「ななさんまる」の意味

7月30日、7・30(ななさんまる)交通方法変更
沖縄の施政権返還は1972年、それから6年後の1978年7月29日の午後10時、沖縄県全域で車輌通行止め及び駐車禁止の特別交通規制が開始され、翌30日、つまり38年前の今日の午前6時、アメリカに占領されていた期間を含め、33年間続いた沖縄の車輌右側通行の交通方式が「日本式」に変更された。ここに日本の交通方式が統一されたのである。
日本は、1949年にジュネーヴで作成された「道路交通に関する条約」に加盟しており、そこに謳われている「一国一方式」を遵守したものといわれるが、「道路標識等に関する議定書」には、日本は加盟していない。要するに、国際条約に加盟してそのルールに従うか否かは、各国のお家の事情でしかないということである。「交通方式の統一」が何故日本に必要であったのか。それも世界基準ではない左側通行に統一する意味とは。国際化された現代においては、どの理由も虚しく聞こえてくる。

沖縄では「ななさんまる」以降、数日間事故が多発した。特にバスやタクシーを運転するプロのドライバーが事故を起こした。『沖縄大百科事典』には、那覇を中心としたの都市が10日間以上にわたってマヒしたとある。高山正樹のカミサンは、この日親戚のおじさんの車でヤンバルまで物見遊山のドライブに出かけたらしい。曲がる時はオットット、あちこち溝に落ちた車があったという。

市民経済も混乱した。例えば釣り場へ行く道の右側には多くの釣具店があった。しかし、その多くの店が「ななさんまる」以後、廃業に追いやられた。それに類した例は、いくらでもある。

森口豁氏の映画、『沖縄の十八歳』シリーズについては、このM.A.P.after5でもご紹介したことがある。
 ⇒mapafter5.blog.fc2.com/entry-1179…
沖縄の一青年、内間安男を追い続けた3本の記録映画。1本目に初めて登場した内間安男は、復帰運動に参加するよう同級生を説得する高校生だった。3本目は、劇団創造の「人類館」の初演で調教師を演じる内間安男が主人公だった。その2本を繋ぐのが、復帰後の現実の中で、タクシーの運転手をやりながら復帰の意味を問い続ける内間安男の内面を追ったシリーズ2本目の作品である。その中で、内間安男は「ななさんまる」の意味を問う。「ななさんまる」とは、単なる交通法規の変更などというものではなく、大和と沖縄の関係を根源的に示したひとつの事件だったのだ。

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