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“安里屋ゆんた”と“たきどぅん”

その頃、カミサンは杉並公会堂にいた。

八重山古典民謡保存会関東支部
設立三十周年記念公演
大濱安伴生誕百年記念公演

「どうだった」
「なんもわからんかったさ」

一昨年の11月の“八重山芸能 あやぱに会”の時と全く同じ感想だ。沖縄語を話す会で仕入れてくるウチナーグチの昔話を、僕が殆ど意味を理解しないまま読んでも、それを聞いてケラケラと笑うカミサンなのだが、八重山の言葉は全くチンプンカンプンらしい。

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今度の“狛江市中央公民館”のつどいで、我々三線教室のメンバーは、定番の新“安里屋ゆんた”と、この竹富島の正調“安里屋ゆんた”の両方を演る。
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八重山地方には、大和にも沖縄にもない音韻があって、こいつがまた難しいのだ。
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「八重山古典民謡保存会」といえば、いつか代田橋の“たきどぅん”で公演の打ち合わせをやっている時に居合わせたよなあ。
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確か、この支部長さんは、たけみママのお兄さんだったはず、と、昔の記事を探してみた。あったあった。
 ⇒八重山古典民謡保存会の皆様(画像再掲)
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ね、オイラの向こう隣で何故かソッポを向いているのが東玉盛靖修さんだ。
おや?、この画像の右側一番手前の美しい女性、どこかで見たような、ああ、もしかして、亘さんの“やいま”でのライブの時、ゲストで歌った女性じゃないかいな。
さっそく“やいま”で貰った名刺を出してきて確かめた。それからそのお名前を、この日のプログラムに探した。
するとほら、ありました!宮薗あき子さん。
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そうか、“やいま”で歌う姿を見て、どこかでお会いしたような気がしたのだけれど、それが“たきどぅん”だったんだ。あー、すっきりした。

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tag: 沖縄居酒屋.たきどぅん  富本たけみ 

ある秘密結社の活動(暫定記事)

《2月12日(土)》
ある秘密結社の、年一回の活動日なのだ。M.A.P.は今回初めての正式参加である。
前回は桜新町の、とある家屋で行われたが、磯野家とは関係はない。今年は場所を変えて、MHKの原点に戻って阿佐ヶ谷で開かれることになった。だが、もちろんオームとも全く接点はない。
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いったい、何をたくらんでいるのだ。

後日、書きますが…

取り急ぎ、敬意を込めて。
本日も大黒柱の須合敏則氏でした。
須合敏則氏
おまけ。今日もお休み、祥一お兄ちゃん。
高橋祥一氏

tag: #味噌秘密結社 

古鎌倉街道の中道の支道

二本担いでいくのはちょっと無理だな。
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詰日が刻印されていないほうが古いのかもしれないが……
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詰日が表示されているほうにしよう。じゃないと、古いことがわからないからね。
記録がないと、誰も信じない。
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2005年9月1日か。泡盛は瓶熟成するからね。5年ものの酒(クースー)だ。ずっと本部の暗い戸棚の中に置いてあったから、きっといい状態で熟しているに違いない。

喜多見の事務所で少し仕事をして、自転車で阿佐ヶ谷に向かう。と、すぐに雪が降ってきた。失敗したかな。
北上して国道20号(甲州街道)に出る。新宿方面に走り、上北沢から左に曲がるのだが、そこにこんな看板があった。地図調査用語で言えば交差点名板である。
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後で調べたら、鎌倉街道の中道の支道らしい。この南は、世田谷区を突っ切って、祖師ヶ谷大蔵から喜多見の南側を回るようにして登戸へと続いている。機会があれば、地図でも携えて歩いてみるか。

石橋山の合戦に破れ安房国に逃れていた源頼朝が、やがて味方を増やして武蔵を窺う。いよいよ畠山重忠らを味方につけ、武蔵の国を通って鎌倉入りする。記録には残っていないが、稲毛三郎重成も、従兄弟の重忠と共にその中にいたに違いない。その折に通った道がここだという説もあるらしいが真偽は定かでない。

ここから1km足らずのところに神田川が流れていて、架かる橋の名が鎌倉橋であった。
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当時の古い道筋と今のこの商店街とは位置が違うのかもしれないが、歴史などというものを学ぶと、なんでもないこんな道からも、古(いにしえ)の匂いを感じようとしている素直な自分がいて不思議だ。
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時の支配者が残した記録から抹消された真実……

鎌倉道は途中から東へ、中野の方角へ抜けていく。ボクはそれと分かれてまっすぐに北へ向かう。

今日はこれから、阿佐ヶ谷でMHKの会合なのである。

tag: 「枡形城落日の舞い」