2009年06月20日(土)17時50分
「はべる」と「てふてふ」うちなーぐち講座《2》の2
さて、今日の本題に入る前に、もう少し寄り道をさせてください。
初めて沖縄語を話す会にお邪魔した時(4/4)に、沖縄の3母音についてお話ししました。
まずそちらを、是非お読みください。
⇒http://mapafter5.blog/907…
その復習と補足です。
《復習》
大和の母音の[e]が、ウチナーグチでは[i]に、[o]は[u]となる。
それでよく沖縄語は3母音という言われ方をするが、実はそれは間違いである。
短母音の[e]も[o]も、数は極めて少ないが、存在する。
長母音の[e:]と[o:]は、いくらでもある。
大和の[ai]が[e:]、[au]が[o:]となる。
《補足》極めて少ない[e]も[o]について。
それらの多くは感動詞(ane=あれ)か、擬声語(horohoro=衣ズレの音)である。
それらの言葉の殆どに、[e]や[o]を使わない言い方(変わり語形)がある。(三百=[sanbeku]には、[sanbyaku]という言い方もある。)
上記以外の言葉は、唯一、haberu=蝶のみである。
(コメントの【補足】も、必ず併せてお読みください。7/11追記)
さて、ここからです。(いつもM.A.P.after5の“うちなーぐち講座”はややこしいので、頑張ってついて来てくださいね。)
M.A.P.after5では上記のように説明はしたものの、実は、一つの疑問があったのです。
上に述べた[ai]→[e:]、[au]→[o:]という「ルール」の他に、大和の二重母音や長母音と沖縄の長母音との関係には、もっと多くのルールがあります。例えば、[ou]及び[oo]は[u:]となる。(通りtoori→tu:ri※注)
しかし「扇」はうちなーぐちでは「おーじ」です。なぜ「うーじ」とならないのだろうか……
※注:「トゥーリ」は[tu:]か[tuu]か、これについてもお話ししたいことがありますが、これは別の機会に…
そして、色々と調べ始めたのです。でも、ウチナーグチに関するものをいくら探しても、満足のいく答えは見つかりませんでした。ところが、日本語の歴史に、この疑問を解く糸口があったのです。
日本の鎌倉時代から室町時代にかけて(1200年頃)「オ列の長母音」は、口の開き方の広い狭いによって区別がありました。口を広く開けた方を「開音」、狭い方を「合音」といいます。
「開音」は[au]が長音化したもの[?:]、「合音」は[ou]が長音化したも[o:]です。
つまり「扇」がウチナーグチで「o:ji」となったということは、「扇」の「おー」が、もともと「開音」であったからではないのか。つまり、平仮名で「扇」を表記すれば、「扇」は「あうぎ」だったということなのです。
(但し、元禄時代、紀元1700年頃には、大和ではこの発音の区別は無くなっていたようです。けれども、文字としては「あうぎ」という風に書き分けていたのでしょう。)
これで、なぜ「扇」がウチナーグチで「うーじ」ではなく「おーじ」となるのか、そのことの説明がつきました。満足。
比嘉光龍さんに会った時、この話をしたら、「それ自分で考えたの」と、光龍さんの大きな目が、さらに大きくなりました。
このことに関連して、高山正樹は「社長とは呼ばないで」に、またわけのわからないことを書きました。
⇒http://lince.jp/mugon…
【補足】
例えば「王子」も沖縄語では「おーじ」となります。これも「扇」と同じ事情なのですが、但し、この場合の「お」は声門破裂音ではない「お」なので、新沖縄文字を提唱する船津さんの表記法に従って「をーじ」としました。しかし、「を」と書くと、どうしても[wo]という発音を想起します。確かに現代日本では「を」は[o]と発音されるということになっているので、声門破裂音ではない「お」の文字として「を」使用するのは一見問題なさそうにも思えますが、大和の古典芸能の世界では、いまだ「を」を[wo]と発音しています。この伝統的な発音は、芸能の世界では今後も受け継がれていくでしょう。
従って、「新沖縄文字」においても、無用な混乱を避けるために、声門破裂音ではない「お」については、新規に文字を考案することを、私は提案したいと思っています。
本記事において、そのあたりの事情を解説せずに、「王子」を「開音」の例として使っていたため、とても分かりにくい説明に「なっていました。そこで、「王子」に関する部分を削除し、この補足を付記することにしました。
しかしです。ここで新たな疑問が沸き起こってきたのです。
1:元来古く(日本の鎌倉時代以前の)沖縄で、その頃は大和でもそうだったように、[au]または[?:]と発音されていたものが、大和とは全く違った音韻変化の道を辿って[o:]に変わっていったのか。
2:あるいは、元禄時代以前に大和からやってきた言葉の[au]または[?:]が、既に確立されていた沖縄の音韻体系の中に組み込まれて、[o:]と言い換えられたのか。
3:はたまた、元禄時代以後、すでに大和では発音の区別が無くなっていたのに、大和から文字としてやってきたものに「あう」と「おう」の区別があったため、沖縄ではそれを音でも区別したということなのか。
ああ、興味は尽きません。
このことは、沖縄の歴史的仮名遣いをどう考えるのかという問題と、深く関わっているのではないか、そうとも思われてきました。
ともかくです。何百年も頑なに保持してきた仮名遣い(蝶々=てふてふetc.)を、日本は明治になってあっさりと放棄してしまったわけですが、その大和では失われてしまった区別が、その成り立ちや変遷がどうであれ、ウチナーグチに[o:]と[u:]という音の違いとして、はっきりとした形で残っているということは間違いなさそうで、とても興味深いことです。
もちろん、全てをひとつの公式に当てはめてしまうことは大変危険ですが、そのことをわきまえていれば、公式を探り出そうとすることは、極めて深く、楽しいことです。
そして、ウチナーグチを通して日本語を考える、これは日本を相対化するという、日本が国際社会で真に自立するために必要でありながら、しかし日本人が極めて苦手とする思考回路を鍛えるために、とても有効なことでもあると思ったのです。
【追伸】
そうしたら、沖縄語辞典に、こんなことがあっさりと書かれていたことを、後になって知りました。
「標準語の『開音』に対応するooは首里方言でooに、また『合音』に対応する標準語のooは首里方言でuuに、それぞれ対応するのが普通である」
うーん、『沖縄語辞典』は、たいしたもんだ。
初めて沖縄語を話す会にお邪魔した時(4/4)に、沖縄の3母音についてお話ししました。
まずそちらを、是非お読みください。
⇒http://mapafter5.blog/907…
その復習と補足です。
《復習》
大和の母音の[e]が、ウチナーグチでは[i]に、[o]は[u]となる。
それでよく沖縄語は3母音という言われ方をするが、実はそれは間違いである。
短母音の[e]も[o]も、数は極めて少ないが、存在する。
長母音の[e:]と[o:]は、いくらでもある。
大和の[ai]が[e:]、[au]が[o:]となる。
《補足》極めて少ない[e]も[o]について。
それらの多くは感動詞(ane=あれ)か、擬声語(horohoro=衣ズレの音)である。
それらの言葉の殆どに、[e]や[o]を使わない言い方(変わり語形)がある。(三百=[sanbeku]には、[sanbyaku]という言い方もある。)
上記以外の言葉は、唯一、haberu=蝶のみである。
(コメントの【補足】も、必ず併せてお読みください。7/11追記)
さて、ここからです。(いつもM.A.P.after5の“うちなーぐち講座”はややこしいので、頑張ってついて来てくださいね。)
M.A.P.after5では上記のように説明はしたものの、実は、一つの疑問があったのです。
上に述べた[ai]→[e:]、[au]→[o:]という「ルール」の他に、大和の二重母音や長母音と沖縄の長母音との関係には、もっと多くのルールがあります。例えば、[ou]及び[oo]は[u:]となる。(通りtoori→tu:ri※注)
しかし「扇」はうちなーぐちでは「おーじ」です。なぜ「うーじ」とならないのだろうか……
※注:「トゥーリ」は[tu:]か[tuu]か、これについてもお話ししたいことがありますが、これは別の機会に…
そして、色々と調べ始めたのです。でも、ウチナーグチに関するものをいくら探しても、満足のいく答えは見つかりませんでした。ところが、日本語の歴史に、この疑問を解く糸口があったのです。
日本の鎌倉時代から室町時代にかけて(1200年頃)「オ列の長母音」は、口の開き方の広い狭いによって区別がありました。口を広く開けた方を「開音」、狭い方を「合音」といいます。
「開音」は[au]が長音化したもの[?:]、「合音」は[ou]が長音化したも[o:]です。
つまり「扇」がウチナーグチで「o:ji」となったということは、「扇」の「おー」が、もともと「開音」であったからではないのか。つまり、平仮名で「扇」を表記すれば、「扇」は「あうぎ」だったということなのです。
(但し、元禄時代、紀元1700年頃には、大和ではこの発音の区別は無くなっていたようです。けれども、文字としては「あうぎ」という風に書き分けていたのでしょう。)
これで、なぜ「扇」がウチナーグチで「うーじ」ではなく「おーじ」となるのか、そのことの説明がつきました。満足。
比嘉光龍さんに会った時、この話をしたら、「それ自分で考えたの」と、光龍さんの大きな目が、さらに大きくなりました。
このことに関連して、高山正樹は「社長とは呼ばないで」に、またわけのわからないことを書きました。
⇒http://lince.jp/mugon…
【補足】
例えば「王子」も沖縄語では「おーじ」となります。これも「扇」と同じ事情なのですが、但し、この場合の「お」は声門破裂音ではない「お」なので、新沖縄文字を提唱する船津さんの表記法に従って「をーじ」としました。しかし、「を」と書くと、どうしても[wo]という発音を想起します。確かに現代日本では「を」は[o]と発音されるということになっているので、声門破裂音ではない「お」の文字として「を」使用するのは一見問題なさそうにも思えますが、大和の古典芸能の世界では、いまだ「を」を[wo]と発音しています。この伝統的な発音は、芸能の世界では今後も受け継がれていくでしょう。
従って、「新沖縄文字」においても、無用な混乱を避けるために、声門破裂音ではない「お」については、新規に文字を考案することを、私は提案したいと思っています。
本記事において、そのあたりの事情を解説せずに、「王子」を「開音」の例として使っていたため、とても分かりにくい説明に「なっていました。そこで、「王子」に関する部分を削除し、この補足を付記することにしました。
(2011年2月5日高山正樹)
しかしです。ここで新たな疑問が沸き起こってきたのです。
1:元来古く(日本の鎌倉時代以前の)沖縄で、その頃は大和でもそうだったように、[au]または[?:]と発音されていたものが、大和とは全く違った音韻変化の道を辿って[o:]に変わっていったのか。
2:あるいは、元禄時代以前に大和からやってきた言葉の[au]または[?:]が、既に確立されていた沖縄の音韻体系の中に組み込まれて、[o:]と言い換えられたのか。
3:はたまた、元禄時代以後、すでに大和では発音の区別が無くなっていたのに、大和から文字としてやってきたものに「あう」と「おう」の区別があったため、沖縄ではそれを音でも区別したということなのか。
ああ、興味は尽きません。
このことは、沖縄の歴史的仮名遣いをどう考えるのかという問題と、深く関わっているのではないか、そうとも思われてきました。
ともかくです。何百年も頑なに保持してきた仮名遣い(蝶々=てふてふetc.)を、日本は明治になってあっさりと放棄してしまったわけですが、その大和では失われてしまった区別が、その成り立ちや変遷がどうであれ、ウチナーグチに[o:]と[u:]という音の違いとして、はっきりとした形で残っているということは間違いなさそうで、とても興味深いことです。
もちろん、全てをひとつの公式に当てはめてしまうことは大変危険ですが、そのことをわきまえていれば、公式を探り出そうとすることは、極めて深く、楽しいことです。
そして、ウチナーグチを通して日本語を考える、これは日本を相対化するという、日本が国際社会で真に自立するために必要でありながら、しかし日本人が極めて苦手とする思考回路を鍛えるために、とても有効なことでもあると思ったのです。
【追伸】
そうしたら、沖縄語辞典に、こんなことがあっさりと書かれていたことを、後になって知りました。
「標準語の『開音』に対応するooは首里方言でooに、また『合音』に対応する標準語のooは首里方言でuuに、それぞれ対応するのが普通である」
うーん、『沖縄語辞典』は、たいしたもんだ。
- 関連記事
-
-
にんじんしりしりー考 2009/07/12
-
「上舌化(高舌化)」、うちなーぐち講座《4》 2009/07/08
-
「来れたら来るさ」うちなーぐち講座《3》 2009/07/01
-
耳勉強法・山猫解決法 2009/07/01
-
沖縄からのうれしいお便り 2009/06/29
-
光龍さんの回答【うちなぁやまとぅぐち:ミクストランゲージ:スラング】 2009/06/22
-
沖縄語を巡るフリートーク(かぎやで風・なんくるないさー・チムグルサン) 2009/06/20
-
「はべる」と「てふてふ」うちなーぐち講座《2》の2 2009/06/20
-
今日の報告のプロローグ【うちなーぐち講座《2》の1】 2009/06/20
-
名作を聴く 2009/06/20
-
ただのブログみたいな… 2009/04/18
-
「夢のかけら」打合せ風景 2009/04/16
-
いぎみてぃぐま展(沖縄通信no.3) 2009/04/12
-
「三母音」について(沖縄語の勉強会)うちなーぐち講座《1》 2009/04/04
-
「豚」の「わー」は声門破裂音です!【うちなーぐち講座“プロローグ”】 2009/03/18
-
← 沖縄語を巡るフリートーク(かぎやで風・なんくるないさー・チムグルサン) | 今日の報告のプロローグ【うちなーぐち講座《2》の1】 →
コメントの投稿
Track Back
ご案内
この新ブログへ引越し作業中です!
(ブログの説明はトップページに)
ページジャンプ
全1ページ中
1ページ目
1ページ目
カレンダー(月別)
月別アーカイブ
plugin by カスタムテンプレート
最新記事(+webslice)
新着コメント+Trackback
NEWコメント<>+-
- 2019-03-16 MAP : 宮沢賢治の“トロメライ”って何?(「音を楽しむ雑記帖」→「宮澤賢治考」)-コメントを転載2
- 2019-03-16 MAP : 宮沢賢治の“トロメライ”って何?(「音を楽しむ雑記帖」→「宮澤賢治考」)-コメントを転載
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました4
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました3
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました2
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました。
- 2019-03-15 MAP : 神楽坂とCHICAGO-「宮沢賢治考」のコメント2
- 2019-03-15 MAP : 神楽坂とCHICAGO-「宮沢賢治考」のコメント1
- 2019-03-15 MAP : キャッチコピー後日談-サイト振興委員会
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント4
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
- 2019-03-15 高山正樹 : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-高山正樹の返信
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント3
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント2
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント1
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載3
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載2
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載1
- 2019-03-15 MAP : みそかです-山猫ブログのコメントを転載
Trackback
<>
+
-
- 2017-08-06 ひだまりのお話 : 久米明さんにお会いしました。《懐かしい過去たちに囲まれて》-街話§J街通信[95]酒舎かんとりぃ
- 2012-12-31 初老間近のしがない俳優の呟き : (まもなく)-実験は続く…
- 2012-12-10 M.A.P.after5 : 玄羽さんの送別会-沖縄芸人ライブ“ぱんみかす”(そっと内緒に追記して再投稿)
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : 体育会系居酒屋-出ないなら出る練習をする
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : お久しぶりです浅野さん!-出ないなら出る練習をする
Comment
ホントにそう言い切ってしまってよいのでしょうか?
伊波普猷が言ったのは「原則」だと思うのですが、「原則」なら当然のコトながら「例外」があり得るわけです。
ウチナーグチの初学者にとってはこの3母音の原則があるおかげで聞き取りや読み取りがとても容易になります。おそらく多くのウチナーグチの指導者が「原則」3母音という指導・教授をしていると思います。
このブログの記事が初学者対象とは限りませんし、単なる私個人の印象なのかもしれませんが違和感を感じました。どちらにしろ、伊波普猷は3母音「しか」ないとは言っていないと思うのですが…。
確かに、伊波普猷の著作を全て読めば、伊波普猷が「沖縄語は3母音」であるなどという間違った主張をしていないことがわかりますが、それこそ研究者でもなければ伊波普猷の全著作をあたるなんてする人はいない。伊波普猷の論文には、「原則」云々抜きで「沖縄語は3母音」であると受け取られてもしかたがないようなものが数多くある。それが一般的に「沖縄語は3母音」と言われるようになった発端らしい。「原則」はすっかり置き去りにされている。
「3母音という言われ方をするが、実はそれは間違いである」のすぐ後に「短母音の[i]も[o]も、数は極めて少ないが」と書いてあるわけですが、それを読み飛ばして「違和感」云々する君の論法にこそ違和感を感じるのですが、如何?
はねる音[N]かつまる音[Q]に先立っても使われる。
但し
eQ(えっ)、oQ(おっ)の例も極めて少ない。
例:ぬかるみ=gweQtai(ぐぇったい)
eN(えん)、oN(おん)はかなりあるが、擬声語や中国からの借用語に多い。
(「琉球語辞典」?「首里方言の音韻と表記法」)
なお、母音に関する本記事の説明は、基本的に沖縄本島南部などの言葉について述べたものであり、それら以外の地域は、この限りではありません。例えば、奄美地方(沖縄県ではありませんが)は7母音です。
このことは、いずれ別記事で書きます。
(『沖縄大百科事典』「琉球方言の母音」の項より)
「琉球方言の母音は、琉球の共通語の地位にある首里方言では、構造は東京方言と同じく5母音であるが、その出自(対応関係)は異なる。東京方言のe,oがそれぞれ首里方言のi,uに対応し、連母音のai,aeがe:に、au,aoがo:に対応する。沖縄本島とその周辺諸島に広がる沖縄方言は全てこの形である。」
そちらの方は順調ですか?
私は明日から越南・胡志明市へ行って参ります。
チェロの練習については、下記の記事の方をお読みください。
http://lince.jp/hito/dome.html
で、いつまで旅なの?
「違和感」に関して。
まず「シーサー」の記事の際にはあれほどいろいろな資料を当たって説明してくださったのに、なぜ「伊波普猷」に関しては「〜らしい」と簡単に済ましているのかというコトに違和感を持ちました。だからといって、その論拠が知りたいというわけではありませんが。
ウチナーグチを学び始めれば、「3母音(原則)」だというコトはすぐにわかるコトです。指導者(書籍を含め)の多くが「3母音(原則)」を強調する理由は初学者にできるだけ負担をかけたくないがためです。最初から例外を教え始めたらなかなか前に進めず、学習者のやる気をそいでしまうコトを考慮しているのです。
本論中の「扇」「王子」の違いの説明などに興味を持ち、違いを理解しようと考えるmixi参加者はほとんどいないでしょう。それはコミュニティで交わされているコメントの内容を読めば一目両全です。
あわせて、ウチナーグチの継承の問題を考えると、一番の問題は「表記」の問題ではなく、若者たちにどう興味を持ってもらい、いかに学ぶ意欲を起こさせるかというコトです。
私はウチナーンチュではなく、学者でもない高山さんがウチナーグチ継承に関わるおもしろいプロジェクト(個人的にそう思ってます)を始めようとしているコトに共感し、協力させてもらえるコトはないかと名乗り出たわけですが、どうも最近は当時とは異なる印象、「私の間違いだったのだろうか?」という違和感を持ちはじめています。つたない文章ですが、そういう個人的な意見を述べさせてもらいました。
一般にそういわれるようになった原因ということに関しては、正確にいうことなどできない性質のものでしょう。ただそういう意見もあり、当時の伊波普猷の影響力を考えれば、確かに頷けるということをいったまでです。
なぜそんなことを言ったのか、以下の船津好明氏の論文を是非お読みください。
(「その論拠を知りたいわけではない」という言い方はちょっと…)
http://www.wwq.jp/p/funatsu...
それ以外のことは、この記事の内容とあたかも相反するかのように言うべきことではないと思うのですが。一面しか見えていないのではという印象です。
目的に到る道は多岐にわたっているはずです。まず今自分にできることをやる、だからと言って別の道を否定しているわけでもなければ、その道を模索していないわけでもない。
金城君の道は一本なのですか、他の道は認めないのですかと言いたくなる感じ。いずれにしろ、ここでの具体的な反論は控えます。
「3母音の原則があるおかげで聞き取りや読み取りがとても容易になる」という意見は、ここで考えるべき内容かもしれませんね。
でも、だからといって、「沖縄語は3母音ではない」ということも間違いではないでしょう、その僕の記述についての金城君の意見が、あたかも不適切であるといっているような表現だと感じたので、それでは困ると思い、その他の文献をご紹介したわけです。それで資料は十分だと思っていたのですか…
続く…
しかしそれは「3母音というのは間違いである」ということを否定するものでもないはずです。それをここで書いたからといって、君のいう有効性が損なわれるとも思わないし、これを読んでウチナーグチを学ぶのを躊躇する人がいるというのもどうでしょうか。いるかも知れないが、逆に、これを読んで面白いと思う人もいるわけですから。
ただ申し上げたかったことがありました。日本語の[e]を[i]にするとウチナーグチになるというように安易に考えている人も多いらしく、(それはやっぱり沖縄語は3母音という、ある意味ステレオタイプの情報が原因だと思うのですが)その結果、間違ったウチナーグチが出てきているという話も聞いているのです。しかしながらこれについては、今、僕にその事例を示す材料もなく、確信もないので、もう少し調べてから、その真偽を報告したいと思っています。
ウチナーグチの「表記問題」を極めて重要なこととして、長く研究し活動している方々がたくさんいらっしゃいます。しかし、そうした方々が「ウチナーグチを継承していくための一番の問題は表記である」などと主張しているわけではありません。また「ウチナーグチを継承していく」ことを疎かにしているわけでもありません。色々ある問題の一つとして「表記」の問題もあるとおっしゃっているのです。
(決して金城君がそれを否定しているというつもりはないのですが、唐突に「表記」と比較するという微妙なロジックを使われてしまうと、どうしてもそういう意味を感じとってしまいます。そうでなければ、別の表現がいくらでもあるはずなのですから。)
「表記問題」を真摯に考え続けている方々の名誉のために、敢えて申し上げました。
車の両輪になるべきなのに、何故か対立して、それが目的へ到る道の障害となってしまう、沖縄ではよくあることだと感じています。この件も、そうならないことを祈るばかりです。
今、儀間進さんの本を読み漁っています。儀間さんの視点は、首里を飛び出し、大和の田舎から奄美、果てはいわゆる「先島」にまで及んでいます。この儀間さんの実に奥行きのあるコラムの下に、どうしたらたくさんの若者が集まってくれるのか、毎日毎日、切実に考えています。
儀間進さんの思いを抜きに、この企画はありえない、という初心に帰っているのです。
そして、データ配信に関する具体的な道も、ようやく大きく開けてきました。間もなく(?)開始です。
道は、一本道ではありません。
http://lince.jp/hito/3boin....