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3/31のツイートまとめ

gajumui

福島原発の近くの病院がどんどんなくなり、もし作業中に脳梗塞などを起こしたらまず助からないと、吉川彰浩氏から聞いていた。先日の事故も、もし近くに総合病院があればと、ニュースを聞いてすぐに思った。案の定らしい。 福島原発近くで、ひとつ繁盛している病院。それはいわゆる精神科の病院。
03-31 10:36

アプリシエイトフクシマワーカーズ代表、吉川彰浩氏から話を聞く会を、5月10日に予定して話を進めている。吉川氏曰く、「原発推進派だけではなく、反対派の人々をも含め、日本人が変わらないなら、原発を続ける他に道はない」 https://t.co/owaNtquxyI @gajumui
03-31 10:42

とある居酒屋で、かつて電力中央研究所に勤務し、いまは東海村にいる方に出会った。彼は吉川氏の言葉に深く同意した。「推進したくて推進している人なんていません」 廃炉の作業方法を、自分がいなくなった後の後継にまで伝えていかなければならない、その空虚さと困難さ。 @gajumui
03-31 10:58

@gajumui そんな人が、ひと際とぼけた顔で、「ダンス」とやらを踊るのである。
03-31 11:22

ストリートダンスもブレイクダンスも、本来ダンスのスタイルやジャンルを表わす言葉ではない。ヒップホップとは、抵抗する若者が踊るダンスの総称であった。今の日本のダンスを踊る若者たちは、そのことを知らない。きっとそんな話を、池田洋平マンが語ってくれる。 @KitamiFilmfes
03-31 11:31

いったい今の日本で、どのくらいの人たちがハワイアンダンスを踊っているのだろう。大流行なのである。だが、その多くの人たちが、その歴史を知らない。ダンスに深く刻まれた文化を知らない。ふと立ち止まって思いをはせる、そんな企画になればいいと思っている。@KitamiFilmfes
03-31 11:36

喜多見と狛江の小さな映画祭、プラスαの重要性。第2回も上映後の企画が盛りだくさん。例えばダンス。伴奏は絶対に生。意外に踊る人はダンスの文化に無頓着で、歌付きの伴奏者のほうが深く考えている場合が多いのだ。それは言葉のおかげ。車の両輪、実はこの言葉こそ、この映画祭の真髄なのかも。
03-31 12:26

豊かな身体言語を獲得した感性に、こちらの言葉を伝えることが如何に絶望的で困難なことか、そう思ったりする。人は変わらないと諦めたりもする。語り合えぬモノ。例えば音楽と言葉。それでも僕は、この通路にしか世界を変える糸口はないと、どうやら思い込みはじめているらしい。
03-31 14:00

ふと「地域」というものが立ち上がってくる。思想も、趣味も、仕事も、一切意味ある関係は存在せず、たまたま居合わせたことの可能性。偶然に隣り合わせた人に話しかけるキッカケを、夜な夜な僕は探しに出掛ける。 そこは、異質の宝庫である。喜多見と狛江。 @gajumui
03-31 14:14

狛江には映画人が多い。その狛江で、「非行少年」を撮った決して恵まれていたとはいえぬ映画人生を送った監督の娘さんに出会った。どうしても「非行少年」を上映したいと思った。狛江に多いという噂のヤンキーにも、ヒップホップのダンサーにも見てもらいたいと思った。 @KitamiFilmfes
03-31 15:38

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3/31のツイートまとめ

ubukatamichi

カタツムリのことは消費税のあとにね・・・
03-31 10:20

03/30のツイートまとめ

gajumui

様々な国の多くの人たち。2m先の小池百合子女史があたりの皆に聞こえるような独り言。僕と目があって笑う。こういう場合、誰もが微笑みを返すものと、もしそうお思いでしたらとんでもない。小生極度の捻くれ者で、というよりその時ずっと考えていたのです。「小池百合子とパレスチナ、そして沖縄…」
03-30 11:16

ウード奏者の松尾賢さんの出る催しに行ったのである。パレスチナの検問所を模したオブジェ、その金網に挟まった賢さんの写真を撮ったのだが保存しそこなって残念なのである。パレスチナのフォークダンスが素敵だったのである。そして、映画祭のパレスチナ関連映画の日程がひとつ決まったのである。
03-30 11:28

喜多見の球屋さんのママのパパは三線の名手。お店が7周年記念で、娘のために一肌脱いだパパのライブを聞きに行った。琉球民謡協会最高師範、知念榮。実にいい。同じ曲でも民謡と古典は違う。全く違うわけではないが、その小さな違いがでかい。寄り添う心が違う。その違いが心に染みていい。
03-30 11:50

今ドイツで板前をしているあの「放浪のバイト君」と先日再会した「三太郎」は友人、かつて50人ほどの外注さんがいた頃のわが社に一緒にやってきて働いてくれていた。その放浪のバイト君のシュタールが、弦を外したママ事務所にあって、その弦を張ってくれるという女神に、昨夜狛江の後段で出会う。
03-30 12:10

狛江の隠れ家っぽいお店“後段”は今月をもって終わる。10年間使った泡盛の甕、M.A.P.で頂けることに相成りました。吹上くんに感謝!そういえば昨年閉店した喜多見の焼き鳥屋“ふくや”さんには、座敷の座布団と、数十年継ぎ足してこられた焼き鳥のタレを頂きました。全部映画祭で使用する。
03-30 12:17

喜多見と狛江の映画祭の前夜祭でライブをお願いしている さこ大介さんが、経堂のライブ帰りにふっと“後段”に登場。わがZENZAバンドが、なんと前座で40分やることに決定。こうなると琉球舞踊も必要だね。その他色々趣向を考えようっと。そしてその後ミートステーションで〆、また出会いあり。
03-30 12:48

劇団1980主宰の藤田傳さんが亡くなった。一度お世話になった。会社が忙しさの絶頂の時に、敢えてみんなに許可を貰って傳さんの芝居に出たのである。でも結局、あれから会社の雰囲気がおかしくなっていった。たぶん変わったのは僕、会社的な発想を失い、会社にイラついたのだ。ご冥福をお祈りする。
03-30 13:23