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サンディエゴの日本人学校で踊る

【サンディエゴからの第二報】
(日本時間27日午前8時10分・現地時間26日16時10分)

サンディエゴでの今日の予定(日本は朝だから昨日ですね)は、8時半までに朝食を終えて準備する予定でした。
私は田中さんと同室でしたが、ふたりとも2度寝して、8時過ぎに起こされてびっくり。大慌てで朝食を食べて(何があっても食事は食べるのです)、化粧して、髪を結って、なんとか間に合わせました。

現地の日本人学校で踊りを披露しました。
まずはお昼休み時間に中庭の特設野外ステージで…
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「四ツ竹」…
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「日傘」…
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私は関ゆうこさんと「太鼓囃子」を披露しました。
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そのあと、4年生の教室へ。「古典芸能を学ぶ」という授業がおこなわれ、「かせかけ」「貫華」「繁昌節」を踊りました。
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最後に子供たちとカチャーシーを踊り、日本から持っていったお土産「星の砂」を渡しました。
子供たちは、星の砂と聞いて目を輝かしました。

学校を後にして、サンディエゴの北にある高級住宅地、ラホヤに行きました。“ラホヤ”って、宝石って意味らしい。

海辺に公園があって、アザラシがたくさん寝そべっているのを見つけました。
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ラホヤの街が一望に見渡せるMt. Soledad Veterans Memorial。
丘の上には記念碑が建っていました。
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戦争で戦った兵士たちが祀られているのです。
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きっと、沖縄で戦って死んだ人もいるんでしょうね。
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沖縄の摩文仁の丘を思い出しました。
もしかすると、一緒に祀るのが本当じゃないのかな。
旅の続きへ
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tag: 沖縄  カチャーシーの光景  日傘  四ツ竹  太鼓囃子 

Comment

No:800|
突然失礼いたします。
サンディエゴときくと、いてもたってもいられませんでした。
ちょうど、September,11のあった年のころ、主人の仕事の関係でLa Jolla(UCSDの隣の敷地のアパート)に住んでおりました。
夫の会社から支給された片道航空券でLA経由でSD空港に着いた日のことは今でも鮮明に覚えております。
空港前のヤシの木がならんだ道路が、いかにもサンディエゴらしく、住む所、銀行の口座開設やら、ソーシャルセキュリティナンバーを取得する手続きやら、これから一から立ち上げる生活にわくわくした瞬間。
地図も入手せずに、いきなり、レンタカーを借りてFree Wayを走り出した冒険!
大変なつかしく、また羨ましく!拝見させていただきました。
マウント・ソルダッドもよく一人でドライブにのぼりました。カーラジオはいつもジャズ。クラシックは全く聴かなかった生活でした。
360度の夜景がこれまた絶景で、Route5号の何車線分もの車のテールランプが、波打つようにきれいで、、、などと思いだすと、SDに帰りたくなってしまいます。
ラ・ホーヤの海岸もポイント・ロマもよく一人で散歩したので、アザラシも海岸の絶壁に生息しているリスもなつかしいです!
青い海青い空、朝方はガスがかかることが多い毎日でしたが、年間通じて雨の日は数える程度な気候。
 
のびのび、変なしがらみもなく、自分らしくイキイキ生活出来た土地でした。
あぁ、願いが叶うならば、一人でも永住したい。。。。
失礼しました。
No:801|
ちょびさん。
いつでも、突然失礼大歓迎です。
サンディエゴの話、もう少し続きます。
コメントしにくい記事になりそうですが、是非、また突然いらしてくださいませ。
しかし、「一人でも永住したい」は、危ない?
No:802|
サンディエゴから帰ってきました。
あちらは湿気が少なくて、とても過ごしやすい気候でした。
永住したいと思う気持ち、良くわかります。
道路もかなり広いし、すべてのものが大きいんです。
No:803|
ありがとうございます。
9・11以降は特に外側からみた(見られていた?)日本について、こんなノーテンキなわたしなりにも、考えさせられました。アメリカ国内での第一報の報道の表現からだったり、表向きは差別はないと唱えていますが、実際にテロ以降、数日間領空が封鎖されたとき(のっぴきならない状況になったときはやはり)、日本人も含めて差別はあったり。
複雑な心境で、思うことはたくさんありますが、サンディエゴの風景を見せていただき、しばしの間は楽しかった思い出だけを心の中から引っ張り出しているところです。

「危ない?」は本人にもわかりません(笑)

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