫方路さん。
 ⇒その日の記事を読む

ゴーヤーの方は順調です。緑のカーテンが出来てきました。
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雄花もたくさん咲いてきました。
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全部で5輪咲いています。
でもね、昨日はじめて咲いた花は、もう落ちているのです。
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種から育てたゴーヤー君も、がんばって育っています。
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誰かに新芽を踏まれてしまって、心配していた末っ子です。でもそういう奴がかわいいのです。頑張って、なんとかここまで盛り返してきました。
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(残り2個の苗は夏子さんが持って帰る予定です。)

てんとう虫も、やってきました。
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昔は、てんとう虫といえば大概“ななほしてんとう虫”だったけれど、最近はとんと見ませんねえ。どうしてだろう。

それにしても、こいつは何なのだろうか……
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なんか虫がたかっているし……
(どうか気持ち悪がらないでね、お願い……)

たかがゴーヤーなのですが、ここには間違いなく、ひとつの世界があります。そして、毎日毎日ドラマが起きているのです。
なんだか不思議だなあ。
明日のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

【夜、追記しました。】
雄花が、もうこんなに散っています。
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雌花は、いくら探しても、まだその気配さえありません。こいつら、まさに無駄花。男って、可哀想だなあ。
ちょいと考えてみました。確かに大切なのはゴーヤーの実となる雌花です。それを無駄にしないためには、今のうちに受粉させてくれる虫たちを呼び寄せておかなければならない。一見無駄に見えるこの雄花たちは、その重要な役目を負っているのではないだろうか。そうならば、決して無駄花なんかではありません。
でも、やっぱり男が可哀想であることには変わりありませんね。あーあっと。

どなたか虫や植物に詳しい方、いらっしゃいませんでしょうか、どうか雄花と雌花のこと、変な卵らしきモノのこと、ななほしてんとう虫のこと、ご教授くださいませ。
そうだ、今サンディエゴにいる片野さんの御尊父が、もしご健在だったら、いろいろ教えていただけたかもしれないのになあ。

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tag: ノニ  泡瀬干潟  沖縄の自然  辺野古  高江  片野すゞ子  ゴーヤー栽培.2010  池原貞雄  普天間 

日の丸を打ち振るう日本人たち

6月29日22時32分。
ワールドカップ日本対パラグアイ戦、間もなくキックオフ。
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22時52分。
日の丸を先頭に、代表選手たちが入場してくる。
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スタンドには巨大な日の丸。
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ワールドカップが始まれば、きっと多くの日本人が普天間のことを忘れる、あるウチナーンチュがそう予言した。日本の活躍が予想外に続いて、その予言が現実になっている。
今、僕がそんな話しを誰かに言えば、間違いなく顰蹙を買う。
「それとこれとは全く関係がないだろう。日本人が日本のサッカー代表チームを応援しているんだ、それに水を差すようなことを言うなんて気が知れない……」

今夜の僕は、何故か当然のように日本を応援している。しかし、やはりこの記事を書かずにはいられないのだ。

30日。午前1時52分。
日本の敗北に落胆する若者たち。
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日本人よ。日本のサッカーを応援するエネルギーの半分でいいから、沖縄の普天間のために使ってみて欲しいと思うのだ。そして、日の丸を打ち振る前に、日の丸に嫌悪する人々の思いを想像して欲しいのだ。

それから3ヶ月経って、日本はワールドカップのことも普天間のことも、すっかり忘れてしまったかのようである。
実は9月19日に、この記事を、そっと書いているのだ。
すでに、顰蹙を買うことすらない。

そして…
 ⇒社長とは呼ばないで「本当に書きたかったこと」

tag: 普天間  日の丸 

ゴーヤーの花が咲きました。

あ!咲いてる!
急いで携帯で撮影してみた。
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デジカメはサンディエゴ。仕方ない、車を走らせて安いデジカメを買いに行った。
充電に1時間半かかるのがまだるっこしい。

あ、さっきと比べて上を向いてる。花も光を追うのかなあ。
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上の方から一生懸命撮ってみました。
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まだ一輪だけ。
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でも、今にも咲きそうな蕾。
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去年咲いたのは8月の20日頃。その日の花を見逃した。初めて撮った花は8月25日。きっともうすぐ雌花も出る。
明日のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

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tag: ゴーヤー栽培.2010 

食べて踊った3泊5日【サンディエゴ踊りの旅スナップ集】

夕方4時過ぎ、成田に到着到着しました。
みんなはまだサンディエゴ。私は仕事があるので一足先に帰ってきました。
(宇夫方路)

アメリカから送れなかった画像を、食べ物中心でお送りしてみます。

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tag: 片野すゞ子  カチャーシーの光景  日傘  四ツ竹  太鼓囃子 

ヒロさんのお店《2》“CHOPSTIX”

【サンディエゴからの第五報】
(日本時間28日午後1時30分・現地時間27日午後9時30分)

ヒロさんのもう一軒のお店、チョップスティックスに行って夕飯を食べました。
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ジョセフ君も一緒。
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赤い靴を履いたまま、セーラー服の羽島実優さんも一緒です。
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餃子、てんぷら、焼そば、巻き鮨など、とてもおいしく頂きました。

お店の前で記念撮影。私が撮りました。
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二枚目はジョセフくんが代わって撮ってくれました。
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みんなはこれから数日間観光ですが、私は明日の朝早く日本に向けて帰ります。
ご紹介できなかった画像などはあらためて。

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tag: MAP三線教室  琉球舞踊 

ヒロさんのお店《1》“CHOPSTIX TOO”

【サンディエゴからの第四報】
(日本時間28日午前10時30分・現地時間27日午後6時30分)

姉妹都市のイベントが終わってから、衣装のままヒロさんのお店に移動しました。ヒロさんが日本食レストランを経営されていることは、一昨日ちょっとご紹介しましたが、あらためて……
Hiro Nitta さんのお店はこちらの2軒です。
 CHOPSTIX 〜Sushi & Teriyaki Cafe〜
 CHOPSTIX TOO 〜Sushi & Noodle Cafe〜


お世話になったお礼に、ショッピングセンターの一角にある“TOO”のほうのお店の前で、琉球舞踊を御披露することにしたのです。
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今日は日曜日でお休みでしたが、営業しているショッピングセンターでお買い物中のお客様を集めて、“ちゃっぷスティック2”の入口のところで踊りを見せちゃおうという企画。

只今準備・搬入中。
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最初はパラパラだったお客様ですが、「かせかけ」「四ツ竹」「日傘」「太鼓囃子」と演目が進むにつれ、だんだん増えてきて、最後にはみなさんとっても喜んでくれました。
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お別れの記念撮影をしたはずの実優さんですが、イベントのあとは単独行動だというので、それならご一緒しましょうと、赤い靴の衣装のまま連れてきちゃいました。
羽島実優さん

それからもう一人のゲスト、ジョセフくんのこと。
赤い靴のパーティーで一人の女性に声を掛けられました。
「わたしの息子も琉球舞踊を習っているのです」
息子さんのお名前はジョセフくん。お話を伺うにつれ、もしかするとという心当たりの男性がいます。
佐藤さんが最高賞を受けた時、外国から受験しに来ていた若い男性がいました。踊りが上手でいい男だったので、おばさんたちは密かに注目していたのですが、もしかするとその時の彼がジョセフくんではないのか。
お母様によると、ジョセフ君は昨日まで沖縄に行っていて、今、家で寝ているとおっしゃるので、是非起こして呼んでくださいということになったのです。

わざわざやってきてくれた彼は、やっぱりあの時の彼でした。
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ジョセフくん、私たちの踊りを三板(サンバ)で盛り上げてくれました。きっと旅疲れだろうに、ありがとう。

最後はカチャーシー。
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でも今日は特別、最後の最後、ジョセフくんが私たちのために躍ってくれました。
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お休みのお店の中で軽く打上げ。お店のビールとジュースで乾杯。
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右手前の若者は、私のパソコンをネットに繋いでくれたヤス君です。
今日もせっかくのお休みを返上して手伝ってくれて、最後に自慢のサックスまで披露してくれました。
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ヤス君はこのあとデートの約束があるとかで、1曲だけ演奏してそそくさと帰っていきました。ヤス君、いろいろありがとう。

あっという間の楽しい時間。もうネオンに灯が点ります。
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報告小休止。続く。
(報告:宇夫方路 代筆:高山正樹 いつものこと?)

旅の続きへ

tag: カチャーシーの光景  沖縄芸能コンクール  日傘  四ツ竹  太鼓囃子 

少女像贈呈祝賀昼餐会【“赤い靴はいてた女の子”永遠の友情の証に】

【サンディエゴからの第三報】
(日本時間28日午前7時・現地時間27日午後3時)

ひとつ報告漏れ。
宮城文子さんの沖縄のお土産です。嘉手納銘菓。
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前にも一度おはなししましたが、嘉手納の基地騒音は24時間ぶっ通しで、やっぱり住んでみなければわからないと文子さんが言っていました。

では本題。
式典は正午から始まりました。日本は27日の朝4時ですね。
会場は  Bahia Resort Hotel, Mission Bay Ballroom

サンディエゴ・横浜姉妹都市協会
“赤い靴はいてた女の子”永遠の友情の証に

少女像贈呈祝賀昼餐会

サンディエゴは、日本の横浜と姉妹都市です。今年はサンディエゴと横浜が姉妹都市となって50年、その記念行事として、サンディエゴにはスモモを、横浜の根岸森林公園にはハナミズキを記念植樹するなど、さまざまなイベントが行われてきました。
昨年、姉妹都市の横浜が開港150周年ということで、サンディエゴには赤い靴の女の子の像が建てられることになりました。今日の式典はその完成祝賀昼餐会として行われたのです。横浜からもたくさんの人が参加していました。
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「私たちはどこかしら ……」
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「18番テーブルね、いい番号。」

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「番茶も出ばな、18歳!」
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「あのう……」

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テーブルに置かれた引き出物(赤い枡に入ったチョコボール)も赤い靴の少女の絵も、昼餐会の責任者、ビショップ金子さんが全てお一人で作られました。お歳は八十を越えていらっしゃると伺いました。頭が下がります。
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赤い靴のモデルになった少女は、実際にはアメリカには行かれなかったと聞きました。この少女は病気の治療のためにアメリカに行くことになっていたのですが、出発前に亡くなってしまったのだとか。
※話は伝わっていく間にどんどんと変わっていきます。“アメリカからやってきた宣教師の養女となった少女が、結核にかかってアメリカに渡ることができなかった”というのが「赤い靴」の「定説」のようです。まあ、それにも様々異論異説があり、赤い靴は挫折した共産主義の象徴だとか、そんなことあるわけないとか、侃々諤々。それでいいんです。伝説とは変遷していくもの。一応、サンディエゴの「赤い靴」は、どの説とも関係ありませんということらしい。ただ永遠の友情を祈念する象徴。アメリカっぽい。
(高山正樹)

・・・PROGRAM・・・
開会の辞 ビショップ金子(サンディエゴ・横浜姉妹都市協会会長)
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祝辞 シェリー・ライトナー(サンディエゴ市市議会議員)
挨拶 松永 春(赤い靴記念事業団団長)
祝辞 遠藤雄介(在ロスアンゼルス日本国首席領事)

日米国家斉唱

〜昼餐会〜

琉球舞踊 玉城流喜納の会関東支部関りえ子社中
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挨拶 マイケルB.ビクスラー(サンディエゴ港湾局行政理事)
挨拶 鈴木正之(横浜・サンディエゴ友好委員会委員長)

「赤い靴はいてた女の子」合唱 かぐや姫合唱団
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閉会の辞 ビショップ金子


かぐや姫合唱団というのはサンディエゴ在住の日本人の方々が、週に何回か集まって歌の練習をしているグループです。「かぐや姫」って、とっても意味深なお名前ですね。故郷を遠く離れ、でもいずれ戻っていく方々。“赤い靴”の他、懐かしき日本の歌をいくつか歌われました。
そのあと、閉会の辞の前に、プログラムにはないセレモニーがありました。
マイケルB.ビクスラーさんと鈴木正之さんとの間での写真交換。ビクスラーさんによって横浜の大変古い貴重な写真が横浜市に返還され、鈴木さんからは今の横浜の写真はサンディエゴ市に贈呈されました。
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さらにそのあと、これもプログラムには無かったのですが、かぐや姫合唱団とは別の、横浜からやってきたというグループが“赤い靴”を歌われました。
そのグループの中に一人若い女性がいて、少女の役をされていたのですが、彼女のソロになると、会場はシーンとなって、うちのメンバーはみんな涙を流して聞いていました。

その女性は羽島実優さんとおっしゃいます。元々はオペラが御専門。でも歌では音符に縛られて言葉を思ったように伝えられない、そう考えた彼女は、1年前から朗読の勉強をはじめました。そのおかげで、最近は歌でも言葉を伝えられるようになってきたとおっしゃっていました。
彼女の朗読の先生は岡田和子さんだとか。あららら、和子さんならよく存じ上げております。亡くなられたご主人、島さんとは舞台でご一緒させていただいたこともあります。
※ちなみに、岡田和子さんは、私たちがお世話になっているふじたあさやさんの妹さんでいらっしゃいます。(高山正樹)

実優さんはお友達と二人でユニットを組んで朗読をやったりしています。
うちの山猫合奏団おきなわおーでぃおぶっくの話もとっても興味をもって聞いてくれました。
お別れの前に、実優さんを交えて記念撮影しました。
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最後に、ビショップ金子さんご夫妻(中央右)とも写真を撮らせていただきました。金子さんは80歳を越えていらっしゃるんですよ。お若くてびっくりですよね。
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(今回の式典への参加は、片野さんやそのお知り合いの方の御尽力で実現しました。両端のお二人は受付のお手伝いをされていらっしゃいました。たくさんの皆さんに感謝!)

《おまけ》
「赤い靴」の歌は通常4番までなのですが、実は5番まであるのです。それを歌うのは実優さんたちのグループだけなのだそうで、そういえば先に歌った地元のかぐや姫合唱団の人たちは確かに4番まででした。

1:赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった
2:横浜の 波止場から 船に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった
3:今では 青い目に なっちゃって
 異人さんの お国に いるんだろう
4:赤い靴 見るたび 考える
 異人さんに 逢うたび 考える

5:生まれた 日本が 恋しくば
 青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
 異人さんに たのんで 帰って来(こ)

旅の続きへ

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tag: ふじたあさや  片野すゞ子  琉球舞踊  関りえ子