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玉那覇味噌醤油店

まだ見ぬ金細工師を求めて首里へ。
このあたりで聞けば誰でも知っていると仲嶺眞永さんは言われたが、道行く若い奥さまに聞いても分からない。その他に人影もなく、すると見つけたこんなお店。味噌醤油屋さんですな。ここならきっとわかるだろう。

「すいません、ちょっとお伺いしたいのですが」……
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ふと左を見ると、こんな門が。
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そこには案内看板が立っている。
“仲田殿内跡(なかだどぅんちあと)”
説明書きによると、琉球王国時代の士族、仲田親雲上(ぺーちん)の屋敷跡。「玉那覇味噌醤油」は、琉球王家御用達。現在でも手作り無添加で製造しているという。

誰も出ていらっしゃらないので、思い切って中へ。
おお、味噌だ。味噌屋だから当たり前だが、この味噌樽、僕の子どもの頃、東京でもよく見たっけ。ここでは今も計り売りしてくれるんだ。
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「はい、いらっしゃいませ」と出てきた年配の女性(お名前は「さくもと」さんとお聞きしましたが、さて)。さくもとさんのお顔は「あたしなんか撮らないで建物を撮りなさい」というお言葉に従いました。

そして、度肝を抜かれたのです。
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「この建物は、あの戦争で焼けなかったのですか」
ここで30年間働いているというさくもとさんのお話では、潰れたけれども焼けはしなかったそうで、終戦後すぐに仕事の無い女性たちが、焼け残った木材を洗って再建されたのだそうです。
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熟成した味噌の、なんともいい香りでいっぱいです。
さくもとさんは、いろいろな味噌の味見をさせてくださいました。どれもこれも深くて旨い。
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「古い庭がありますけど、ご覧になりますか」
「もちろん」
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表に出ると、煙突が。
「これはもっと高かったんですよ。でも一番最初に攻撃されてね。軍の施設だと思われたんでしょう。」

夏は、みんな涼みに来るという緑深い庭。
表の案内板にはこう書いてありました。
「庭にある井戸には二カ所に水を汲むスペースがあり、男女別々の専用の水浴場になっていたようである」
これが男性用。
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こちらが女性用。
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女性用の井戸には蓋が無いから中が見えます。深い。今はもう水は枯れているのだとか。
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「なんで男女で分かれてるんですか?」
「首里だから、男尊女卑」
そう言って、さくもとさんは笑いました。

最後に、賄(まかない)のお味噌汁を頂いたのです。
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美味であります。
そうか、この味噌ならば、お椀に入れて、それに本部あたりの鰹節とたっぷりふってお湯をかけるだけでも、十分おいしいに違いない。
「社長とは呼ばないで」に、かつてこんなこと書きました。
さくもとさんにそんな話をしたら、さくもとさんは今でも一人暮らしの男子学生なんかには、それと同じ味噌汁の食べ方を教えているんだって。
県外にも卸しているそうですが、設定された賞味期限を過ぎて売れ残ったものは返品されてくる。本当は熟成が進んでいて、おいしくなっているのに。大和の行政が決めたルールが、何か大切なものを奪っています。手作り石鹸も同じことかな。
さくもとさん。ほんとうにありがとうございました。また絶対にお邪魔します。
(その時、何かの撮影クルーが、こちらをチラ見して通り過ぎて行きました。)
さて、肝心の「まだ見ぬ金細工師」のこと。
結論。教えてくださった場所で工房をかまえていた金細工師は、もう引っ越されていました。ではどこに引っ越したのかというと、金細工“またよし”の工房のある場所。つまり、まだ見ぬ金細工師とは、又吉健次郎さんのことだったのです。
残念なような、ほっとしたような……。


『沖縄大百科事典』

味噌づくり:一般的な醸造法としては、大豆を水に浸したあと蒸して砕き、麹と塩を混合して熟成させて造る。醸造業者は首里に集中していたが、戦前はほとんど自家製の味噌を造っており、各地で独特の味噌が発達した。(中略)農村地域では、サツマイモの粕・フスマ・粟・豆腐の粕・ソテツなどでも造ったという。(後略)

味噌醤油製造業:戦後県内での味噌醤油製造事業は、他の製造業に先がけて1947年(昭和22)ごろから再開された(中略)
輸入味噌にたいする物品税10%課税(55.12.実施)によって72年5月の復帰まで政策的に保護されてきた。(後略)

味噌煮豚:(前略)豚肉を大切りにして、味噌・泡盛・砂糖で煮込んだもの。(中略)同じ料理法で、砂糖・醤油味のものをラフテーという。
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tag: 沖縄大百科事典  沖縄の旅_2009年12月  「クガニゼーク」のこと  ラフテー  首里 

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