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三軒ハシゴの一軒目は“CHIKI”

宇夫方女史は今年3月20日以来、高山正樹は初めての“CHIKI”です。
何故か頬っぺたをつまんでいた西岡美幸ちゃんと、チーム琉球と命名された那覇の沖縄語を話す会の皆さんをお誘いしました。でも沖縄語の皆さんは仕事がお忙しくて(沖縄の労働環境は苛酷です)、県庁にお勤めの當間さんだけが来てくださいました。
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當間みえさんは2度目のM.A.P.after5登場、美幸ちゃんはもうお馴染みですね。
さて、ここCHIKIですが、なかじんさんが教えてくれたお店です。沖縄の食べ物屋さんに対して手厳しいコメントを発するなかじんさんが「おいしい」と推薦するお店、さてお味は如何?
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確かにおいしい。いい意味で、沖縄にいるということを忘れさせてくれる味です。
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もちろんゴーヤーだって使います。でもそれも沖縄で店を出しているのだから、ごく自然に地元の野菜を使っているというだけのこと。
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器だってセンスのいい壷屋焼きですが、それも自然。沖縄でいい器を入手しようと思えば、壷屋焼きが一番手軽に決まっています。
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ヒラヤーチーなんてメニューもあるにはあります。沖縄に来てもう一週間以上になります。せっかくこういうお店に来て、わざわざヒラヤーチーを頼まなくてもよかったのですが、なにぶん宇夫方女史が好きな炭水化物なので。他の女性も賛成。美幸ちゃん、頬っぺたつまむぞ。
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マグロのカマ。シークァーサーが添えてあったりしますが、沖縄の雰囲気はゼロです。
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それもそのはず、CHIKIのマスターはヤマトゥンチュ。奥さんは沖縄の方ですが。
おいしい料理に会話も弾む、そんな感じ。もうだいぶ食べたけど、當間さんが電話でチーム琉球のお仲間を呼び出しました。ここはやっぱり沖縄。すごく遅い時間から飲みに出るなんて普通のことですから。
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やって来たのは澤岻弥生さん。ヤマトから沖縄に嫁いでいらっしゃいました。東京のM.A.P.主催の沖縄語を話す会は、あっちへ転びこっちへ転び。おかげでちっともウチナーグチがしゃべれるようにはならないのだけれど、そんな沖縄語をめぐる雑談を通して、色々な沖縄が見えてくる、それがとっても楽しいのです、そんな話に、弥生さんはとっても興味をもってくださいました。沖縄でウチナーグチを学ぶことと、少し離れた東京で、それもどちらかといえばヤマトゥンチュが中心になってウチナーグチを学ぶこととは、やっぱり少し違います。ちょっと硬い言葉で言うならば、東京で勉強していると、沖縄と大和の比較文化論みたいになってくる。沖縄を鏡にして、日本の文化も見えてくるのです。そこがおもしろい。たぶん、彼女が沖縄にお嫁さんに来たヤマトゥンチュだからこそ、そこに興味が沸くのだと思うのです。
東京にいらっしゃる機会があれば、是非喜多見の会にも顔を出してくださいね。

てなコアなハナシをしていても、まだまだ頼む料理。メニューにないゴーヤーチャンプルー。マスター曰く「作りますよ。でも僕、ポークが嫌いなんですよね。だから豚肉ですけど、いいですか」
もちろん結構。むしろ大歓迎です。
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ともかくおいしいのです。「ポークが嫌い」というマスター。沖縄へ観光に行く人には興味の沸かないお店かもしれません。でもね、ポークなんて、戦後米軍が持ち込んだ「毒」です。むしろこの店にこそ、本当の沖縄のひとつがある、そんな気もするのです。

さりげなく、基地反対だから“CHIKI”。
このお店の名前の、隠された由来です。
沖縄に来た時は、又必ずお邪魔します。
マスターと、比較文化論を語りたいから。
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[subcate.パラダイス通り]
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tag: 沖縄語を話す会“チーム琉球”  壺屋焼  シークヮーサー  ゴーヤーチャンプルー  ゴーヤー  ひらやーちー  西岡美幸  沖縄の呑食処.CHIKI  沖縄の旅_2010年7月 

tituti OKINAWAN CRAFT【“tituti”と雑誌“momoto”のこと】

タイフーンFMを後にして、パラダイス通りへ向かいました。
機織工房“しおん”の長池朋子さんが参加しているグループ「てぃとぅてぃ」が、“tituti"というお店を開いたのです。「てぃとぅてぃ(tituti)」は「手と手」ということですね。
《“てぃとぅてぃ”の関連記事》
 ⇒「オキナワンクラフト“うりずん”」のこと
 ⇒「“喜瀬の風”展」の案内
 ⇒“喜瀬の風”展(喜瀬別邸にて)
 ⇒「オキナワンクラフト“桜”」の案内
 ⇒ オキナワンクラフト“桜”(哲学の道・ギャラリー“花いろ”にて)

《長池さんから届いていた案内はがき》
titutiの案内はがき

古い民家を改装したお店。オープンしてまだ2週間足らず。
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長池さん、素敵なお店ですね。おめでとうございます。
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ホームページを見つけました。M.A.P.には真似の出来ないとっても素敵なサイトです。
 ⇒http://www.tituti.net/…
titutiについて、ホームページには「異分野の工芸家(陶芸/漆芸/紅型/織物/木工)とデザイナー、インテリアコーディネーターとで集うブランドネーム」と書かれています。私たちが何かを語るより、そちらをご覧頂く方がよさそうですね。

この日、お店にいたお仲間たちと記念撮影をさせていただきました。
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左から、お馴染みの織物担当の長池朋子さん、真ん中の方がtitutiのインテリアコーディネーター金城雅子さん、そして右の方が木工作家の西石垣友里子さんです。
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場所はこちら……
 ⇒titutiのブログの地図のページ
那覇にお越しの際は、是非一度お立ち寄りのほどを。

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tag: 新里玲王奈  沖縄の人  長池朋子  与儀勝之  沖縄の呑食処.Bar土  智内好文  パラダイス通り  沖縄の旅_2010年7月 

地域情報エージェント(後日執筆)

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tag: 【暫定投稿】  沖縄の旅_2010年7月 

お久しぶりの儀間進先生(後日執筆)

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tag: 儀間進  うちなぁぐちフィーリング  沖縄の旅_2010年7月 

読谷(とりあえず画像を2枚)結局そのまま先を急ぐ…

金城実氏のアトリエを出て、せっかく読谷に来たのだからと…

《読谷山花織会館》
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【2013年3月1日に記す】
今さら何を語るべきや、であるが…。
2年半も前のこと、もしかしたら若い作家さんの商品を扱えるかもしれないと考えた。しかし結局諦めた。組合が仕切っていたから。そう書くと、なんだか組合が障害になったように聞こえるが、決してそうではない。織り手各人の自由にしておくと、手間に全く見合わない安い値段で売る人たちが出てくる。これ、実に沖縄らしい話なのだ。人がいい、と言ってしまえばそれまでだが、そんな簡単な話ではない。
沖縄の工芸品の古くからの歴史や、沖縄という小さな島の経済など、いい悪いではなく、ただ根は意外に深い。とはいえ、この時はまだ自覚的にそこらの事情について考えていたわけではないから、このくらいにしておこう。職員さんとのやり取りなど、ご報告しようと目論んでいたはずなのだが、もはや忘却の彼方である。

読谷山花織についても諸々書きたかったが、機を失った。いずれまた別途適切な記事で書こう。

ともかく、組合は織り手の方々を、暖かく守ろうとしていらっしゃるのだろうと思ったということ。なんともうれしい気持ちで、会館を後にした記憶が残っている。

《ヤチムンの里》
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【2013年3月1日に記す、その2】
多くの壺屋の職人たちが、読谷に移っていった。そのあたりの事情も、この日はまだあまり理解してはいなかった。たくさんある工房のどこに寄る時間なく、ヤチムン(焼物)の里の案内板だけ撮影して先を急いだのである。2013年の小生もまた、先を急ぐことにしよう。

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tag: 沖縄の織物  壺屋焼  沖縄の旅_2010年7月 

金城実アトリエ訪問(2年かけて書いた記事)

《2010年7月23日》
彫刻家、金城実氏のアトリエは読谷の儀間にある。「ホテル日航アリビラ入口の交差点から残波岬方面へ向かい1つ目を右折すると金城実アトリエの看板がある」と、箆柄暦(ぴらつかごよみ)という沖縄関連イベント情報サイトに案内がある。
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残波岬から南へ2km、海から東へ1kmあたり、大小のサトウキビ畑と住宅の混在する地域の一角。大きなトラックが出発しようとしていた。8月から東京で開催される金城実展に出品する作品を、たった今積み終わったところで、明日には金城実さんも沖縄を出発する。僕らは実にいいタイミングだったようだ。今日を逃しては、金城さんとお話しできる機会はずっと先になったに違いない。

初対面の挨拶など特にない。土のオーナーのごうさんが一応僕らのことを紹介してくれたが、どうやらそんなものも必要ない。金城さんにとっては、近所の顔見知りがちょっと寄ったのとなんら変わりがないようだ。トラックを見送ると、アトリエの中へ招かれるでもなく、当然のようにみんなで入っていった。

金城さんは、テレビ番組のDVDが送られてきたから見るかとごうさんに聞く。見る見ないの返事なんか待つことなく、DVDを持ってきて機械にセットした。
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沖縄で放送されたばかりのTV番組らしい。
JNNルポルタージュ“ちゃーすが(どうする)!?沖縄〜金城実のレジスタンス”
「なかなかうまく編集してるなあ」
関東でも、いずれ放送されるはずである。

作品の多くはトラックに載って出かけてしまったが、残ったものや製作中のものを見せていただいた。それらは、歴史上の人物のデスマスクだった。

平敷屋朝敏のデスマスク。
金城実・作「平敷屋朝敏のデスマスク」
平敷屋朝敏(へしちゃちょうびん)は玉城朝薫と同時代に活躍した文学者である。「手水の縁」という組踊りの作者だとされるが、それに疑問を呈する学者もいる。琉球王府に叛いたとして、わずか34歳で磔の刑に処された。琉球王府が平敷屋朝敏の記録を抹殺したのだろうか、この事件についても謎が多い。
しかし、平敷屋朝敏に関わる歴史の真偽について、ここでどうこう言うつもりは無い。今日の主役は金城実である。伝説の平敷屋朝敏像を語ることによって、現代に生きる金城実の実相が浮かび上がればそれでいい。

なぜ玉城朝薫ではなく、平敷屋朝敏なのか。
(※以下順次執筆)

…と、此処まで書いて、とうとう2年以上も時が経ってしまった。この記事を完成させるための覚書のメモには、次の項目がある。
 「平敷屋朝敏」
 「瀬長亀次郎」
 「チェ・ゲバラ」
 「琉球親鸞塾」
みな反権力だと言ってしまえば簡単である。2年前の僕は、たぶんそういう括り方をして、あっさり済まそうとしていたのだと思う。だが今あらためてこの記事を仕上げようとするにあたり、そう簡単には書けなくなった。

大城立裕翁は、知り合いの女性に「先生は現代の玉城朝薫ですね」といわれ、そうかもしれないと答えたという。平敷屋朝敏が反抗したのは、文学者朝薫ではなく、大和を棄て中国に付こうとした政治家蔡温であった。朝敏は大和文化に深い造詣があったが、しかし時世の句は、七五調ではなく八八八六で詠んだ。
キューバ革命に身を投じたアルゼンチン出身のゲバラは、圧政から逃れるには武力で戦う以外ないと主張していた。
日の丸を焼き、闘争の内部に断絶を作った知花昌一を、金城実は許さず、10年以上絶交していた時期があったと、西山監督から聞いた。

どれもこれも、当時はまだ知らなかったことである。
瀬長亀次郎にしても、彼が政治家である限り、きっと単純なわけはないのである。

そうして親鸞を勉強していた知花昌一氏は、その後出家した。

それやこれやを知ってしまった今、僕に何かを語る資格も力もない。だから今日のところは、せっかく撮った画像だけ、あっさり紹介して終わっていいと思う。


 ⇒知花昌一がチェ・ゲバラのことを語った

ごうさんは、用事があると先に帰っていった。
「目ぼしいものはトラックに積み込んじまったんだが…」
そういって金城さんは表にとっとと歩いていく。僕はそれに続いた。

瀬長亀次郎、石彫りである。未完成なのかどうか。
金城実・作「瀬長亀次郎」

製作中のチェ・ゲバラのデスマスク。木彫り。
金城実製作中のチェ・ゲバラのデスマスク
なぜ、木彫りなのか。
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「なんでかなあ。最近は木ばかり掘っている」
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仏像と関係があるのかどうか…
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「恨を解いて浄土を生きる」
なぜか、そんな言葉が思い浮かぶ。

倒木に実が生るのを待つ。
「台風で倒れたんだが、そのうちにまた実がなるだろう」
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沖縄の変わらぬ現状を訴えるため、金城さんが10年かけてアメリカや日本に翻弄され続ける沖縄の歴史を刻んだ100メートルのレリーフ「戦争と人間」、その一部が庭に展示されている。その前で。
祈りの壁

またアトリエの部屋に戻って話を始めた。
僕は、日本が嫌いだと言って憚らなかった義父について語った。その義父のことを、裏のブログに書いたことがある。
 ⇒「社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)」の09年3月14日の記事
ブログには書けなかった秘密も話した。
「そこだ」そう言って、金城実さんは立ち上がり、部屋に置かれた泡盛の壺に向かった。
「飲まんわけにはいかんだろう」
まだ、昼前である。幸か不幸か覗いた壺の中は空であった。
金城実は、立派な日本人になる事によって差別をなくそうとした自分の実父を否定するのである。
「そういう親の世代を、叱らなければいかんのだ。あんたの孫が、戦争で死ぬ事になってもいいのかと」

残念ながら、この後こちらの予定が詰まっている。それに車で来てもいる。飲んでしまえば予定を全てキャンセルして、アトリエにでも泊めていただくしかない。
「今度お邪魔する時は、泡盛を担いできますよ」
「また話そう」
「是非とも…」
そういって、早々にアトリエを辞したのだった。

その後、何度かお会いしたが、この時の約束はまだ果たせていない。
(2013年元旦に追記する)

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tag: 沖縄戦  金城実  ごうさん  沖縄の旅_2010年7月 

読谷の海を眺めながら

朝の散歩を終えて、読谷の海辺でお茶をしに出掛けた。

撮影中のボク。
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ボクが撮った海。
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今から65年前、ここから米軍が上がってきたのだ。
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義理の母も逃げた。そして蘇鉄を食べて生き延びた。
その恐怖がどれほどのものであったのか、どうか想像してみて欲しい。
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やっぱり、ボクは沖縄で癒されることなんかない。

海岸にオオハマボウの木が植えられていた。
オオハマボウの花 null
オオハマボウの花は赤くなって散る。あるいは散ってなお赤くなったのか。沖縄では墓の近くに咲くアカバナーを後生花と呼ぶ。
散ったオオハマボウの花
実はこの記事、11月23日のハイビスカスの記事をアップした後に書いたのだ。どうしてもその順番でアップしたかったのだ。ブログで、そんなこんなややこしい細工をしてみたところで、誰も気がついてくれそうもないのだが、ボクの独りよがりの自己満足なのだ。

つまり「オオハマボウ」の別名が「ゆうな」であるということ。
なぜごうさんは、それを教えてくれなかったのだろう。

さあ、いよいよ、金城実氏のアトリエへ向かうのだ。

もう沖縄の朝はもうすっかり暑い。
さとうきび畑のスプリンクラーが動き出した。
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tag: 沖縄の自然  ごうさん  沖縄の旅_2010年7月 

朝の読谷を歩く

朝、ひとり散歩。

墓と船とオジイ。何も考えず、トボトボ歩く。
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新築の赤瓦の家。きっとお金持ちなんだろうなあ。
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新築なのに、やっぱり水タンクが乗っている。ホントにまだ必要なのかな。
 ⇒沖縄の水タンクのこと
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潮風にやられた車。
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僕が初めて来た頃の沖縄の車は、こんな車ばっかりだった。きっと水不足も影響していたのだろう。車を洗うための水なんかなかった。水は貴重だったのだ。
ヤンバルのダムの功罪。判断不能。
ゴーヤーだ。
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でっかいヘチマもある。しかし何だこの長いゴーヤーは。
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きっとこれ九州に多い長レイシという種類に違いない。沖縄のゴーヤーはアバシーゴーヤーでなくっちゃね、なんて、これも勝手なナイチャーの思い込みかな。
バナナだ。
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これだって、本物の島バナナじゃない。
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あ、これ知ってる。ドラゴンフルーツだ。
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こいつが沖縄で栽培されるようになったのは、近年になってからなのだ。でも、海ぶどうのお店でとってもおいしく頂きました。
 ⇒恩納村の打ち上げの記事
おお、島とうがらしだね。
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ホントかな。こいつも偽物だったりして。
あー、ダメだ。せっかく心静かに、無心で歩いていたはずなのに。僕は、沖縄にいると、ちっとも癒されないのです。

tag: 沖縄の旅_2010年7月  島とうがらし  ドラゴンフルーツ  島バナナ  ゴーヤー  サトウキビ