2009年09月19日(土)20時59分
いわゆる「沖縄の3母音」について再び
いわゆる「沖縄の3母音」について、今まで時々書いてきました。何度も言いますが、沖縄語には[a]と[i]と[u]の3母音しかないというのは間違いです。それについては特に下記の記事をお読みください。
⇒http://lince.jp/hito/au-oo-uu…
今日は、「沖縄の3母音」というステレオタイプっぽい通説の問題点についてお話したいと思います。
確かにウチナーグチには、[e]と[o]の短母音は極めて少ないということは事実です。また沖縄の言葉が、3母音化という歴史を経てきたことも間違いなさそうです。
ただ、いつごろどのように3母音化が起こったのかは、以前にも書きましたが、正確には分かりません。こうした言語の3母音化という現象は、世界的、歴史的にみて珍しいことではないのですが、日本国の場合、一方に3母音化することのなかった「標準語」というものが存在しているために、それとの比較で、ウチナーグチは日本語の[e]と[o]が、それぞれ[i]と[u]に「訛(なま)った」のだというような印象を生んでいるようです。常に「標準語」を基準にして考えるという発想が、「沖縄は3母音」で、極端な場合は[e]と[i]が欠落したというような思い込みを許している側面もあるのではないのかと思うのです。
長母音を考慮すれば、沖縄語には[e]も[o]も普通にあります。これは、いったん3母音化した後に、その空いた[e]と[o]の席に、別のところから別の音が変化して入ってきたということのようです。
(短母音の[e]と[o]も、その数は極めて少ないが存在します。)
さらに沖縄語の母音は、実は「3母音」どころではなく、声門破裂音などの半母音まで考えれば、日本語より遥かに複雑なのです。日本語を使っている我々が、そうした音を聞き分けることは不可能です。なぜならば聞き分ける必要がないから。(その理由については以前の記事「沖縄語の音韻講座プロローグ」をお読みください。)だから我々は、日本語と比較して、沖縄語に不足しているものしか見ないし、見えないのです。日本語の岸から、対岸の沖縄語を眺めている限り、日本語の方に不足しているものの方は、なかなか見えてきません。ところが対岸に渡って沖縄語を身近に触れたとき、はじめてウチナーグチの音韻の豊富さを知ることができ、むしろ「日本語」が「不足」しているのだということを知るのです。
(具体的な事例については、ウチナーグチ音韻講座などで、おいおいお伝えしていきたいと思っています。)
「沖縄語は3母音」なのではなく、「3母音化」を経験した言語であるということは確かで、そしてそれが、ウチナーグチの「色あい」に大きく影響していることも事実です。しかし、それがあたかも沖縄語が日本語に較べて音の種類が少ないというような印象を生む原因になっているとしたら、それは間違いです。実は逆で、何度も言いますが、音韻に関しては、沖縄語のほうが、はるかに「標準語」よりも豊かなのです。
どうか過去の記事も、併せてお読みくだされば幸いです。
(余談ですが、世界の言語を見渡すと、日本語は極めて音韻の少ない言語だということが分かります。しかし、音韻が多いのと少ないのと、どちらが優れた言語かということは、一概に言えるものではありません。そのことはいずれまた。)
例えばです。「言葉(ことば)」という単語は、沖縄では「くとぅば」と言いますが、これはいつからそうなのでしょうか。古来沖縄に「ことば」という単語があって、それが3母音化して「くとぅば」という発音に変わっていったのでしょうか。あるいは、既に短母音が3母音的であるという沖縄の音韻体系が確立された後に、「ことば」という単語が外来語として入ってきて、それが沖縄の音韻体系にはめ込められたことによって「くとぅば」と変化したのでしょうか。
しかし、それはどうでもいいことだといえるのかもしれません。「くとぅば」という言葉が、その出自を辿れないほどにも昔から、沖縄で「くとぅば」と発音されて使われていたのならば、それはもう沖縄語なのです。「ことば」が「くとぅば」に変わったというをことさらに主張するとするならば、その基底には、日本語が沖縄語の上位言語であるという認識が隠されているのかもしれません。
「ことば」と「くとぅば」は、同等な言語の、それぞれ別の単語であっていいのです。
そこで、僕は船津好明さんに、次のような質問をしてみました。
「元来沖縄にはなかった言葉をウチナーグチを喋る中で使おうとするとき、たとえば『パソコン』は『パスクン』と言うべきなのでしょうか」
それに対する船津さんのお答えは、結論から言うと、「パソコン」は「パソコン」のママでいいのではないかということでした。仮に[e]は[i]に、[o]は[u]に言い替えて発音するということを許してしまうと、例えば「猫」ですが、沖縄では「マヤー」という別の言葉があるのに、それを使わずに「ねこ」を「にく」といって済ましてしまうというような現象が起こり始めて、残すべきウチナーグチが失われていきかねない、それは避けなければという理由をあげていらっしゃいました。
この日は、船津さんと國吉さんと、帰りの電車でも、話は尽きることがなかったのでした。
ちょっと長くなったので、重要な告知は後日にしましょうね。
それから【補足】ですが……

⇒http://lince.jp/hito/au-oo-uu…
今日は、「沖縄の3母音」というステレオタイプっぽい通説の問題点についてお話したいと思います。
確かにウチナーグチには、[e]と[o]の短母音は極めて少ないということは事実です。また沖縄の言葉が、3母音化という歴史を経てきたことも間違いなさそうです。
ただ、いつごろどのように3母音化が起こったのかは、以前にも書きましたが、正確には分かりません。こうした言語の3母音化という現象は、世界的、歴史的にみて珍しいことではないのですが、日本国の場合、一方に3母音化することのなかった「標準語」というものが存在しているために、それとの比較で、ウチナーグチは日本語の[e]と[o]が、それぞれ[i]と[u]に「訛(なま)った」のだというような印象を生んでいるようです。常に「標準語」を基準にして考えるという発想が、「沖縄は3母音」で、極端な場合は[e]と[i]が欠落したというような思い込みを許している側面もあるのではないのかと思うのです。
長母音を考慮すれば、沖縄語には[e]も[o]も普通にあります。これは、いったん3母音化した後に、その空いた[e]と[o]の席に、別のところから別の音が変化して入ってきたということのようです。
(短母音の[e]と[o]も、その数は極めて少ないが存在します。)
さらに沖縄語の母音は、実は「3母音」どころではなく、声門破裂音などの半母音まで考えれば、日本語より遥かに複雑なのです。日本語を使っている我々が、そうした音を聞き分けることは不可能です。なぜならば聞き分ける必要がないから。(その理由については以前の記事「沖縄語の音韻講座プロローグ」をお読みください。)だから我々は、日本語と比較して、沖縄語に不足しているものしか見ないし、見えないのです。日本語の岸から、対岸の沖縄語を眺めている限り、日本語の方に不足しているものの方は、なかなか見えてきません。ところが対岸に渡って沖縄語を身近に触れたとき、はじめてウチナーグチの音韻の豊富さを知ることができ、むしろ「日本語」が「不足」しているのだということを知るのです。
(具体的な事例については、ウチナーグチ音韻講座などで、おいおいお伝えしていきたいと思っています。)
「沖縄語は3母音」なのではなく、「3母音化」を経験した言語であるということは確かで、そしてそれが、ウチナーグチの「色あい」に大きく影響していることも事実です。しかし、それがあたかも沖縄語が日本語に較べて音の種類が少ないというような印象を生む原因になっているとしたら、それは間違いです。実は逆で、何度も言いますが、音韻に関しては、沖縄語のほうが、はるかに「標準語」よりも豊かなのです。
どうか過去の記事も、併せてお読みくだされば幸いです。
(余談ですが、世界の言語を見渡すと、日本語は極めて音韻の少ない言語だということが分かります。しかし、音韻が多いのと少ないのと、どちらが優れた言語かということは、一概に言えるものではありません。そのことはいずれまた。)
例えばです。「言葉(ことば)」という単語は、沖縄では「くとぅば」と言いますが、これはいつからそうなのでしょうか。古来沖縄に「ことば」という単語があって、それが3母音化して「くとぅば」という発音に変わっていったのでしょうか。あるいは、既に短母音が3母音的であるという沖縄の音韻体系が確立された後に、「ことば」という単語が外来語として入ってきて、それが沖縄の音韻体系にはめ込められたことによって「くとぅば」と変化したのでしょうか。
しかし、それはどうでもいいことだといえるのかもしれません。「くとぅば」という言葉が、その出自を辿れないほどにも昔から、沖縄で「くとぅば」と発音されて使われていたのならば、それはもう沖縄語なのです。「ことば」が「くとぅば」に変わったというをことさらに主張するとするならば、その基底には、日本語が沖縄語の上位言語であるという認識が隠されているのかもしれません。
「ことば」と「くとぅば」は、同等な言語の、それぞれ別の単語であっていいのです。
そこで、僕は船津好明さんに、次のような質問をしてみました。
「元来沖縄にはなかった言葉をウチナーグチを喋る中で使おうとするとき、たとえば『パソコン』は『パスクン』と言うべきなのでしょうか」
それに対する船津さんのお答えは、結論から言うと、「パソコン」は「パソコン」のママでいいのではないかということでした。仮に[e]は[i]に、[o]は[u]に言い替えて発音するということを許してしまうと、例えば「猫」ですが、沖縄では「マヤー」という別の言葉があるのに、それを使わずに「ねこ」を「にく」といって済ましてしまうというような現象が起こり始めて、残すべきウチナーグチが失われていきかねない、それは避けなければという理由をあげていらっしゃいました。
この日は、船津さんと國吉さんと、帰りの電車でも、話は尽きることがなかったのでした。
ちょっと長くなったので、重要な告知は後日にしましょうね。
それから【補足】ですが……
また、かつて國吉眞正さんにこんな質問をしたことがあります。
「e」が「i」になる、「o」が「u」になるというルールを鵜呑みにしたために間違って使用されているウチナーグチという事例をご存知ありませんでしょうか。
船津さんが『美しい沖縄の方言』の中で、「個々の共通語の単語を無配慮のまま上例(e→i)のように対応づけて沖縄語化しようとすることは誤りの元になる」とお書きになっていらっしゃいます。そうした例をご存知でしたならば、お教えいただきたいのです。
僕もウチナーグチを調べ始める前までは、なんとなく沖縄の母音は三つしかないと思っていました。インターネットやちょっとした居酒屋談義レベルでは、結構そういうことになっているように思うのです。
「沖縄語は3母音といわれるがそれは間違いである」と、きちんと言わなければいけないのではないかと、最近思っているのですが。
それに対して、國吉さんのお答えはこうでした。
方言ニュースのキャスターの●●さんは、時々共通語をうちなーぐち読みするところがあります。
例えば「この程」(このほど)を「くぬふどぅ」と言うことがあります。いかにも沖縄語らしいですが、違います。
うちなーぐちでは、「くぬぐる(この頃)」です。あるいは「くねーだんし」ですね。
小那覇●●さんは、そんなことはありません。
八木●●さんの朗読を文字おこしして差しあげたのですが、その
中にもあります。
「稲光」のことを「?Nnibikari」(「?んにびかり」)と言っていますね。
これは「いなびかり」をうちなーぐちらしく言っているのですが変です。
台本が悪いのか分かりませんが。
正しくはうちなーぐちで「ふでぃー」と言います。
今度八木さんにお会いした時、聞いてみてください。稲光をうちなーぐちで何と言うか。テストですね(笑)。
「e」が「i」になる、「o」が「u」になるというルールを鵜呑みにしたために間違って使用されているウチナーグチという事例をご存知ありませんでしょうか。
船津さんが『美しい沖縄の方言』の中で、「個々の共通語の単語を無配慮のまま上例(e→i)のように対応づけて沖縄語化しようとすることは誤りの元になる」とお書きになっていらっしゃいます。そうした例をご存知でしたならば、お教えいただきたいのです。
僕もウチナーグチを調べ始める前までは、なんとなく沖縄の母音は三つしかないと思っていました。インターネットやちょっとした居酒屋談義レベルでは、結構そういうことになっているように思うのです。
「沖縄語は3母音といわれるがそれは間違いである」と、きちんと言わなければいけないのではないかと、最近思っているのですが。
それに対して、國吉さんのお答えはこうでした。
方言ニュースのキャスターの●●さんは、時々共通語をうちなーぐち読みするところがあります。
例えば「この程」(このほど)を「くぬふどぅ」と言うことがあります。いかにも沖縄語らしいですが、違います。
うちなーぐちでは、「くぬぐる(この頃)」です。あるいは「くねーだんし」ですね。
小那覇●●さんは、そんなことはありません。
八木●●さんの朗読を文字おこしして差しあげたのですが、その
中にもあります。
「稲光」のことを「?Nnibikari」(「?んにびかり」)と言っていますね。
これは「いなびかり」をうちなーぐちらしく言っているのですが変です。
台本が悪いのか分かりませんが。
正しくはうちなーぐちで「ふでぃー」と言います。
今度八木さんにお会いした時、聞いてみてください。稲光をうちなーぐちで何と言うか。テストですね(笑)。
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Comment
諸説諸々です。
この頃から、僕の思いもずいぶんと変わってきているなあ。