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青年座“千里眼の女”

今日は、宇夫方路女史が国立劇場の川口喜代子六十周年公演で踊っているので“デクノボー奏鳴曲”の稽古は休み。
お陰で時間は出来たが、本番を控えて、沖縄語を話す会は少し重いし、たきどぅんでのライブは夜だからちょいとつらい。青年座の昼公演くらいがちょうどいいかな。

千里眼の女のチラシ

紀伊國屋劇場、「千里眼の女」。
ロビーで、津嘉山正種さんの「人類館」のCDが販売されていた。売れていればいいのですが。津嘉山さん、ついにきっぱり煙草をやめたとのこと。どうかお太りになりませんように。

ほぼ満席。2時間半。最近の芝居にしては長いですな。
明治時代、透視能力を持つと評判になった御船千鶴子のはなし。千鶴子の透視は真実であったのか否か、歴史的な検証では、ほぼ否定されているらしいが、この芝居ではそのあたりを巧みにボヤかして、でもどちらかといえば真実であったかのように描きながら、帝国大学がその能力の科学的解明を放棄したということに光を当てる。超能力などイカサマであると宣言して、はびこる蒙昧に冷水をかける、それは一等国になるための致し方ない選択だったのか、あるいは、霊は死後も存在してこちらの世界と交信できる、そんなスピリチュアリズムの数十年後の台頭を許さぬために、透視能力を認めた上でとことん科学的な解明をする必要があったのか。

しかしこの芝居は、スピリチュアな世界は存在し、そしてそれは、科学などでは決して解明できない領域なのだ、とでも言いたげだ。それがなんだか気にかかる……

てなことを、ブログに書くつもりはなかったのです。しかし今僕が稽古している“デクノボー奏鳴曲”には、死んだ賢治の妹トシが、平然と登場してくるわけで、それは単なる演劇的な道具立てでしかないと、僕は何の疑問も感じてはいなかったのだけれど、でもやっぱり、頑なにこの世の内側にとどまって思考を構築すべきなのではないかなどと……

死者とは、何者なのか。
本番を控えて、今日は、一番悪い選択をしたのかなあ。

そういえば、「千里眼の女」の音楽は、全編ピアソラでした。バイオリンだかチェロだか、よく分からなかったけれど。
(文責:高山正樹)
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tag: 青年座  「人類館」  デクノボー奏鳴曲 

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