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山田智恵子さんから届いた一通のメール【物悲しい琉球の再生ガラス】

山田智恵子さんからメールが届きました。山田さんに許可を頂いて、まずは、ここにその全文を御紹介したいと思います。
山田智恵子さん

沖縄に駐留する米軍の家族の需要により、発展してきた沖縄のガラス。材料とてない占領時代、米軍から排出されるコーラやビールの空き瓶などを再利用して作られたガラスの器は厚くて重いものだったが、身体の大きいアメリカ人は気にしなかったそうである。

昨今土産物屋で「琉球ガラス」として売られているものは、色とりどりで鮮やかだ。それはそれできれいではあるが、なんだか北は遥か小樽の北一硝子を思い起こさせ、凍て付く空気の中、凛と佇むその独特の雰囲気には到底及ばす、私には二番煎じに感じられてならない。
もともと器は薄手で、きん、としているものが好きである。ぽってりとした琉球ガラスより、指先ではじけば音色を奏でそうなクリスタルガラス、ざらついてどっしりした陶器より、すべすべの磁器。

が、ある時再生ガラスのグラスを上から覗き込み、厚みのあるグラスの中に閉じ込められた沖縄の海の色と海の深さを見出し、目が眩むようだった。今でもそのグラスを覗き込むと沖縄の海の中にいるような気分になる。できればもう少し薄手の方が好みである、泡もないに越したことはない。なのにどこに惹かれるのか、息をするのを忘れるほどに、目を離す事ができなくなる。
縦に見れば波打った表面、昔の家々の窓ガラスはまだ技術が低く、こんな風に波打っていたものだ。いつの間にか遠くへ行ってしまった昭和の時代、幼い頃の記憶にある、まだ戦後復興期の熱気の残る時代、そういった時代への郷愁にかられ、この地との「戦後」の始まりのタイムラグに気づかされる。そんな再生ガラスはどこか物悲しい。

クリスタルガラスは光を鋭角に跳ね返すが、再生ガラスのぽってりとした厚みは光を溜め込む。閉じ込められた光は、メリーゴーランドのようにくるくる回っている。割れれば人間の身体などすっぱり切れる鋭さを持つクリスタルガラスに較べ、再生ガラスはそこまで傷つけることのない鈍さをもって砕け、なんだかほっとさせてくれる。

そんな再生ガラスに惹かれるまま、土産店以外にガラスを探した。

【奥原硝子製造所】
那覇にある琉球ガラスの草分け。シンプルでぽってりとした「再生ガラス」の代表のような作品が多い。後で知ったが、私の目を眩ませたのはここのグラスだった。私を虜にした淡いラムネ色よりもっと深い青のグラスがあった。ラムネ色のものが沖縄のリーフの明るい海なら、こちらは伊豆の黒潮を思わせる青である。泡盛の瓶を再生したものだそうだが、もう原料が手に入らないとの事。「この色はもうじき廃盤になっちゃうね」と製造所の方が残念そうに言われていた。

【宙吹きガラス工房“虹”】
工房は読谷の「やちむんの里」の入り口にある。読谷の赤い土を塗りつけたものなど独創的な作品で、ゴージャスだが華美ではない。作者の稲嶺盛吉さんは「現代の名工」で、1970年代奥原硝子工房に入り、その後牧港ガラス、ぎやまん館、琉球ガラス村で技術を磨き、1988年「宙吹きガラス工房 虹」を設立されたそうだ。
洗練されていてとてもきれいだが、でも私の想う「再生ガラス」とは趣が異なる作品である。(しかし御土産物屋さんで見た、ここのシンプルなグラスはまさに「再生ガラス」であった。お店の人が言うには「シンプルなものはあまり作られていない」との事)

【尋グラス工房】
沖縄市の住宅地の中に工房はある。ここは再生ガラスではなく原料ガラスの作品を作っている。作家はステンドガラスを作っていた人で、作品にもそれが現われている。
再生ガラスでないことを知りながらなぜ行ってみたかというと、あるお店で買ったグラスのせいである。透明で泡が閉じ込められ、歪んだ形をした大き目のグラス。これが350缶のビールが1本、泡を盛って丁度1本分きれいに入るのである。缶のままで飲むことが多いが、たまにグラスを使ってみたくなった時、1本きれいに入りきるグラスはなかなかない。上まで入らないのは寂しいし、缶にちょっと残るのも嫌だ。いくつも買ったがどれもよろしくない。やっと出会ったしっくりくるグラスだった。

【日月(ひづき】
工房は土日祝日は休みとの事で行ってみる事はできなかったが、読谷村共同販売センターで作品が売られていた。再生ガラスにしては薄手。あまりぽってり感がない分繊細な感じがする。作家は沖縄の方と結婚された京都の女性。作品は泡盛の瓶を使い、色の付かない透明なものばかり。太陽生命のCMに使われたことがあるそう。

【ガラス工房“清天”】
「やちむんの里」から残波岬へ向けて車を走らせている時に、土産店で見て「いいな」と思っていた工房の名前が目に入った。そこは道沿いにある屋根だけの売店で、不揃いの机の上に作品が並べられている。太陽の光の下で透かして見たガラスの先には緑の木々や空がある。ねじって模様を出した厚みのあるガラスの中で木や空が万華鏡のように踊っていて、とても綺麗だった。作品はBEAMSでも売られているそうだ。
ネットで再生ガラスの事を調べたら、材料の一つに板ガラスが挙げられていたが、ここのものは全部泡盛の廃瓶だそう。今は自分達で砕く事はせず、ペレットになったものを仕入れているとの事。コーティングをしてある瓶が混ざり込んだりすると綺麗に出来上がらない、板ガラスも綺麗にできないので使わない、と言われていた。

話はガラスから離れる。
1日屋根だけの屋外で一人ガラスと一緒にいるので人恋しいのか、“清天”のお兄さんとは長いゆんたくとなった。
仕事を聞かれ、理化学器械を扱う会社にいると答えると「かっこいいねぇ」と言う。何を指してそう言うのかと思ったら「何億もする商品なんでしょ。そんな金額のものを扱うなんてすごいねぇ」と言う。(単価が億を超える事はまずないが)売値が高いという事は通常それにかかる原価も高いし、競争も激しく、利益率が高いとは限らない。でも彼は単純に扱う金額の高さにしきりと感心していて、私は沖縄にはそういう産業がないであろう事に思い当たった。
話を始めてしばらくたった頃Yナンバーの車が来て、女性が2人降りてきた。気に入ったものがあったらしく、女性はお兄さんに「これで違う色のものはないですか?」とグラスを指差し、身振り手振りをまじえて英語で聞いた。お兄さんは「解らない」という素振りをするばかり。いくら英語がわからなくても2つのグラスを指差して「カラー」と繰り返し言うのを聞けば、言いたい事は想像できるだろう。
場所は先だっての米兵によるひき逃げ事件の現場近く。そこここに抗議の看板が立っていた。最初はアメリカ人を嫌っているのかとも思ってみた。でもその前に話してくれた、体験ガラス作りをしたアメリカ人とのやりとりの様子からはそんな感じは伺えない。そしてハタと気が付いた。彼は「color」という発音を聞き取れなかったのだ。彼女が言っている事をお兄さんに伝えると、彼はない事を申し訳なさそうに丁寧に日本語で話していた。

そして以前アラハビーチに行った時、向かいのショッピングセンターの駐車場で見た看板を思い出した。そこにはこう書かれていた。「BEACH USERS IS NO PARKING」 英語を学び始めた時、日本語をそのまま当てて、よくやってしまう間違いである。それが今この時代、日本語と英語のアナウンスが交互に流れるビーチの向かいにあるショッピングセンターの駐車場のきちんとした看板に堂々と書かれている。

それを見た時、沖縄は植民地ですらなく、「占領」されていたのだという事が実感を伴って私の中にストンと落ちてきた。(植民地なら言葉の教育がある)

面と向かって身振り手振りで「BEACH USERS IS NO PARKING!」と言えば、きっと通じる。そうやって沖縄の人達は生き抜いて来たのだ。

基地反対運動も、最初は腑に落ちない気持ちがあった。
根本的な解決を求めるには、日本が自分の軍を持つ事を考えるのを避ける事はできない。日本が軍を持てば、沖縄の人達も無関係ではいられない。でも、その覚悟を持った上での行動とは、どうしても思えなかったのだ。基地反対の叫びが心からのものに聞こえれば聞こえるほど、ますますわからなくなっていった。

基地反対が、ただひたすらの慰霊の思いの先にある、と気が付いた時のやるせなさ。

思いがかなって米軍が撤退したら、その後に自分達も参加しなければならない軍がやってくる、という事にもなりかねない構図の運動をしているとはよもや思ってもいないだろう。

そんな事がおこってはいけない。決していけない。

沖縄の人は「ヤマトは沖縄の気持ちをわからない」と言うが、沖縄も本土の事を知らない。相手を知らなくては、わからせる方法もわからない。(本土の人間がちょっと沖縄へ行ってみたところで、沖縄の事がわかるとは思えない。忍びない事だがきっと多分、沖縄からの発信がなければ、本土は本当のところを理解できないだろう。)

沖縄を知れば知るほど、本土は「違うところ」を見ていると感じる。“戦後”38年と65年、それだけでも同じステージで分かり合うことは、どちらからも難しい。50年代のコザを歌った歌を集めたオムニバスCDに付いていた沖縄市歴史年表の昭和20年の欄に「8月15日」の記述はない。

ただひたすらの反対では、進展は止められるかもしれないが、解決にはつながらない。のらりくらりとかわされるだけだ。
東京大空襲を保障できないのと同じ理由で沖縄の不発弾対策に国は補助ができないという。基地は簡単にはなくならないが、これは道はあるのではないかと思う。
どんな事でも小さな事が実現できなければ、大きな事はできない。
確信も希望もなく、可能性すら見えず、ただひたすら「できる事」を繋いで、はやぶさは帰ってきた。
私は私にできる何かの糸口を探している。


我々には琉球ガラスに対する見識が殆どないので、そこらあたりを補完していただく意味で貴重なご意見を伺ったと思っています。山田さん、ありがとうございました。

(※以下の文章は、10月21日にようやく追記したものです。)
実はこれ以前にも山田さんから一通のメールを頂いていました。そこには普天間基地の辺野古移転に断固反対を主張する民社党の福島党首に対して「具体案があるようには思えず見識不足と感じる」と書かれていました。
またその他にも……
「一国を預かる政府が有効な防衛手段を何も持たないというのは、是非は別として、無責任であり、あり得ない事でしょう」
「沖縄問題、基地問題は、突き詰めれば『日本は自らの軍を持つのか否か』という問題だと思います」

僕は、頂いたふたつのメールに、いったいどうお返事をしたらいいか、頭を悩ますことになりました。決して山田さんのご意見に対して異を唱えるつもりはありません。ひとつの見識であると尊重しています。しかし、もしも少し違った場所に立って同じ状況を眺めてみれば、違う何かが見えてくるのではないだろうか、そんなことを少しだけお伝えしたいと思いました。

山田さんは「根本的な解決を求めるには、日本が自分の軍を持つ事を考えるのを避ける事はできない」とおっしゃいます。しかし、僕はこう思うのです。沖縄から米軍基地をなくすことは、単に政治的なひとつの解決でしかなく、世界中から基地をなくすことが、唯一の根本的な解決なのだと、沖縄の多くの人々は思っているのではないでしょうか。その一里塚としての米軍基地反対。でも山田さんは、それを無責任で幼稚な見識だとおっしゃる。山田さんは確かに現実的な正しいご意見を持っておいでです。一方、「ただひたすらの慰霊の思い」という括りで、沖縄の人たちが「現実的に」考えられないことに一種の同情で無理もないことだとされているように思います。

「思いがかなって米軍が撤退したら、その後に自分達も参加しなければならない軍がやってくる、という事にもなりかねない構図の運動をしているとはよもや思ってもいないだろう」
しかし、この山田さんのお言葉は、沖縄に対して非礼であると敢えて申し上げたいと思うのです。沖縄の人々には本当に現実が見えていないのでしょうか。

沖縄で基地反対を主張する人たちは、投獄されても日本軍に参加することは拒否する、そういう現実感覚を持っているのだと僕は思うのです。もちろん、すべての沖縄の人がそうだとはいいません。本当にそうなれば、軍に参加せざるを得なくなる人々もたくさんいるでしょう。しかしたとえそうだとしてもなお、彼らの覚悟を、甘いと貶めてはならない。沖縄の「ただひたすらの反対」を、大和の革新政党のそれと同じものだとは、僕は決して言ってはならないと思っています。

全ての民族が、お互いのことを分かり合うのが理想、その意味では、沖縄の人々も大和を理解すべきでしょう。沖縄のことを理解してもらうために、情報発信することも必要でしょう。しかし、政治的な歴史を知った上で考えるのなら、大和は沖縄を知り理解すべきだが、沖縄が同じように大和を理解する必要はない、大和の沖縄に対する無理解の責任は、100%大和の側にあると僕は考えるのです。それが「歴史的な現実」です。

基地とは禍々しき存在であり、真に世界が平和になるということは、世界から全ての基地が消えることに他ならない、この単純な理念を共有した時にはじめて、沖縄も大和に向けて情報を発信すべきであり、沖縄も大和の文化を理解すべきなのだと、我々は沖縄の人々に対して主張できるのではないでしょうか。

僕は、山田さんの沖縄に対する真摯な姿勢と深い見識に心から敬意を表します。だからこそ、僕もまた、山田さんから頂いたメッセージに対して、一生懸命考えて何かお返ししたいと思いました。失礼、どうかお許しください。
そして、ここまでお返事が遅れてしまったことを、心からお詫びしたいと思っています。

(追伸)
琉球の再生ガラスに物悲しさを感じる山田さんの感性に、僕は深く同意します。でも、それも作り手に対して失礼なハナシなのかもしれないと、僕は今までの僕自身の見方を、少しく反省しているところです。
(文責:高山正樹)




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tag: 沖縄の基地  琉球ガラス 

Comment

No:813|
去年の11月の記事に、コメントを追加しました。
http://lince.jp/hito/demo.html
この記事に併せて、是非読んでみてください。
僅かな数の人たちにでもいいから、このコメントが届きますように。
No:1378|2010.10.26 21:01再投稿
去年の11月の記事に、コメントを追加しました。
http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-1240.html
この記事に併せて、是非読んでみてください。
僅かな数の人たちにでもいいから、このコメントが届きますように。
(※ブログ移動に伴うURL変更のため再投稿しました。)

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