2011年02月04日(金)23時15分
それぞれの小さな幸せ《喜多見の“はん家”はお任せコースがお薦めです》
今日は、とてもキュートなお客様がM.A.P.の事務所にいらっしゃいました。実は2度目なのですが、最初の時は記事にしませんでした。それは、まだまだミステリーだったから。今回は少し具体的に見えてきたこともあるのですが、その内容についてお話しするのは、もう少し先かな。いずれ近いうちに、“おきなわおーでぃおぶっく”のブログでご紹介することになりそうです。
でも、かわいいお客様と一緒に食事に行ったということは、M.A.P.after5で、早速記事にしなくちゃね。
まだまださほど親しくない女性と一緒にお食事、となると、喜多見で選ぶお店は、やっぱり“はん家”。昨年5月以来です。
さて、と腰を下ろそうと思ったら、あ、円座だ。ちょっと失礼してパシャリ。

円座とは、イグサや藁などを綱に編んでそれを渦巻き状にした敷物のこと。市民劇も昨日の稽古からいよいよ「立ち」になって、鎌倉時代には畳などなく、円座のようなものに座っていたのだ、というようなハナシが出たばかりなのです。でも、この円座に座れるのはとっても身分の高い人で、板の間に上がれるだけでも相当だったらしい。その代わり、身分が低くても正座は不要。立て膝か胡坐。正座が礼儀みたいになったのは、畳が普及して小笠原流なんかが出てきてからのようです。
“はん家”では靴を脱いで上がり、板の間に置かれた円座に座ります。
まずは生ビールでも頼んで、「さてツマミはどうしますかねえ」などと言っているとお通しが出てきます。

“はん家”のお通しはおしゃれなのです。これで掴みはバッチリ。
いえいえ、決しておかしな下心があるわけではないんですよ。だってふたりっきりじゃなくて、宇夫方女史も同席ですから。
お任せコースにしました。
前回来た時、その日突然バイトの子が休んだとかで、マスターひとりでてんてこ舞い。「お任せなら早いんですが」「それならそうしましょう」と頼んだコースがなかなかよくて、これから“はん家”に来た時はこれにしようと秘かに決めていたのです。

串のパレード。

さらに続くよどこまでも。

シメには御新香。

これでお一人様2,500円。ホントかしら。
マスター曰く、不景気らしい。家飲みが増えたとか、土建屋さん関係の人が飲みに来なくなったとか、ランチをやめたワケとか、狛江に較べて喜多見の商店街はとか、JINさんのところの香さんの話とか、魯園菜館もやっぱり大変らしいとか、和田屋さんのこととか、アイアンポットが潰れないのが不思議だとか、ブログで言えるハナシ言えないハナシいろいろと……
一軒だけでどうなるもんじゃないのです。一軒だけ良くてもダメなんです。喜多見の街が盛り上がらなければならないのです。わたしたちM.A.P.に何ができるというわけではないけれど、せいぜい宣伝しなくちゃね。
オーディオブックも同じこと。自分のところだけ良ければみたいな発想でやっていたら、ドデカイところに敵いっこありません。結局巨大なサイトのひとり勝ちみたいなことになってしまう。
CDだって何万枚売れるという時代じゃない。最初から1,000枚売るという発想で制作すれば、もしかするとそこに新しい道があるかもしれません。
じゃないと、iTunesとジャニーズだけという、なんとも貧しい世界になってしまいますから。
僕は黒千代香(くろじょか)。

宇夫方女史は泡盛。そして素敵な彼女はなんと日本酒。若いのに偉い!いいんですバラバラで。酒好きは一緒。
で、お待たせいたしました。日本酒好きの彼女がこちら(手前左)です。“でじじオーディオブック”を運営するパンローリングという会社の丸山ゆうきさんです。マスターとM.A.P.after5初登場の奥様も一緒に写ってくださいました。

去年、早稲田大学を卒業したばかり。大隈講堂の公演の時に人類館のことを知ったのだそうです。
あとは、今のところ内緒です。でもね、なんだか自分の娘か、歳の離れた妹みたいで、彼女の幸せを祈るおじさんなのでありました。
でじじオーディオブック制作の商品。

「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
と宮沢賢治は言いました。そんなことを昔日記に書いたっけ。
⇒社長とは呼ばないで《1984年9月13日のノート》
カンパネルラは、賢治の最愛の妹トシだったのかもしれません。
でも、かわいいお客様と一緒に食事に行ったということは、M.A.P.after5で、早速記事にしなくちゃね。
まだまださほど親しくない女性と一緒にお食事、となると、喜多見で選ぶお店は、やっぱり“はん家”。昨年5月以来です。
さて、と腰を下ろそうと思ったら、あ、円座だ。ちょっと失礼してパシャリ。
円座とは、イグサや藁などを綱に編んでそれを渦巻き状にした敷物のこと。市民劇も昨日の稽古からいよいよ「立ち」になって、鎌倉時代には畳などなく、円座のようなものに座っていたのだ、というようなハナシが出たばかりなのです。でも、この円座に座れるのはとっても身分の高い人で、板の間に上がれるだけでも相当だったらしい。その代わり、身分が低くても正座は不要。立て膝か胡坐。正座が礼儀みたいになったのは、畳が普及して小笠原流なんかが出てきてからのようです。
“はん家”では靴を脱いで上がり、板の間に置かれた円座に座ります。
まずは生ビールでも頼んで、「さてツマミはどうしますかねえ」などと言っているとお通しが出てきます。
“はん家”のお通しはおしゃれなのです。これで掴みはバッチリ。
いえいえ、決しておかしな下心があるわけではないんですよ。だってふたりっきりじゃなくて、宇夫方女史も同席ですから。
お任せコースにしました。
前回来た時、その日突然バイトの子が休んだとかで、マスターひとりでてんてこ舞い。「お任せなら早いんですが」「それならそうしましょう」と頼んだコースがなかなかよくて、これから“はん家”に来た時はこれにしようと秘かに決めていたのです。
串のパレード。
さらに続くよどこまでも。
シメには御新香。
これでお一人様2,500円。ホントかしら。
マスター曰く、不景気らしい。家飲みが増えたとか、土建屋さん関係の人が飲みに来なくなったとか、ランチをやめたワケとか、狛江に較べて喜多見の商店街はとか、JINさんのところの香さんの話とか、魯園菜館もやっぱり大変らしいとか、和田屋さんのこととか、アイアンポットが潰れないのが不思議だとか、ブログで言えるハナシ言えないハナシいろいろと……
一軒だけでどうなるもんじゃないのです。一軒だけ良くてもダメなんです。喜多見の街が盛り上がらなければならないのです。わたしたちM.A.P.に何ができるというわけではないけれど、せいぜい宣伝しなくちゃね。
オーディオブックも同じこと。自分のところだけ良ければみたいな発想でやっていたら、ドデカイところに敵いっこありません。結局巨大なサイトのひとり勝ちみたいなことになってしまう。
CDだって何万枚売れるという時代じゃない。最初から1,000枚売るという発想で制作すれば、もしかするとそこに新しい道があるかもしれません。
じゃないと、iTunesとジャニーズだけという、なんとも貧しい世界になってしまいますから。
僕は黒千代香(くろじょか)。
宇夫方女史は泡盛。そして素敵な彼女はなんと日本酒。若いのに偉い!いいんですバラバラで。酒好きは一緒。
で、お待たせいたしました。日本酒好きの彼女がこちら(手前左)です。“でじじオーディオブック”を運営するパンローリングという会社の丸山ゆうきさんです。マスターとM.A.P.after5初登場の奥様も一緒に写ってくださいました。
去年、早稲田大学を卒業したばかり。大隈講堂の公演の時に人類館のことを知ったのだそうです。
あとは、今のところ内緒です。でもね、なんだか自分の娘か、歳の離れた妹みたいで、彼女の幸せを祈るおじさんなのでありました。
(高山正樹)
でじじオーディオブック制作の商品。
「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
と宮沢賢治は言いました。そんなことを昔日記に書いたっけ。
⇒社長とは呼ばないで《1984年9月13日のノート》
カンパネルラは、賢治の最愛の妹トシだったのかもしれません。
2011年02月04日(金)08時49分
【ハチウクシー】と【マドゥトゥシビー】さらに【ウフトゥシビー】
旧暦1月2日、ハチウクシー
(参考:『那覇市史』資料編第2巻中の7)
ハチウクシー(初興し)。要するに仕事始め。小禄では3日。久米村では書初めをする。首里は那覇市史に記述なくてわからない。初拝みは小禄でも同じ。
(※ここまでは昨年の記事をコピペ)
ハチウクシーは、大きく括れば初御願(ハチウグヮン)の一種です。旧暦1月2日は、その他にも初御願関連の行事が沖縄各地に色々とあるのですが、それについてはまた来年かな……
※併せてコメントをお読みください。
『沖縄大百科事典』によると……
初起し はつおこし(ハチウクシー):年頭におこなう仕事始めの儀礼。正月2日か3日に仕事を手がけるまねをする。農家では〈ハチバル〉(初の畑仕事)といい、畑を3度鍬で掘り起こしたり、畑の見回りをして朝のうちに切り上げる。(中略)漁民は〈舟起し〉として、サバニに供物をしたり、鰹船などでは、大漁旗を掲げ、船霊に年間の安全、豊漁祈願をして祝う。大工は鋸の目立てをする。どの職業も本格的な仕事始めは初起しの翌日である。
もうひとつ。
マドゥトゥシビー
『沖縄大百科事典』によると、首里・那覇の還暦を過ぎた人は、今日から2月15日(つまり旧暦の1月13日)の間の、自分と同じ干支の日に小宴を開くのだそうです。それを「マドゥトゥシビー」という。
今年の旧暦1月は(括弧内は新暦)……
1月2日(2月4日)寅
1月3日(2月5日)卯(今年のトゥシビー)
1月4日(2月6日)辰
1月5日(2月7日)巳
1月6日(2月8日)午
1月7日(2月9日)未
1月8日(2月10日)申
1月9日(2月11日)酉
1月10日(2月12日)戌
1月11日(2月13日)亥
1月12日(2月14日)子
1月13日(2月15日)丑
これについては、まずトゥシビーのシステムを理解していないと分かりにくいですね。去年の記事にも書きましたが、あらためて「トゥシビー」についての説明を再掲します。やはり『沖縄大百科事典』から。
トゥシビー:奄美・沖縄では、自分の生まれた年と同じ十二支の年を生まれ年といい、その年の正月初めの同じ十二支の日に、無病息災を先祖や火の神に願い、祝宴を開く。(中略)生まれ年は12年ごとにまわってくるから、数え13歳・25歳・37歳・49歳・61歳・73歳・85歳・97歳に年祝いを催すことになる。このほか88歳(米寿)にも年祝いがおこなわれる。88歳と97歳の祝いはそれぞれ旧暦の8月8日と9月7日におこなう慣わしであった。沖縄諸島では88歳の祝いをトーカチ、97歳の祝いをカジマヤーという。また、生まれ年を厄年といい、今でも一部に家や墓の新築または結婚を忌む遺習がある。(中略)
首里・那覇では、マドゥトゥシビーといって還暦以降は、毎年正月に生まれ年と同じ十二支の日に小宴を開く習俗がある。原武雄によると、トゥシビーは年忌の訛であろうという。(後略)
要するに、60歳以下の人は、自分の干支と同じ干支の年の、旧暦の正月2日から13日までの間の自分の干支と同じ日にトゥシビーの祝宴を開く、けれども60歳を過ぎたら、自分の干支と同じ干支の年だけではなく、毎年正月、自分の干支の日にお祝いをする、それをマドゥトゥシビーという、というわけです。
『沖縄語辞典』によると、「マドゥ(madu)」は「隙間」のこと。また「平素」「不断」「ふつうの時」という意味もあります。つまり本来の「トゥシビー」の合い間であっても、お年寄りに対しては、平素からいつも敬いましょう、といったところでしょうか。
※ウィキペディアには、この「マドゥトゥシビー」について、還暦以上の人だけのお祝いとは限らず、年男か年女かも関係なく、「旧暦の1月1日から1月13日にかけてその年の初の干支ごとに家族全員がそれぞれ自己の干支の日に祝う」と記述されています。
通常トゥシビーといえば、年男年女とは関係のない「マドゥトゥシビー」ではなく、年男年女のお祝いを指し、「マドゥトゥシビー」に対して「ウフトゥシビー」と言われます。
※ウィキペディアから「ウフトゥシビー」についての記述をお借りしました。
ウフトゥシビー:13・25・37・49・61・73・85・97歳と12年ごとに巡る干支を祝う儀礼で、世帯に該当する者がいた場合に限って実施される。祈願は年始めの初のその干支の日に合わせて行われるが、97歳のみは旧暦の9月7日に行い、これをカジマヤーという。一般的にウフトゥシビーの年は厄年とされており、それにあたった者にとっては多難な年となるとされている。したがって新築・移転など重大な決定は避けるべきだと考えられている。
13・25・61・73・85歳はいずれもその数にウユエー(お祝い)という言葉をつけて呼ぶが、49歳は「クワヌトゥグンジューヌウユエー」と呼ばれている。クワンヌトゥは9を意味し、グンジューは50を意味する。これは厄年である49歳を早く通り越し、50歳を迎えたいという願いがこめられている。
25歳、37歳、49歳は家族のみで行われ、61歳からは、親戚・友人・近所を自宅に招き盛大に祝う。
年ごとの特徴
13歳:大人の仲間入りとして祝うものであり、体の念願や幸運、立身出世を願うものとされている。なお女子の場合は、次のトゥシビー(25才)には嫁いでいることがあるため、しばしば実家での最初で最後の祝いとなることから、当人の女友達や親戚も招いて盛大に行う習慣があった。
25歳・37歳:祝う習慣はなく、厄年の災難が無事に切り抜けられるよう願立てをする。
49歳:老人の仲間入り、大厄。
61歳:還暦。大きなお祝いを開く。
73歳:長寿を祝う。ヒヌカンやトートーメーへの祈願のみ、家族で食事を行う程度。
85歳:干支を7回りを祝い、大きな宴席を設ける。一方、これ以上の長寿は稀であったため、これ以上の長命は子や孫の分まで生きるものとして嫌う考えもあった。
97歳:カジマヤー。(奄美にはほとんど見られない。)※別途記事にて
こんな調子で“沖縄この日何の日”アップしていこうとは考えているのですが。
しかし、隙間(マドゥ)なく記事が書けるかなあ…
(参考:『那覇市史』資料編第2巻中の7)
ハチウクシー(初興し)。要するに仕事始め。小禄では3日。久米村では書初めをする。首里は那覇市史に記述なくてわからない。初拝みは小禄でも同じ。
(※ここまでは昨年の記事をコピペ)
ハチウクシーは、大きく括れば初御願(ハチウグヮン)の一種です。旧暦1月2日は、その他にも初御願関連の行事が沖縄各地に色々とあるのですが、それについてはまた来年かな……
※併せてコメントをお読みください。
『沖縄大百科事典』によると……
初起し はつおこし(ハチウクシー):年頭におこなう仕事始めの儀礼。正月2日か3日に仕事を手がけるまねをする。農家では〈ハチバル〉(初の畑仕事)といい、畑を3度鍬で掘り起こしたり、畑の見回りをして朝のうちに切り上げる。(中略)漁民は〈舟起し〉として、サバニに供物をしたり、鰹船などでは、大漁旗を掲げ、船霊に年間の安全、豊漁祈願をして祝う。大工は鋸の目立てをする。どの職業も本格的な仕事始めは初起しの翌日である。
もうひとつ。
マドゥトゥシビー
『沖縄大百科事典』によると、首里・那覇の還暦を過ぎた人は、今日から2月15日(つまり旧暦の1月13日)の間の、自分と同じ干支の日に小宴を開くのだそうです。それを「マドゥトゥシビー」という。
今年の旧暦1月は(括弧内は新暦)……
1月2日(2月4日)寅
1月3日(2月5日)卯(今年のトゥシビー)
1月4日(2月6日)辰
1月5日(2月7日)巳
1月6日(2月8日)午
1月7日(2月9日)未
1月8日(2月10日)申
1月9日(2月11日)酉
1月10日(2月12日)戌
1月11日(2月13日)亥
1月12日(2月14日)子
1月13日(2月15日)丑
これについては、まずトゥシビーのシステムを理解していないと分かりにくいですね。去年の記事にも書きましたが、あらためて「トゥシビー」についての説明を再掲します。やはり『沖縄大百科事典』から。
トゥシビー:奄美・沖縄では、自分の生まれた年と同じ十二支の年を生まれ年といい、その年の正月初めの同じ十二支の日に、無病息災を先祖や火の神に願い、祝宴を開く。(中略)生まれ年は12年ごとにまわってくるから、数え13歳・25歳・37歳・49歳・61歳・73歳・85歳・97歳に年祝いを催すことになる。このほか88歳(米寿)にも年祝いがおこなわれる。88歳と97歳の祝いはそれぞれ旧暦の8月8日と9月7日におこなう慣わしであった。沖縄諸島では88歳の祝いをトーカチ、97歳の祝いをカジマヤーという。また、生まれ年を厄年といい、今でも一部に家や墓の新築または結婚を忌む遺習がある。(中略)
首里・那覇では、マドゥトゥシビーといって還暦以降は、毎年正月に生まれ年と同じ十二支の日に小宴を開く習俗がある。原武雄によると、トゥシビーは年忌の訛であろうという。(後略)
要するに、60歳以下の人は、自分の干支と同じ干支の年の、旧暦の正月2日から13日までの間の自分の干支と同じ日にトゥシビーの祝宴を開く、けれども60歳を過ぎたら、自分の干支と同じ干支の年だけではなく、毎年正月、自分の干支の日にお祝いをする、それをマドゥトゥシビーという、というわけです。
『沖縄語辞典』によると、「マドゥ(madu)」は「隙間」のこと。また「平素」「不断」「ふつうの時」という意味もあります。つまり本来の「トゥシビー」の合い間であっても、お年寄りに対しては、平素からいつも敬いましょう、といったところでしょうか。
※ウィキペディアには、この「マドゥトゥシビー」について、還暦以上の人だけのお祝いとは限らず、年男か年女かも関係なく、「旧暦の1月1日から1月13日にかけてその年の初の干支ごとに家族全員がそれぞれ自己の干支の日に祝う」と記述されています。
通常トゥシビーといえば、年男年女とは関係のない「マドゥトゥシビー」ではなく、年男年女のお祝いを指し、「マドゥトゥシビー」に対して「ウフトゥシビー」と言われます。
※ウィキペディアから「ウフトゥシビー」についての記述をお借りしました。
ウフトゥシビー:13・25・37・49・61・73・85・97歳と12年ごとに巡る干支を祝う儀礼で、世帯に該当する者がいた場合に限って実施される。祈願は年始めの初のその干支の日に合わせて行われるが、97歳のみは旧暦の9月7日に行い、これをカジマヤーという。一般的にウフトゥシビーの年は厄年とされており、それにあたった者にとっては多難な年となるとされている。したがって新築・移転など重大な決定は避けるべきだと考えられている。
13・25・61・73・85歳はいずれもその数にウユエー(お祝い)という言葉をつけて呼ぶが、49歳は「クワヌトゥグンジューヌウユエー」と呼ばれている。クワンヌトゥは9を意味し、グンジューは50を意味する。これは厄年である49歳を早く通り越し、50歳を迎えたいという願いがこめられている。
25歳、37歳、49歳は家族のみで行われ、61歳からは、親戚・友人・近所を自宅に招き盛大に祝う。
年ごとの特徴
13歳:大人の仲間入りとして祝うものであり、体の念願や幸運、立身出世を願うものとされている。なお女子の場合は、次のトゥシビー(25才)には嫁いでいることがあるため、しばしば実家での最初で最後の祝いとなることから、当人の女友達や親戚も招いて盛大に行う習慣があった。
25歳・37歳:祝う習慣はなく、厄年の災難が無事に切り抜けられるよう願立てをする。
49歳:老人の仲間入り、大厄。
61歳:還暦。大きなお祝いを開く。
73歳:長寿を祝う。ヒヌカンやトートーメーへの祈願のみ、家族で食事を行う程度。
85歳:干支を7回りを祝い、大きな宴席を設ける。一方、これ以上の長寿は稀であったため、これ以上の長命は子や孫の分まで生きるものとして嫌う考えもあった。
97歳:カジマヤー。(奄美にはほとんど見られない。)※別途記事にて
こんな調子で“沖縄この日何の日”アップしていこうとは考えているのですが。
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