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12/24

頼まれていた原稿、無事書き終わりました。
ハイビスカスは一昨日の金曜日の未明にボクの靴の中へと散りました。さぞ臭かろう。
とうとう反応が一桁になった投稿👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24654072270906106
もしかして、読まれてないのかな。
なので、もう一度ご案内。
クリスマスイブではありますが、本日24日午後1時頃より、狛江ゆんたくの会、やります。
金城さんの料理でお昼ご飯。
対馬丸に乗りそこなって命拾いした通事さんの話を聞きながら。
お時間がある方、是非ともお越しください。
11月17日👇の続き。
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24660360420277291
舞香さんと、沖縄大学の図書館へ。
ココで開催されている「南西諸島ミサイル要塞化の危機」写真展を観に行ったのです。
そうです。ウチの沖縄資料館で現在行われている写真展は、沖縄大学から写真展終了時に直接送ってもらったものなのです。
でもね、写真展の名前をちょっとだけ変えました。それについては前にも書きました。👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24652631527716847
それに合わせて、資料館の外に貼った案内も、少し手を加えました。
沖縄図書館から、電話をしてもらって、緒方修先生に来ていただきました。
先生を待つ間、琉球弧資料室へ。
ああ、一日ずっとここで過ごしたい。
緒方さんとは、この時が初対面です。
右に写っている若い男性、大学の職員だと思ったら、若き小説家、崎浜慎さんでした。
以下、崎浜さんのプロフィールです。
1976年沖縄市生まれ。2007年琉球新報短編小説賞、2010年新沖縄文学賞、2011年、2016年に九州芸術祭文学賞沖縄地区優秀作、2019年樋口一葉記念やまなし文学賞受賞。
緒方先生曰く、未来の芥川賞作家だそうです。
やまなし文学賞を取った「梵字碑にザリガニ」、さっそく注文しようと思います。
何度でも言います。緒方修先生監修の「南西諸島ミサイル要塞化写真展」は、今年いっぱい、31日まで開催していますので、是非お越しくださいませ。
あ、通事さんを迎えに行く時間です。
では後ほど。

12/21

今日ね、宇夫方さんがアップしていた昔の、何も置いてない事務所の画像👇
https://www.facebook.com/michi.ubukata/posts/7281767778557836
それを見たYさんが来て、いやいやその前はいっぱい机や椅子が置かれていたオフィスなんだよと、昔のブログ記事を見てもらったりしていました。
その頃の事務所はオフィスそのもの、社員もいて、外注さんが毎日数十人出入りしていました。M.A.P.が地図屋さんだった頃ね。
Yさんが帰って、なんとなくそのまま昔のブログ記事を眺めていたのです。
そしたらね、こんな記事、見つけてしまいました。
2011年8月の記事、題して…
「今年も高江に行ってきた《少し言い過ぎることを許してください》」
http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-2389.html
リンクをクリックしてまで読んでくれる人はなかなかいないらしいので、その一部をここに転載してみます。山猫合奏団が、キジムナーフェスタに参加した年、沖縄ツアーの時に行った高江、その記事です。
今は閉店してしまった高江の夢蘭、そのオヤジさんとの会話から。
・・・・・・・・・・・・・・
(前略)
「ヘリコプター来るの?」
「最近多くなった。真夜中、すごい音でさ。真っ暗だろ。ヘリコプターは明かり点けてないから。家の屋根にライトつけてるんだけど、突然その明かりの中に真っ黒いのが現れるわけさ。恐ろしいよ」
「真夜中、ひでえなあ」
「もう慣れた」
「高江のヘリパッド工事、賛成している人もいるんでしょ」
「農協から金借りてたり、補助金もらってたりするとね、なんとなく反対って言えない」
「みんな反対なんですか」
「基地があったほうがいいなんて誰も思ってないんじゃないかね」
「賛成派の人たちと話したりしないんですか」
「しないさ。でも向こうの集まりに酒もっていったりする、基地の話しなんか何にもしないで一緒に酒飲んでくるだけさ。でもそうしているうちによ、ポロっと本音が出てくるわけさ、ホントは基地なんかいらないってさ」
世界がややこしくなければ、基地など無いほうがいいに決まっている。その至極当たり前なことが、世界がややこしいから、基地のハナシは政談になる。
もともとこのブログは会社のブログである。政治のハナシはしない、というのが基本方針。それは今も変わってはいない。
ただ、沖縄の基地のことは、日本人の誰もが考えなければならない問題で、それは政治などという表層的なことではないと、僕は確信しているのである。
キジムナーフェスタ開催期間中、どこの会場でも、スタッフの間でも、閉会式においても、沖縄の基地のハナシを持ち出す人は誰もいなかった。もちろん“コザ物語”のように基地に題材を取った作品もあるにはあったが、それは例えば、山猫合奏団が宮沢賢治を作品の材料にしていることと同じレベルのことだ見做される。それはそれでかまわない、というか、それは正しいと思っている。世界の舞台芸術の祭典を、ただ沖縄市という街で開いたというだけのこと、そこに基地問題を殊更に持ち込む必要は全くない。山猫合奏団の僕も、そのスタンスに同意する。
しかしながら株式会社M.A.P.は、様々な沖縄関連の事業を展開している会社である。その代表としては、たとえ沖縄とは無関係な山猫合奏団の公演ツアーとはいえ、ここ沖縄にやってきて、「全ての日本人が考えるべき沖縄の基地のこと」に、一切触れずに帰ることはできないと思っているのである。
何度でも言うが、このことは山猫合奏団とは全く関係のないことである。また、普天間や辺野古をどうすべきかについて、たとえ僕の意見がどうであれ、このブログで、つまり会社として何かを言うことも避けたいと思う。ただ見たこと聞いたことの事実だけをご紹介するのみである。それでも、その「事実」の切り出し方が、ある方向に傾いてしまっているということがあるかもしれない。それについてそうではないと確信を持って反論する自信はない。気になったことしか目に入らず聞こえてこないということは十分にある得ることだろう。しかし、決して意図的に事実を選り分けるようなことはしていないと、申し上げておきたいと思うのだ。
もうひとつ、沖縄の基地が福島と決定的に違うことがひとつある。原発はそこに住む人々が拒否すればやってくることはなかった。(そうではないと主張する人たちがいることも承知している。が、沖縄とはやはり違うと思っている。)だが沖縄の基地は、どんなに沖縄の人々が反対だと言っても、日本人から押し付けられてきたのである。沖縄県人もまた日本人ではないかという者には、沖縄の歴史を学ぶべきだと言おう。その歴史を知ってもなお単純にそう主張する者どもとは、僕は決別しても構わないと、あの3.11以来公言することにした。
「沖縄の基地についてとてもあれこれ言えないよ」という一見良心的な日本人たち。しかし、沖縄県に対して強権を発動し続ける政府を選んできた責任は、そういう君たちにもあるのだ。そういう君たちにこそ、沖縄の人たちは苛立っている。その「君たち」の中に、僕も含まれている。
何度でも言う。「オキナワ」は「政治」ではない。日本という国に生きる人間ならば決して避けてはならない「何か」であると、せめて何も出来ない僕は言い続けようと思っている。
・・・・・・・・・・・・・・
地図製作の下請け、仕事をくれているのはマップルの昭文社、誰が読んでいるか分からない、だから政治的なことを書くときには気を付けていたブログです。
思い起こせば、この時、M.A.P.がプロデュースする山猫合奏団に、営業的には致し方なかったとはいえ、表現者としてこうありたいという自分との差に、かなり苛立っていたわけで、まあ、今さらそれについて語る気は全くないのですが。
そんなブログを読み返して、なんだ、もう10年以上前から、今と同じようなことをを思っていたのか、ちっとも深化していないではないかと、少々自己嫌悪に陥っています。
そしてこの頃から、決して声高に語ることはせず(そういうやり方では新しい人には広がらないと考え)穏やかに穏やかに、映画祭を企画し、琉球舞踊や三線の教室を開設し、そしてウチナーグチの勉強会も開いて、そうしてやってきたわけです。
でも結局、それらの企ての効果は、殆どなかったのではないか。そんなことないよと心優しい方々に言われても、素直には聞けない、そんなふうに思ってしまうことが深化ならぬ変化なのだとしたら、寂しい限りです。
でも、違うよ。資料館に来てくだされば、あの頃には気づいていなかったこと、たくさん聞いて頂きたいことがあります。ただ、聞いてみようという気合が必要かも。だって、さほど簡単な話ではないと思うから。
ああ、しかし時間が足りないよ。
沖縄報告の続きです。
那覇空港で二人を拾って、お昼を食べに行きました。
お昼は首里の高台、末吉にある沖縄そばの名店「しむじょう」で食べると決めていたのです。
ところがです。12時15分くらいに着いたのに、観光客がいっぱいで、もう麺がないという、こんなの初めてです。
お店のお兄ちゃんに聞きました。
「こんな感じだと、首里そばも、もう麺ないね」
「そうですね~」
さてどうしよう、そこで、千日に行くことにしました。あそこならばきっと大丈夫だろう。ソーキそばはないけれど、大盛ぜんざいがあるからね。
そこで三枚肉の沖縄ソバと、氷ぜんざいを食べました。
お~寒い。
お腹いっぱい。で、おもろまちへ。県立博物館で舞香さんを下ろしてちょっとの時間のお別れ、それから残りのふたりが行きたいという外間琉舞衣裳店へ。
あら、オペラ歌手のトモコさん、いよいよ花笠を買っちゃうのね。
画像なしです。
それから、二人を琉球新報ホール近くの宿に送り届け、ボクは再び舞香さんと合流するために、博物館へ行ったのでした。
画像は博物館入り口にあるシーシ(獅子:古いタイプのシーサー)
続く。
え、まだ17日終わってないのに、また続くの? こんな調子じゃあ来年になっても追いつかないけど。
そうなんですけどね、昨日締め切りだった原稿、すっかり忘れてて、少し締め切りを延ばしてもらったのです。それを書くので、書き終えるまで、Facebookはちょっとまたストップかなあ。
ハイビスカスは…
う~む。。。

12/15

宇夫方さんが、ふたつイベントを立てました。
来年1月7日(日)14時半~ 声体文藝館『砂の器』
https://www.facebook.com/events/1009137553513850
来年1月13日(土)19時~ 新春狛江寄席
https://www.facebook.com/events/678181157637671
これからみなさんに「招待」しちゃおうかな。
招待ばかり、ごめんなさいね。
・・・・・・・・・・・・
ひとつ前の投稿👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24610854591894541
そこで追加でアップした、ボクの講演会の画像に、ボクが三線を弾いて、二人の女性が踊ってくださっているモノがありました。もう一枚別の画像もあるので、ここではそれをアップ、その説明をしていなかったので、まずはそれからです。
本当は宇夫方さんも行くはずだった沖縄です。講演会では、その宇夫方さんの踊りを、皆さんとても楽しみにしていらっしゃったらしい。でも残念ながら、彼女は舌癌の手術で行かれず、当然講演会で宇夫方さんの琉球舞踊をご披露することもできなくなりました。
そこでならばと、せめてボクが幕開けに"かぎやで風"でも歌いましょうかね、ということになったのです。
そうすると、誰かが三線を持ってきてくれる、そこが沖縄の沖縄たる所以、東京で、突然三味線を、なんて言っても、まずそう簡単には出て来ないでしょう。
さてそうなるとできれば踊りも、となる。沖縄の人が10人くらい集まれば、必ずその中に"かぎやで風"を踊れる方はいるはず、案の定、ひとりいらっしゃいました。さらにもうおひと方、会場に杖をついてゆっくりゆっくり歩きながらおいでになった方が、なんと一緒に踊ってくださったのです。画像の左の方です。
この裾野の広さ。大和の古典芸能じゃあ、こうはいきません。このおふたりのお陰で、会場はなごみました。おふたりに拍手、感謝でした。
さて、東村の農家さんでのこと、もうひとつ。
このあたりには例のコシダ👇がいっぱいでした。
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/23999721313007875
例のコシダ? なんのこっちゃ? コシダの話、してませんでしたっけねえ。コシダの蔦を使って籠などを編む話、そのコシダが最近見つからないという話。それを探している人がいて、という話。それが、山原にはまだまだたくさんあるらしいという話。
だいぶ端折りましたが、そういう話です。
そしてそのコシダが、まさにここらあたりにはいっぱいあったのです!
前回の旅で300円で買って来たコシダは、すっかり枯れてしまいました。どうやら湿気が足りなかったらしい。その哀れな姿を撮影したのは、9月23日のこと。
そして今夜も撮影してみましたが、さすがに籠をつくる蔦となるシダ、枯れても朽ちてしまうことはないみたい。
これが成長すると、こんな蔦が出来る、これがいっぱいになった山はとても歩きにくいのだと、識名さんに教えてもらいました。
このコシダの話は、まだ続きます。
さて、農家の方たちと、豚たちとお別れして、近くの東村ふれあいヒルギ公園へ。天然のマングローブが間近で見られる公園です。
資料館の今夜のヒメルギ、これも枯れちゃったのかなあ。
さすらいの癌マンの食べたモノ報告。
暑い日で、花城さんがアイスクリームを買ってくれました。
添加物いっぱいだけど、おいしくいただきました。まあ、いいんじゃないの、せっかくだし、たまにはさ。
もうひとつ、ここには東村指定天然記念物、サキシマスオウノキが自生しています。板根という根が特徴で、識名さんの話によると、地面から養分を取り込めない悪条件だと発達するのだとか。
たしか種を拾ってきたはずなのですが、どこへやってしまったのか、見つけたらご報告します。
それから真っ白な花が咲いていました。識名さんから、この花の説明もしてもらったような気がするのですが、忘れちゃった。
そして、もう疲れちゃった。
あーあ、まだまだ終わらない11月16日のこと。続きは明日かな。
追伸。
欠伸をすると、まだまだ舌が痛いので、宇夫方さんは欠伸が出る前に、早く寝ることにしたそうです。

12/14

Facebookに投稿する前に、色々とアチコチ連絡等していたら、結局すっかり昼を過ぎてしまいました。
義母は安定してきたとのことで、少し安心しています。会話ができ始めた時はウチナーグチしか喋れなかったそうです。
「でも、標準語で喋らなきゃ伝わらないような人は面会に来なかったんじゃないの」
「ううん、●●とか●●(孫たちの名前)は方言わからんよ、標準語しか通じない」
なるほどねえ、そういえばウチナーグチしか喋れない親戚のオジサンがいたっけ。それでも一生懸命ボクに色んな事を話してくれようとして、だからボクも必死に聞き取ろうとしたっけ。そんなことを思い出しました。
沖縄戦、大変だったでしょうと聞いたボクに、「北部に逃げたから、大変じゃなかったさあ」といっていた義母、そんなわけないはずなのです。もし標準語がもっと流暢に話せる義母だったら、いや違う、ボクがあの時ウチナーグチが出来ていたら、もっともっといろんなこと話してくれたのかもしれない。ここを何とか乗り越えてくれたら、そういう機会がまだあるかもしれない。どうかどうか生き延びて欲しいと、心から心から祈っています。
少しづつ意識も正常に戻ってきている義母、それにつれて標準語もちょっとづつ出て来たそうです。
このエピソードから、思うことがたくさんある。それもボクの頭の中で整理出来たら、お話ししたいと思っています。
それから明後日16日土曜日の、中村之菊の「ゆるトークしよう会」は、13時に加えて、夜なら参加できるという方のために、夜の部を追加しました。
https://www.facebook.com/events/1477246636178989
なんかFacebookの時間の表示が変ですけど。
以下の通りです。
①15時Start
②18時半Start(中村之菊は20時半に撤収予定です)
※ゆるゆるお話し会ですので、早く来られて資料館を見て頂くのもあり難いし、遅刻もOK、お話し会が終了した後も、だらだらと懇談していただくのもありです。
皆様のお越しをお待ちしています。
さて本編へ、昨日👇の続きです。
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24604552292524771
まずは昨日なかった厚木の公開勉強会と沖縄の高山正樹講演会の画像をアップしておきます。詳細は追々。
さあさすらいの癌マンの食事報告も併せて11月16日から。ようやく沖縄二日目です。
一軒使わせて頂いた恩納村のお宅のキッチンにて、舞香さんと撮った朝の一枚。なんかいい感じでしょ。
朝食は前日の打ち上げで余ったものを頂きました。
花城さんから、植物をふたつ頂きました。
マザーリーフ(子宝草)とローゼル。
まずはマザーリーフ(子宝草)について。
幸福の葉っぱと言われているマザーリーフは南アフリカが原産の多肉植物で、日本では小笠原諸島や南西諸島に自生している。1枚の葉を水や土に置いておくだけで小さな芽を出すという不思議な植物。幻とも言われる花を咲かすこともあるらしい。
正式(…ってなんだかよく分からないが)にはセイロンベンケイソウという名、弁慶草に似た葉を持つことから名付けられた。母なる葉っぱという意味のマザーリーフ以外にも、ミラクルリーフ、幸福の葉っぱなど縁起の良い別名を持っており、無言の愛、平穏無事、信じて従うなどの花言葉の由来とされている。小さな芽を赤ちゃんに見立てて子宝草とも呼ばれており、マザーリーフを飾ると子宝に恵まれる(ボクには関係ないけど)と言われている。寒さには弱いが、暑さや乾燥に強く、比較的育てやすい植物。
今、資料館の出窓に飾っています。芽が成長してきました。
次にローゼルについて。
栄養豊富で美容と健康に良いハーブ。これを栽培することでCO2を削減するため地球温暖化に役立ち、地下水や土地を浄化する能力があるとされ、地球にとても優しい植物なのだとか。
西アフリカ原産という説や、インドからマレーシアにかけた地域が原産という説など諸説がある。奴隷貿易が盛んになった17世紀に、オクラとともに西インド諸島や中南米で栽培が行われるようになり、世界各地の熱帯地方に分布しているらしい。
ローゼルとはハイビスカスの一種で、一般的には花が咲き終わり残った『がく』がジャムに加工されたり、乾燥させてお茶に加工されたりして出回る。道理でなんかどこかで見たことがあると思っていたら、そうなんだ、ウチのハイビスカス(アカバナー:後世花)の花が落ちた後の萼の形にそっくりなんだ!
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24063965006583505
頂いたのは沖縄産のローゼルの萼。さて、どこに行ったのか見当たらず、只今探索中。
ご飯をみんなで食べて、いざ出発です。
まずは前回閉まっていて中に入れなかった名護の沖縄民俗資料博物館へ。
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/23908729882107019
ウチの資料館のライバルは、沖縄公文書館ですが、いやあ、ココには完敗です。
なのでたくさん撮影してきた写真、遠景を何枚かはアップしますが、細かい展示物は基本的にアップしません。あり過ぎて選べないし。
いずれこの資料館を含め、沖縄中の資料館や博物館を巡り、撮影許可の展示物の写真を全部撮ってきて、それぞれファイリングして資料館に置いておこうと考えています。ウチの資料館に来れば、沖縄中の資料館・博物館の展示物が見られる、そんな場所にしたいと思っているのです。
この作業を手伝ってくれる方、絶賛募集中です。
でもちょっとだけ。名護の資料館にあって、うちにもあ、両方にある展示を比較してアップしてみます。とても勝負にはならないけれど。
・三線(完敗)
・絣の着物(保存状態ヨシvs.ボロボロ虫食い)
・方言札(本物vs.偽物)
・琉球切手(これは勝った!)
・ウチナーグチのかるた(史料価値全然違う)
・クバ笠(うちのはまがい物)
・沖縄最古のシーサー(あちらは写真だけ、これは勝った)
・琉球舞踊の小道具の獅子(数で負け)
・復帰の記念品(勝とうが負けようがどうでもいい品物かも)
規模では絶対に敵いません。ならば小さいなりに、ウチならではの資料館を目指したいと思っています。
狛江の図書館もね、そういう考え方しないとダメよ。
今回は館長の眞嘉比朝政さんとたっぷりお話が出来ました。
まずは古い紅型の資料を見せて頂きました。そして、ハワイから直送のコーヒーを淹れてくださいました。
資料館の入場料500円を払うと珈琲が無料になり、一杯500円のコーヒーを頼むと資料館の入場がタダになるというシステム(笑)
色々とお話しくださったのですが、そのうちのひとつだけご紹介します。
沖縄戦のこと、なにか一番の記憶は、とお伺いしたら、日本兵に銃口を突き付けられて、食べ物を全部取り上げられた、あれは忘れられないと、静かに微笑みながら聞かせてくださいました。
一時過ぎたので、併設されている沖縄そばのお店へ、ボクはソーキそばを食べました。
資料館の敷地に曼殊沙華のような赤い花をたくさん咲かせた大きな樹がありました。やはりあの世からの使者なのか、ハベル(蝶々)がやってきていた。
ちょっと長くなりました。稿をあらためたいと思います。
と、ココまで書いて、図書館を考える会(?)の方が来て、ちょっと前まで話し込んでいました。あらもう夜じゃない。今から写真をアップして、保存ボタンを押して、そして公開範囲を「自分のみ」から「公開」にします。
ああ、この調子だと、いつ今に追いつくのだろう。どんどん離されていく~~~



舞香さんに撮ってもらった画像を色々発見しました。
それらをここでアップしますね。いずれブログで合体予定。
11月15日の金城実アトリエと、チビチリガマと、高山正樹講演会と、打ち上げ👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24604552292524771
そして11月16日👇の続きです。
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24609156732064327
沖縄民俗資料博物館を出て、やんばるの農家さんに向かいます。そこの農家さん、識名さんに畑のことで聞きたいことがあるとのことでした。
でも、ボクの目的は、その農家さんが飼っている黒豚。
この農家さん、黒豚は雌を放し飼いしていたのですが、野生の雄の猪との間に子どもが出来た。その妊娠中、すっかり弱ってしまって、もう母体もお腹の中の子供たちもダメだろうというような状態になってしまった。そこで何とかならないだろうかと、識名さんに涙ながらの相談があったのだそうです。
早速出掛けて行った識名さん、もうぐったりしている母豚の口へ、識名酵素をぐびぐびと流し込んだ。すると途端に母豚は立ち上がり、水場へ行ってぴちゃぴちゃやり始めたというのです。そして可愛い子供を9匹生みました。
その親子豚に会いに行ったのです。
農業指導、畑の土の作り方を伝授している識名さん。
「耕してしまうと、土地がダメになるんだ」
深い話です。
そしてボクは黒豚の元へ。
お昼ご飯の時間。いっぱいいた子豚たちは、食事を終えると、とっとと山へ。残っていた一匹と、ゆっくり食事している母豚。母豚も小さい。ボクとのツーショットを見てください。まあ、可愛いこと可愛いこと。
奥の方の檻のなかに父親の猪が。いつもは放しているらしいんですけどね。
地鶏の夫婦と、その大きくなった子供たちも放し飼い。
小型のタウチィー(闘鶏)もいます。小型でもカッコイイ。奥さんは只今子育て中。ここにはジェンダー問題はないみたい。しっかり分業している自然界です。でも、食事時になるとちょっかいを出す。さすがに闘う鶏の本能? 猪もそういうことらしい。
ああ、またこういうことを言うと、意識高い系の女性に叱られるのかな。
これだけの家畜?を飼っているのに、全く臭くないのです。放し飼いだからなのかなあ。
農家さんのおふたりと記念撮影。このお二方、前日の僕の講演を聞きに来てくださっていました。
「先生、いい話ありがとう、頑張ってくださいね」
「先生はやめてください」
先生なんて、ホントに冗談じゃない、この方々の生き方に比べたら、ボクはいったい何者だろうと思ってしまう。生きる力はこの方々の方が何十倍も上です。自然を読み、自然の声を聴き、そして作物を育てる、もう尊敬しかない、ああ、こう書いていても、なんだか涙が出てくるのです。素朴な生き方? いや違う、この上なく複雑な自然と向き合って生きている人に対して、単純に素朴なんて、どうして言えるのでしょうか。
識名さんを通じて、そして病気になって、こうした素晴らしく魅力的な沖縄の農家さんたちとたくさん知り合いになれました。辺野古の自然を守ろうと闘っている人たちとは、ちょっと違う接し方で自然を守っているかもしれない大切な大切な人たち。
だからさ、今帰仁にジャングリアなんてテーマパーク、ホントにいるのかな。元はゴルフ場だったとか、だとしたら、土壌は農薬で相当にボロボロかもしれない。でも、識名さんとその仲間たちに任せれば、元のすばらしい土に戻してくれるのではないか。そこで未来の農場を考える大きな農場施設を作る、企業とは無縁の施設。そんな夢想をしているボクなのです。
この日はまだまだ終わりません。でもこの記事はこれで終わりにしましょう。
今日中に、もう一個くらい記事を上げられるかなあ。
続く。

12/13

12月9日、桜美林大学から学生さんと教員さん、合わせて15人がやって来る👇…はずでしたが…
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24574680322178635
なんといらしたのは19名でした。この四名の違いは大きい。みんな何とか座って話せるかと思っていたけれど、19名じゃ無理。空気が薄くなりそうで、窓を開け、換気扇を回して、結局、午後三時から六時くらいまで、みんな立ちっぱなし、でも、たっぷり話しが出来ました。ああ、ビデオ撮っておけばよかったなあ。
この日のことは追々お話ししますけれど、やっぱり若者たちと話すのはいいです。ボクの寿命も延びたような気がします。
その後、バイトがある学生さんたちは帰りましたが、それから登戸の忠兵衛という沖縄居酒屋に、10数名で繰り出しました。その話も後日改めてね。
若者に囲まれてテンションが上がって、久しぶりに飲み過ぎて、で、翌日の日曜日は二日酔い、朝起きられず、泉龍寺の読経会も不参加。
それでも今日まで色々面白いことがあって、しかしながら深酒の影響で今ひとつ、体調低下が長引き、とてもFacebookに何か書くという気にならず、でした。でも、それらも頑張って順繰りに報告するつもりです。そしてそれをいずれブログに、時系列を整えてアップしようかなと思っています。
ハイビスカス。いよいよ咲きそうですが、案外ここからが長いかも。12月に咲くアカバナー。別名、後世花(グソーバナ)、死者の幸せを願って墓地に植えられる。しかし「死者の幸せ」って何だろう。
本日、ボクは抗がん剤投与の日でした。二週間に一度、月曜日に抗がん剤投与するのですが、今週の月曜日は、宇夫方さんが教えている厚木のカルチャーセンターで公開勉強会があって、そこで2曲ほどボクが弾いて宇夫方さんが踊って、生徒さんたちにも見てもらうことになり、そこでイレギュラーで、抗がん剤投与を今日にズラしてもらったのです。
基本数値に変化なし、ちょっと気になっている腫瘍マーカーの検査は無し、次回かその次か、数値が上がっていなければいいなあと思っています。
問題のアルブミン値、また3.8まで落ちていました。まあ、一喜一憂しても仕方ないのだけれど、12月5日、あと半年という余命の宣告された日から一年、ぼちぼち抗がん剤が効かなくなる可能性が高い、どうなるんですかね、はやく誰かに色々と託したい、それは決して若い人たちばかりではないのだけれど、気持ちを継続していくって、きっと簡単な事じゃないんだろうなあと思う。40年以上、沖縄に拘ってきたボク、自分で自分を褒めてやろうかな、なんてね。
沖縄に出会わなければ、全く違った人生があったような気もするけれど、これはこれで希有な人生だったと思っています。
もう少し、生きられる限り、っ考え続け、アップデートし、そして企てていきます。
(因みに、僕の視野・視線は、日々変化しています。半年前、いや一か月前には考えてもいなかったこと、発見がたくさん、そしてそれらバラバラなことを、思想的に繋ぎ合わせていく作業は、きわめて刺激的でもあります。そうして紡がれた沖縄のこと、皆さんに伝えたい新しいことがいっぱいあるのです。
「中村之菊」という存在と出会ってしまったことも、もしかしたらそのひとつかもしれない。
今度の土曜日、12月16日の14時から、中村之菊がまたやってきて、「中村之菊とゆるトークしよう会」を開催します。
https://www.facebook.com/events/1477246636178989
もし夜ならば参加できるという方、是非メッセージをください。三人いれば夜も開催します。
インスタグラムでも宣伝してみました。
https://www.instagram.com/p/C0vsJNPvKz1/
だって、若い人はインスタなんだってさ。
さて…
昨日、沖縄の義母が救急搬送されました。92歳です。先日沖縄で会った時は元気だったのに。
そしてたった今、家族がみんな呼ばれて病院に集まっているらしい。医師から何を伝えられるのか、カミサンからの連絡を待っているところです。なんか落ち着かなくて、それでFacebookに投稿する文章を書いていれば気が紛れるかなと、PCに向かっているのですが。
・・・・・・・・・・・
11月15日の続きの報告です。
果たして昼飯を食べたのかどうか、舞香さんに聞いてみたところ、「時間なくて食べなかったような…」というメッセージが来ました。
というワケで、流離の癌マンの食事報告
11月15日の昼食は食べませんでした!です。たぶん😅
読谷。
まずはシヌクガマへ。
村の観光協会のサイトから、説明文を転記します。
「1945年(昭和20)3月、アメリカ軍の空襲は日を追って激しくなり、やがて艦砲射撃も始まるようになると、約1千人の村民がこの洞窟に避難した。
アメリカ軍の沖縄本島上陸の日、激しい砲爆撃の後、シムクガマにアメリカ兵が迫って来た。アメリカ兵が銃を構えて洞窟入口に向かってくると、人々は恐怖で、洞窟内は大混乱に陥る。
その時、ハワイからの帰国者、比嘉平治(当時72歳)と比嘉平三(当時63歳)の2人が、『アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)』と、騒ぐ避難者たちを説得して投降へと導き、1千人の避難民は助かった」
ガマへ向かう途中、「内地」から来たという若者たちとすれ違いました。シヌクガマの話をひとしきりしたあと、「チビチリガマって知ってる?」と聞くと、「知っています」という返事。
これから行くの?とさらに聞くと…
「いや、次の予定があって、時間が無くて行けないんです、残念だけど」
「そっか…」
残念だけど、でも彼らは、ちゃんと勉強してからここへ来たようです。きっと次に沖縄に来た時は、チビチリガマにも行ってくれるんだろうなあと思いました。
そして金城実さんのアトリエへ。
舞香さんを実さんに紹介すると、話は「アイヌ」の深い話へ。舞香さんの知り合いの多くのアイヌの方々と繋がっている実さんでした。彼女と実さんを繋げることができて、よかったよかった!です。
舞香さん、実さんとの話、コメントしてみてくれたらうれしいなあ。
実さんと12月15日、東京で会う約束をしました。
実さんは第35回多田謡子反権力人権賞を受賞され、その授賞式が16日に神田であるのですが、その受賞を祝う会が、その前日、15日の18時半から、文京区民センターであるのです。
その報告、どうかお楽しみに。
アトリエを出て、チビチリガマを実さんに案内してもらうことにしました。
チビチリガマには、金城実作の野仏があちこちに立てられています。その二枚目の画像は、一番見つけにくいところにある野仏、もし皆さん行かれるようなことがあったら、是非探して見つけてみてくださいね。
読谷村にある二つのガマについて。
村の観光協会のサイトには、こう書かれています。
「1945年4月1日、米軍が沖縄島西海岸に上陸すると、住民はガマ(自然壕)や亀甲墓などに身を隠しました。読谷村波平区の住民の多くは、村内のチビチリガマとシムクガマに分かれて避難しました。チビチリガマでは住民の『集団死』がおこり、もう一方シムクガマではこのような惨事はおこりませんでした。『生』と『死』を分けたものとは何だったのでしょう。」
チビチリガマのことは、8月15日に詳しく書きました。どうかそちらをお読みください👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/10031906366882605
それから読谷の福祉センターへ向かいます。
識名さんが、酵素の仲間を集めて、ボクの講演会を企画してくださったのです。今回はその二回目でした。
そのチラシをアップ。でもちょっとね、癌、克服なんてしてないし、医師は終末医療への移行を見据えているワケだし、また、スキルス性の癌ではなさそうだし、「命尽きるまで」なんてそんな大層な題名のラジオ番組をスタートさせてはいないし、チラシに書かれた情報が色々と間違っていますが、まあテーゲーということでOK。
※スキルス性の癌とは、胃の粘膜を這うように周囲に不規則に広がる胃癌の一種のことで、決して進行の速い癌一般をいうワケではありません。
※ボクのラジオの題名は"まんちゃーひんちゃー"、もう始まって4年目になります。
このイベントでのエピソード、お伝えしたいことがいくつかあるのですが、それはあらためて。
でもひとつだけ。
ボクは、農家さんたちや識名さんの酵素に助けられた方々、看護師さんも4人もいらしたとか、そんな方々の前で、癌の話にからめて、沖縄の話もしたのですが、そういうこともあってか、聞いてくださった金城実さん曰く…
「いいイベントじゃった、こういうのがいいんじゃ」
あら、とっても嬉しいお言葉頂き、そして…
「もうワシは基地反対とかのイベントには出たくないんじゃ」
…だって。
ホントかしら、話半分で聞きましたが(笑)
でもね、きっと半分は本音、何故なのか、金城実は闘いの人だとしか見ていない大和の人たち、色々と考えさせられることがあるんじゃないですか、と、ボクは思うのですが。
でも打ち上げは、やっぱり闘う実さんの独壇場でした。それはそれで面白かった。同じウチナーンチュの、ちっと冷めたような、それでも暖かい色々な反応も含めて。 なかなかややこしい話、これについても後日どこかで。
やっとさすらいの癌マンの食事報告。
居酒屋のツマミなので、いつもの通り画像だけですが。
最後はテビチですよ。「内地」の豚足とは全く違う。これが旨いのです。
識名さんと、それから酵素の会で識名さんの片腕として頑張っている花城さんと、実さんと一緒に記念撮影しました。
実さんとはここでお別れ、そしてこの夜ボクは、恩納村の別荘地に一軒丸ごと使っていいという方がいらっしゃって、そこに泊めて頂きました。舞香さんと一緒、…って、ふたりっきりじゃありませんからご安心を。もちろん、識名さんも花城さんも一緒です。
沖縄報告は明日に続く。
明日は特に何もない日、また閑古鳥の資料館なのかな、朝から一日、Facebookの記事を書けるかな、と思っています。
※厚木の公開勉強会と、沖縄の高山正樹講演会、画像がなく、なので動画からいいところを切り取って、明日にでもアップしますね。
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一向におきなわから連絡がないので、今こっちから電話しました。まだ、カミサンと妹は病院にいるらしい。一応、今は落ち着いているけれど…
さて、どうするかな。

12/9

もう咲かないと思っていたハイビスカス、ところがまた咲きそうです。
今開催中の写真展、入口に張り紙と電工掲示板。
三線の稽古に来たきんたの会の方々、あれ、T先生、確か共産党を応援されているんじゃなかったっけ、でも、写真展には何の興味も示されません。まるで何も目に入らないかのよう。
今日に始まったことではないけれど、ずっと考え続けている僕なのです。アップデートしない革新系の人たちのこと。
11月15日の続き、沖縄行の初日。
まず向かったのは、米軍廃棄物のパネル展を狛江と同時開催中の平敷兼七ギャラリーへ。浦添、ボクのカミサンの実家とはバス停で三つくらい、近くなの。
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【平敷兼七(へしき けんしち,1948-2009年)プロフィール】
アメリカの統治下の沖縄、今帰仁に生まれ、61歳で亡くなるまで(若すぎる)、生涯沖縄を撮り続けた写真家。高校時代に写真を始めた平敷は、学生運動全盛の頃、多くの同世代の写真家たちが政治運動に目を向ける中、平敷は沖縄の離島に足を運びます。そして本土復帰目前、沖縄の人々の生活こそ写真に残すべきであるという生涯のテーマを見つけ出す。確かな信頼関係を築きながら撮影された人々は、無防備とも言える自然な表情を見せる。「人生の結論は身近にあり、身近の人物達、身近の物達、それらを感じることができるかが問題なのだ」は、亡くなる2日前の日記にある言葉である。
・・・・・・
ギャラリーでは、中村之菊がデモクラシータイムスで喋っている動画が流されていました。「池田香代子の世界を変える100人の働き人」の91人目だという。
https://www.youtube.com/watch?v=1-7ADUSpTjI...
池田香代子さんがウチの資料館にいらしたのは11月1日、米軍廃棄物パネル展の初日、中村之菊のギャラリートークの日👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24327668950213108
その時に、池田香代子さんが出演のオファーしていたっけ。そして、その中で資料館も紹介してくださると。1分20秒くらいから7分くらいまでがその部分、せめてそこだけでもご覧くださいませ。いや、やっぱり全部見てね。
なにしろ18万人がフォローしているyouTubeチャンネルである。この動画が公開された後、これを見て、資料館まで足をはこんでくださった方が何人もいらっしゃる。大感謝。
石川真生写真集「日の丸を視る目」見っけ。その中に若き中村之菊の家族が写っている。「農」に拘る彼女。
この写真集、是非欲しいのだけれど、金欠資料館にとって、5,280円はなかなか苦しいの。
復帰前の南灯寮の写真がいっぱいファイリングされていた。こいつはスゲー。この写真、まだ世に出ていないらしい。
この件については後日談があるのですが、それは追々。
ギャラリーに、狛江の小さな沖縄資料館のチラシを置いてくださいました。
平敷兼七さんの娘さん、このギャラリーを運営する平敷七海さんと舞香さんと記念撮影。あら、ボクにだけにピントが合っている。失敗作。というわけで、帰り際、駐車場でのふたりを隠し撮り。LINEの交換でもしてるのかな。
12時、ギャラリーを後にして、デニーさんが埋め立てを容認した浦添西海岸に向かいます。
米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添移設。
海に親しんできた地元住民らからは「宝の海を埋め立てないで」と反対の声が上がっている一方、沖縄の経済界は歓迎している。
遠浅の海岸で撮った画像の三枚目、遠くに海を歩いている人の姿、見えますか?
海アッチャー、海を歩く人、海と共に生きる人のこと。
最後に、その写真を撮っているところを舞香さんが撮った画像ものっけとこうかな。
辺野古の大浦湾同様、この海にも貴重な自然が残っている。浅瀬なので、辺野古よりはるかに埋め立てが簡単。なんだかなあ、モヤモヤするけれど、決めるのはウチナンチュ自身です。しかし、そうなっていないのが辺野古だということ。
浦添西海岸についても、もしかしたら後日談があるかもしれません。
そして僕らは読谷に向かったのでした。
あれ、この日、お昼ご飯って、どうしたんだっけ。というワケで、只今、舞香さんに覚えていないかどうか問い合わせ中。その返事が来たら、続きを書こうと思います。
こんな調子だと来年になっちゃうよ~。
なにしろ、今日は忙しいのです。桜美林大学から、学生さんと教員さん、合わせて15人がやって来る。
TwitterがXになって、なんか腹が立って、最近投稿が疎かになっていましたが、今日からまた、なるべくリアルタイムで呟くことにします。どうかそっちも併せてお読みくださいませ。
https://twitter.com/gajumui
最近ね、また癌で心配な話があちこちから聞こえてくる。一年間抗がん剤のお陰でなんとか進行を止めて来たが、一年経って、どうやら抗がん剤の効果が消え、腫瘍マーカーが上がってきた。もう抗がん剤はやらず、終末医療に移行することになったという方の話は、他人ごとではありません。
ボクが余命一年の宣告を受けたのが去年の12月5日、ストリッパーの牧瀬茜さんが資料館に来てくれた日、あれから一年経った記念のパーティーを、なんだか明日やることになったみたい。
というわけで、明日5時から、中村之菊と同じように右翼から破門された高校の後輩のブルボンちゃんが、焼き鳥を大量に焼いてくれることになりました。
会費制? 詳細は宇夫方さんに聞いてくださいませ。
これから、三日月マンハッタンの又吉君の番組、"こまえんちゅ”の収録に乱入しに、コマラジまで行ってきます。放送は明日の19:30から、今開催中の写真展の宣伝をしちゃうんだから。

12/8

一昨日と昨日と閑古鳥。でもそのかわり、しばらく手付かずだった資料の整理が少し進む。流離の癌マンは流離わずに開店休業。
11月15日👇の続き。
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/pfbid0txA2kFnhqpH5a1oKrRN1Tw664zoRrcmF7Z2NjTGS7cGgtsoeJeeGjSgebAGdMGXTl
眼下に見えるのは平安座島の石油基地。あの島の竜宮神を、海勢頭豊さんに案内してもらうのが、この旅でのひとつの目的。
勝連半島から平安座島に渡る海中道路、そして金城実さん生まれ島、浜比嘉島が見える。宮城秋乃隊員もこの島の出身。
それからトゥマイ浜の津堅島。さらに久高島。
那覇空港に10時前に到着。舞香さんが空港まで迎えに来てくれている。最初の数日は、彼女の運転で沖縄をめぐる。
サガリバナの別名は「もうか」、「舞香」と書く。
最後の画像は、資料館の入り口あたりに飾ってある宇夫方パパが書いた「さがりばな」である。
本日は助走、エピローグ、これだけで申し訳なし。時間が開きすぎて、なかなかエンジンが掛からないのん。報告したいことは山ほどあるのに。
明日の午前中が勝負ですかね。

12/4

ひとつ前の記事👇の追記からです。
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24541472975499370
ボク、去年の12月5日(余命告知された日)から、8Kgくらい太りました。腎臓の主治医は、そのことに驚いていました。普通は病気だと太れないというのです。つまりは、食べられていれば死なないということでしょうか。癌を抱えたら、無理にでも食べることが必要なのだと思います。それには識名さんの酵素(曰く全ての栄養素を含み消化に全くエネルギーを使わない完璧な食品)がいいのかもしれません。
もうひとつ、乱高下する血圧について。
「ジェネリックの薬が原因ってことはないですか? 例の、沢井製薬の不正があって、それからネットに書かれているのを見るようになって、そこで先発の薬との違いとか、色々取りざたされているから…」
「確かに先発と後発の薬では、使われている添加物が違いますからねえ、でも、それが血圧に影響するほどだとは、僕たちは考えていないのですけれど、一度先発の薬に変えてみて血圧が安定するのかどうか、確かめてみるというのもありかもしれませんが…」
「でも、あまりにも値段が違うからさあ」
「そうなんですよねえ」
ともかく、現状乱高下する血圧ですが、腎臓に影響があるような事態には至っていないので、このままジェネリックで行くことにしました。結局経済、背に腹は代えられない現代人、なんとも情けないとは思うのだけれど、なるべく身体に悪くないものを食べようとすることにしてから、エンゲル係数が一気に上がり、先発の薬に変える金銭的な余裕がない、つまり、食べ物と薬と、どっちを諦めるか、みたいな事態になっているわけで、いやはや、金が命を左右する、なんとも腹立たしき世界であります。
そこで、絶対に摂ってはいけない添加物と、食べても大丈夫そうな添加物の選別を始めるようになりました。これも経済的な事情ではありますが、後日その研究結果をご報告しますね。
それともうひとつ。腎臓が悪いせいで、夜間頻尿が酷いのです。殆ど二時間おきに目が覚める。こいつがきついのです。尿は夜に作られます。でも腎臓が悪くなると、尿を貯めておけないらしい。だから夜間頻尿になる、どうもこれはどうしようもない。漢方薬で改善されることもないとは言えないけれど、その可能性は、僕の場合とても低いと思いますと主治医くん。
それと再び血圧の話ですが、今のボクの身体はとっても複雑な状態らしく、降圧剤や抗がん剤やコルチゾールというホルモン剤などなど、いったい何が影響して血圧が上がったり下がったりするのかがなかなかはっきりとは確定できないのです。それに加えて別の薬を身体に入れると、ボクの身体はさらに複雑さを増してしまう、なので、できるだけこれ以上、薬の種類を増やすのは避けたい、ということで、寝る前には水分を摂らないというようなことで対処してみることにしました。
さてさて、さすらいの癌マンの食事報告は11月14日から。
朝9時、柿を剥いて(というか、悪くなった部分をそぎ落として)食べました。
朝食は松屋の朝定食。
古い知り合いが来てくれました。もしかすると40年ぶり位かもしれない。懐かしき事この上なし。ボクが癌にならなければ、死ぬまで会うことがなかったかもしれない。考えてみればそんな人がたくさんいます。そう考えると、癌も悪くない。
富山のお土産、日本一になったというお菓子、添加物を気にしながら、ひとつ頂きました。
お昼はぴよりでワンタンメン。
宇夫方さんの舌から血が出た翌日です、外食ばかり、致し方なし。
ぴよりから戻る途中、"小六"から出て来た"TOKIO"のゆうや君御一行とバッタリ。なんでも最近は週二回くらい"小六"でお昼を食べているという。
「すげー旨いんですよ」
ふ~ん、聞けばあの元気だったお母さんは亡くなられて、今はご主人ひとりでやっているとのこと。実はこのお店、狛江の七不思議のひとつ、何が不思議なのかって? それはね、今度ぜひとも食べに来てみようと決めたので(その時は二回目になります)、その時にお話しします。
2時過ぎ、制止する人がいないのをいいことに、富山の美味しいお菓子をまたひとつ。
夜は、藤木勇人さんから招待頂き、お芝居を観に中野まで行きました。
「てぃんさぐぬ花」という芝居。
「まくとぅそーけーなんくるないさー」
ただ「どうにかなるさ」なんてことではないということ。沖縄に対する誤解はNG。
「だからよー」「なんでかねー」「であるわけさ」
きっと藤木さん、ずいぶんと苦労して手を入れたんだろうなあと思った次第。
ああ、街はもうクリスマス、なんでかねー。
この頃です。10月27日の記事が削除されたのは👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24417008531279149
ホントにもうFacebookなんかやめようと思った。
でもこんな僕の、流離の癌マンなんてふざけた食事の投稿なのに、それを参考にしているという方が結構いらっしゃって、だからこうして頑張って続けています。でも外食じゃあ全く参考にならないですよねえ。
夜も手抜き。リンゴジュースと柿と蜜柑で済ませました。
11月15日。
いよいよ沖縄へ出発です。朝食は喜多見の松屋で済まそうと思ったのですが、朝4時、まだやってませんでした。24時間営業だと思っていたのに、そうじゃなかった。
色々と考えたのですが、車で羽田まで行って、空港の駐車場に入れておくことにしました。6日間ですが、一万円しません。調布までのタクシーやリムジンバス代を考えたら、それほど違いはない、それに帰りの飛行機、自宅までの最終電車がギリギリ、少しでも遅れたら、あるいは荷物を預けたらきっとまず間違いなく間に合わない。そうなればどこからかタクシーで帰るしかない、というワケで決めました。気も楽だしね。
途中、開いている松屋を見つけて牛丼を購入。羽田について、空港で食べました。
離陸、曇っていました。でも、しばらくすると雲が切れて富士山がはっきりと見えました。富士山に特別な思い入れなどないのだけれど、つい撮影しちゃった。
さあ、いよいよ沖縄です。
稿を改めることにします。

毎熊 由紀
会えてよかった。
私は2012年に高山くんに会ってますが、クマさんは大学卒業以来かもしれないね。... さらに表示

12/3

ともかく忙しくて、滞るさすらいの癌マンの報告です。それは明日あたりから追々再会するとして、またここ数日のこともその中でお話ししますが、ともかく今日は今日のことを。
本日、狛江の小さな沖縄資料館にて行われるトークショーについてのご案内です。
米軍廃棄物パネル展は11月30日で終了、そして今日12月3日から、新たに南西諸島ミサイル危機写真展が始まります。そしてその初日、オープニングトークを、本日14時から行います。
参加無料。
その前、お昼ごろから、毎月やっている狛江ゆんたくの会です。そのままトークシーに突入する予定。是非お気軽にお越しください。お昼ご飯もあるし。
で、トークショーのこと。
講師は元文化放送、沖縄大学客員教授、東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター顧問の緒方修さんです。
南西諸島のミサイル化がどんどんと進んでいます。今、現地ではいったい何が起こっているのか、メジャーの新聞や雑誌が報道しない重大な事案を、動画や画像と共に語って頂きます。
写真は先月、沖縄に行った時、女優の舞香さんと、沖縄大学の図書館で行われていた写真展を訪問した時に撮ったもの、白髪の方が緒方修さん、面白い方です。
https://www.facebook.com/events/876800037154216
是非とも皆さんに知って欲しいと思うのです。これは沖縄の問題ではありません。沖縄に苦難を押し付けて、のほほんと暮らしている、我々大和人が絶対に考えなければいけない問題だとボクは考えるのですが。
貴方の足が沖縄の人の足を踏んづけているのだということを、まずはともかく知ってください。そしてどうか、そのことに向き合って欲しいと思う。右も左も関係ありません。
オマケ。
先日、泉龍寺の東堂さんに、「どうして狛江の人たちは来ないんだしょうか」と言ったら、東堂さん笑って、「それはね、高山さんみたいな、左翼だか右翼だか分からないような、変な人には近づきたくないんだよ」だって。ほんとにそうなのかな。だとすれば、それこそが分断される原因。誰かの思う壺。
ボク「左翼だか右翼だか分からないのって、だめですかね」
東堂さん「ボクはいいと思うけどね」
考え方が違う人と話すのって、すごく面白いのにねえ。それが自分を豊かにするし。
因みに、米軍廃棄物パネル展で4回もトークに来てくれた中村之菊は、右翼団体花瑛塾の元塾長ですから。
そして、パネル展は終わりましたが、12月16日に、追加トーク決定しました。時間等、決まり次第お知らせします。
なお、11月いっぱい行われた米軍廃棄物パネル展の内容は、全てファイルにして閲覧可能にしてありますので、見逃した方は是非どうぞ。
他にも色々とあるのですが、ともかく今日のこと、お知らせしました。是非是非来てください。知らないこと、知るべきことを知るために。
食事報告はスキップ。