2010年07月23日(金)12時46分
金城実アトリエ訪問(2年かけて書いた記事)
《2010年7月23日》
彫刻家、金城実氏のアトリエは読谷の儀間にある。「ホテル日航アリビラ入口の交差点から残波岬方面へ向かい1つ目を右折すると金城実アトリエの看板がある」と、箆柄暦(ぴらつかごよみ)という沖縄関連イベント情報サイトに案内がある。

残波岬から南へ2km、海から東へ1kmあたり、大小のサトウキビ畑と住宅の混在する地域の一角。大きなトラックが出発しようとしていた。8月から東京で開催される金城実展に出品する作品を、たった今積み終わったところで、明日には金城実さんも沖縄を出発する。僕らは実にいいタイミングだったようだ。今日を逃しては、金城さんとお話しできる機会はずっと先になったに違いない。
初対面の挨拶など特にない。土のオーナーのごうさんが一応僕らのことを紹介してくれたが、どうやらそんなものも必要ない。金城さんにとっては、近所の顔見知りがちょっと寄ったのとなんら変わりがないようだ。トラックを見送ると、アトリエの中へ招かれるでもなく、当然のようにみんなで入っていった。
金城さんは、テレビ番組のDVDが送られてきたから見るかとごうさんに聞く。見る見ないの返事なんか待つことなく、DVDを持ってきて機械にセットした。

沖縄で放送されたばかりのTV番組らしい。
JNNルポルタージュ“ちゃーすが(どうする)!?沖縄〜金城実のレジスタンス”
「なかなかうまく編集してるなあ」
関東でも、いずれ放送されるはずである。
作品の多くはトラックに載って出かけてしまったが、残ったものや製作中のものを見せていただいた。それらは、歴史上の人物のデスマスクだった。
平敷屋朝敏のデスマスク。

平敷屋朝敏(へしちゃちょうびん)は玉城朝薫と同時代に活躍した文学者である。「手水の縁」という組踊りの作者だとされるが、それに疑問を呈する学者もいる。琉球王府に叛いたとして、わずか34歳で磔の刑に処された。琉球王府が平敷屋朝敏の記録を抹殺したのだろうか、この事件についても謎が多い。
しかし、平敷屋朝敏に関わる歴史の真偽について、ここでどうこう言うつもりは無い。今日の主役は金城実である。伝説の平敷屋朝敏像を語ることによって、現代に生きる金城実の実相が浮かび上がればそれでいい。
なぜ玉城朝薫ではなく、平敷屋朝敏なのか。
(※以下順次執筆)
…と、此処まで書いて、とうとう2年以上も時が経ってしまった。この記事を完成させるための覚書のメモには、次の項目がある。
「平敷屋朝敏」
「瀬長亀次郎」
「チェ・ゲバラ」
「琉球親鸞塾」
みな反権力だと言ってしまえば簡単である。2年前の僕は、たぶんそういう括り方をして、あっさり済まそうとしていたのだと思う。だが今あらためてこの記事を仕上げようとするにあたり、そう簡単には書けなくなった。
大城立裕翁は、知り合いの女性に「先生は現代の玉城朝薫ですね」といわれ、そうかもしれないと答えたという。平敷屋朝敏が反抗したのは、文学者朝薫ではなく、大和を棄て中国に付こうとした政治家蔡温であった。朝敏は大和文化に深い造詣があったが、しかし時世の句は、七五調ではなく八八八六で詠んだ。
キューバ革命に身を投じたアルゼンチン出身のゲバラは、圧政から逃れるには武力で戦う以外ないと主張していた。
日の丸を焼き、闘争の内部に断絶を作った知花昌一を、金城実は許さず、10年以上絶交していた時期があったと、西山監督から聞いた。
どれもこれも、当時はまだ知らなかったことである。
瀬長亀次郎にしても、彼が政治家である限り、きっと単純なわけはないのである。
そうして親鸞を勉強していた知花昌一氏は、その後出家した。
それやこれやを知ってしまった今、僕に何かを語る資格も力もない。だから今日のところは、せっかく撮った画像だけ、あっさり紹介して終わっていいと思う。
⇒知花昌一がチェ・ゲバラのことを語った
ごうさんは、用事があると先に帰っていった。
「目ぼしいものはトラックに積み込んじまったんだが…」
そういって金城さんは表にとっとと歩いていく。僕はそれに続いた。
瀬長亀次郎、石彫りである。未完成なのかどうか。

製作中のチェ・ゲバラのデスマスク。木彫り。

なぜ、木彫りなのか。

「なんでかなあ。最近は木ばかり掘っている」

仏像と関係があるのかどうか…

「恨を解いて浄土を生きる」
なぜか、そんな言葉が思い浮かぶ。
倒木に実が生るのを待つ。
「台風で倒れたんだが、そのうちにまた実がなるだろう」

沖縄の変わらぬ現状を訴えるため、金城さんが10年かけてアメリカや日本に翻弄され続ける沖縄の歴史を刻んだ100メートルのレリーフ「戦争と人間」、その一部が庭に展示されている。その前で。

またアトリエの部屋に戻って話を始めた。
僕は、日本が嫌いだと言って憚らなかった義父について語った。その義父のことを、裏のブログに書いたことがある。
⇒「社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)」の09年3月14日の記事
ブログには書けなかった秘密も話した。
「そこだ」そう言って、金城実さんは立ち上がり、部屋に置かれた泡盛の壺に向かった。
「飲まんわけにはいかんだろう」
まだ、昼前である。幸か不幸か覗いた壺の中は空であった。
金城実は、立派な日本人になる事によって差別をなくそうとした自分の実父を否定するのである。
「そういう親の世代を、叱らなければいかんのだ。あんたの孫が、戦争で死ぬ事になってもいいのかと」
残念ながら、この後こちらの予定が詰まっている。それに車で来てもいる。飲んでしまえば予定を全てキャンセルして、アトリエにでも泊めていただくしかない。
「今度お邪魔する時は、泡盛を担いできますよ」
「また話そう」
「是非とも…」
そういって、早々にアトリエを辞したのだった。
その後、何度かお会いしたが、この時の約束はまだ果たせていない。
彫刻家、金城実氏のアトリエは読谷の儀間にある。「ホテル日航アリビラ入口の交差点から残波岬方面へ向かい1つ目を右折すると金城実アトリエの看板がある」と、箆柄暦(ぴらつかごよみ)という沖縄関連イベント情報サイトに案内がある。
残波岬から南へ2km、海から東へ1kmあたり、大小のサトウキビ畑と住宅の混在する地域の一角。大きなトラックが出発しようとしていた。8月から東京で開催される金城実展に出品する作品を、たった今積み終わったところで、明日には金城実さんも沖縄を出発する。僕らは実にいいタイミングだったようだ。今日を逃しては、金城さんとお話しできる機会はずっと先になったに違いない。
初対面の挨拶など特にない。土のオーナーのごうさんが一応僕らのことを紹介してくれたが、どうやらそんなものも必要ない。金城さんにとっては、近所の顔見知りがちょっと寄ったのとなんら変わりがないようだ。トラックを見送ると、アトリエの中へ招かれるでもなく、当然のようにみんなで入っていった。
金城さんは、テレビ番組のDVDが送られてきたから見るかとごうさんに聞く。見る見ないの返事なんか待つことなく、DVDを持ってきて機械にセットした。
沖縄で放送されたばかりのTV番組らしい。
JNNルポルタージュ“ちゃーすが(どうする)!?沖縄〜金城実のレジスタンス”
「なかなかうまく編集してるなあ」
関東でも、いずれ放送されるはずである。
作品の多くはトラックに載って出かけてしまったが、残ったものや製作中のものを見せていただいた。それらは、歴史上の人物のデスマスクだった。
平敷屋朝敏のデスマスク。
平敷屋朝敏(へしちゃちょうびん)は玉城朝薫と同時代に活躍した文学者である。「手水の縁」という組踊りの作者だとされるが、それに疑問を呈する学者もいる。琉球王府に叛いたとして、わずか34歳で磔の刑に処された。琉球王府が平敷屋朝敏の記録を抹殺したのだろうか、この事件についても謎が多い。
しかし、平敷屋朝敏に関わる歴史の真偽について、ここでどうこう言うつもりは無い。今日の主役は金城実である。伝説の平敷屋朝敏像を語ることによって、現代に生きる金城実の実相が浮かび上がればそれでいい。
なぜ玉城朝薫ではなく、平敷屋朝敏なのか。
(※以下順次執筆)
…と、此処まで書いて、とうとう2年以上も時が経ってしまった。この記事を完成させるための覚書のメモには、次の項目がある。
「平敷屋朝敏」
「瀬長亀次郎」
「チェ・ゲバラ」
「琉球親鸞塾」
みな反権力だと言ってしまえば簡単である。2年前の僕は、たぶんそういう括り方をして、あっさり済まそうとしていたのだと思う。だが今あらためてこの記事を仕上げようとするにあたり、そう簡単には書けなくなった。
大城立裕翁は、知り合いの女性に「先生は現代の玉城朝薫ですね」といわれ、そうかもしれないと答えたという。平敷屋朝敏が反抗したのは、文学者朝薫ではなく、大和を棄て中国に付こうとした政治家蔡温であった。朝敏は大和文化に深い造詣があったが、しかし時世の句は、七五調ではなく八八八六で詠んだ。
キューバ革命に身を投じたアルゼンチン出身のゲバラは、圧政から逃れるには武力で戦う以外ないと主張していた。
日の丸を焼き、闘争の内部に断絶を作った知花昌一を、金城実は許さず、10年以上絶交していた時期があったと、西山監督から聞いた。
どれもこれも、当時はまだ知らなかったことである。
瀬長亀次郎にしても、彼が政治家である限り、きっと単純なわけはないのである。
そうして親鸞を勉強していた知花昌一氏は、その後出家した。
それやこれやを知ってしまった今、僕に何かを語る資格も力もない。だから今日のところは、せっかく撮った画像だけ、あっさり紹介して終わっていいと思う。
⇒知花昌一がチェ・ゲバラのことを語った
ごうさんは、用事があると先に帰っていった。
「目ぼしいものはトラックに積み込んじまったんだが…」
そういって金城さんは表にとっとと歩いていく。僕はそれに続いた。
瀬長亀次郎、石彫りである。未完成なのかどうか。
製作中のチェ・ゲバラのデスマスク。木彫り。
なぜ、木彫りなのか。
「なんでかなあ。最近は木ばかり掘っている」
仏像と関係があるのかどうか…
「恨を解いて浄土を生きる」
なぜか、そんな言葉が思い浮かぶ。
倒木に実が生るのを待つ。
「台風で倒れたんだが、そのうちにまた実がなるだろう」
沖縄の変わらぬ現状を訴えるため、金城さんが10年かけてアメリカや日本に翻弄され続ける沖縄の歴史を刻んだ100メートルのレリーフ「戦争と人間」、その一部が庭に展示されている。その前で。

またアトリエの部屋に戻って話を始めた。
僕は、日本が嫌いだと言って憚らなかった義父について語った。その義父のことを、裏のブログに書いたことがある。
⇒「社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)」の09年3月14日の記事
ブログには書けなかった秘密も話した。
「そこだ」そう言って、金城実さんは立ち上がり、部屋に置かれた泡盛の壺に向かった。
「飲まんわけにはいかんだろう」
まだ、昼前である。幸か不幸か覗いた壺の中は空であった。
金城実は、立派な日本人になる事によって差別をなくそうとした自分の実父を否定するのである。
「そういう親の世代を、叱らなければいかんのだ。あんたの孫が、戦争で死ぬ事になってもいいのかと」
残念ながら、この後こちらの予定が詰まっている。それに車で来てもいる。飲んでしまえば予定を全てキャンセルして、アトリエにでも泊めていただくしかない。
「今度お邪魔する時は、泡盛を担いできますよ」
「また話そう」
「是非とも…」
そういって、早々にアトリエを辞したのだった。
その後、何度かお会いしたが、この時の約束はまだ果たせていない。
(2013年元旦に追記する)
金城実さんのアトリエにお邪魔したこの日に届いたTV番組が、youTubeにアップされている。
“ちゃーすが!?沖縄~金城実のレジスタンス”
それをここに埋め込んでおく事にする。
“ちゃーすが!?沖縄~金城実のレジスタンス”
それをここに埋め込んでおく事にする。
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たった今金城さんのTVやってます。BS・TBSです。
社長とは呼ばないで。
「粘土と彫刻との形而上学」
http://uramapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-18.html