2010年07月22日(木)09時58分
辺野古に行って考えたこと
この記事を読む前に、ふたつの記事を是非読んでいただきたいのです。
⇒辺野古の前に(1)【日米安全保障条約50周年記念イベントの画像】
⇒辺野古の前に(2)【第27回 6・23 国際反戦沖縄集会にて】(沖縄通信no.6)
《そして……》
朝、ちょっと早起きして、楠定憲さんと宇夫方路さんと、辺野古まで行ってみました。
宇夫方さんは、昨日の喧騒の後片づけがあるから行かないと言ったのですが、無理やり引っ張っていきました。M.A.P.で、これだけ沖縄のことに関わっているのだから、一度は見ておいて欲しいと思ったからです。
楠さんも黙って付き合ってくれました。若い頃、酒を飲みながら、アイヌのこと、沖縄のこと、ずいぶん話しました。たいがい楠さんは聞き役だったけれど。
⇒“社長とは呼ばないで”の「アイヌのこと」のカテゴリ
⇒“社長とは呼ばないで(旧ブログ)”の「沖縄のこと」のカテゴリ
沖縄らしくない小雨が降っています。空はどんよりと曇っています。
coccoの“ジュゴンの見える丘”、そのyouTubeの画像の中でcoccoが呼んだ「馬鹿みたいにきれいな海」を僕は見たいと思っていました。しかし……
車を小半時ほど走らせると、ジュゴンが棲息するという大浦湾が見えてきました。

この海が、大規模なアオサンゴ群のある生物の宝庫なのか。僕は曇った空を恨めしいと思いました。もしも降り注ぐ太陽の光に照らされた海が、圧倒的な美しさで僕たちに迫ってきてくれたとしたら、僕の脳みそに巣食う政治的なあらゆる理屈を消し去ってくれたかもしれない。そうすれば無条件に美しい海を守ろうという感情が僕を満たしたに違いない、僕はそうなることを、少し恐れながらも期待していたのです。
しかし、空も、海も、沿道の集落も、「内地」の伊豆あたりの、梅雨時の風景と、少しも変わることはありませんでした。否応なしに、僕の中で全てが冷静に相対化されていきます。

日々間断ない現実の生活と、ジュゴンが棲む海の観念的な美しさが、天秤を静かに揺らし続けています。
何かを理由に、基地の移設に反対をする人々。

「私たちの土地に」と書いてあるのだから、きっと地元の人なのでしょうね。

支援者らしい皆さんは、いったいどこから来たのだろう。普段、何をしている方たちなのだろう。国際反戦沖縄集会で、「大和から来た人たちは沖縄で活動しないで大和に帰ってください」と言ったUさんのような人たちが増えていることを、この方たちは知っているのだろうか。

(※Uさんとは誰なのか、いずれお話ししたいと思っています。)
ここで、6月26日の伊波洋一氏の講演で聞いた話、知った事実をご紹介したいと思います。

普天間の海兵隊基地の移転先はグアムに決定していて、その米軍の計画は既定路線としてすでに進められているというのです。移転先がグアムになった経緯と理由は色々とあるのですが、ともかく、ここ辺野古に普天間の基地機能が移転してくることは100%ないと伊波氏は語りました。しかし、アメリカ政府はそのことを認めない。日本外務省も、たとえグアム移転という米軍情報を得ていたとしても、表向き政府間の協議で決められたことしか公式には認めることはしません。ではなぜ、これほど辺野古の話が持ち上がるのか。そのもっとも大きな理由は、海兵隊海外移転費用を日本に負担させる条件を整えるためです。
またこんな話も聞かれました。最後の質疑応答で、高江についての質問が出た時、伊波氏はそれに対して、沖縄の米軍基地が国外に移転する場合、それに見合った基地を日本のどこかに作る(それは現状沖縄でしかないのですが)という決まりがあり、それが「高江のヘリパッド」なのだ答えました。
びっくりしました。本当なのだろうか、本当だとしたら、どれだけの日本人がその事実を知っているのだろうか。
基地を1減らせば、どこかで1を増やす。これはアメリカが日本に対しての威信を維持しておくために必要な措置で、それ以外に特段の理由はなく、ただ基地の量に応じて支払われる「思いやり予算」がこれを支える実質的な背景だというのです。本当にそんなことで、住民の生活がズタズタにされてしまうというのか。
もしも普天間のグアム移転が既に決まっていることだとしたら、反対すればするほど、日本が米軍に出すお金を引き上げるためだけにやっていることになりはしないか。そんなふうにも考えられてしまうことが実に厄介なのです。
(※例えば、沖縄の基地反対運動は、基地の賃貸料を引き上げるためにあるという話も、まことしやかに語られることでもあります。)
来た道を帰ります。まだ通行止めだけれども、ほぼ完成している立派な直線道路は、新基地へおおきな車輌でもいけるようにと作られている道です。旧道は新しい道にウネウネとまとわりつくように通っています。

なぜ? 基地ができないことが分かっているのになぜ?
ひとつは土建業者の利権。それも本土の業者。もうひとつ、自衛隊としては米軍の要求で基地ができることを願っているらしい。その後を自衛隊が使うため。土地が返還されてしまったあとに、自衛隊基地を作ることは不可能だから。
色々なことが絡み合っていて、僕にはこの中から真実を見極めることが全くできないのです。考えれば考えるほど、口は重たく閉じようとします。それでも僕は、必死に語り伝えたいと思っています。僕が見たもの、聞いたもの、考えたこと。
さらに口を重たくするサイトを見つけました。辺野古の人たちと基地の友好的な関係を案内するサイトです。
⇒http://www.henoko.uchina.jp/index…
⇒http://www.henoko.uchina.jp/base…
サンディエゴでの日米安全保障条約50周年記念イベントとイメージが重なっていきます。
辺野古の海が決定的に美しかったならば、こんな憂鬱に見舞われることはなかったのではないだろうか。まず現実を知ること、それが一番大切なことなのだと思うことに変わりはないのですが、しかし現実を見て知って物事を判断することの危うさもまたあるのだということを、僕は思っていたのでした。
⇒沖縄を見ずに「沖縄」を書くと決めた木下順次のこと
⇒辺野古の前に(1)【日米安全保障条約50周年記念イベントの画像】
⇒辺野古の前に(2)【第27回 6・23 国際反戦沖縄集会にて】(沖縄通信no.6)
《そして……》
朝、ちょっと早起きして、楠定憲さんと宇夫方路さんと、辺野古まで行ってみました。
宇夫方さんは、昨日の喧騒の後片づけがあるから行かないと言ったのですが、無理やり引っ張っていきました。M.A.P.で、これだけ沖縄のことに関わっているのだから、一度は見ておいて欲しいと思ったからです。
楠さんも黙って付き合ってくれました。若い頃、酒を飲みながら、アイヌのこと、沖縄のこと、ずいぶん話しました。たいがい楠さんは聞き役だったけれど。
⇒“社長とは呼ばないで”の「アイヌのこと」のカテゴリ
⇒“社長とは呼ばないで(旧ブログ)”の「沖縄のこと」のカテゴリ
沖縄らしくない小雨が降っています。空はどんよりと曇っています。
coccoの“ジュゴンの見える丘”、そのyouTubeの画像の中でcoccoが呼んだ「馬鹿みたいにきれいな海」を僕は見たいと思っていました。しかし……
車を小半時ほど走らせると、ジュゴンが棲息するという大浦湾が見えてきました。
この海が、大規模なアオサンゴ群のある生物の宝庫なのか。僕は曇った空を恨めしいと思いました。もしも降り注ぐ太陽の光に照らされた海が、圧倒的な美しさで僕たちに迫ってきてくれたとしたら、僕の脳みそに巣食う政治的なあらゆる理屈を消し去ってくれたかもしれない。そうすれば無条件に美しい海を守ろうという感情が僕を満たしたに違いない、僕はそうなることを、少し恐れながらも期待していたのです。
しかし、空も、海も、沿道の集落も、「内地」の伊豆あたりの、梅雨時の風景と、少しも変わることはありませんでした。否応なしに、僕の中で全てが冷静に相対化されていきます。
日々間断ない現実の生活と、ジュゴンが棲む海の観念的な美しさが、天秤を静かに揺らし続けています。
何かを理由に、基地の移設に反対をする人々。
「私たちの土地に」と書いてあるのだから、きっと地元の人なのでしょうね。
支援者らしい皆さんは、いったいどこから来たのだろう。普段、何をしている方たちなのだろう。国際反戦沖縄集会で、「大和から来た人たちは沖縄で活動しないで大和に帰ってください」と言ったUさんのような人たちが増えていることを、この方たちは知っているのだろうか。
(※Uさんとは誰なのか、いずれお話ししたいと思っています。)
ここで、6月26日の伊波洋一氏の講演で聞いた話、知った事実をご紹介したいと思います。
普天間の海兵隊基地の移転先はグアムに決定していて、その米軍の計画は既定路線としてすでに進められているというのです。移転先がグアムになった経緯と理由は色々とあるのですが、ともかく、ここ辺野古に普天間の基地機能が移転してくることは100%ないと伊波氏は語りました。しかし、アメリカ政府はそのことを認めない。日本外務省も、たとえグアム移転という米軍情報を得ていたとしても、表向き政府間の協議で決められたことしか公式には認めることはしません。ではなぜ、これほど辺野古の話が持ち上がるのか。そのもっとも大きな理由は、海兵隊海外移転費用を日本に負担させる条件を整えるためです。
またこんな話も聞かれました。最後の質疑応答で、高江についての質問が出た時、伊波氏はそれに対して、沖縄の米軍基地が国外に移転する場合、それに見合った基地を日本のどこかに作る(それは現状沖縄でしかないのですが)という決まりがあり、それが「高江のヘリパッド」なのだ答えました。
びっくりしました。本当なのだろうか、本当だとしたら、どれだけの日本人がその事実を知っているのだろうか。
基地を1減らせば、どこかで1を増やす。これはアメリカが日本に対しての威信を維持しておくために必要な措置で、それ以外に特段の理由はなく、ただ基地の量に応じて支払われる「思いやり予算」がこれを支える実質的な背景だというのです。本当にそんなことで、住民の生活がズタズタにされてしまうというのか。
もしも普天間のグアム移転が既に決まっていることだとしたら、反対すればするほど、日本が米軍に出すお金を引き上げるためだけにやっていることになりはしないか。そんなふうにも考えられてしまうことが実に厄介なのです。
(※例えば、沖縄の基地反対運動は、基地の賃貸料を引き上げるためにあるという話も、まことしやかに語られることでもあります。)
来た道を帰ります。まだ通行止めだけれども、ほぼ完成している立派な直線道路は、新基地へおおきな車輌でもいけるようにと作られている道です。旧道は新しい道にウネウネとまとわりつくように通っています。
なぜ? 基地ができないことが分かっているのになぜ?
ひとつは土建業者の利権。それも本土の業者。もうひとつ、自衛隊としては米軍の要求で基地ができることを願っているらしい。その後を自衛隊が使うため。土地が返還されてしまったあとに、自衛隊基地を作ることは不可能だから。
色々なことが絡み合っていて、僕にはこの中から真実を見極めることが全くできないのです。考えれば考えるほど、口は重たく閉じようとします。それでも僕は、必死に語り伝えたいと思っています。僕が見たもの、聞いたもの、考えたこと。
さらに口を重たくするサイトを見つけました。辺野古の人たちと基地の友好的な関係を案内するサイトです。
⇒http://www.henoko.uchina.jp/index…
⇒http://www.henoko.uchina.jp/base…
サンディエゴでの日米安全保障条約50周年記念イベントとイメージが重なっていきます。
辺野古の海が決定的に美しかったならば、こんな憂鬱に見舞われることはなかったのではないだろうか。まず現実を知ること、それが一番大切なことなのだと思うことに変わりはないのですが、しかし現実を見て知って物事を判断することの危うさもまたあるのだということを、僕は思っていたのでした。
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