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山猫合奏団“沖縄ツアー”最後の夜

沖縄優良企業のひとつ、スーパーサンエイで買出し。
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大量の鰹節(削り節)。
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大量の昆布。
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大量のSpam。
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本日のドルレート。
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ここは日本国です。支払いは“円”です。

やっぱりオリオンビール。なんたって、ココは名護だ!
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お疲れ様でした。伊禮門夏子(いれいじょうなつこ)さんにも感謝。
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(おや、白石准が、もう変だ……)
血圧ごっこ。
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寝た……
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壊れた?
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寝よう……
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明日の朝、辺野古へ行こうと思っている。

旅の続きの記事はこちらだが…
 ⇒旅の続きへ
その前に、必ずこちらを読んでいただきたいのである。
 ⇒辺野古の前に(1)

tag: 山猫合奏団  オリオンビール  沖縄の食物  沖縄の旅_2010年7月 

やっと名護まで辿り着きました。【名護市民会館“セロ弾きのゴ−シュ”】

M..P.after5的には、もう2度と山猫合奏団の沖縄ツアーなんてやりたくない感じ。なにしろ書くことが目一杯で、もうクタクタです。それでもなんとかかんとか、ところどころ後回しにしながら、ようやく最後の名護の公演までたどり着きました。あの辺野古のある名護に、です。
 ⇒山猫合奏団Official_Blog 「名護市民会館“セロ弾きのゴ−シュ”」

只今準備中。
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あらま。大島君、昨日と全然違う顔つきじゃない?
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キジムナーフェスタの評判でお客さんが増えて、座席をたくさん追加しました。
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照明入れて、三毛猫登場!
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照明プランナーは、一応、龍前照明の坂本義美御大です。実際にやってくださったのは会館の方。「ただ明るくすればいいって言ったのに……」とは御大の弁。でも、こちらとすれば大感謝です。
本番では、今日も会館にあったパーランクーを借りてタヌキの太鼓に使いました。
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沖縄でこのくらいの太鼓とバチを調達するのはいたって簡単です。どこにでもパーランクーがあるのですから。

ここでも大槻さんのTシャツ販売中。
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色々とわかりました。でもナイショ。企業秘密。
[subcate.大槻紀子]

今回のツアーでは、宇夫方女史の父上、隆士氏が、沖縄のお友達にたくさん宣伝してくださいました。残念ながら名護の教会の司祭さま、棚原さんはご都合がつかずにおいでいただけなかったのですが、奥様(右)とお友達の石原さんが観にいらしてくださいました。
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楽しんでいただけましたでしょうか。ありがとうございました。
宇夫方隆士さんにも感謝。

市民会館の松田さんです。大変お世話になりました。感謝感謝、お礼の言葉をいくら重ねても足りそうにありません。
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松田さんは、最後にお土産までくださいました。
 ⇒お土産の顛末は……

これにて山猫合奏団沖縄ツアー2010は終了です。なんとか無事に終えることができました。今回は、とても多くの方々のお力をお借りしました。我々だけでは何もできなかった、たくさんの方々のご協力があってこそ、このツアーを実現させることができたのだ、ということを、我々は決して忘れません。

ご協力くださった皆様、また、ご来場くださったたくさんのお客様、本当にありがとうございました。

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tag: 沖縄の旅_2010年7月  龍前正夫舞台照明研究所  辺野古  山猫合奏団  MAP扱い商品 

“美ら海水族館”偏屈訪問記

ふたつ前の記事(コンクリの護岸)の記事と……
 ⇒mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-1691
ひとつ前の記事(伊江島の土地闘争)の記事と……
 ⇒mapafter5.blog.fc2.com/1692
是非それらの記事を読んでから、この記事をお読みください。

お魚君たちの様子は白石准がしっかり撮ってアップしているので、それはそちらに任せるとして……
 ⇒http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry…

M.A.P.after5は人間中心にしてみよう。魚を見る人間を撮って展示する「人類館」。
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ピントを合わせたのは、向こうの外人さんたち。
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感度をあわせたのは右の女の子たち。
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白石准が撮っていない水槽。海の森。マングローブ。
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この旅のはじめにご紹介した「ウチナー・パワー沖縄,回帰と再生」のカバーと色合いが似ている。
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この中で、馬場繁幸氏が「マングローブとともに生きる」という文章を書いている。

「『美ら島沖縄』のキャッチコピーが巷にあふれている。だが、島のまわりをコンクリートの護岸で取り囲むことが、はたして『美ら島沖縄』なのであろうか。」
「補助金でせっせと沿岸の道路工事をし、赤土を流出させ、サンゴ礁をダメにしている。海岸にコンクリート護岸を建設し、海から眺めるとコンクリートで取り囲まれた醜い海岸風景を作り上げている。『美ら島』とはもてなしの美しさ、心の美しさも含めてのことであるはずだ。」

マングローブのある岸は、サンゴ礁と同様に、人間にとって重要な生物多様性を確保する、貴重なシステムなのである。

白石ブログと一緒に歩いていこう。
 ⇒http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry…

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知りたいのは癒されたい人々の心。
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僕は、リニューアルする前のマンボウが大好きだった。

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でもさ、やっぱり普天間の爆撃機を思い出す。
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ステルス戦闘機。
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水槽の上。冷房なし。
本当は、すごく暑いのだった。
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本当はすごく危険なのだった。
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安全な場所から……
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……見る。撮る。
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美ら島水族館を後にして、イルカショーへ。
跳んでるイルカは白石のブログに。
 ⇒http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry…
だからこっちは、やっぱり伊江島とお客さん。
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おもしろかった。
さて、ボチボチわれわれも準備しなくっちゃねえ。
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tag: 山猫合奏団  美ら海水族館  沖縄の旅_2010年7月 

海洋博公園から伊江島を眺める

目的の「美ら海水族館」は海洋博公園の中にあります。とても広い公園です。
当時、海洋博開催のために土地を奪われ、それを苦にして自殺した人もいました。
海洋博ショックというものもありました。博覧会後、反動でたくさんのホテルなどが倒産し、ひどい不況が訪れたのです。残されたのは破壊された自然だけ。それをもって海洋博は悪であったとする論説も数多くあります。むしろそれは沖縄を良く知っているという多くの「文化人」の常識でもあります。

しかし海洋博の数年後、沖縄のリゾート産業は、海洋博の年の実績を、軽々と越えて発展していきました。「美ら海水族館」は、以来ずっと沖縄観光の花形のひとつであったということも事実です。

僕には、海洋博の功罪を云々することはできません。「美ら海水族館」はやはり魅力的なのです。一方で素直に楽しむことのできない自分もいる。
大和が沖縄に押しつけた「癒しの島」という役割。その象徴としての「美ら海水族館」。

大きな駐車場に車を停めて、水族館に向かいます。
伊江島が見えてきた。
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実は、僕は密かにこの島を、あらためて眺めて見たかったのです。いわゆる「集団自決」のあった島。
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それだけではありません。沖縄がまだ米軍の統治下にあった頃、この島では沖縄の復帰運動の原点といわれる土地闘争がありました。そんなこと、水族館を訪れるたくさん観光客の殆どは知らないんだろうな。

※『沖縄大百科事典』「伊江島と血闘争」より
「(前略)米国大統領・米国民政府・琉球政府などへの祈願・陳情、接収地における武装米兵との実力闘争、長期間の座り込み、沖縄全島に及ぶ〈乞食行進〉、世論の喚起など種々の戦術で粘り強い闘争を展開、100人余の逮捕者を出す。もっとも熾烈化したのは米国民政府令第109号「土地収用令」によって、1955年3月11日から米軍が武力を行使、真謝区の住戸13戸をブルドーザーで壊し、農作物とともに焼き払うという強行手段をとってからである。(後略)」

この闘争は復帰後まで続きました。その土地闘争の指導者、いまや伝説となった平和活動家、亜波根昌鴻氏が亡くなったのは2002年の3月、まだそれから10年も経ってはいないのです。

間もなく入り口。
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ドッカーン!
なんだかさ、普天間飛行場のソバで見上げた、飛び立ったばかりの米軍爆撃機を思い出してしまうのです。
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癒される前に腹ごしらえのバイキング。
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tag: 沖縄大百科事典  海洋博公園  山猫合奏団  伊江島の戦い  沖縄の旅_2010年7月 

“清ら海”の記憶

「行った事がないのなら、定番の“美(ちゅ)ら海水族館”にでも行こうか」

拝啓、國吉眞正先生。
この旅の始め、那覇空港には「美ら島沖縄総体2010」という横断幕が張られていました。その時にも少し書きましたが、もう沖縄で「ちゅら」という言葉に「清ら」という字を当てているのを見つけるのは、かなり難しいことになってしまったようです。沖縄県の広報誌でさえ「美ら島沖縄」というくらいなのですから。
このM.A.P.after5のブログもそうです。竹原さんの仙川のお店の名前は「美ら風」だし、オオシッタイの上山弘子さんの藍染は「美ら藍」です。どちらも「ちゅらかじ」「ちゅらえ」と、読み方にはこだわっているんですけどね。きっと國吉先生にすればおっしゃりたいことがたくさんおありでしょうね。

でも、僕はこうも思うのです。沖縄の「ちゅら」は「清ら」でなければならないと、ナイチャーの僕が語ってはいけないのではないか、それもナイチャーが都合の良いイメージを沖縄に押し付けることではないのか。
それならば、「ちゅら」を「美ら」として、それが日本に浸透していって、その結果、沖縄から大和を逆照射するように、大和の「美」の概念に「清い」という意味を、大和の「美しさ」が捨ててきた「清らかさ」を、再び取り戻すことになるのだとすれば、それはそれでありなのかもしれない……

名護から58号線を離れて海洋博公園に向かいます。進行方向左側に、東シナ海のきれいな海が拡がります。思わず車を停めて海を眺めることにしました。
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確かに、美しいのです。きっと、あの頃よりも。

僕が初めてこの道を通ったのは、今から二十数年前、沖縄海洋博が開かれたのは1975年の7月から76年の1月ですから、すでにそれから10年は経っていたのだと思います。でもリゾートホテルや何やらの建設で、まだまだたくさんのダンプカーが土煙を上げて走っていました。海は、箇所箇所赤土で汚れていたように記憶しています。その時の海の記憶よりも、今日の海は美しい。

でも……
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護岸工事が施された海。あの頃の沖縄に、こんな海はなかった。そしてこんなに晴れているのに、この海はどこかくすんでいます。
20数年前の沖縄の海は、リゾート開発が進む地域は別として、本島でさえとても美しかったのです。今でこそ那覇空港近くの海は赤茶けていますが、当時は空港へ着陸する寸前に飛行機の窓から見下ろす海も、やっぱりものすごくきれいでした。

この話を、津嘉山正種さんにしたことがあります。すると、津嘉山さんはこうおっしゃられました。
「そうですね、確かに20年前の沖縄の海は、今よりずっときれいだった。でも、僕の子どもの頃の海は、あなたが見た20年前の海の、何十倍も美しかったのですよ」

僕は、またしてもやってきた憂鬱を感じながら、ある評論を思い出していました。

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tag: 沖縄の旅_2010年7月  知念正真  沖縄の自然  國吉眞正  大城立裕  津嘉山正種  「美ら」 

恩納村でラジオ番組の録音をする

朝食。
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白石准が撮影した光景

名護の会館には夕方入ればよいので、今日は時間があるのです。ということで、午前中は録音をすることにしたのです。
何の録音かって? そういえばまだお知らせしていませんでしたが、山猫合奏団は、FMつやまで番組を持っているのです。

今日は、その第3回、第4回分の録音。とりとめなくダラダラとおじさんたちが好き勝手にしゃべる、その危ない話満載の3時間くらいから、大島君が何とか放送で流せる部分を切り張りして、30分2本の番組に仕立てるのであります。
それにしても今日は、途中で白石准はシャワーを浴びに行くし、戻ってきたと思ったら、途端に鼾かき始めるし、さらに宇夫方路女史が車のキーを車の中に閉じ込んでしまって、すったもんだ、ジャフまで呼ぶという騒ぎ。しかし、それでもかまわず録音は続くのでした……

編集する大島君さまさまであります。

まだ時間がある。さて、どうしようか。

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tag: 山猫合奏団  沖縄の旅_2010年7月 

Coffee Break

7月21日午前1時18分。
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白石准、壊れた。
What broke him?

ほっとこ……

tag: 山猫合奏団  沖縄の旅_2010年7月