2009年11月20日(金)15時37分
那覇のジーファー
“金細工またよし”の工房へ伺いました。
M.A.P.に注文が入って、それで制作をお願いしていた結び指輪を受け取るのが目的だったのですが、工房に上がると、いきなり又吉健次郎さんは、「あんたには感謝しているよ」とおっしゃられた。なんのことかと思えば、房指輪の意味のこと、「クガニゼーク」のこと。
「前からこれでいいのかなあと思っていたんだけれどね、あんたに言われて、あれがきっかけでちゃんとすることにしたんだ。」
健次郎さんがそう決められたという話は、前から宇夫方路に聞いていたことです。でも考えてみれば、そのはなしの後、僕が健次郎さんと直接お会いするのは今日がはじめてのこと、つまり健次郎さんは、僕ごときの者にも、きちんと礼を尽くしてくださったのだということに、後になって思い当たりました。なんとも頭が下がるばかりです。
⇒関連記事を読む

工房の看板、パンフレット、ホームページ、それから県の資料、それら全て直すことにされたそうです。
「大変ですねえ」
「一年ぐらいかかるかな」
「パンフレットだっていっぱい残ってるのに。僕の所為ですかね」
「いや、これはやらんといけないことだから」
健次郎さんご自身も熟考された結論なのだと安堵しました。
しかし、又吉健次郎さんが背負おうとしている伝統が「クガニゼーク」であるとしても、又吉さんの工房の看板は何故か最近まで「かんぜーく」だった。どうして「クガニゼーク」が「カンゼーク」と名乗ることになったのか、それについてあらためて伺ってみたのですが、残念ながら、やはり明確なことはわかりませんでした。
何年か前まで、踊りの小道具を作る、やはり「かんぜーく」を看板に掲げる工房があったそうです(※注)。銀のジーファーを1本2万円にも満たない値段で売っていた。材料の銀だけだって相当高くなっているのに。健次郎さんは、何故そんなに安く売るのかとその方に聞いたことがあったそうです。すると「仕事がなくなるのがこわくて値上げできない」という答えが返ってきた。
(※注:健次郎さんが首里の又吉と呼ばれていたのに対し、この方は那覇の又吉と呼ばれていた方であると思われます。)
気持ちも分からないではないと、健次郎さんは、ご自分の若い頃の話をしてくださいました。人がたくさん通るところに店を開いてはみたが、全く売れなかったはなし。
今だって、一週間どこからも連絡のないことがある。そんな時はとっても不安になる。
その踊りの小道具を作っていた「カンゼーク」の方はお亡くなりになった。踊りの人たちはとっても困ったはずなのですが、誰一人として健次郎さんに相談しに来る方はいなかったそうです。
いつから飾り職人は踊りの先生に頭が上がらなくなってしまったのか。対等だったはずなのに。
昔、ある時、お店に一人のおじいさんが来てこういった、なんで「クガニゼーク」というか知っているか、それは高い金細工を注文する時は、手付金として小金を置いていくからだ。クガニゼークが一番偉いんだ、なぜなら、頭の上に挿すジーファーを作っているから。だから一番上なんだ。
お父様である6代目の技術は神業だったというはなし。小物を作るための小さな道具しかないのに、それでおおきなものも作った。どうするとそんなことができるのか、今となっては知る由もない。ある時、父はそうして作ったヤカンを抱えて出ていった。戻ってきたとき、ヤカンは食料に換わっていた……。
健次郎さんは僕たちに1本のジーファーを見せてくださいました。千葉県に住んでいる方が大切に所蔵していたジーファー。それは時代を感じさせ、小ぶりの、実に美しい姿をしている逸品でした。

「ジーファーは女性の姿をしているのだが、これは那覇のジーファーでね、首里のジーファーに較べて顔が小さくて、首の角度が少し深い。完璧な形だ」
はっきりと見えない刻印。

「たぶん父の作ったものだと思うんだが」
那覇のジーファー、そして踊りの小道具…… もしかすると、それが「かんぜーく」と何か関係があるのでは? いや、決して先走ってはいけません。それはゆっくり調べればいい。
健次郎さんは、ジーファーの良し悪しを確かめる秘密の方法を教えてくださいました。このジーファーは見事に……
いえ、このお話はココまでです。
「この方法で僕の作ったジーファーを調べられたら困るからなあ」
又吉健次郎さんは、今の踊りのジーファーは大きすぎるとおっしゃいます。バランスも悪い。踊りの美意識はそれでいいのだろうかと思ってしまう。
「僕はあくまでも民具を作っているんだ。踊りのためだけの道具は作らない」
だからジーファーばかりではなく、房指輪も、踊り用の注文にはお応えにならないでしょう。
実は今日、宇夫方路は、来年やる予定にしている教師免許取得のお披露目公演のために、ジーファーを作って頂けないだろうか、無理を承知で頼んでみるつもりだったのです。でも、健次郎さんは踊り用でなくても、もうジーファーは、「クガニゼーク」の伝統のために、資料館のようなところ以外には作ることをしないと決められた。体力的にもそれが精一杯。それを知っては、もうお願いすることなどできるものではありません。きっぱりと諦めました。
でも、踊り続けるためには、ジーファーはどうしても必要なのです。さてどうしようか、宇夫方は、これからゆっくり考えることでしょう。
「あんたほど、一生懸命聞きに来て、一生懸命調べてくれた人はいなかったよ。」
又吉健次郎さんは、そう僕におっしゃってくださいました。
「何かわかったら教える。新しい資料もみんな送る。僕の言ったこと、何でもインターネットに書いてもいいよ」
ありがとうございます。健次郎さん。また来ます。
おまけです。
12月に又吉健次郎さんとcoccoの対談があるとのこと。「対談の相手は是非又吉さんに」、coccoのご指名なのだそうです。対談が終わったら報告してあげるから、ブログのネタにしなさいと、健次郎さんは言ってくださいました。楽しみだなあ。
ちょっと前の、又吉健次郎さんとcoccoさんの記事です。よろしければお読みください。
⇒http://lince.jp/hito/husayubiwa…
M.A.P.に注文が入って、それで制作をお願いしていた結び指輪を受け取るのが目的だったのですが、工房に上がると、いきなり又吉健次郎さんは、「あんたには感謝しているよ」とおっしゃられた。なんのことかと思えば、房指輪の意味のこと、「クガニゼーク」のこと。
「前からこれでいいのかなあと思っていたんだけれどね、あんたに言われて、あれがきっかけでちゃんとすることにしたんだ。」
健次郎さんがそう決められたという話は、前から宇夫方路に聞いていたことです。でも考えてみれば、そのはなしの後、僕が健次郎さんと直接お会いするのは今日がはじめてのこと、つまり健次郎さんは、僕ごときの者にも、きちんと礼を尽くしてくださったのだということに、後になって思い当たりました。なんとも頭が下がるばかりです。
⇒関連記事を読む
工房の看板、パンフレット、ホームページ、それから県の資料、それら全て直すことにされたそうです。
「大変ですねえ」
「一年ぐらいかかるかな」
「パンフレットだっていっぱい残ってるのに。僕の所為ですかね」
「いや、これはやらんといけないことだから」
健次郎さんご自身も熟考された結論なのだと安堵しました。
しかし、又吉健次郎さんが背負おうとしている伝統が「クガニゼーク」であるとしても、又吉さんの工房の看板は何故か最近まで「かんぜーく」だった。どうして「クガニゼーク」が「カンゼーク」と名乗ることになったのか、それについてあらためて伺ってみたのですが、残念ながら、やはり明確なことはわかりませんでした。
何年か前まで、踊りの小道具を作る、やはり「かんぜーく」を看板に掲げる工房があったそうです(※注)。銀のジーファーを1本2万円にも満たない値段で売っていた。材料の銀だけだって相当高くなっているのに。健次郎さんは、何故そんなに安く売るのかとその方に聞いたことがあったそうです。すると「仕事がなくなるのがこわくて値上げできない」という答えが返ってきた。
(※注:健次郎さんが首里の又吉と呼ばれていたのに対し、この方は那覇の又吉と呼ばれていた方であると思われます。)
気持ちも分からないではないと、健次郎さんは、ご自分の若い頃の話をしてくださいました。人がたくさん通るところに店を開いてはみたが、全く売れなかったはなし。
今だって、一週間どこからも連絡のないことがある。そんな時はとっても不安になる。
その踊りの小道具を作っていた「カンゼーク」の方はお亡くなりになった。踊りの人たちはとっても困ったはずなのですが、誰一人として健次郎さんに相談しに来る方はいなかったそうです。
いつから飾り職人は踊りの先生に頭が上がらなくなってしまったのか。対等だったはずなのに。
昔、ある時、お店に一人のおじいさんが来てこういった、なんで「クガニゼーク」というか知っているか、それは高い金細工を注文する時は、手付金として小金を置いていくからだ。クガニゼークが一番偉いんだ、なぜなら、頭の上に挿すジーファーを作っているから。だから一番上なんだ。
お父様である6代目の技術は神業だったというはなし。小物を作るための小さな道具しかないのに、それでおおきなものも作った。どうするとそんなことができるのか、今となっては知る由もない。ある時、父はそうして作ったヤカンを抱えて出ていった。戻ってきたとき、ヤカンは食料に換わっていた……。
健次郎さんは僕たちに1本のジーファーを見せてくださいました。千葉県に住んでいる方が大切に所蔵していたジーファー。それは時代を感じさせ、小ぶりの、実に美しい姿をしている逸品でした。
「ジーファーは女性の姿をしているのだが、これは那覇のジーファーでね、首里のジーファーに較べて顔が小さくて、首の角度が少し深い。完璧な形だ」
はっきりと見えない刻印。
「たぶん父の作ったものだと思うんだが」
那覇のジーファー、そして踊りの小道具…… もしかすると、それが「かんぜーく」と何か関係があるのでは? いや、決して先走ってはいけません。それはゆっくり調べればいい。
健次郎さんは、ジーファーの良し悪しを確かめる秘密の方法を教えてくださいました。このジーファーは見事に……
いえ、このお話はココまでです。
「この方法で僕の作ったジーファーを調べられたら困るからなあ」
又吉健次郎さんは、今の踊りのジーファーは大きすぎるとおっしゃいます。バランスも悪い。踊りの美意識はそれでいいのだろうかと思ってしまう。
「僕はあくまでも民具を作っているんだ。踊りのためだけの道具は作らない」
だからジーファーばかりではなく、房指輪も、踊り用の注文にはお応えにならないでしょう。
実は今日、宇夫方路は、来年やる予定にしている教師免許取得のお披露目公演のために、ジーファーを作って頂けないだろうか、無理を承知で頼んでみるつもりだったのです。でも、健次郎さんは踊り用でなくても、もうジーファーは、「クガニゼーク」の伝統のために、資料館のようなところ以外には作ることをしないと決められた。体力的にもそれが精一杯。それを知っては、もうお願いすることなどできるものではありません。きっぱりと諦めました。
でも、踊り続けるためには、ジーファーはどうしても必要なのです。さてどうしようか、宇夫方は、これからゆっくり考えることでしょう。
「あんたほど、一生懸命聞きに来て、一生懸命調べてくれた人はいなかったよ。」
又吉健次郎さんは、そう僕におっしゃってくださいました。
「何かわかったら教える。新しい資料もみんな送る。僕の言ったこと、何でもインターネットに書いてもいいよ」
ありがとうございます。健次郎さん。また来ます。
おまけです。
12月に又吉健次郎さんとcoccoの対談があるとのこと。「対談の相手は是非又吉さんに」、coccoのご指名なのだそうです。対談が終わったら報告してあげるから、ブログのネタにしなさいと、健次郎さんは言ってくださいました。楽しみだなあ。
ちょっと前の、又吉健次郎さんとcoccoさんの記事です。よろしければお読みください。
⇒http://lince.jp/hito/husayubiwa…
【もっと昔のはなし】
「金細工」の起源は、古琉球の時代に遡るという学者さんの意見もあるらしい。だがこの時代、「金細工」を「カンゼーク」と読むとは考えにくい。ならばその頃、「カンゼーク」という言葉も別にあったのでしょうか。問題は「金細工」という文字と「カンゼーク」という言葉が、王朝とは別のどこかで、いつどのように結びつき、そのときどんな職種を指してそういったのか、まずはそこが知りたいのですが、そんな昔の話の答えを健次郎さんに求めても無理な話ですね。頑張って色々と資料を探してみたいと思います。
【棟方志功の命名】
棟方志功は、ある時、ジーファーに漢字を当てた。
それは「慈波」。
すばらしいだろう、と又吉健次郎さんは言った……。
「金細工」の起源は、古琉球の時代に遡るという学者さんの意見もあるらしい。だがこの時代、「金細工」を「カンゼーク」と読むとは考えにくい。ならばその頃、「カンゼーク」という言葉も別にあったのでしょうか。問題は「金細工」という文字と「カンゼーク」という言葉が、王朝とは別のどこかで、いつどのように結びつき、そのときどんな職種を指してそういったのか、まずはそこが知りたいのですが、そんな昔の話の答えを健次郎さんに求めても無理な話ですね。頑張って色々と資料を探してみたいと思います。
【棟方志功の命名】
棟方志功は、ある時、ジーファーに漢字を当てた。
それは「慈波」。
すばらしいだろう、と又吉健次郎さんは言った……。
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Comment
FBにリンクを貼らせていただきました。
深く調べていらっしゃって感嘆いたしました。
狂言をおやりになっていらっしゃるのですか。琉球舞踊と狂言は足の使い方が似ています。琉舞は日舞より能狂言の仕舞に近いものがあります。
今このブログは引越しを検討中で、少し更新がおろそかになっていますが、まもなく何らかの形で始動します。
また是非お越しくださいませ。