2018年10月28日(日)23時30分
お疲れの真喜ちゃんと
真喜ちゃんと苗で待ち合わせをした。
でも、苗は閉店していた。

どんどんと知っているお店が無くなっていく。
真喜ちゃんから電話が来る。近くの“ふくぎ”という店にいると。

行ってみたら、来たことのあるお店だった。
真喜ちゃん、那覇空港から直行で疲れているみたい。ごめんね。
真喜ちゃん、今、堀内加奈子さんと一緒に首里クェーナ保存会でやってるらしい。
真喜ちゃんが、ダニエル・ロペスの「カタブイ 沖縄に生きる」はいい映画だったねと言った。ただダニエルがテレビ番組の司会で出ている場面は余計と笑った。
そして来年の沖縄映画祭で、真喜ちゃんが作ったTV番組を三本上映することに決まった!
映画といえば沖縄市に面白い人がいるよという情報を真喜ちゃんから貰った。
真喜ちゃんに、自分のやっていることに素晴らしい価値があるということを知らないオジイが西表島にいるから、会いに行ったほうがいいと言われた。

真喜ちゃんに、今度また新しいお店を教えてもらうことにした。
いつか僕らを、“土”というBarに連れて行ってくれたみたいに。
(そうだ、あの日のことを思い出した。真喜ちゃんとはじめて会った日。それははじめて苗に行った日。その日、真貴ちゃんは僕らを“土”に連れて行ってくれたんだ。そんな日のこと。その“土”も、ごうさんが死んじまって、だからもう今はないんだ…)
でも、苗は閉店していた。

どんどんと知っているお店が無くなっていく。
真喜ちゃんから電話が来る。近くの“ふくぎ”という店にいると。

行ってみたら、来たことのあるお店だった。
真喜ちゃん、那覇空港から直行で疲れているみたい。ごめんね。
真喜ちゃん、今、堀内加奈子さんと一緒に首里クェーナ保存会でやってるらしい。
真喜ちゃんが、ダニエル・ロペスの「カタブイ 沖縄に生きる」はいい映画だったねと言った。ただダニエルがテレビ番組の司会で出ている場面は余計と笑った。
そして来年の沖縄映画祭で、真喜ちゃんが作ったTV番組を三本上映することに決まった!
映画といえば沖縄市に面白い人がいるよという情報を真喜ちゃんから貰った。
真喜ちゃんに、自分のやっていることに素晴らしい価値があるということを知らないオジイが西表島にいるから、会いに行ったほうがいいと言われた。

真喜ちゃんに、今度また新しいお店を教えてもらうことにした。
いつか僕らを、“土”というBarに連れて行ってくれたみたいに。
(そうだ、あの日のことを思い出した。真喜ちゃんとはじめて会った日。それははじめて苗に行った日。その日、真貴ちゃんは僕らを“土”に連れて行ってくれたんだ。そんな日のこと。その“土”も、ごうさんが死んじまって、だからもう今はないんだ…)
2018年10月28日(日)20時23分
首里城祭り②
まる子さんが首里城に行きたいという。
そういえば、首里城のタグが付いた記事はいくつかあるが、実際に行ったという記事はひとつもない。タグを集めて「沖縄あんなとここんなとこと」としてまとめているが、首里城の画像が一枚もない。そうか、ブログを始める前に行ったいわゆる定番の場所が、すっかりこのブログから抜け落ちているのだ。初心に帰ってあらためて訪問することにした南部の戦跡と同様、首里城をはじめ、そういう場所に今一度行ってみるのもいいかもしれないと思い始めた。
ということで、首里城へ。
(あ、肝心な守礼門の画像を撮り損ねた…)

首里城へ入る第一の門。
冊封使(さっぽうし)を歓迎する意が込めて歓会(かんかい)門と名付けられている。

登って来た道を眺める。
向こうに見えるのが、今くぐって来た歓会門で、手前右にあるのが久慶門(きゅうけいもん)である。

歓会門が正門であるのに対し、久慶門は通用門で、主に女性が利用したらしい。国王が寺院に参詣したりするときにも使用された。つまり、人々が日常的に出入していた門である。
首里城正殿のある「御庭(うなー)」に入るには入館料が必要。その前にある広場が「下之御庭(しちゃぬうなー)」で、正殿前の御庭で行われる儀式の控えの場である。御庭への入口の反対、下之御庭の西にあるのは、「系図座(士族の家系図を管理する役所)」と「用物座(城の物品資材を管理する役所)」のあった建物で、復元されたその建物は、現在休憩案内所になっている。
夕暮れの頃、その建物の前に、観光客が集まって来た。

首里城では、「舞への誘い」というイベントが、毎水曜・金曜と土日及び祝日に、午前11時、午後2時と4時、1日3回開催されている。しかし今日は首里城祭りなので特別プログラム、普段はない夜の舞台もあって、運よく見ることが出来た。

まずは四つ竹から。なんと、踊っているのは妙ちゃん(左)ではないか!

見入るふたり。

ふたり?
いやいや、その向こうにいらっしゃるのは、知名文子先生ではありませんか。

「系図座・用物座」の控室へ行って、記念撮影。

元々妙ちゃんは、知名先生に太鼓を習い、踊りは川口喜代子先生に習っていました。でも、川口先生のところからではコンクールが受けられないということで、関りえ子研究所から新人賞を受けたのです。でもその後、案の定色々あって、妙ちゃんは、琉球舞踊の先生でもある知名先生の研究所に移りました。
つまり、今日の首里城の舞台は知名先生の教室が担当していて、弟子たちの踊りを、知名先生は真剣に見ていたというワケなのですね。
この日は、まだもう一回ステージがあるとか、頑張ってね、僕らは帰ります。
もう日はとっぷりと暮れ、ライトアップされる首里城。

さあ降りよう。


振り返れば…

首里城音楽祭が開催されていました。

夜の守礼門は、しっかり撮影しました。

まる子さんは、この日の遅い飛行機で東京に帰りました。
そういえば、首里城のタグが付いた記事はいくつかあるが、実際に行ったという記事はひとつもない。タグを集めて「沖縄あんなとここんなとこと」としてまとめているが、首里城の画像が一枚もない。そうか、ブログを始める前に行ったいわゆる定番の場所が、すっかりこのブログから抜け落ちているのだ。初心に帰ってあらためて訪問することにした南部の戦跡と同様、首里城をはじめ、そういう場所に今一度行ってみるのもいいかもしれないと思い始めた。
ということで、首里城へ。
(あ、肝心な守礼門の画像を撮り損ねた…)

首里城へ入る第一の門。
冊封使(さっぽうし)を歓迎する意が込めて歓会(かんかい)門と名付けられている。

登って来た道を眺める。
向こうに見えるのが、今くぐって来た歓会門で、手前右にあるのが久慶門(きゅうけいもん)である。

歓会門が正門であるのに対し、久慶門は通用門で、主に女性が利用したらしい。国王が寺院に参詣したりするときにも使用された。つまり、人々が日常的に出入していた門である。
首里城正殿のある「御庭(うなー)」に入るには入館料が必要。その前にある広場が「下之御庭(しちゃぬうなー)」で、正殿前の御庭で行われる儀式の控えの場である。御庭への入口の反対、下之御庭の西にあるのは、「系図座(士族の家系図を管理する役所)」と「用物座(城の物品資材を管理する役所)」のあった建物で、復元されたその建物は、現在休憩案内所になっている。
夕暮れの頃、その建物の前に、観光客が集まって来た。

首里城では、「舞への誘い」というイベントが、毎水曜・金曜と土日及び祝日に、午前11時、午後2時と4時、1日3回開催されている。しかし今日は首里城祭りなので特別プログラム、普段はない夜の舞台もあって、運よく見ることが出来た。

まずは四つ竹から。なんと、踊っているのは妙ちゃん(左)ではないか!

見入るふたり。

ふたり?
いやいや、その向こうにいらっしゃるのは、知名文子先生ではありませんか。

「系図座・用物座」の控室へ行って、記念撮影。

元々妙ちゃんは、知名先生に太鼓を習い、踊りは川口喜代子先生に習っていました。でも、川口先生のところからではコンクールが受けられないということで、関りえ子研究所から新人賞を受けたのです。でもその後、案の定色々あって、妙ちゃんは、琉球舞踊の先生でもある知名先生の研究所に移りました。
つまり、今日の首里城の舞台は知名先生の教室が担当していて、弟子たちの踊りを、知名先生は真剣に見ていたというワケなのですね。
この日は、まだもう一回ステージがあるとか、頑張ってね、僕らは帰ります。
もう日はとっぷりと暮れ、ライトアップされる首里城。

さあ降りよう。


振り返れば…

首里城音楽祭が開催されていました。

夜の守礼門は、しっかり撮影しました。

まる子さんは、この日の遅い飛行機で東京に帰りました。
tag: 沖縄の旅_2018年10月 首里城 丸山ゆうき 江端妙子 知名文子
2018年10月28日(日)15時09分
首里城祭り①~公文書館
なんみんさんでひと仕事を終えて、僕は国際通りへ向かった。
途中、待機する琉球王朝の集団。

神宮会館での授与式が終わり、祝賀会(要するに食事会)が始まった頃だろうか、こちらではパレードが始まる。
今日は首里城祭り。その関連イベントである。
琉球王朝絵巻行列

ボクは大東そばで昼飯。

レンタカーで、波之上に宇夫方女史とまる子さんを迎えに行く。
千日屋でぜんざい。

それから一度行ってみたかった公文書館へ。


琉球王朝絵巻行列を見た後だから、なかなか興味深い資料であった。
途中、待機する琉球王朝の集団。

神宮会館での授与式が終わり、祝賀会(要するに食事会)が始まった頃だろうか、こちらではパレードが始まる。
今日は首里城祭り。その関連イベントである。
琉球王朝絵巻行列

覚書。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年10月29日
首里城祭。 pic.twitter.com/vIL1ABa0wY
ボクは大東そばで昼飯。

レンタカーで、波之上に宇夫方女史とまる子さんを迎えに行く。
千日屋でぜんざい。

それから一度行ってみたかった公文書館へ。


琉球王朝絵巻行列を見た後だから、なかなか興味深い資料であった。

2018年10月28日(日)14時25分
ひと区切り
午前11時。
取り急ぎの御報告です。
沖縄那覇波之上の隣、神宮会館にて、無事琉球舞踊の師範免許を頂きました。東京に帰れば、またいつも通り、踊りの公演も続きます。頑張らなくっちゃ。

【高山正樹のいらぬ呟き】
2018年度(平成30年度と言うべきなのか、平成最後のといえばもっと意味深くなるのか)玉城流喜納の会の免許授与式。

左から新教師ふたり(上原崇弘さんと新垣史織さん)と新師範ふたり(西村綾乃さんと宇夫方路)。詳しく言えば喜天の会から宇夫方路、喜利の会から綾乃さんと新垣さん、そして本家喜納の会から上原さんということらしいが、なんともややこしい、綾乃さんのFacebookの投稿のように、全員あっさり玉城流喜納の会でいいと、ボクは思うのだ。

谷田嘉子、玉城節子、宮里敏子(後列中央の三名)という大御所の面々が審議員で、その大先生方の前で4人が踊りを披露して、それぞれ教師や師範の資格があるかどうか、「いいんじゃないの」となれば無事免状を頂けるのだが、もしダメだって言われていたらどうなっていたんだろう?この花たちは無駄になってしまったのだろうか、なんてことは、きっと言ってはいけない。


だからさ、ことさら「教師師範認定式」などと権威づける必要などなく、「授与式」でいいではないかなと。
あらためて。
琉球舞踊にも色々流派がある。玉城流は玉城盛重(1868~1945)を祖、玉城盛義(1887~1971)を師とする琉球舞踊界の最大流派で、したがって玉城流を冠する「会」は多数存在するが、その中で一番大きい「会」が玉扇会、因みに玉城節子さんは玉城流翔節会の家元である。宇夫方路が所属している(…のかどうか、所属とは何なのか、宇夫方に聞いてみてもボクにはよく分からない)喜納の会(玉城流の中では小さい会らしい)の現在の家元は伊波正江先生である。喜天の会や喜利の会のトップは家元ではなく会主である。家元のいる本家喜納の会と、会主をトップとする他の会とは何が違うのか。やっぱりいくら聞いても分からない。
伊波正江さん(二番目の画像の、後列左から二人目の方)は「喜納の会」の二代目の家元である。実は、「喜納の会」には初代の家元が存在しないのだと伺った。
正江先生の師匠は、正江さんの実の姉でもある喜納初子さんで、その初子先生の師匠である宇根伸三郎氏は、玉城流「七扇会」の家元。初子先生は、その実力なら伸三郎先生の「七扇会」から独立し、ご自分の会を立ち上げてもおかしくなかったのだが、生涯、七扇会を離れることはなかった。その初子先生がお亡くなりになって、妹であり弟子でもある正江さんが、初子先生の会として「喜納の会」を立ち上げ、その初代家元を初子先生とし、ご自分は最初から二代目の家元になられた。
もちろん、初子先生には妹の正江さんの他にも優秀なお弟子さんたちがたくさんいらしたが、「喜納の会」には参加せずに初子先生に倣ってそのまま七扇会にとどまられた方や、ご自分の会を立ち上げた方もいるとのこと。
今回の授与式の審議員でもある宮里敏子先生も七扇会で宇根伸三郎氏の弟子だったが、初子先生がお亡くなりになった時にはもう玉城流「敏風会」の会主になられていた。宮里敏子さん(男役)と喜納初子さん(女役)が踊る打ち組踊は、名コンビとして名高かったという。

こんな記事を見つけてしまったのだ…
⇒琉球舞踊界の不都合な真実!
※このブログ主の志情(しなさき)さんは、今までもキジムナーフェスタや、創作舞踊コンクールなどについても、なかなか辛辣な記事を書いている。
そして…
⇒関連記事【重要無形文化財の琉球舞踊】
いったい何があるのか。
大和の素人が、あれこれ安易に論評することではないということ。
それはそれだとは思うのだが、さて、しかし。
もう10年近くモヤモヤ思っていること。和服のこと。留袖のこと。
⇒新春を寿ぐ 歌い初め・舞い初め華舞台
もう少し考えてから、そっと呟きだそうと思っている…
授与式の後の祝賀会も14時にお開き。
たぶんこれで、ひと区切りついた。
ひと区切り、つけなければいけないのだと思う。
ボクは、宇夫方路を、琉球舞踊の師範で終わらせるわけにはいかないのである。
取り急ぎの御報告です。
沖縄那覇波之上の隣、神宮会館にて、無事琉球舞踊の師範免許を頂きました。東京に帰れば、またいつも通り、踊りの公演も続きます。頑張らなくっちゃ。
(宇夫方路)

【高山正樹のいらぬ呟き】
2018年度(平成30年度と言うべきなのか、平成最後のといえばもっと意味深くなるのか)玉城流喜納の会の免許授与式。

左から新教師ふたり(上原崇弘さんと新垣史織さん)と新師範ふたり(西村綾乃さんと宇夫方路)。詳しく言えば喜天の会から宇夫方路、喜利の会から綾乃さんと新垣さん、そして本家喜納の会から上原さんということらしいが、なんともややこしい、綾乃さんのFacebookの投稿のように、全員あっさり玉城流喜納の会でいいと、ボクは思うのだ。

谷田嘉子、玉城節子、宮里敏子(後列中央の三名)という大御所の面々が審議員で、その大先生方の前で4人が踊りを披露して、それぞれ教師や師範の資格があるかどうか、「いいんじゃないの」となれば無事免状を頂けるのだが、もしダメだって言われていたらどうなっていたんだろう?この花たちは無駄になってしまったのだろうか、なんてことは、きっと言ってはいけない。


だからさ、ことさら「教師師範認定式」などと権威づける必要などなく、「授与式」でいいではないかなと。
あらためて。
琉球舞踊にも色々流派がある。玉城流は玉城盛重(1868~1945)を祖、玉城盛義(1887~1971)を師とする琉球舞踊界の最大流派で、したがって玉城流を冠する「会」は多数存在するが、その中で一番大きい「会」が玉扇会、因みに玉城節子さんは玉城流翔節会の家元である。宇夫方路が所属している(…のかどうか、所属とは何なのか、宇夫方に聞いてみてもボクにはよく分からない)喜納の会(玉城流の中では小さい会らしい)の現在の家元は伊波正江先生である。喜天の会や喜利の会のトップは家元ではなく会主である。家元のいる本家喜納の会と、会主をトップとする他の会とは何が違うのか。やっぱりいくら聞いても分からない。
伊波正江さん(二番目の画像の、後列左から二人目の方)は「喜納の会」の二代目の家元である。実は、「喜納の会」には初代の家元が存在しないのだと伺った。
正江先生の師匠は、正江さんの実の姉でもある喜納初子さんで、その初子先生の師匠である宇根伸三郎氏は、玉城流「七扇会」の家元。初子先生は、その実力なら伸三郎先生の「七扇会」から独立し、ご自分の会を立ち上げてもおかしくなかったのだが、生涯、七扇会を離れることはなかった。その初子先生がお亡くなりになって、妹であり弟子でもある正江さんが、初子先生の会として「喜納の会」を立ち上げ、その初代家元を初子先生とし、ご自分は最初から二代目の家元になられた。
もちろん、初子先生には妹の正江さんの他にも優秀なお弟子さんたちがたくさんいらしたが、「喜納の会」には参加せずに初子先生に倣ってそのまま七扇会にとどまられた方や、ご自分の会を立ち上げた方もいるとのこと。
今回の授与式の審議員でもある宮里敏子先生も七扇会で宇根伸三郎氏の弟子だったが、初子先生がお亡くなりになった時にはもう玉城流「敏風会」の会主になられていた。宮里敏子さん(男役)と喜納初子さん(女役)が踊る打ち組踊は、名コンビとして名高かったという。

こんな記事を見つけてしまったのだ…
⇒琉球舞踊界の不都合な真実!
※このブログ主の志情(しなさき)さんは、今までもキジムナーフェスタや、創作舞踊コンクールなどについても、なかなか辛辣な記事を書いている。
そして…
⇒関連記事【重要無形文化財の琉球舞踊】
いったい何があるのか。
大和の素人が、あれこれ安易に論評することではないということ。
それはそれだとは思うのだが、さて、しかし。
もう10年近くモヤモヤ思っていること。和服のこと。留袖のこと。
⇒新春を寿ぐ 歌い初め・舞い初め華舞台
もう少し考えてから、そっと呟きだそうと思っている…
授与式の後の祝賀会も14時にお開き。
たぶんこれで、ひと区切りついた。
ひと区切り、つけなければいけないのだと思う。
ボクは、宇夫方路を、琉球舞踊の師範で終わらせるわけにはいかないのである。
2018年10月28日(日)13時00分
なんみんさん
なんみんさん。

ボクとまる子さんはこのために来た。
5月の企みが、やっと実現したのである。
もうひとつの御願所。

まる子さんはこの後、お隣にある神宮寺会館へ。
ボク? 行くわけがない。

ボクとまる子さんはこのために来た。
5月の企みが、やっと実現したのである。
携帯、データ量上限に到達したので、以下、覚書です。
— 高山正樹 (@gajumui) 2018年10月29日
日曜は、波上宮の宮司さんのインタビューから。ブラタモリで紹介された御願所も見せてくださいました。詳細は帰ってから。お楽しみに。 pic.twitter.com/1rpLZX1EnY
もうひとつの御願所。

まる子さんはこの後、お隣にある神宮寺会館へ。
ボク? 行くわけがない。
tag: 波上宮
ご案内
この新ブログへ引越し作業中です!
(ブログの説明はトップページに)
ページジャンプ
全1ページ中
1ページ目
1ページ目
カレンダー(月別)
月別アーカイブ
plugin by カスタムテンプレート
最新記事(+webslice)
新着コメント+Trackback
NEWコメント<>+-
- 2019-03-16 MAP : 宮沢賢治の“トロメライ”って何?(「音を楽しむ雑記帖」→「宮澤賢治考」)-コメントを転載2
- 2019-03-16 MAP : 宮沢賢治の“トロメライ”って何?(「音を楽しむ雑記帖」→「宮澤賢治考」)-コメントを転載
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました4
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました3
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました2
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました。
- 2019-03-15 MAP : 神楽坂とCHICAGO-「宮沢賢治考」のコメント2
- 2019-03-15 MAP : 神楽坂とCHICAGO-「宮沢賢治考」のコメント1
- 2019-03-15 MAP : キャッチコピー後日談-サイト振興委員会
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント4
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
- 2019-03-15 高山正樹 : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-高山正樹の返信
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント3
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント2
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント1
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載3
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載2
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載1
- 2019-03-15 MAP : みそかです-山猫ブログのコメントを転載
Trackback
<>
+
-
- 2017-08-06 ひだまりのお話 : 久米明さんにお会いしました。《懐かしい過去たちに囲まれて》-街話§J街通信[95]酒舎かんとりぃ
- 2012-12-31 初老間近のしがない俳優の呟き : (まもなく)-実験は続く…
- 2012-12-10 M.A.P.after5 : 玄羽さんの送別会-沖縄芸人ライブ“ぱんみかす”(そっと内緒に追記して再投稿)
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : 体育会系居酒屋-出ないなら出る練習をする
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : お久しぶりです浅野さん!-出ないなら出る練習をする