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全てを結ぶ“しりとり”

【ねこ】←昨日の猫
自宅にて。
しかし、なんで自分から籠に入るんだ。
眠る猫(ごま) 起き出した猫(ごま)
あんたらの勝手でオイラ達を去勢したくせに。
にゃにを今さら…
「ねこ」の“
ーやー】←一昨日のゴーヤー
事務所にて。
プランターに植えかえました。
広いところですくすく育て!
プランターに植えかえたゴーヤー
2日後のゴーヤーへ

「ごーやー」の“
きとり】←前回の鳥力中央研究所
ちょっと早めに仕事を切り上げて。
卵かけご飯がメニューにあるんです。
無精卵かな、でも新鮮上等な卵です。
卵の殻と手羽元の骨
すいません、食いっ散らかした後の画像で。

「やきとり」の“
ゅうきゅうこ、はっかんのことば】←前回「琉球弧」のことを書いた記事

焼き鳥を肴にホッピーを飲みながら、読んでいた本。
儀間進『琉球弧』。
儀間進『琉球弧』の表紙

その「まえがき」から…

「『琉球弧』という手書きの個人誌を書きはじめたときは、活字にすることなど考えてもいなかった。沖縄が本土復帰する二、三年前から、折にふれて感じたり、考えたり、疑問に思っていたことを、気負うことなく、憶することなくわりあい静かな気持で書いた。他人に自分の考えを主張するという形でなく、むしろ自分に語りかけるつもりで書くことによって、考えを整理したといったほうが当を得ているのかもしれない。」
「『沖縄人のままで日本人になる」ということを以前に書いたことがあるが、『琉球弧』の底にあるのもそれである。『沖縄人』ということを、どのように解釈するかで、その人の生き方も変っていくものだが、わたくしとしては、声を荒げずに静かに強く生きることが出来たらと思っている。しかし、このことは自分自身に向っていうことばだと思っている。つぶやくように語ったつもりのことばがマイクに入って、スピーカーから流れ出したようなとまどいを一面では感じている。」
1979年1月10日儀間進

ページをめくると、続いて目次があって、その次のページに、手書きの創刊号の表紙が刷られてあります。
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そしてその、「発刊のことば」(1970年9月)から…
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「こんど個人誌を出すことにした。長くへこたれずに続けていくために、見てくれは悪くても、資金の関係もからんでガリ刷りの小さな雑誌にして、とにかく書けるところまで書いていこうと考えている。」
「この小さな雑誌ですぐさま『政治』を語るつもりはない。むしろ、ある意味では逆に政治から遠ざかるかもしれない。現代においては、政治に背を向けることが許されなくなっているが、政治的次元での人間解放には深いところで大きな限界があると思うからである。」


僕は、儀間進氏のウチナーグチのコラムをたくさんの人たちと読むという企画を進めようとしているのですが、あらためて儀間進先生の思索の深さを、この書物を通して再確認しています。
それについては、今後このM.A.P.after5において、折々、ご紹介していこうと思っています。そして、ある程度記事が溜まったら、それらをまとめて、おきなわおーでぃおぶっくOfficialサイトあたりに掲載しようと考えています。
(文責:高山正樹)

「りゅうきゅうこ、はっかんのことば」の“
じめちゃん】←前回のはじめちゃんの「カラボ」
酒撲滅運動。世界の酒を飲み尽すためにハシゴするのです。
火曜日のMIRROR_BALLは、はじめちゃん担当。
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「はじめ」なのに、「はじめちゃん」の“”で「しりとり」は終わり。
飲み過ぎて、お釈迦なんてことになりませんよう。いくら苗を植えても、実の成る前に死んでしまったら、何も植えなかったのと同じことですから。

でも、沖縄語には“ん”から始まる言葉がたくさんあります。だから、沖縄の「しりとり」はエンドレス……

「はじめちゃん」の“
なばた】
何も植えていない畑のこと…

今日は7月7日。
「んなばた」ならぬ「たなばた」は、ウチナーグチでなんていうのでしょう?

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tag: 喜多見_Bar.MirrorBall  うちなぁぐちフィーリング  ゴーヤー栽培.2009    うちなーぐち  儀間進 

Comment

No:460|
「たなばた」は、ウチナーグチでも「たなばた」です。でも星祭は無し。お盆の準備をする日。元来、大和でもそういう日だったのです。
確かに、死んで星になるというのは沖縄的ではないのかな。
沖縄は逆です。人が死ぬと、星がひとつ消えるのです。
No:461|
沖縄の伝統行事は基本的に旧暦に則り行われます。なので、「お盆の準備をする日」の七夕は旧暦の7月7日です。
廃藩置県から本土復帰を経て現在の沖縄では、新暦の7月7日の七夕は本土と同じように「星祭」です。
ちなみに今年の旧暦の七夕は8月26日のようです。
No:462|
「沖縄では」という時の「沖縄」が何を指すのか、難しいですなあ。
うちのカミサンに「沖縄にたなばたってあるの」と聞いてみた。そうしたら「はかそーじさー」というお答え。
「笹の葉に短冊飾って、星に願い事したりしないの」
「小学校とかではやったさー」
さて、皆様どう思います?
「復帰前までは…」
「あの戦争の前までは…」
「廃藩置県の前までは…」
「いわゆる島津の『琉球入り』の前までは…」
「沖縄本島では…」
「首里や那覇では…」
「先祖が士族の家庭では…」
「公式の場所では…」
「庶民の家では…」
ちなみに、うちのカミサンの実家の祖先で戒名を持っているのは義父だけ。大和の坊さんに勧められて付けたのだけれど、今ではみんな後悔している。
これについても、色々と異論反論が出てくるのでしょうなあ。
今日のところは、億劫なので、ココまで。
No:463|
昭和57年に沖縄教育出版から発行された『おきなわ方言入門,ウチナーグチ〈方言と生活〉』の「おきなわの年中行事」から引用します。
「七夕(たなばた):七月七日はタナバタという。しかし、沖縄では本土のように星祭りの意味はない。
十三日からはじまる盆踊りに先祖の霊を案内するために、墓参りをし、そうじをする。
また、一年の中でいちばん日の強く照りつける日として『七夕日』(タナバタティーダ)といい、衣類の虫干しをすることになっている。
さらに、ところによっては、洗骨の儀礼をこの日におこなうところもある。
沖縄のタナバタは先祖祭りの儀礼であり、星の伝承にもとづく星願いの習俗はない。」
しかし、考えれば考えるほど罠にかかります。
日本にクリスマスはないですか?
でもクリスマスは日本の「習俗」でしょうか?
だいたいが、七夕に星に願い事をするというのは、日本の「習俗」だったのでしょうか?
思い起こせば、小生、クリスマスはやったことあるが、七夕に願い事したことなど、幼稚園以来ありません。
沖縄の七夕が大和と同じかどうか、言葉の遊び、ある意味どうでもいいことなのかもしれません。しかし、こと沖縄となるとそうはいかなくなる。それは何故なのか。只今考え中。というか25年間考え中です。

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