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佐藤忠男氏神奈川文化賞受賞祝賀会

こんなご案内を頂きました。
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場違いだとは思いつつ、ちょっとお邪魔してみることにしたのです。会社なんかを始める前は、こういう会に出席するなんて考えられないことでしたが。

会場は新百合ヶ丘にある21ホール。
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“佐藤忠男先生神奈川文化賞受賞祝賀会”
佐藤さんは日本映画学校の校長先生です。そういえば今度の市民劇で稲毛三郎を演じる石山海君も日本映画学校の出身ですね。

まずは佐藤先生の記念講演です。演題は「私の映画人生」。予定を大幅に20分もオーバー、お話しは大変面白かった。

そのあと立食パーティー。
乾杯のお話しが少し長めだったので、ビールの泡が消えちゃいました。
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食べ物が出てくるとつい撮影したくなる悪い癖。
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“アルテリッカしんゆり”副実行委員長の北條秀衛さんが発起人のおひとりで、会場にいらしたので御挨拶をさせて頂きました。

昭和音大の皆さんによるミニコンサート。
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右端の演台のところにいらっしゃるのが、今度のしんゆり芸術祭に山猫合奏団が参加するにあたり、お世話になった熊谷仁士先生です。昨年の公演も観てくださったのに、その時はご挨拶もせず大変失礼いたしました。今日はしっかりと最敬礼。
熊谷先生は「白石君はよく……」と言って何故かニヤッと。どういう意味?どうでもいい。

ところで、日本映画学校が今年の4月から大学になります。
祝賀会の最後、再度登壇された佐藤先生が語ったエピソード(で、また長くなった)。故今村昌平氏曰く「高校中退のやつが面白い。日本映画学校にはそんな連中を入れよう」。でも、大学になったらそうはいかないというハナシ。ユーモアでカモフラージュされたペーソスとお上への皮肉。しかし……
「普通の大学にするつもりはありません」
その力強い宣言に、会場から大きな拍手が起こったのでありました。

新百合ヶ丘のアートセンターでは、佐藤忠男先生が選りすぐった世界各国の映画が観られるのです。
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これを機会に、小さな国の映画を観始めようかな。アメリカではない国々の文化が、きっとたくさんのことを教えてくれるに違いない。そんなふうに思った夜なのでした。

tag: 川崎  事務所の光景  佐藤忠男 

広福寺から桝形山を歩く

今朝の富士には雲が乗っかっていた。
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何故か桝形の城址に行ってみたくなった。
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多摩の横山まで歩いていくことにした。
「そういううちにここはもう生田の杜。あれに見ゆるは、桝形の城跡……」
旅の僧は鎌倉から歩いてきた。多摩川沿い、今の府中街道あたりを歩いてきたのなら東からアクセスすることになるのだが、南や西からの道もあったのかどうか。今日の小生は世田谷街道、つまり北側の津久井道から桝形城址へ向かう。

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この“くらやみ坂”を上り切れば桝形の城跡である。
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「このあたりに、桝形の城主・稲毛三郎殿と奥方を葬った御寺があると聞いたが……」
少し上がった右側に、広福寺はある。
広福寺の北の門。参道は少し一時の方向、つまり鬼門の方角に傾いている。正面に観音堂が見える。
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その門を入る。昨年の10月31日以来の再訪である。
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本堂は左側。
鐘越しに見た本堂 
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稲毛山廣福密寺とある。
承和年間(834〜848年)、慈覚大師円仁が開いた。その後荒れ寺になっていたが、1200年初頭、稲毛三郎重成が阿闍梨を招いて中興したと言われる。真言宗のお寺である。

御本尊は木造五智如来坐像。
1500年台の終わり、秀吉が天下を取った後、桃山の時代に作られた重成の坐像が祀られているのもこの本堂である。
本堂の反対側、つまり広福寺の東にはもうひとつ別の門がある。
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こちらは裏門なのだという。
しかし、本堂の正面にあるこの門が、方角からいっても本来の正門なのではないかとも思ったのだが、よく分からない。
再び境内に戻って観音堂への階段を上がる。
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「されば、稲毛三郎殿の奥津城は……」
「はい、あの奥に……」
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「奥方もともに葬られたとか……」
「お二方にふさわしく、比翼の塚でござりまする」
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手を合わせ、“くらやみ坂”を上って城跡へ向かう。
冬で木々に葉がないせいか、今日のこの坂は明るい。それでも、振り返れば、建物に遮られてもう広福寺は全く見えない。
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城跡まで、もう少し上らなければならない。
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そして……
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誰が書いたのか、四隅に東西南北の文字がある。
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今日は展望台に昇ってみることにした。
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エレベーターもあるのだが、もちろん健康ゲーム中の小生、階段を使う。
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いやはや、驚いた!
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こういう景色をご紹介するとなると、いいカメラが欲しくなる。ブログの横幅を拡げて、もっと大きなサイズの画像を貼り付けられるようにしたくなる。そうか、フォトなんとかみたいなサイトを利用してそこにリンクを貼ればいいのかな。
「どなたかお教えくだされ」
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いつも渡っている多摩川の橋も見えるではないか。
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そうか、ということは、あちらからもここが見えるわけだ。気がつかなかった。今度は向こうからこちらを撮影してみよう。

だんだんと曇が増えてきたが、富士山もまだ辛うじて見えた。
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新宿である。
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さらに右へ。
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スカイツリーが写っているのだが、お分かりになるであろうか。
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あ゛ー、いいカメラが欲しい。
ともかく、360°見渡せる絶景なのである。横浜も写したのだが残念ながらピンボケで使えない。

いつの間にか旅僧の静かな気分は何処へやら。いかんいかんと多摩の横山の連なりに目を凝らせば、よみうりランドが良く見える。
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しかし、すぐそこにあるはずの広福寺は、幾重もの木々の向こうに隠れている。
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灯台下暗し。そろそろ人生の半ばを大きく越えて、旅僧くん、少し遠くを見過ぎてはいないかと、自省している。

tag: 富士山  「枡形城落日の舞い」   

恒例“駒28”の新年会《もうおりこうさんもおばかさんもありません》

一次会は銀座会議室にてミニ講演会。
記念撮影の画像を無断掲載。前回もそうだったし、許していただけることを信じて。
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撮影者が交代してもう一枚。
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そして二次会へ。
本日の講演者のふたり。
日立の成瀬くんと「まんじゅう」

まんじゅう(ってなんのこっちゃ)の話しは、実にいい話でした。他のみなさんも、それぞれ大変御活躍であります。でもね、昔の同窓生が今何をしているかというようなハナシは、やっぱり今年も、なかなか書く気になりません。

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どうやら、誰もがまだ何者でもなかったあの頃のママ、時間が止まっているようなのです。ファンデーションを分厚く塗らなければならなくなったにせよ、です。

それにしても写真だけ載せるんじゃ、あんまり芸がない。いつかアトムとビスコで遊んだみたいに悪戯してみようかなと思ったのですが、女性陣の写真が全部集まらなかったのでやめました。
でも、一次会で帰ったFさん、いいの見っけたから遊んじゃおうっと。それからまんじゅうも講師だからね。ということは、なるせくんもか。
ホイッと……。ホイっ、ホイっと。
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最近は全く見知らぬ方にも、定期的に当ブログにお越しくださる有難き方がいらっしゃるようで、そうした方々には、「この記事はいったいなんなんだ」ってなもんでしょうねえ。申し訳ございません。このM.A.P.after5には、「都立駒場高校」というカテゴリがあるのです。なぜか成り行きで作っちゃった。高山正樹の母校なのであります。
※旧ブログから新ブログへ以降に伴い、サブカテゴリのシステムが使えなくなりました。古き旧友たちが登場する記事について、別途カテゴリ(tag)を作って分類してあります。
ただこのカテゴリ、Yusukeばかり出てくるので、鬱陶しい。というわけで、駒場のカテゴリの下に、「鈴木雄介」と、M.A.P.役員の「渋谷保幸」と、おきなわおーでぃおぶっくで手伝ってくれた「菅家ゆかり」と、そして「それ以外の人びと」というサブカテゴリを作ることにしました。
※これも旧ブログから新ブログへ以降に伴い、全て別途カテゴリです。「それ以外の人びと」というサブカテゴリは廃止。出過ぎで鬱陶しい「鈴木雄介」は「旧友たち」のカテゴリから除外。
鈴木雄介 渋谷保幸 菅家ゆかり

男性陣の方は画像が揃ったので、公開しちゃおっと。
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男だけね。
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だから女性は青春画像ナシだってば。
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男だけ!
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今日のサプライズ。
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いったいいくつになったのって、みんなおんなじか。
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お店のイケメンと一緒に撮ってくれっていうから撮ったけどさあ。
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ホントに彼、いいかあ?
30年以上前の青年たちの方が、ずっといいだろう。

それから、菅家ゆかりさんと、セブンイレブン社長の井阪隆一くんです。
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「今誰が何をしているなんて書く気にならない」
その舌の根も乾かないうちに、嘘ばっかりだ。いいのです。ここから、一人でも沖縄に目を向けてくれる人があらわれるのなら、僕は何でも使おうと思っているのです。
 ⇒[沖縄_戦争・基地など]

沖縄にセブンイレブンがないのは、全国共通の品質を保つために必要な市場規模がないということらしい。M.A.P.が考えていることとは正反対。なんてね、M.A.P.と天下のセブンイレブンを比較しちゃあ申し訳ないよな。
「セブンイレブンがウチなんかと商売の話しなんかするわけないよなあ」
「そんなことはないよ」
今日だけの外交辞令?本当ならば夢のような話だけれど。

そして、今日は懐かしい男が来ていました。上海で、M君と会ったらしい。(俺は六本木だったけど。)そしてこの会に誘われた。
でも……
「いやあ、おりこうさんグループだからなあ、俺、無理だよ」
するとMくんは……
「大丈夫だよ、高山もいるから」

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おや、まさひで・みゆき・まさきで3Mじゃない。では特別に、ポン!
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tag: セブンイレブン  駒場28  菅家ゆかり  井阪隆一 

居酒屋“あさの”でOB会

浅野さんからお誘いを受けていました
「昔からの仲間やかわいい後輩たちが集まるから、良かったら来て」
ほんとに久しぶりの夜の“あさの”です。
笹崎ボクシングジムOB会のメンバー、浅野さんの同期と後輩の方が8名集まっていらっしゃいました。
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浅野さんが私を皆さんに紹介してくれたのですが、挨拶をしただけで、後は皆さんそれぞれの話しに夢中。久しぶりに会う仲間ですから、それは当然ですよね。

話しに入れない私は、仕方なくカウンターで一人で飲んでいました。隣にやっぱり一人でタクシーの運転手さんが飲んでいらっしゃいました。
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これ(↑)、そのタクシーの運転手さんが、自宅では作れないので“あさの”の厨房で調理したおつまみです。それを頂きました。カウンターでの小さな出来事。

しばらくすると、水才君登場。
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今日は高山正樹氏が欠席なので、助っ人に水才君を誘っていたのです。

水才君を紹介すると、やっぱりお父さんのやっている沖縄のジムのことや、弟のプロボクサー、光石君の話で盛り上がりました。作戦成功です。
でも、若干今日の水才君、緊張気味かな。

今はみなさんそれぞれ色々な仕事をしているのですが、ボクシングの話題になれば俄然興味が沸くみたい。
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でも、浅野さんはどうして今日、私を誘ったんだろう。私、ボクシングのことなんか、ちっとも知らないのに。いったい浅野さんは、これからこのお店に、どういうお客さんに来てもらいたいと思っているんだろう……。ちょっと、そんなことを思ってしまいました。

OBの中に一人、ボクシングマガジンの編集に携わっている人がいて、浅野さんは取材を受けていました。
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集合写真を撮るときには水才君もしっかり混ざっていました。
2月17日か18日くらいに出るボクシングマガジンに記事が載るそうです。もしかすると、水才君もちゃっかり写っちゃうのかも!

そうか、浅野さん、もしかしたらこの日のことを、M.A.P.after5でも記事して欲しかったのかもしれない。それで私を呼んだのかもしれない。
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でもさ、私、「おおばまさお」という人がどういう人なのかも知らないんです。だから、画像を載せるくらいのことしかできないんです。
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でも、浅野英一という人の写真が、浅野さんの若い頃の写真だっていうことくらいは分かってるからね。

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この日、2年かけて通算5本目のボトルがなくなりました。
そうすると6本目のボトルがサービスになるんです。

最近なかなか来られないけど、また必ず来ますから、ちゃんと置いといてくださいね。浅野さん。

【追伸】
ボクシングのことを知らない人がこの記事を読んで、居酒屋“あさの”を敬遠することがありませんように。

(宇夫方路)
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tag: スナッピー浅野  松原通_居酒屋.あさの 

それぞれの人生、されど私の人生は

※1月29日の記事です。
《1月28日-4(26時30分)》
下北沢から電車に乗りました。なんだかどうしても斉藤哲夫が歌いたくなって、“ぎま”に行ってしまいました。

「されど私の人生」
吉田拓郎のバージョンでお送りします。

※削除されていたので、つま恋'75版を…
(2017年2月24日)


※それも削除、新たにライブ盤を…
(2022年1月3日)



今日も浅野さんがいました。
第7代日本J・フェザー級王者スナッピー浅野。引退後、調布の駅前で車輌を誘導する仕事をしていた。ある時、バスの前を横切ろうとしたおじさんがいたので、怒鳴って注意した。そのおじさんは世界的指揮者の小澤征爾であった……
それがきっかけで、浅野さんと小澤征爾さんは仲良くなりました。
居酒屋“あさの”を開店して3年目になります。勝負の年です。それなのに、仕事が終わると、つい“ぎま”に来てしまう。浅野さんは決してカウンターには座りません。それはきっと、かつて浅野さんがヒーローであった頃、何人もの若者を引き連れて、一晩何十万も使った記憶があるからに違いない。
間もなく午前2時。明日の仕事のために、浅野さんはお先にお開きです。
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沖縄の女性ふたりがお見送り。浅野さんは、只今、居酒屋“あさの”にて、お客さんを多数募集中。
もちろん、あんちゃんもいました。
材木屋さんの番頭さんをやってウン十年?それ以上のことは不明。
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午前2時20分。只今花嫁をひとり募集中? 先着順?

もうどうでもいいのさ
つまらぬことは考えないで
そこからの道を急ぐのさ

されど私の人生は……

tag: スナッピー浅野  斉藤哲夫  松原通_スナック.ぎま  地域繋がりの人たち 

下北沢“今成”での遊び方【高田渡と斉藤哲夫と…】

智内好文という変な男。
智内好文
ここは“今成”というお店。生ビールが180円です。発泡酒ではありません。ちゃんとしたモルツです。

またもやネット情報ですが、このお店をボロクソに書いているコメントがチラホラ。でもそれは、予約するような店じゃないのに予約なんかして、会社の人たちと大人数で来たりして、2階の座敷に上がって何千円コースみたいなのを頼んだりして、そんな連中のレビューばかり。僕はそういう書き込みをしている人のセンスを疑うのです。ラーメン屋に入ってエビチリがないって文句言ってるようなもんだ、なんてね、全部戯言ということで。

昭和の飲み方を愛して止まない大人なら、この店は十分に楽しめます。

「智内さん、このお店、よく来るんすか?」
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「いやいや、そんなに来ないよ」
「来るでしょ。2週間も顔が見えないと心配しますよ、智内さん」
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「そうだっけ……」

店長の銭谷さんです。
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なんかいいねえ、正直な名前で。

智内さんが、ご自分の携帯電話に入っている画像を1枚見せてくれました。
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高田渡と智内好文のツーショット。
アップ。
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時代だなあ。智内氏も若い。
天空企画の智内好文は、こういうシーンで生きてきたらしい。

高田渡のyouTube動画、2度目の貼り付けです。「銭がなけりゃ」

今は亡きワタル(と智内氏は呼ぶ)の、若き頃の歌声です。

店では、智内氏の知り合いの映画監督も飲んでいた。下北沢っぽい。

智内氏は斉藤哲夫に電話をする。残念ながら留守電。今度是非会わせてと頼んだ。
「哲夫も喜ぶよ」
斉藤哲夫のyouTube動画、これも2度目の貼り付け。今回は「悩み多き者よ 」…

※この動画も削除されました。で、別のところから探し出して再度貼り付けました。
 いつまで削除されずに聴けるのかな…(2015年7月13日)


悩み多き者よ/斉藤哲夫 投稿者 t_hoshinomiya

一見、悩みのなさそうな二人。
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そんな夜でありました。


【おまけ】
斉藤哲夫さんは、決してこの歌は歌わないらしい。

tag: 高田渡  智内好文  斉藤哲夫 

下北沢の“農民カフェ”

智内さんに誘われて、下北沢にある“農民カフェ”に行きました。

null民家を改造したお店。

近頃の智内さんは、こういう傾向のモノに興味があるらしい。
去年智内さんの天空企画で出版した「ウチナー・パワー」にも、農業に関するコラムがありました。

今、農業が旬なのかもしれない。

雄介氏の知り合いの女性も、やっぱり民家を改造して野菜中心の居酒屋を出したいって言っていました。
そういえばその話し、どうなったんだろうなあ。

ここ“農民カフェ”は夜は居酒屋になるのですが、メインは有機野菜とお米にこだわった昼間の食事らしい。

智内さんは、最近、こんな翻訳本を手がけられました。
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  パーマカルチャー創始者、デビッド・ホルムグレンの著作。
  「未来のシナリオ」。
  出版元は農文協。

パーマカルチャーとは、パーマネント(永久)とアグリカルチャー(農業)をつなげた新しい言葉です。直接的には、持続可能な土地利用のあり方を考えること。

しかしそこから発展して、扱う分野は農業だけではなく、健康、教育、地域のあり方などへと拡がっていきます。つまり、恒久的な環境デザインといったところでしょうか。

農民カフェに話を戻しましょう。

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数軒の農家と契約しているのだそうです。決して安くはありません。いや、むしろ値段は高い。自然食って、お金がかかるんですよね。僕は、腎臓癌の術後数年間、野菜を自然食のお店で買っていました。値段はそこいらのスーパーと比べて倍近かった。

もしあの病気がなければ、今のM.A.P.はきっとありませんでした。でもそのかわり、もう少しまともな役者でいられたのかもしれませんが。人生、何がいいのか分からない。

“農民カフェ”には、ちょっと無愛想な店員さんもいます。このお店について、ネットでそんな店員さんのことを指摘する人たちがいます。でも、その点については、ちょっと許してください。このお店には、様々な事情を抱えた若者たちが働いているらしい。

オーナーは、1997年に活動を休止したバンド“JACK KNIFE”のリーダー、和気優さんです。武道館を一杯にするという道を捨て、今は全国の少年院や施設へ、ギター一本抱えて出かけていく活動もしています。

「たくさんの若者が夢をかなえるために下北沢で店を出そうとやってくる。ところが今の下北沢は、若者のエネルギーを吸い取って潰してしまう街になってしまった」
そう和気さんはおっしゃいました。どうもべらぼうに家賃が高いらしいのです。

「流山に田んぼがあって、明日、朝早く田起しに行くんですよ」



智内さん曰く、「彼は信念があってさ、なかなかいいんだよ」
こういうところが智内さんのいいところ?

null「ラストオーダーですけど」

ずいぶん早い。彼女も明日は田起しに行くらしい。

「みんな、行くんです」

そうだよな、農民は早く寝なくちゃね。でも、農民にしては量が少ないのと、値段が高いのがちょっと気になるけれど。
家賃の高い下北で店をパーマネントで続けるためには、仕方ないということなのだろうか。う~ん。

帰り際、和気さんがまた出てきてくださいました。
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あれ、宇夫方さん、後ろで何やってるの?

いいお値段のトマトを購入中。
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飲み足りないし、食い足りないので、もう一軒行くことにしました。智内さんお勧めの、健康なんか全く考えていないような、下北沢で最もリーズナブルな、僕たちに似合ったお店へ。

tag: 智内好文  リック・タナカ  その他の登場人物 

“あさの”は頑張る

明日の夜、浅野さんからお店に来てと誘われた。しかし先約があって行く事ができない。今夜は今夜で約束があるので、それで今日、お昼を食べにやってきた。
去年の10月20日の夜以来である。

肉野菜炒め。減塩でね。

「殆ど塩入ってませーん。生姜のからさで食べてねー。」
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「3年はやるって決めてましたからねー。もう少し頑張ってみまーす。」
いつもの浅野さんの明るい声である。

そうだよね。頑張って欲しい。色々とさ。本部から一番近い親しい居酒屋なのだから。

お昼は、500円のワンコインメニューもある。もしかして、それを注文して、宣伝しなくちゃいけなかったのかなあ。今度ね。

tag: 松原通_居酒屋.あさの 

省エネ化した言葉から言霊が消えていく

きっと、まだ色はいらない。
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ふじたあさや氏から、読んでおけよと言われた岩波新書の「琵琶法師」。
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《いやはや、僕が背負っているものは、ただ琵琶だけではなかったのか》
「お前ならそこまで突っ込んで考えるだろうと思って旅僧の役をつけたんだよ」
また始まった。いつもあさやさんは、こうして能天気にうそぶく。ただ何となく成り行きでこうなってしまったことを、後から尤もらしい理由をくっつけて擽っているのだろう、と、分かっているのに、こうして考え込み始めているわけだから、あさやさんの思う壺にどうやらマンマと落っこちてしまったらしい。

「東国」のアクセントについても、ちょっと迷っている。それについてご説明するために、かなり遠いところから話を始めるが、どうかついてきて頂きたい。

日本語は、どんどんと平板化してきている。

さて、そもそもイントネーションの範疇でいうところの「平板」とは何ぞや。俳優たるもの、みんなそのぐらいのことは知っているはずと思いきや、正確に理解している役者はさほど多くはない。

日本語のイントネーションで意味を成すのは、音が上から下へ変化する時だけで、下から上への変化は、基本的には話し手も聞き手も意識してはいない。
いわゆる標準語では、「箸」は( ̄_)でなければならないが、「橋」の方は(_ ̄)でも( ̄ ̄)でも構わないのだ。もちろんアクセント辞典では(_ ̄)となっているが、意味を伝えることだけにおいては、どちらでも伝わるのである。つまり、単語だけを見れば、「橋」のアクセントは平板なのである。

(※もしかすると平板なのは「端」( ̄ ̄)じゃないのと思い違いしている役者もいそうだが、アクセント辞典では「端」も(_ ̄)である。では何が違うのかというと、続く助詞との関係が違うのである。「端」の場合、続く助詞も下がらない。「端を」は(_ ̄ ̄)となる。上昇点は無いのと同じなので、下降点の存在しない「端を」は平板である。従って「端」という単語は「平板型」である。
一方「橋」は、それに続く助詞が下がる。「橋を」は(_ ̄_)となる。こういう単語を「平板型」に対して「尾高型」と呼ぶ。因みに「箸」は「頭高型」だ。)
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(※「尾高型」は最後をカギ括弧で表す。「尾高型」は「尾高型」「頭高型」や後から出てくる「中高型」とともに起伏式の仲間で、平板式の「平板型」とは区別される。)

つまり「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と読めば平板である。( ̄___)というイントネーションのほうがたぶん古い。この「東国」しかり、「北條」しかり、「民藝」「親父」しかり、どれも同じように二通りのイントネーションがあるが、古い方のイントネーションが起伏式アクセント(つまり下降点を含む言葉)なのは、日本語の平板化の現象はずっと前からあったということを証明しているのではないか。

言語の平板化は、何も日本語に限ったことではないらしい。その例をここで上げることはできないが、どうやら発音の労力を軽減しようとする言語の省エネ化現象がその原因で、それは、長い時間をかけて変化していくあらゆる言語に共通した大きな方向性なのだという。
(※もうひとつ、日本語の場合には意味と関係する下降点をなくしてしまうことで、下降点を憶えなければならないという学習の負担を軽減しているらしい。また特定のグループ内でよく使われる言葉は、他の言葉と差別化する必要性が薄く、平板化していく。「彼氏とクラブ行く」、「彼氏」も「クラブ」も若者の世界では日用品だというわけだ。)

また「中仙道」や「赤とんぼ」の現代の標準的な発音は、途中で一旦上がってその後に下降点がくる「中高型」である。それに対して古い発音は、どれも最初の音が高い「頭高型」である。これはどちらも起伏式で、つまり平板ではないのだが、この「頭高型」から「中高型」への変化も、実は省エネ化らしいのだ。「頭高型」の言葉は、声を出し始める前から声帯を強く緊張させておかなければならない。まずだらだらとしゃべり始めて、助走がついてから音を上げるという「中高型」の新しいイントネーションの方が、ずっと楽なのだ。

言葉がコミュニケーションツールである限り、省エネ化されて使い易くなることが悪いわけではない。ただ、平板型より起伏型の方が、また「中高型」や「尾高型」より「頭高型」の方が、単語そのものは際立つ。
「平板化した言葉は、舞台での表現力に乏しい。言葉の平板化は、演劇にとって困った流れだ」
いつか、ふじたあさや氏がそう語っていたことがある。

また少し、話しが変わる。
はたしてついてきて頂けているだろうか。

次は、単語ではなく文章の話し。
主語と述語、修飾する言葉と修飾される言葉の関係を正しく伝えるためにも、下降するイントネーションをどう操るかが、役者にとって大きな課題となる。基本的には、主語は述語よりも高く、修飾する言葉は修飾される言葉よりも高くなければならない。その高低の差が大きければ、意味がはっきりして理知的に聞こえ、小さければ、意味よりも情緒が立つ。あるいは、高低の差がより大きければ感情的に聞こえ、小さければ冷徹だともいえる。これは正反対のようだがそうではない。例えば「高い」という形容を強調するかしないかは、ある時は感情であり、ある時は論理的な度合の数値に左右される。

若者は、音の高さをある程度強さで置き換えることもできる。声に力のない老人は、極端な高低差で表現する。

だが、いずれの場合も、修飾関係の基本的なルールを無視して、あちこちで正しい高低差を逆転させたりし始めると、感情も論理も年齢も関係なく、台詞から伝えるべき意味が消え、ただ節の付いた臭い芝居になってしまう。

最初の読み合わせの頃は、どなたもあまりこんな間違いはしない。しかし稽古が進み、感情が入り始めると、芝居に悪臭が漂いはじめる。雰囲気のことを言っているのではない。それは好みの問題である。そうではなくて、極めて論理的な話しなのだ。つまり、意図なく主語よりも述語の音が高くなり、修飾する言葉よりも修飾される言葉が強調されると、伝えることを無視した不思議な日本語が出現するのだ。記号として従わなければならない音の高低関係のルール崩壊である。今日の読み合わせでは、いたるところでそれが起こっていた。

意味に注意を払わなくても語れるくらい台詞に慣れて、台詞に感情を盛り込む余裕ができると、往々にしてこうなる。だが、これはきっと一過性のものだろう。意味を完璧に理解して設計図を引き、さらにそのプランが頭にしっかり定着すれば、きっと消えるものだろう。皆さん、役者なのだから。

芝居の稽古において、意味が不在になるこのエアポケットのような一時期に、役者が犯すこうした間違いの多くが、先に述べた省エネと関係しているように思えてしかたがない。

日本語は、その構造上、どうしても文章全体が高い音域から下降していき、述語の音が一番低いということになる。
「僕は」「とても(1)」「重い(2)」「荷物を(3)」「持って(4)」「歩く(5)」
主語の「僕は」の音は、(1)〜(3)との音とは直接的な修飾関係がないので、(1)〜(3)の単語に対して高くなければいけないというようなことはない。しかし、(5)の「歩く」よりは高くなければならない。
また、(1)〜(5)の音の高さは、特別な理由の無い限り、次のようでなければならない。
(1)>(2)>(3)>(4)>(5)
「>」は、それぞれ下降点であるとも言える。つまりこの文章を言うためには、これだけで最低5つの音階が必要ということになる。ところが、そう語らない役者が続出する。(1)>(2)>(3)までは問題なく来たが、さらに続けて(4)を(3)より下の音にするのはちょっと苦しいなんてことが起きる。意識して下っ腹に力を入れたりすれば出るような場合でも、それはやらない。そして(4)の頭でポンと音を上げたりする。きっと無意識である。すると途端に台詞が節に聞こえてきて臭くなる。

長い文章を語るのが難しいのは、その息の長さのためだけではない。意味を正しく伝えるために必要な音階の数は、修飾関係が多層的になればなるほど増えることになる。音階の数が多く必要になれば、当然それを表現する音域も広くなければ語れない。
(テクニカルなことを言えば、最初の(1)の始まりを高い音から始めるという緊張感を持てば、意味が分からなくても破綻なくクリアできることが多い。初見で、意味を瞬時に把握できないような複雑な文章を読まされる仕事の時は、この手を使ってきた。)

さらに各文節を見てみよう。
「荷物を(3)」「持って(4)」「歩く(5)」の中には下降点がある。この下降点のある言葉、つまり「荷物を(3)」と「持って(4)」の、その次の音がくせものなのだ。下降点のある単語を使った後は、楽に発音したいという理由で、次の単語の頭の音が高くなりがちなのである。上昇点は意識しないので、文章の論理的構造に無頓着な話し手は、音を上げることに躊躇がない。従って次の音は、上がりたいだけ上がった音で発せられるということになる。

「持って」の「も」が「荷物を」の「に」より低音の領域で収まっていればよいのだが、それを越えてしまうと、修飾関係が分からなくなる。何度も言うが、意味の抜けた状態で台詞を言うとそうなるのだ。イントネーションは論理の構造なくしてはありえないはずなのに、論理を失った台詞は、自分でコントロールしているつもりでも、実は無意識の領域で、省エネという全く別のエンジンに支配されていることがママある。

さて、この5つの音階を出すために必要な音域を獲得できていない役者は、どうやってこのエアポケットから脱出するのか。

極めて(1)=(2)=(3)=(4)=(5)に近くしてしまう。こうなると、もはやダイナミックな台詞は期待できないが、論理的な破綻からは逃れている。比較的ベテラン女優さんに多い。また、若い役者は強弱を駆使して補う。また語尾が消えたり、息になったりもする。
しかし話し言葉の文章におけるイントネーションの論理的構造を意識し始めれば、短期間の訓練で格段に音域は広がるであろう。逆に意識しなければ、きっといつまでも変わらない。

要するに下降点が少なければ少ないほど、日本語は楽に喋ることができるのだが、たぶん多くの役者が、自分が少エネというエンジンに捕らえられているということに気がついていないのではないか。
 ⇒関連記事【変わらぬ味・近代文学・変わりゆく言葉】

言葉は、長い時間をかけて省エネに向かって歩んでいる、それは確からしい。しかしである。ならば時代を遡れば遡るほど、人は広い音域を使って、話すという行為に、より大きな労力をあてがっていたということなのか。どうも、それは俄かには信じがたい。
もしかすると、世の中が進み、増大した情報を含む文章を(つまり複雑な修飾関係を)的確に伝達するために、せめて一個一個の単語をシンプルにする(余計な下降点は削る)必要性が出てきたということなのかもしれない。

論理は益々複雑になるが、それに伴って、ひとつひとつの言葉に存在していた言霊が、どんどんと失われていく。重要なのは関係性、そんな世界の中において、個は深化することをやめる。論理のしがらみによって平板化された言葉そのものは、古から受け継いできた豊かさを、つまり刻まれた歴史の記憶を捨て去っていく。

さてこの稽古場に集まった者たちは、ならばいったいどんな言葉を選ぶべきなのか。それを決めるのは、この芝居において、我々がどのように古の時代と対峙しようとするかにかかっている……

ずいぶんと回り道をした。最初の課題に戻ろう。
《なぜまだ「東国」のアクセントについて迷っているのか》
ここまで話せば結論は決まったように思える。古の言霊を自らの中で復権させるためには、「東国」は( ̄___)と発音されなければならないと。

しかし、それでは、まだ半分なのだ。
「足を伸ばして、東国の、鎌倉殿ゆかりの寺々に参ろうと思いまする」
短い文章である。僕はこの一節を、九州にあるボタ山のようなひとかたまりにして、まろやかに語りたいと思っている。その理由を説明するための確たる何かがあるわけではないのだが、まずはそんなものかと思って頂きたい。言霊には論理に納まりきらない姿があるということなのだ。

「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と発音すると、文章全体をボタ山に近づけることができるような気がする。しかしやはり「東国」は( ̄___)と言いたい。だが、そのように「東国」を「頭高型」で発音した瞬間、出現した下降点がボタ山を潰してしまうのだ。それは、僕の役者としての音域不足という技能の問題なのか、あるいは、小川信夫氏が書き、ふじたあさや氏が上演台本に手直したこの台本の文章が、現代の論理の呪縛に囚われているからなのか。
もう少し考えてみることにしようと思っている。

おまけだが……
今回の台本では、「最愛」と「友愛」と「慈愛」という言葉が使われている。それがどうもしっくりこない。鎌倉時代にそんな言葉あったのだろうか。一挙に現代に引き戻される感覚がする。そのことを問わずに放置しておいて、ちっぽけな「東国」にココまでこだわるというのも、おかしな話ではある。

でも「最愛」も「友愛」も「慈愛」も、人様の台詞だからなあ……

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3度目のお昼の“重味”

一時、人が増えてきたような感じがあった喜多見だが、最近なんとなく淋しい。

さてどこで昼飯を食べようか。やっぱり、なんとなく淋しい。
久しぶりに“重味”に行ってみた。

今週のランチ。
ふぐ、ちり蒸しポンズあん掛け。
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筍と豆腐の揚げ出し。
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蒸し鶏のサラダ。
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御飯と赤出汁と香の物が付いて税込み945円也。
今日はお料理の画像だけ。人の顔が見えなければ記事にしない。それがM.A.P.after5のコンセプトだが、“重味”のカテゴリを作った。喜多見のために。

人の顔が見えてこない。それが今の喜多見の顔か。
初心に戻ってもう少し夜の喜多見も応援したいのだが、今夜も市民劇の稽古である。

【2月28日追記】
この日は琉球舞踊教室。宇夫方女史がやっとその日の記事を書きました。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…
M.A.P.after5の方がどうしてもリアルタイムの記事が書けないので、それで琉球舞踊と三線と沖縄語と、三つの沖縄関連は別のブログにしてフットワークよく報告しようと思ったんですけどねえ。ダメだこりゃ……

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