2009年08月02日(日)23時55分
小禄の目白
私、高山正樹は、6月20日の記事にコメントをつけ、そこでおきなわおーでぃおぶっくの“儀間進のコラムを読む”という企画に関して、次のように書きました。
「儀間さんの視点は、首里を飛び出し、大和の田舎から奄美、果てはいわゆる『先島』にまで及んでいます。この儀間さんの実に奥行きのあるコラムの下に、どうしたらたくさんの若者が集まってくれるのか、毎日毎日、切実に考えています。」
このことについて、もう少し説明したいと思います。
儀間進さんのコラム「うちなぁぐちフィーリング」および「語てぃ遊ばなシマクトゥバ」で扱っているのは、沖縄で標準語的な役割を果たしている首里の言葉が中心です。儀間さん自身が首里の御出身ですから、そうなるのは当然でしょう。でも首里の言葉をメインの食材にして出来上がった料理は、冷静に首里を見つめ、さらには首里以外の地域にも気を配り、結果、重層的な奥深い味付けになっています。
単なる地域の比較にとどまらず、沖縄全体を地理的・歴史的に俯瞰する視点によって、儀間さんのコラムは優れた沖縄社会学としても読み応えのあるものになっているということを、お伝えしたかったのです。
儀間さんは、「首里だらぁ」という言葉について、あるコラムの中で次のように書いています。
「(この言葉は)首里ン人(スインチュ)が口にするものではない。ためしに『沖縄語辞典』を調べてみたがなかった。士族たちが、働きもせずに、だらりと日を暮らしているからともいわれ、首里ことばが悠長で、ゆったりしていることから、ともいわれるが、いずれにしても、悪口であることにかわりはない。色が生白くて、生活能力のない街育ちの首里ン人への侮蔑である。」
続けて「ンムニー カディン 首里ン人」の説明が始まるのですが、これ以上はネタバレ、もうじきデータ配信されますので、携帯電話からでもダウンロードしてお聞きください。
また、先日の沖縄語を話す会で、こんな話を聞きました。那覇空港の東に小禄という地域がありますが、その小禄の言葉は汚いと、那覇や首里から差別されているというはなし。小禄では犬の鳴き方も違うらしい。
船津好明さんによると、あの伊波普猷でさえ 「小禄の目白」という文章で、小禄の言葉の汚さに言及しているというのです。
僕はそれがどうしても読みたくて、宇夫方女史におきなわ堂へ寄った時に探してくれるように頼んだのです。そして7月22日に届いた本がこれです。

伊波普猷全集第十巻。
「小禄の目白」は次のように始まります。
「子供の時分、大人たちにつれられて、目白を捕りに能く大嶺辺に出かけたものだが、その為に小禄に行つたことはつひ一度もなかった。といふのは、小禄の方言は語調が悪いので、目白も自然その影響を受けて、音がだみてゐる、といふ理由からであった。」
たとえ本当に小禄の語調が悪かったとしても、まさかそれがメジロの鳴き声に影響するとは思えません。
そういえばもう40年も前のことでしょうか、僕の母方の田舎は千葉の佐倉あたりなのですが、鳥モチやカスミ網を仕掛けて、小さな野鳥を捕獲し(もう時効ということでお許しを)、その泣き声を楽しんでいました。若い鶯には、その鳥籠に黒い布切れをかぶせ、それを優秀な鳥の籠の傍に置いて鳴き声を憶えさせていたのを、子供心に不思議な思いで眺めていた記憶があります。
佐倉あたりの言葉は、とても汚ないという評判でした。しかしそれが鶯の鳴き声を乱したという話など、もちろん聞いたことはありません。
そんなことよりも、佐倉の言葉は汚いというような会話は、田舎の人たちとよく笑いながらしていたし、それでもって誰かを傷つけたというようなことは全くなかったように思うのです。(本当は違うのでしょうか。)
それが沖縄の小禄ということになると、どうしてこれほど気にかかるのでしょう。
ともかく、伊波普猷の「小禄の目白」が書かれたのは昭和14年という昔のこと、今はもうそんな差別はないと思いたいものです。
でも、沖縄語を話す会で、少しナイーブな話を聞きました。
現在の首里と小禄はどちらも行政的には那覇市ですが、東京にある那覇の人たちの集まりには、久しく首里や小禄の出身者は参加していませんでした。しかし同じ那覇市だからと、首里や小禄の人たちに参加を薦めたときのはなしです。
「小禄」は、やっと「那覇」の仲間入りができると喜んだ、しかし「首里」はいい顔をしなかった、そして今でも首里の人たちは「すいの会」で活動しているとのこと。
ちなみに「すいの会」の「すい」は純粋の「粋」の字を充てているのだそうです。
首里(スイ)や揃(ス)リィ揃(ジュ)リィ 那覇(ナーファ)なあはいばい
首里ン人はいつも揃って連れだち、那覇ン人は離ればなれ…
「儀間さんの視点は、首里を飛び出し、大和の田舎から奄美、果てはいわゆる『先島』にまで及んでいます。この儀間さんの実に奥行きのあるコラムの下に、どうしたらたくさんの若者が集まってくれるのか、毎日毎日、切実に考えています。」
このことについて、もう少し説明したいと思います。
儀間進さんのコラム「うちなぁぐちフィーリング」および「語てぃ遊ばなシマクトゥバ」で扱っているのは、沖縄で標準語的な役割を果たしている首里の言葉が中心です。儀間さん自身が首里の御出身ですから、そうなるのは当然でしょう。でも首里の言葉をメインの食材にして出来上がった料理は、冷静に首里を見つめ、さらには首里以外の地域にも気を配り、結果、重層的な奥深い味付けになっています。
単なる地域の比較にとどまらず、沖縄全体を地理的・歴史的に俯瞰する視点によって、儀間さんのコラムは優れた沖縄社会学としても読み応えのあるものになっているということを、お伝えしたかったのです。
儀間さんは、「首里だらぁ」という言葉について、あるコラムの中で次のように書いています。
「(この言葉は)首里ン人(スインチュ)が口にするものではない。ためしに『沖縄語辞典』を調べてみたがなかった。士族たちが、働きもせずに、だらりと日を暮らしているからともいわれ、首里ことばが悠長で、ゆったりしていることから、ともいわれるが、いずれにしても、悪口であることにかわりはない。色が生白くて、生活能力のない街育ちの首里ン人への侮蔑である。」
続けて「ンムニー カディン 首里ン人」の説明が始まるのですが、これ以上はネタバレ、もうじきデータ配信されますので、携帯電話からでもダウンロードしてお聞きください。
また、先日の沖縄語を話す会で、こんな話を聞きました。那覇空港の東に小禄という地域がありますが、その小禄の言葉は汚いと、那覇や首里から差別されているというはなし。小禄では犬の鳴き方も違うらしい。
船津好明さんによると、あの伊波普猷でさえ 「小禄の目白」という文章で、小禄の言葉の汚さに言及しているというのです。
僕はそれがどうしても読みたくて、宇夫方女史におきなわ堂へ寄った時に探してくれるように頼んだのです。そして7月22日に届いた本がこれです。
伊波普猷全集第十巻。
「小禄の目白」は次のように始まります。
「子供の時分、大人たちにつれられて、目白を捕りに能く大嶺辺に出かけたものだが、その為に小禄に行つたことはつひ一度もなかった。といふのは、小禄の方言は語調が悪いので、目白も自然その影響を受けて、音がだみてゐる、といふ理由からであった。」
たとえ本当に小禄の語調が悪かったとしても、まさかそれがメジロの鳴き声に影響するとは思えません。
そういえばもう40年も前のことでしょうか、僕の母方の田舎は千葉の佐倉あたりなのですが、鳥モチやカスミ網を仕掛けて、小さな野鳥を捕獲し(もう時効ということでお許しを)、その泣き声を楽しんでいました。若い鶯には、その鳥籠に黒い布切れをかぶせ、それを優秀な鳥の籠の傍に置いて鳴き声を憶えさせていたのを、子供心に不思議な思いで眺めていた記憶があります。
佐倉あたりの言葉は、とても汚ないという評判でした。しかしそれが鶯の鳴き声を乱したという話など、もちろん聞いたことはありません。
そんなことよりも、佐倉の言葉は汚いというような会話は、田舎の人たちとよく笑いながらしていたし、それでもって誰かを傷つけたというようなことは全くなかったように思うのです。(本当は違うのでしょうか。)
それが沖縄の小禄ということになると、どうしてこれほど気にかかるのでしょう。
ともかく、伊波普猷の「小禄の目白」が書かれたのは昭和14年という昔のこと、今はもうそんな差別はないと思いたいものです。
でも、沖縄語を話す会で、少しナイーブな話を聞きました。
現在の首里と小禄はどちらも行政的には那覇市ですが、東京にある那覇の人たちの集まりには、久しく首里や小禄の出身者は参加していませんでした。しかし同じ那覇市だからと、首里や小禄の人たちに参加を薦めたときのはなしです。
「小禄」は、やっと「那覇」の仲間入りができると喜んだ、しかし「首里」はいい顔をしなかった、そして今でも首里の人たちは「すいの会」で活動しているとのこと。
ちなみに「すいの会」の「すい」は純粋の「粋」の字を充てているのだそうです。
首里(スイ)や揃(ス)リィ揃(ジュ)リィ 那覇(ナーファ)なあはいばい
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tag: 伊波普猷 儀間進 うちなーぐち うちなぁぐちフィーリング 首里
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Comment
しかも、那覇市の中でも、変わるとは・・・
勉強になります。
沖縄は地域地域の意識というものが高いですよね。
沖縄語を話す会 やはり興味わきます。
もしかしたら小田急線沿線でも沖縄語を話す会が出来るかもしれません。5人くらい集まったらですけど。でもKYOKOさんは遠いですね。。。