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ドラマ・リーディング『魚人』

早稲田大隈講堂にて。

“感劇・環境”
その第2部、ドラマ・リーディング『魚人』を観に行きました。演出は流山児祥氏。
出演者などについては、過去の記事をお読みください。
http://lince.jp/hito/kangeki…

TOYOTAがF1から撤退しました。ファンは大変残念がっている。
まさか太公望の静かな釣りが、環境を壊すなど主張する人はいないでしょう。でも、釣りの醍醐味を味わうために、湖にブラックバスを放つようなところまでいくと問題になる。マグロは保護されるべきなのでしょうか。マグロがいなくなることは、環境が破壊されることなのでしょうか……
てなことを、考えさせられるようなドラマであったかというと、そうではありませんでした。

魚を釣れば魚がいなくなる。水は魚がいるからそこにある。だから、魚が消えれば水は引く。水がなくなれば人は生きられない。
伝説の釣り師と湖の主である巨大な神魚との戦い。
その寓話は大変おもしろかったのですが、温暖化というような切羽詰った現実を考えるには、空想的に過ぎました。芸術は現実とどう関われるのかという、なんとも古臭い問題を、あらためて考えたのです。

リーディングと銘打っていたので、出演者みんな椅子に座って、スマートに本を読むのだろうと思っていたのですが、全く違いました。全員、台本を持ってそれに目を落としてはいるのですが、ほとんど芝居仕立てで、ただ台詞を憶えていないというだけ。しかし、決して中途半端という感じはしない。その人物になりきって演じたいのだが、台詞を読まなければならない。自分の語る言葉が台本に支配されているという微妙なイライラが不思議な緊迫感を生み出しているのです。完成された舞台では決して見えてこない、演じるということのあり方が、にじみ出てくるような舞台でした。
だから、ますます環境などというテーマは霞んでいったのです。
演劇とは、テーマを伝えるための手段なのか、それとも、テーマなどというものは、寓話という神話的構造に後付された薄っぺらな批評でしかないのか。
(文責:高山正樹)

終演後、楽屋へお邪魔しようとロビー下手の扉を開けると……
大隈講堂下手側通路
あ、外だ。
きょろきょろしていると、御大が出ていらっしゃいました。
通路から早稲田の杜を眺めるふじたあさや氏と宇夫方路

大隈重信像があったりして…
大隈重信像

反対側、つまりロビーへ通じる扉へ向かってもう一枚。
大隈重信像を眺めるふじたあさや氏と宇夫方路

表へ出て、外からこの通路を撮影しようと思ったのですが、銀杏を踏むと強烈に臭くて撮影ポイントまで近づけませんでした。
ぎんなん 大隈講堂と大銀杏

帰りがけの道に並ぶ古本屋を散策。僕は、神田よりずっと好きです。見つけた本について、お話したいこともいくつかあるのですが、それは日をあらためます。
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tag: ふじたあさや  朗読 

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