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だからよ〜

東日本大震災から81日目……

竹田圭吾氏の呟きを読む。

「そこまで反原発を唱えるなら、なぜ同じ熱意で反米軍基地と言わないのだろう。汚染や放射線が心配とか、要するに自分の身の安全を心配してるだけじゃないか。と、もし自分が嘉手納町民や名護市民だったら」
「宜野湾、普天間に行ったことのある人はわかると思うが、小学校の真上を米軍機が轟音を立てて飛んでいく。毎日の騒音だけではなく、沖国のヘリ墜落みたいな事故が起きたら…と思うと、親は多分気が気でない。米兵が女子小学生を集団暴行した時さえ『沖縄の子どもたちを救え』は日本中には響かなかった」

一言、だからよ〜、というコメントをつけてリツイートしてみた。

M.A.P.after5には「沖縄」というメインカテゴリの下に、「基地のこと」というサブカテゴリがある。
その最初の記事は2008年9月12日、大城立裕氏の誕生会の記事。
 ⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/otanjou…
大震災のちょうど2年半前のことであった。



2011年5月の、とある1日のこと

忘れられないこと……
東日本大震災から80日目。

朝方から「問題は福島ばかりではない、沖縄だって問題なんだ」というような呟きを、いくつかリツイートしていた。言い知れない虚しさを憶えながら。

娘は、1日早く京都へ帰った。
息子と沖縄に来たのは、ようやく歩き始めた頃連れて来たきり、ほとんど20年ぶりである。子供が生まれるずっと前から考え続けていた沖縄のことを、僕は何一つ子供たちに伝えることができない。彼らには沖縄の血が半分流れているというのに、というより、半分流れているからこそ伝えることができないのだという気がしている。

義理の弟の嫁さんが車を貸してくれるという。女房が頼んだらしい。
息子に聞いた。
「どこに行きたいんだ」
「どこでもいい」
「お前がどっかに行きたかったんじゃなかったのか」
誰もが、僕に気を使っている。

車の中から、従うべき正面の信号を撮影した。
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なぜかソッポを向いている。昨夜の風で曲がったのである。いたるところに、そんな信号があった。

開店前の銀行。シャッターを水洗いしている。
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台風の後、そうしておかなければ錆びてしまうのである。

ガソリンスタンドは洗車の車で長蛇の列。
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勝連の城跡が、昔のような感動を与えてくれないことは分かっていた。しかし、少ない時間で行ける場所は、此処しか思いつかなかった。
 ⇒2009年2月3日の勝連城跡
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だが、今日は雲ひとつない空。沖縄のステレオタイプなイメージとは裏腹に、実は天気の悪い沖縄、今日のこの空は、沖縄では滅多に拝むことのできない雲ひとつない快晴の空である。
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しかし、やっぱり海は何も伝えてこない。
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「ずいぶんつまらない海になっちゃったなあ。昔はこんなんじゃなかった。あの頃のこの海は、吸い込まれるくらいきれいな、色んな緑だった」
「ふーん……」

世界遺産に指定されて作られたオブジェ。つまり、作り物。
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本物が、すぐそこにあるというのに……。

「荷物をまとめなきゃならないからな、どっかで飯食って戻ろう」

沖縄市の街には今年のキジムナーフェスタのポスターが貼ってあった。
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「俺はこれとこれに出るんだ……」
山猫合奏団と、
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亘先生と一緒にチョンダラー。
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そんなことをつまらなそうにポスターを見ながら、誰に聞かせるでもなく言ってみたような気がする。なんだかはっきり憶えていないけれど。

「こんな店でいいか」
「うん、問題ない」

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一年ぶりの“チャーリー多幸寿”。
 ⇒1年前の“チャーリー多幸寿”の記事
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【そうして、つまらないことを呟いた】

15:39
沖縄に錆びた車が少なくなったのはヤンバルにダムができたから。今回台風の翌日が日曜日で仕事が休みだったので、自動車を洗う人がたくさん。断水の危機だったとか。

15:42
台風から2日目、沖縄の空は珍しく雲ひとつない。今日も相変わらずガソリンスタンドには洗車待ちの自動車が長蛇の列を作っている。



「中味汁、作ったけど、食べるねえ」
……と、義母。少し苦手だが、今日は頂くことにした。
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中味汁が大好きだった義父にそっと線香を供えて、空港へ向かった。

もう少し、自由に生きてみるかな。
(ずっと勝手に生きてたじゃないか)
(そんなことはない、ずっとお前たちのことを考えていた)

窓際に座っていた息子が、ほら見てというように目配せをした。
ボクはカメラをカバンから出して手渡した。
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息子は窓の外を撮影して、カメラを返しながらこんなんでいいかという顔をした。

「沖縄はさ、なかなか日が暮れない」
でも、夜は必ず訪れる。南国の長い1日が、間もなく終わろうとしている。

tag: 沖縄の呑食処.チャーリー多幸寿 

特筆すべきことなし?

《5月29日(日)-3》
先に帰る娘を空港で見送った帰り、義母や義弟の家族と、沖縄県立那覇商業高等のソバに最近開店したお店で沖縄そばを食べることにした。創業40年近い名護市の「中山そば」が出した支店である。
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学生限定の那覇商そば280円なんてメニューもある。他校の生徒でもOKらしい。

結婚した姪っ子は那覇商業の出身。ということは、津嘉山正種さんの後輩なんだ、てなハナシで特に盛り上がることもなく。BIGINに会ったよとでも言えれば食いつきも違うんだろうけれど。

ソーキそば。
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沖縄そば。
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沖縄そばには三枚肉が乗っている。「きつねそばにはお揚げが乗っている」くらい普通の話。「そば」と言っても蕎麦粉は使われていません、というのも沖縄の常識。「へえ、そうなの」なんていう日本人も結構いるが、中華そばに蕎麦粉が使われていないことに驚く人はまずいない。焼きそばしかり。
 ⇒沖縄そばについての薀蓄

どうでもいいハナシで無理やり記事を水増ししている感じだな。要するに特筆すべきこと特になしなのだ。なぜだろう。どうやら食傷気味らしい。なんだか気分が優れない。味わう楽しみを忘れている。そして、微妙な味の違いが分からなくなっている。

そのかわり“沖縄そば”のサブカテゴリを作ってみた。

ついでに“津嘉山正種”のカテゴリも作ろう。さて親のカテゴリはどうするか、津嘉山さんといえばケビン・コスナーにロバート・デ・ニーロ、だから「M.A.P.縁の人たち」がいいかなとも思ったが、やっぱりM.A.P.にとっては津嘉山さんは沖縄、だから「沖縄のこと」にしておくことにした。

「なんか忘れてないか……」
忘れているほうが幸せってこともあるさ。でも、きっと忘れることができずにいるんだろう。ここは遠い沖縄だというのに。

続きを読む

tag: 沖縄の呑食処.中山そば 

今日の又吉健次郎さん

《5月29日(日)-2》
時には東日本大震災から何日目かなんてことは忘れて記事を書いてみよう。

今日の又吉健次郎さん。
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しかし、なかなか忘れられない。色々なモヤモヤのない日に、あらためて書く。



tag: 又吉健次郎 

台風一過(暫定投稿)

《5月29日(日)-1》
東日本大震災から79日目……
台風一過。

大城立裕さんに娘を会わせたいと思った。東京の事務所にいる宇夫方女史に、先生の都合を聞いてくれるように頼んだ。
しばらくして、僕の携帯に大城先生から電話がかかってきた。午前中は台風の片付け、午後は芝居を見に行くので残念ながら時間が取れないとのこと、わざわざ直接の御連絡、恐縮至極である。
昨日、県立博物館に娘を連れて行ったことをお話した。すると池宮城さんのこと、そして佐藤優氏の話になった。

「台風は大丈夫でしたか」
「たいしたことはなかった。あっという間に通り過ぎたからねえ」

どんなに威力が大きくても、あっという間に去ってくれるならなんとかなる。どうやら、だらだらと居続ける奴のほうが厄介らしい。
地震と津波。それと原発。較べてはいけないと思いつつ、ふとそんなことを思った。

たいしたことはなかった? そういってもねえ。

今日の那覇。
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どっからか飛んできたとしか思えない自転車。
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こいつは危ないが、放射能とどっちが危ないの?
確率的にはどうなのさ、池田信夫、答えてみろ!

パラダイス通りへ。
あら、ななしん屋。扉が壊れてる。息子さんが修理中。
ママ、裸足だし、すっぴんだから出て来れないって。
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そういえばママ、6月4日の公演プログラムに、広告掲載ありがとうございました。

おや、土の看板。
土は上?昇天しちゃった?
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あらまあ。
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「ごうさん、いる?」と声を掛けてみた。
2階から「ああ」と眠たそうな声。
ごうさんがどんな状態で寝ていたのか、もしmixiなどというものをおやりの方がいらっしゃいましたならばごうさんの日記にて……
 ⇒http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1729899092…
「起こしちゃってごめんね」
「ううん、いいさー」
「扉、すごいことになってるねえ」

などとハナシつつ……

「お土産に泡盛とか買いたいんだけど、いいお店知ってる?」
「案内してあげようか」

壊れたドアをそのままに、ごうさんは着替えて出てきてくれた。

「大変だねー」などと声を掛けつつ……
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国際通り。
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沿道の植え込みは、みんな塩水にやられている。
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でも、きっとすぐにすくすくと復活するんだろうなあ。

また変なことを言うと、きっと誰かに叱られる。でも頭の中がそうなっちまっているんだから仕方がない。

「大震災の被災地に較べれば、みんな長閑な風景に見えてくる。誰も死んでいない。そして大地に恵みを与える陽の光……」

この島のどこかにあるであろう核兵器のことを忘れていればのハナシだけれど。

この後のことは、後日追記することにしましょうね。




tag: 大城立裕  沖縄の呑食処.Bar土  沖縄の呑食処.ななしん屋 

沖縄の結婚式事情(暫定記事)

《5月28日(土)-2》
東日本大震災から78日目なんてことは忘れて……
沖縄へ来るべきか否か、迷った。台風が来るからではない。考えたのは親父の容態のことであった。一週間は大丈夫、そう医師に言われて、姪っ子の結婚式に出ると決めたのだ。

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料理に沖縄色は一切ない。
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シマ酒を飲む人もあまりいない。みなビールを飲んでいる。

まあ料理はこの際どうでもいい。噂に聞く沖縄のニービチ(結婚式)の独特な盛り上がりを楽しみにやってきたのだ。

(以下後日、しばし待たれよ……)
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結婚式が終わって表に出ると、画像では分かりにくいが、とんでもないことになっていた。
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【そして呟いたこと】

22:30
たった今車で帰ってきたのだが、いろんなものが車に当たってきた。地元の人もこんなのは滅多にないと言っている。あ、また電気が一瞬消えた、あ、まただ。

23:00
カメラを持って表に出てみた。しかし風は写らない。色々挑戦しているうちにカメラが濡れた。舐めてみたらしょっぱかった。海水だぜこれ。沖縄の車が錆びる原因。


もうすぐ台風がやってくる

《5月28日(土)-1》
東日本大震災から78日目……
どでかい台風が接近中。だから外出を控えた。ところが朝からずっと晴れている。
昼、近くの沖縄ソバ屋まで歩いて行った。
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頼んだのはやっぱりソーキそば。
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ジューシーも。
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帰り、少しパラっと来たが、すぐに止んだ。
途中、ちょっと寄ったファミリーマート。なんか変だ。
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ゴミ箱がないんだ。
ゴミ箱は台風に備えて店内に退避なのである。
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因みに、セブンイレブンは沖縄にはない。
 ⇒http://lince.jp/hito/orikoo…

テレビは、全く映らない。
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しかし午後5時前、まだ雨は降り出さない。ああ、こんなことなら出掛ければよかった。そうすれば、いくつか用事を済ますことができたのに。

「そろそろ時間よ~」

沖縄県立博物館にて(暫定追記執筆中)

《5月27日(金)-2》
東日本大震災から77日目ということを忘れてしまった日……
モノレールをおもろまち駅で降りて雨の中を県立博物館まで歩く。

まず、ミュージアムショップ“ゆいむい”に顔を出して池宮城さんにご挨拶をして娘を紹介した。なんで娘を紹介したのかは今のところ至極私的なミステリーなのでお話はしない。

「琉球新報に路さんの公演の記事が載ってましたよ。カラー写真で。お電話しようと思っていたんですが」
「そうですか、後で新聞捜してみよう」

「今、岡本太郎展の準備で、中はバタバタしていて……」
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“岡本太郎と沖縄”は是非観たい企画だったが、開催は31日から、残念ながら諦めるしかない。

岡本太郎は川崎市に縁の人物だし、“おきなわおーでぃおぶっく”のラインナップに加えようと、岡本太郎の著作を管理するところに書類を渡してあるのだが、いっこうに音沙汰がない。といっても、こちらも忙しくてそれっきり連絡もしていない。ぼちぼち動かさなければと思うが、さて。

そういえばもう何度もここに来ているが、まともに常設展を見学したことがない。これでは元館長大城立裕さんにも申し訳ない。
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常設展の中には一部撮影できる場所がある。
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(執筆中)

【そうして浦添に戻って呟いたこと】
18:00
雨!濡れたって平気!沖縄!これが当たり前、当たり前なことを奪った原発は、やっぱり許せないと、沖縄の空の下であらためて思う。


夜は、義母のソーキ汁でシマ(泡盛)をやるのであった。
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続きを読む

沖縄那覇国際通り周辺にて

《5月27日(金)-1》
東日本大震災から77日目ということを忘れそうな日……

沖縄に着きました。
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社長からの完全なる脱却、はじまりです。

とりあえず荷物がたくさんあるので、というのも結婚式用の礼服を持ってきたから、カミサンの実家へ向かいます。

【そうして呟いたこと】
10:40
只今沖縄の浦添市におります。決して放射能から逃げてきたわけではありません。それでもホントに久しぶりに野外で深呼吸しています。しかし台風だって?なんてこった。

10:42
しかし蒸し暑い。それでも深呼吸できる幸せ。


そして、子供たちと一緒でなければまず行かないであろう昼の国際通りを、ぶらついてみることにしました。
代行さんとよく似たかりゆしウェアを買ったキーストーンが閉店するらしい。
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 ⇒代行さんとよく似た……
 ⇒かりゆしウェアを買った……
 ⇒国際通りのキーストーン

パラダイス通りの大東そばで大東そばと島寿司を食う。
大東ソバの看板
 ⇒2009年6月13日の昼間の大東ソバ
 ⇒2009年12月22日の夜の大東ソバ平和通りへ。
あ、カンカラ三線だ。
カンカラ三線販売中
 ⇒カンカラ三線のこと
カンカラ三線を売る、その妙な感覚。いったいどういう人が買うんだろう。買って、どうするんだろう。

紅芋のシェーク。
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このお店で、アルバイトを募集していた。
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どうやら17:00~21:30の人は見つかったらしい。
「時給700円~」っていうことは700円なんだろうね。これ、沖縄では普通。600円台もザラです。
しかし「43歳くらい迄」というのがよくわからん。

けっこうな雨模様。でもここは沖縄。濡れることを気にせず、今来た国際通りを再度西へ戻り、パレット久茂地の4階にある那覇市歴史博物館まで歩く。娘の希望。息子と女房は別行動。
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ボクは、娘に付き合いながら、今後のことを考えていた。一週間前なら「戦略」とでも言ったところだが、今は少し違う。もっと根源的な、でも言葉にしようとすると、「さて、何をするか」みたいな平易な言葉しかあてはまらない思い……

“M.A.P.after5”にとっての最大のミステリー。

さあ、ボチボチモノレールに乗ろう。でないと、県立博物館でゆっくり観覧する時間がなくなってしまうから。

拘り続けると決めたんだが……

今日も事務所で“東京にゃいと倶楽部”の録音。2日目のゲストは古本大志くん

コンケン・アイに行きたいという白石准。帰りが面倒だが、後は野となれ山となれ。

すべて、ひとりごと……
(原発みたい……)

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(だからさ、気にしてないよ、まったく)
(しつこいなあ)
(しつこいさ。言い続けると決めたんだ)
東日本大震災から76日目!

アイちゃんは今、M.A.P.の琉球舞踊教室に通っている。
この日も稽古の日。でもアイちゃんはいつも2時間で早上がりする。ねむたそうなアイちゃん。路っちゃん先生はまだ稽古中でいないし、ボクや白石准がいくらおべんちゃら言ったって、アイちゃんの御機嫌はちっとも戻らない。ところが古本大志くんを見つけると、アッという間にアイちゃんがの顔がほころんだ。
アイちゃんは5月1日の山猫合奏団の“オツベルと象”を見に来てくれた。
「パオーン!ほんとのゾウかとおもった」

天真爛漫なふたり。
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嫉妬なんかしない。
(年が近いもんね)
(そうか、僕らと古本くんより、古本くんとアイちゃんのほうが近いんだ!)

(ボクに子供がいれば、考えちゃいますよね)
大島純は何を思うか。

(東京は大丈夫だ。問題ない)
(風評被害を避けたいから、そんなこと言うんだね?)

(こだわり続けることが本当に正しいのか)
(ここは柏市ではないから)

宇夫方路は、柏市で育った。

(ホットスポットではないから)
(ホント?)
(さあ……)

「御用学者・トンデモ学者」と言われる武田邦彦先生曰く、子供にとって危ないのは、毎時0.6マイクロシーベルト以上。東京新宿は毎時0.06マイクロシーベルト(文部科学省発表)。
狛江市で調べている人がいて、それによると、この日の地上1cmの放射線量はおよそ毎時0.2マイクロシーベルト。
 ⇒http://takuya.tv/hosu…
(ずいぶん違うんだね)
(空間線量だけ、内部被曝は考慮していません)
(食べ物とかに含まれているやつね)

「寝ちゃったよ」
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(この笑顔がいつまでも消えませんように)

(門外漢は、何も言わないことが正しい)
(……のか)

ボク、明日、毎時0.02マイクロシーベルト(文部科学省発表)の沖縄へ行きます。朝6時半羽田発の飛行機で。
因みに東京~ニューヨークを飛行機で飛ぶと100マイクロシーベルトくらい浴びるらしい。つまり、今の数値で沖縄あたりに短期避難したって意味はないってこと。行かないほうがマシ。ただ、3月15日前に避難していたとしたら、それは正しい判断だったってことなのかもしれない。

(ほんとにしつこいなあ)
(やっぱり、許せないんだよ)
(何が?
(何かがさ……)
(迷惑なハナシだ……)

だから、すべてひとりごと。

tag: 山猫合奏団  松原通_居酒屋.コンケン・アイ