2010年06月26日(土)23時41分
《伊波洋一の講演》【普天間飛行場の危険】と【島尾伸三写真展】
日高さんの案内で、水道橋の文京区民センターへ。

宮森小学校米軍ジェット機墜落事件51周年と銘打った伊波洋一宜野湾市長による普天間基地関連の講演。
会場の様子ですが……

(前の席は仏教関係の方ですね。近頃、こうした集会によく参加されているようです。)
宇夫方女史がデジカメをサンディエゴに持っていったので、加えて携帯電話のカメラなんか滅多に使わないので、こんな写真しか撮れませんでした。
この会で配布された資料の中に、こんな記述がありました。
「サンディエゴ市のフェルナンデス上級政策補佐官は、『閉鎖される海外基地を多く受け入れたい』と語っており、普天間飛行場の受け入れ実現の可能性を示唆しました。」
このことについて、補足の説明が必要です。できれば、宇夫方女史がサンディエゴにいるうちに彼女に伝え、現地の人と話してきてもらいたいと思っていることなのですが、きっと間に合わないでしょう。
帳簿なんかと格闘していなければ、もっと準備ができたのにと、残念でなりません。
今日のことは、宇夫方女史が帰ってきたら、あちらの情報(たぶん不十分な情報)を一応聞き取り、それを合わせて整理して、日を改めてご報告したいと考えています。
※【追伸】(8月13日)
未だ報告できません。⇒理由はこちら
その後、水道橋から千駄ヶ谷へ。智内さんに誘われて、島尾伸三氏の写真展にお邪魔しました。青山タンバリンギャラリー。

(かりゆしウェアっぽい服を着ている後姿の方が島尾伸三氏です。)
今日が最終日ということで、到着した時には、もう皆さんビールを飲んでいらっしゃいました。
展示写真を片付け、近くの居酒屋へ。すっかりご馳走になってしまいました。
島尾氏からとても興味深いお話を伺ったのですが、果たしてどこまでブログに書いていいものか、ただ今思案中です。こちらはいずれ、本記事に追記したいと思います。お楽しみに。むふふ……
妻子に逃げられたらしい智内好文…w

【思い切って書いちゃうことにしました】
以前、M.A.P.after5でご紹介した話。まずはそちらをお読みください。
⇒文藝家協会訪問記(島尾ミホと宮城まり子)
この話を、島尾伸三氏にしたのです。すると、伸三さんの反応は意外でした。
「へえ、あのふたりはものすごく仲が悪かったのだが。島尾敏雄と吉行淳之介の方は確かに仲がよかったけれど。きっと、あんたが行くなら私もって張り合ったのでしょう」
真偽は分かりません。僕が島尾ミホさんと宮城まり子さんにお会いした時には、すでに島尾敏雄氏も吉行淳之介氏もお亡くなりになっていたのですから、嫌いなのに連れ立って出かける必要など、もうなかったようにも思いますし。でも仲が悪いということが、息子である伸三さんにしか分からないような、ミホさんもまり子さんもそぶりさえ見せないような微妙な真実だったとすれば……、いずれにしろ、島尾一家の、他人にはうかがい知れない深い影を、あらためて感じたのでした。
「僕はミホさんの父親役をやったのです。」
「そうですか。島尾敏雄の家は東北の田舎もんですが、奄美のファミリーはねえ。祖父はね、薩摩の目を盗んで、奄美の木を切りまくってシベリア鉄道の枕木のために売り飛ばした男です」
「へえ、いや、僕は島一番の名士で、単にいい人みたいに演じちゃいました。なんとも薄っぺらだったなあ。」
もうひとつ。奄美にやってきた若き特攻隊の隊長と島のおひーさまの恋について。
「ロリコン男がまだ何も分からない島の少女をたぶらかしたってことですよ。僕は、両親から何ひとつ恩恵を受けていない」
読者の皆様、この話も、決してストレートに受け取ることのありませんように。
物事は、まったくもって単純ではなく、見方を変えれば、全く違う相貌が現れるのだということを、この日、伸三氏は、ユーモアを持って、語ってくださったのだと思うのです。
宮森小学校米軍ジェット機墜落事件51周年と銘打った伊波洋一宜野湾市長による普天間基地関連の講演。
会場の様子ですが……

(前の席は仏教関係の方ですね。近頃、こうした集会によく参加されているようです。)
宇夫方女史がデジカメをサンディエゴに持っていったので、加えて携帯電話のカメラなんか滅多に使わないので、こんな写真しか撮れませんでした。
この会で配布された資料の中に、こんな記述がありました。
「サンディエゴ市のフェルナンデス上級政策補佐官は、『閉鎖される海外基地を多く受け入れたい』と語っており、普天間飛行場の受け入れ実現の可能性を示唆しました。」
このことについて、補足の説明が必要です。できれば、宇夫方女史がサンディエゴにいるうちに彼女に伝え、現地の人と話してきてもらいたいと思っていることなのですが、きっと間に合わないでしょう。
帳簿なんかと格闘していなければ、もっと準備ができたのにと、残念でなりません。
今日のことは、宇夫方女史が帰ってきたら、あちらの情報(たぶん不十分な情報)を一応聞き取り、それを合わせて整理して、日を改めてご報告したいと考えています。
※【追伸】(8月13日)
未だ報告できません。⇒理由はこちら
その後、水道橋から千駄ヶ谷へ。智内さんに誘われて、島尾伸三氏の写真展にお邪魔しました。青山タンバリンギャラリー。

(かりゆしウェアっぽい服を着ている後姿の方が島尾伸三氏です。)
今日が最終日ということで、到着した時には、もう皆さんビールを飲んでいらっしゃいました。
展示写真を片付け、近くの居酒屋へ。すっかりご馳走になってしまいました。
島尾氏からとても興味深いお話を伺ったのですが、果たしてどこまでブログに書いていいものか、ただ今思案中です。こちらはいずれ、本記事に追記したいと思います。お楽しみに。むふふ……
妻子に逃げられたらしい智内好文…w

【思い切って書いちゃうことにしました】
以前、M.A.P.after5でご紹介した話。まずはそちらをお読みください。
⇒文藝家協会訪問記(島尾ミホと宮城まり子)
この話を、島尾伸三氏にしたのです。すると、伸三さんの反応は意外でした。
「へえ、あのふたりはものすごく仲が悪かったのだが。島尾敏雄と吉行淳之介の方は確かに仲がよかったけれど。きっと、あんたが行くなら私もって張り合ったのでしょう」
真偽は分かりません。僕が島尾ミホさんと宮城まり子さんにお会いした時には、すでに島尾敏雄氏も吉行淳之介氏もお亡くなりになっていたのですから、嫌いなのに連れ立って出かける必要など、もうなかったようにも思いますし。でも仲が悪いということが、息子である伸三さんにしか分からないような、ミホさんもまり子さんもそぶりさえ見せないような微妙な真実だったとすれば……、いずれにしろ、島尾一家の、他人にはうかがい知れない深い影を、あらためて感じたのでした。
「僕はミホさんの父親役をやったのです。」
「そうですか。島尾敏雄の家は東北の田舎もんですが、奄美のファミリーはねえ。祖父はね、薩摩の目を盗んで、奄美の木を切りまくってシベリア鉄道の枕木のために売り飛ばした男です」
「へえ、いや、僕は島一番の名士で、単にいい人みたいに演じちゃいました。なんとも薄っぺらだったなあ。」
もうひとつ。奄美にやってきた若き特攻隊の隊長と島のおひーさまの恋について。
「ロリコン男がまだ何も分からない島の少女をたぶらかしたってことですよ。僕は、両親から何ひとつ恩恵を受けていない」
読者の皆様、この話も、決してストレートに受け取ることのありませんように。
物事は、まったくもって単純ではなく、見方を変えれば、全く違う相貌が現れるのだということを、この日、伸三氏は、ユーモアを持って、語ってくださったのだと思うのです。

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