2010年06月28日(月)14時12分
ヒロさんのお店《2》“CHOPSTIX”
【サンディエゴからの第五報】
(日本時間28日午後1時30分・現地時間27日午後9時30分)
ヒロさんのもう一軒のお店、チョップスティックスに行って夕飯を食べました。

ジョセフ君も一緒。

赤い靴を履いたまま、セーラー服の羽島実優さんも一緒です。

餃子、てんぷら、焼そば、巻き鮨など、とてもおいしく頂きました。
お店の前で記念撮影。私が撮りました。

二枚目はジョセフくんが代わって撮ってくれました。

みんなはこれから数日間観光ですが、私は明日の朝早く日本に向けて帰ります。
ご紹介できなかった画像などはあらためて。
(日本時間28日午後1時30分・現地時間27日午後9時30分)
ヒロさんのもう一軒のお店、チョップスティックスに行って夕飯を食べました。
ジョセフ君も一緒。
赤い靴を履いたまま、セーラー服の羽島実優さんも一緒です。
餃子、てんぷら、焼そば、巻き鮨など、とてもおいしく頂きました。
お店の前で記念撮影。私が撮りました。
二枚目はジョセフくんが代わって撮ってくれました。
みんなはこれから数日間観光ですが、私は明日の朝早く日本に向けて帰ります。
ご紹介できなかった画像などはあらためて。
2010年06月28日(月)11時27分
ヒロさんのお店《1》“CHOPSTIX TOO”
【サンディエゴからの第四報】
(日本時間28日午前10時30分・現地時間27日午後6時30分)
姉妹都市のイベントが終わってから、衣装のままヒロさんのお店に移動しました。ヒロさんが日本食レストランを経営されていることは、一昨日ちょっとご紹介しましたが、あらためて……
Hiro Nitta さんのお店はこちらの2軒です。
CHOPSTIX 〜Sushi & Teriyaki Cafe〜
CHOPSTIX TOO 〜Sushi & Noodle Cafe〜
お世話になったお礼に、ショッピングセンターの一角にある“TOO”のほうのお店の前で、琉球舞踊を御披露することにしたのです。

今日は日曜日でお休みでしたが、営業しているショッピングセンターでお買い物中のお客様を集めて、“ちゃっぷスティック2”の入口のところで踊りを見せちゃおうという企画。
只今準備・搬入中。

最初はパラパラだったお客様ですが、「かせかけ」「四ツ竹」「日傘」「太鼓囃子」と演目が進むにつれ、だんだん増えてきて、最後にはみなさんとっても喜んでくれました。

お別れの記念撮影をしたはずの実優さんですが、イベントのあとは単独行動だというので、それならご一緒しましょうと、赤い靴の衣装のまま連れてきちゃいました。

それからもう一人のゲスト、ジョセフくんのこと。
赤い靴のパーティーで一人の女性に声を掛けられました。
「わたしの息子も琉球舞踊を習っているのです」
息子さんのお名前はジョセフくん。お話を伺うにつれ、もしかするとという心当たりの男性がいます。
佐藤さんが最高賞を受けた時、外国から受験しに来ていた若い男性がいました。踊りが上手でいい男だったので、おばさんたちは密かに注目していたのですが、もしかするとその時の彼がジョセフくんではないのか。
お母様によると、ジョセフ君は昨日まで沖縄に行っていて、今、家で寝ているとおっしゃるので、是非起こして呼んでくださいということになったのです。
わざわざやってきてくれた彼は、やっぱりあの時の彼でした。

ジョセフくん、私たちの踊りを三板(サンバ)で盛り上げてくれました。きっと旅疲れだろうに、ありがとう。
最後はカチャーシー。
でも今日は特別、最後の最後、ジョセフくんが私たちのために躍ってくれました。

お休みのお店の中で軽く打上げ。お店のビールとジュースで乾杯。

右手前の若者は、私のパソコンをネットに繋いでくれたヤス君です。
今日もせっかくのお休みを返上して手伝ってくれて、最後に自慢のサックスまで披露してくれました。

ヤス君はこのあとデートの約束があるとかで、1曲だけ演奏してそそくさと帰っていきました。ヤス君、いろいろありがとう。
あっという間の楽しい時間。もうネオンに灯が点ります。

報告小休止。続く。
⇒旅の続きへ
(日本時間28日午前10時30分・現地時間27日午後6時30分)
姉妹都市のイベントが終わってから、衣装のままヒロさんのお店に移動しました。ヒロさんが日本食レストランを経営されていることは、一昨日ちょっとご紹介しましたが、あらためて……
Hiro Nitta さんのお店はこちらの2軒です。
CHOPSTIX 〜Sushi & Teriyaki Cafe〜
CHOPSTIX TOO 〜Sushi & Noodle Cafe〜
お世話になったお礼に、ショッピングセンターの一角にある“TOO”のほうのお店の前で、琉球舞踊を御披露することにしたのです。
今日は日曜日でお休みでしたが、営業しているショッピングセンターでお買い物中のお客様を集めて、“ちゃっぷスティック2”の入口のところで踊りを見せちゃおうという企画。
只今準備・搬入中。
最初はパラパラだったお客様ですが、「かせかけ」「四ツ竹」「日傘」「太鼓囃子」と演目が進むにつれ、だんだん増えてきて、最後にはみなさんとっても喜んでくれました。
お別れの記念撮影をしたはずの実優さんですが、イベントのあとは単独行動だというので、それならご一緒しましょうと、赤い靴の衣装のまま連れてきちゃいました。
それからもう一人のゲスト、ジョセフくんのこと。
赤い靴のパーティーで一人の女性に声を掛けられました。
「わたしの息子も琉球舞踊を習っているのです」
息子さんのお名前はジョセフくん。お話を伺うにつれ、もしかするとという心当たりの男性がいます。
佐藤さんが最高賞を受けた時、外国から受験しに来ていた若い男性がいました。踊りが上手でいい男だったので、おばさんたちは密かに注目していたのですが、もしかするとその時の彼がジョセフくんではないのか。
お母様によると、ジョセフ君は昨日まで沖縄に行っていて、今、家で寝ているとおっしゃるので、是非起こして呼んでくださいということになったのです。
わざわざやってきてくれた彼は、やっぱりあの時の彼でした。
ジョセフくん、私たちの踊りを三板(サンバ)で盛り上げてくれました。きっと旅疲れだろうに、ありがとう。
最後はカチャーシー。
でも今日は特別、最後の最後、ジョセフくんが私たちのために躍ってくれました。
お休みのお店の中で軽く打上げ。お店のビールとジュースで乾杯。
右手前の若者は、私のパソコンをネットに繋いでくれたヤス君です。
今日もせっかくのお休みを返上して手伝ってくれて、最後に自慢のサックスまで披露してくれました。
ヤス君はこのあとデートの約束があるとかで、1曲だけ演奏してそそくさと帰っていきました。ヤス君、いろいろありがとう。
あっという間の楽しい時間。もうネオンに灯が点ります。
報告小休止。続く。
(報告:宇夫方路 代筆:高山正樹 いつものこと?)
⇒旅の続きへ
2010年06月28日(月)07時41分
少女像贈呈祝賀昼餐会【“赤い靴はいてた女の子”永遠の友情の証に】
【サンディエゴからの第三報】
(日本時間28日午前7時・現地時間27日午後3時)
ひとつ報告漏れ。
宮城文子さんの沖縄のお土産です。嘉手納銘菓。

前にも一度おはなししましたが、嘉手納の基地騒音は24時間ぶっ通しで、やっぱり住んでみなければわからないと文子さんが言っていました。
では本題。
式典は正午から始まりました。日本は27日の朝4時ですね。
会場は Bahia Resort Hotel, Mission Bay Ballroom
サンディエゴは、日本の横浜と姉妹都市です。今年はサンディエゴと横浜が姉妹都市となって50年、その記念行事として、サンディエゴにはスモモを、横浜の根岸森林公園にはハナミズキを記念植樹するなど、さまざまなイベントが行われてきました。
昨年、姉妹都市の横浜が開港150周年ということで、サンディエゴには赤い靴の女の子の像が建てられることになりました。今日の式典はその完成祝賀昼餐会として行われたのです。横浜からもたくさんの人が参加していました。

「私たちはどこかしら ……」

「18番テーブルね、いい番号。」

「番茶も出ばな、18歳!」

「あのう……」

テーブルに置かれた引き出物(赤い枡に入ったチョコボール)も赤い靴の少女の絵も、昼餐会の責任者、ビショップ金子さんが全てお一人で作られました。お歳は八十を越えていらっしゃると伺いました。頭が下がります。

赤い靴のモデルになった少女は、実際にはアメリカには行かれなかったと聞きました。この少女は病気の治療のためにアメリカに行くことになっていたのですが、出発前に亡くなってしまったのだとか。
※話は伝わっていく間にどんどんと変わっていきます。“アメリカからやってきた宣教師の養女となった少女が、結核にかかってアメリカに渡ることができなかった”というのが「赤い靴」の「定説」のようです。まあ、それにも様々異論異説があり、赤い靴は挫折した共産主義の象徴だとか、そんなことあるわけないとか、侃々諤々。それでいいんです。伝説とは変遷していくもの。一応、サンディエゴの「赤い靴」は、どの説とも関係ありませんということらしい。ただ永遠の友情を祈念する象徴。アメリカっぽい。
かぐや姫合唱団というのはサンディエゴ在住の日本人の方々が、週に何回か集まって歌の練習をしているグループです。「かぐや姫」って、とっても意味深なお名前ですね。故郷を遠く離れ、でもいずれ戻っていく方々。“赤い靴”の他、懐かしき日本の歌をいくつか歌われました。
そのあと、閉会の辞の前に、プログラムにはないセレモニーがありました。
マイケルB.ビクスラーさんと鈴木正之さんとの間での写真交換。ビクスラーさんによって横浜の大変古い貴重な写真が横浜市に返還され、鈴木さんからは今の横浜の写真はサンディエゴ市に贈呈されました。

さらにそのあと、これもプログラムには無かったのですが、かぐや姫合唱団とは別の、横浜からやってきたというグループが“赤い靴”を歌われました。
そのグループの中に一人若い女性がいて、少女の役をされていたのですが、彼女のソロになると、会場はシーンとなって、うちのメンバーはみんな涙を流して聞いていました。
その女性は羽島実優さんとおっしゃいます。元々はオペラが御専門。でも歌では音符に縛られて言葉を思ったように伝えられない、そう考えた彼女は、1年前から朗読の勉強をはじめました。そのおかげで、最近は歌でも言葉を伝えられるようになってきたとおっしゃっていました。
彼女の朗読の先生は岡田和子さんだとか。あららら、和子さんならよく存じ上げております。亡くなられたご主人、島さんとは舞台でご一緒させていただいたこともあります。
※ちなみに、岡田和子さんは、私たちがお世話になっているふじたあさやさんの妹さんでいらっしゃいます。(高山正樹)
実優さんはお友達と二人でユニットを組んで朗読をやったりしています。
うちの山猫合奏団やおきなわおーでぃおぶっくの話もとっても興味をもって聞いてくれました。
お別れの前に、実優さんを交えて記念撮影しました。
最後に、ビショップ金子さんご夫妻(中央右)とも写真を撮らせていただきました。金子さんは80歳を越えていらっしゃるんですよ。お若くてびっくりですよね。

(今回の式典への参加は、片野さんやそのお知り合いの方の御尽力で実現しました。両端のお二人は受付のお手伝いをされていらっしゃいました。たくさんの皆さんに感謝!)
《おまけ》
「赤い靴」の歌は通常4番までなのですが、実は5番まであるのです。それを歌うのは実優さんたちのグループだけなのだそうで、そういえば先に歌った地元のかぐや姫合唱団の人たちは確かに4番まででした。
1:赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
2:横浜の 波止場から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
3:今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
4:赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢うたび 考える
5:生まれた 日本が 恋しくば
青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
異人さんに たのんで 帰って来(こ)
⇒旅の続きへ
(日本時間28日午前7時・現地時間27日午後3時)
ひとつ報告漏れ。
宮城文子さんの沖縄のお土産です。嘉手納銘菓。

前にも一度おはなししましたが、嘉手納の基地騒音は24時間ぶっ通しで、やっぱり住んでみなければわからないと文子さんが言っていました。
では本題。
式典は正午から始まりました。日本は27日の朝4時ですね。
会場は Bahia Resort Hotel, Mission Bay Ballroom
サンディエゴ・横浜姉妹都市協会
“赤い靴はいてた女の子”永遠の友情の証に
少女像贈呈祝賀昼餐会
“赤い靴はいてた女の子”永遠の友情の証に
少女像贈呈祝賀昼餐会
サンディエゴは、日本の横浜と姉妹都市です。今年はサンディエゴと横浜が姉妹都市となって50年、その記念行事として、サンディエゴにはスモモを、横浜の根岸森林公園にはハナミズキを記念植樹するなど、さまざまなイベントが行われてきました。
昨年、姉妹都市の横浜が開港150周年ということで、サンディエゴには赤い靴の女の子の像が建てられることになりました。今日の式典はその完成祝賀昼餐会として行われたのです。横浜からもたくさんの人が参加していました。
「私たちはどこかしら ……」
「18番テーブルね、いい番号。」
「番茶も出ばな、18歳!」
「あのう……」
テーブルに置かれた引き出物(赤い枡に入ったチョコボール)も赤い靴の少女の絵も、昼餐会の責任者、ビショップ金子さんが全てお一人で作られました。お歳は八十を越えていらっしゃると伺いました。頭が下がります。
赤い靴のモデルになった少女は、実際にはアメリカには行かれなかったと聞きました。この少女は病気の治療のためにアメリカに行くことになっていたのですが、出発前に亡くなってしまったのだとか。
※話は伝わっていく間にどんどんと変わっていきます。“アメリカからやってきた宣教師の養女となった少女が、結核にかかってアメリカに渡ることができなかった”というのが「赤い靴」の「定説」のようです。まあ、それにも様々異論異説があり、赤い靴は挫折した共産主義の象徴だとか、そんなことあるわけないとか、侃々諤々。それでいいんです。伝説とは変遷していくもの。一応、サンディエゴの「赤い靴」は、どの説とも関係ありませんということらしい。ただ永遠の友情を祈念する象徴。アメリカっぽい。
(高山正樹)
・・・PROGRAM・・・
開会の辞 ビショップ金子(サンディエゴ・横浜姉妹都市協会会長)

祝辞 シェリー・ライトナー(サンディエゴ市市議会議員)
挨拶 松永 春(赤い靴記念事業団団長)
祝辞 遠藤雄介(在ロスアンゼルス日本国首席領事)
日米国家斉唱
〜昼餐会〜
琉球舞踊 玉城流喜納の会関東支部関りえ子社中

挨拶 マイケルB.ビクスラー(サンディエゴ港湾局行政理事)
挨拶 鈴木正之(横浜・サンディエゴ友好委員会委員長)
「赤い靴はいてた女の子」合唱 かぐや姫合唱団

閉会の辞 ビショップ金子
開会の辞 ビショップ金子(サンディエゴ・横浜姉妹都市協会会長)
祝辞 シェリー・ライトナー(サンディエゴ市市議会議員)
挨拶 松永 春(赤い靴記念事業団団長)
祝辞 遠藤雄介(在ロスアンゼルス日本国首席領事)
日米国家斉唱
〜昼餐会〜
琉球舞踊 玉城流喜納の会関東支部関りえ子社中
挨拶 マイケルB.ビクスラー(サンディエゴ港湾局行政理事)
挨拶 鈴木正之(横浜・サンディエゴ友好委員会委員長)
「赤い靴はいてた女の子」合唱 かぐや姫合唱団
閉会の辞 ビショップ金子
かぐや姫合唱団というのはサンディエゴ在住の日本人の方々が、週に何回か集まって歌の練習をしているグループです。「かぐや姫」って、とっても意味深なお名前ですね。故郷を遠く離れ、でもいずれ戻っていく方々。“赤い靴”の他、懐かしき日本の歌をいくつか歌われました。
そのあと、閉会の辞の前に、プログラムにはないセレモニーがありました。
マイケルB.ビクスラーさんと鈴木正之さんとの間での写真交換。ビクスラーさんによって横浜の大変古い貴重な写真が横浜市に返還され、鈴木さんからは今の横浜の写真はサンディエゴ市に贈呈されました。
さらにそのあと、これもプログラムには無かったのですが、かぐや姫合唱団とは別の、横浜からやってきたというグループが“赤い靴”を歌われました。
そのグループの中に一人若い女性がいて、少女の役をされていたのですが、彼女のソロになると、会場はシーンとなって、うちのメンバーはみんな涙を流して聞いていました。
その女性は羽島実優さんとおっしゃいます。元々はオペラが御専門。でも歌では音符に縛られて言葉を思ったように伝えられない、そう考えた彼女は、1年前から朗読の勉強をはじめました。そのおかげで、最近は歌でも言葉を伝えられるようになってきたとおっしゃっていました。
彼女の朗読の先生は岡田和子さんだとか。あららら、和子さんならよく存じ上げております。亡くなられたご主人、島さんとは舞台でご一緒させていただいたこともあります。
※ちなみに、岡田和子さんは、私たちがお世話になっているふじたあさやさんの妹さんでいらっしゃいます。(高山正樹)
実優さんはお友達と二人でユニットを組んで朗読をやったりしています。
うちの山猫合奏団やおきなわおーでぃおぶっくの話もとっても興味をもって聞いてくれました。
お別れの前に、実優さんを交えて記念撮影しました。
最後に、ビショップ金子さんご夫妻(中央右)とも写真を撮らせていただきました。金子さんは80歳を越えていらっしゃるんですよ。お若くてびっくりですよね。
(今回の式典への参加は、片野さんやそのお知り合いの方の御尽力で実現しました。両端のお二人は受付のお手伝いをされていらっしゃいました。たくさんの皆さんに感謝!)
《おまけ》
「赤い靴」の歌は通常4番までなのですが、実は5番まであるのです。それを歌うのは実優さんたちのグループだけなのだそうで、そういえば先に歌った地元のかぐや姫合唱団の人たちは確かに4番まででした。
1:赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
2:横浜の 波止場から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
3:今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
4:赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢うたび 考える
5:生まれた 日本が 恋しくば
青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
異人さんに たのんで 帰って来(こ)
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