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宇夫方隆士「幻影」出版記念朗読会

パラダイス通り……大東そばで腹ごしらえして……
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“Bar土”へ
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今回の旅の最大の目的。
“宇夫方隆士「幻影」出版記念朗読会”
  ⇒告知記事

まだ準備中だったので、ちょいと2階のギャラリーへ……
“石川真生展”のためのスナップ写真がたくさん貼ってあった。

やっぱり強烈だ……

石川真生の名前を知ったのは、確か大江健三郎の何かの著作だったはず……
M.A.P.after5でも、ほんのちょっとだけ真生さんのことに触れたっけ……
  ⇒http://lince.jp/hito/…
「あしたの夜6時から、展覧会の会議やるけど来る?」
「そんな自由なの」
「そうだよ」
参加したいけど、今回はスケジュールが一杯。

開演前、流れる映像は“一瞬のコーヒー”……
  ⇒“一瞬のコーヒー”のページ

やがて朗読会が始まる。
こんな感じで語り……
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こんな感じで聞いている。

真喜ちゃんが撮影している……
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終演後……
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左から、宇夫方隆士氏、沖縄タイムス文芸部長で論説委員の真久田巧さん、そして又吉健次郎さん
浦添美術館での宇夫方隆士詩画集展の仕掛け人が健次郎さん。それがきっかけで宇夫方隆士さんは沖縄タイムスの新聞小説の挿絵を書くことになった。その時の担当が真久田さん。その真久田さんが、私達を大城立裕氏に繋いでくださった。たった一年半前のことなのです……

そして、おきなわおーでぃおぶっくのCD“人類館”と、それ以外にも、宇夫方隆士氏がジャケットデザインを担当した“カクテル・パーティー”“「対馬丸」より”“ノロエステ鉄道”も、“bar土”で販売してくれることになりました。ごうさんに感謝です。
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これで一区切りつきました……


使えるタグの限度が来ました。記事を分けることにします。
 ⇒この日来てくださったM.A.P.ゆかりの方々
 ⇒又吉健次郎さんに預けていたジーファー「蘇ったジーファーのこと」へ
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tag: パラダイス通り  石川真生  井上真喜  沖縄の呑食処.大東そば  沖縄の呑食処.Bar土  おきなわおーでぃおぶっく  真久田巧  宇夫方隆士  又吉健次郎  沖縄の旅_2009年12月 

Comment

No:669|
土のマスターのごうさんがmixiの日記にこんなことを書いてくださいました。
フィンランド・ヘルシンキ大学医学部の報告によると、 少なくとも月1回、1日にビールやワイン5本以上飲む人は、飲まない人よりも、なんとなと、3.2倍も認知症(痴呆 になる危険性が高くなるという。
しかも、年に少なくとも2回「酔いつぶれる」経験のある人は、なんとなんとなんと、10.5倍も認知症(痴呆)になる危険性が高いことを認めたという。
ぼくなんか、この話題の範疇で生きていない。
レベルがまるで違うのだ。
既に30代前半から、忘れる大天才ぶりを発揮し、怒りをかい、呆れられ、まぁ仕方ないかと許されるようになった。と、自分では勝手に思い込んでいる。
でだ、この話題から、とても素敵な「詩」を思い出した。「宇夫方隆士」さんの詩である。
『ボケ』
だんだん老いも深まって
順調にぼけもすすんでいるらしい
自分じゃよくわからないけれど
女房に手きびしく指摘される
何度もいわれているうちに
そうかもしれんとなんとなく納得する
どうせのことならむちゃくちゃにボケて
ついでに寝たきり老人になって
大便も小便もたれながしになって
そのくせやたら長生きして
まわりのやつらを困らせてやろうか
すっかりボケて
自分のこともわからなくなったんじゃ
おもしろくないから
少し正気の部分があって
途方にくれて溜息をついたりしてるやつらを
さりげなく横目でちらっと見たりして
ざまあみろ!とちょっと舌を出してやろう
これも老いの楽しみというものだ
いっひっひっひっひっ.........
非道徳的なやさしさと逆転の奇妙に明るいブラックユーモアのあふれている 「宇夫方隆士」さんの「詩の朗読」をみんなに聞かせたいな。
No:670|
出版記念朗読会 おめでとうございます。
目で追って読むのとは、また別の味わいがありますね。近くなら伺いたかったです。
「ぼけ」の詩 私も好きです。老いを逆手にとって生きる ああぁ いいなー!今 介護の勉強をしているんだけど そんなおじいちゃん?を応援したくなります!
私の好きな詩をひとつだけ・・・
夕日
木立に溶ける夕日は
見棄てられた生命を惜しむように
悲しみを甘美な睡りにさそう
途絶える風にとまどう
二人の影
ひろがる幕に怯える
鳥たちの群れ
崩れつづける楕円形の風景の
まぶしいほどの曲線の交差
なにもかもが
消えさるしかないのだ
吹き寄せられた星くずの中に
意味もなく横たわる自分の肉体の
うつろな吐息がひろがる
消えさるものに安住の地などありはしない
表現も素晴らしいですが、私は宇夫方さんの消えるものの美学 に共感できるものがあります。人間は何かを残すことによって、自分という存在を自分自身が確認したいものだと思っていました。宇夫方さんの詩には、跡形も無く消えるような言葉がたくさんでてきます。最近 私もそれもいいかもしれない と思うようになりました。
勿論 詩を書くことは、生産活動ですけどね!
どうぞ これからも 益々のご活躍 期待しています。

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