2010年10月15日(金)19時37分
《沖縄通信no.7》【九十九龍氏による東村・高江の記録】
博多のTさんとは富久さんのこと。ペンネームは九十九龍。僕はトミヒサさんに、高江を知らない人が高江を理解する糸口となるような文章を書いていただけないだろうかと、ずっとお願いをしていたのです。何度か書き直しをお願いしていて、先日、これでどうだと届いた文章をいよいよご紹介したいと思います。
本当は、トミヒサさんの最終決定稿も、やっぱりトミヒサ節顕在、思いが迸る文章で、これではニュートラルな状態の方々にはなかなか読んではいただけないのではないかと、僭越ながら感じました。だから何とかそのことをトミヒサさんにお伝えして、出来ればもう少し、また短く端的に書き直していただければと思っていたのです。
結果だけ言えば、どうしても欲しかった高江の概略については、なんとか高山正樹が他の方の書いた資料を抜粋紹介する形ででっちあげ、それを(ずいぶんと前の記事ですが)7月17日の記事(トミヒサさんが高江にて座り込みをしているところへ陣中見舞いに行ったときの記事)に追記しました。そして、トミヒサさんから頂いた文章は、そっくりそのままご紹介することにしました。しかし、トミヒサさんの文章を掲載させていただくにあたって、M.A.P.としてどうしても申し添えておきたいことがあります。トミヒサさん、どうか笑って許してくださいね。
例えば、トミヒサさんの文章では、いきなり「日米軍事同盟」という言葉が、何の注釈もなく当然のように使用されます。「だってそうだろう」というトミヒサさんの声が聞こえてきそうです。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。でもね、こう書いた瞬間、高江を知って考えてくださる可能性のある方の何パーセントかを失うのではないかと危惧するのです。むしろ日米安保条約に特に何の疑問も持っていないような方々にこそ、具体的な事例として高江のことを知って欲しいのに、これではその道の大半を失うでしょう。そういうことが分からない人が書いたと思われる文章は、僕も読みたいとは思わないのです。「日米軍事同盟に及ぼす影響」とは言わず、さらりと「日米関係に及ぼす」と書けばいい、それだけのことだと思うのです。
「普天間基地の移転問題」をどうするか、それが「好戦国アメリカの尻馬に乗って世界中へ自衛隊を送り込む軍事国家へ衣替えするか、あるいは唯一の被爆国として憲法9条の抑止力のもとに軍事力拡大を進める保守勢力に『否』を突きつけるか」、その分岐点だということですが、その表現はどうなのでしょう。何度でもいいます。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。しかし僕は思うのです。普天間基地の辺野古移転賛成の人々全員が、あたかも軍事国家へ日本が移行することに同意しているかのような物言いは、せっかく高江のことをたくさんの人たちに伝える能力がトミヒサさんに備わっているのに、その芽を摘むことになってしまう。
トミヒサさん、僕は順序が逆だと思うのです。普天間のこと、辺野古のこと、グアムのこと、さらには高江のことを、極力ニュートラルな事実としてまず知ってもらうこと、重要なのはそれであり、それを知ってもらった後で、日本がどこへ向おうとしているのか、それが軍事国家なのかどうか、それぞれの人たちに判断してもらえばいいことなのではないでしょうか。
失礼ながらトミヒサさんの文章は、最後まである立場の色でいっぱいです。にもかかわらず、僕がここにトミヒサさんの文章を丸ごと掲載するのは、日本人の多くが殆ど高江のことを知らず、今もなお米軍基地が沖縄の人たちに日々苦悩を与えていることを、多くの日本人が忘れているからに他なりません。是非、トミヒサさんの労作をお読みくださいと、僕はみんなに言いたいと思います。トミヒサさんの文章は、その熱い言い回しと表現を除けば、これまでの経緯を大変分かりやすくまとめてくださっていますから。
その前に7月17日の記事も読んでくださいね。あらためて……
⇒トミヒサさんが高江で座り込みをしているところへ行った時の記事)
今日は第二金曜日。第19回の沖縄語を話す会です。
さあ、トミヒサさん、一緒に楽しくウチナーグチの勉強しましょ。
※(おまけ)トミヒサさんから届いた画像

ムーラン(変な外人)と。国へ帰れば大学の助教授だとか……
本当は、トミヒサさんの最終決定稿も、やっぱりトミヒサ節顕在、思いが迸る文章で、これではニュートラルな状態の方々にはなかなか読んではいただけないのではないかと、僭越ながら感じました。だから何とかそのことをトミヒサさんにお伝えして、出来ればもう少し、また短く端的に書き直していただければと思っていたのです。
結果だけ言えば、どうしても欲しかった高江の概略については、なんとか高山正樹が他の方の書いた資料を抜粋紹介する形ででっちあげ、それを(ずいぶんと前の記事ですが)7月17日の記事(トミヒサさんが高江にて座り込みをしているところへ陣中見舞いに行ったときの記事)に追記しました。そして、トミヒサさんから頂いた文章は、そっくりそのままご紹介することにしました。しかし、トミヒサさんの文章を掲載させていただくにあたって、M.A.P.としてどうしても申し添えておきたいことがあります。トミヒサさん、どうか笑って許してくださいね。
例えば、トミヒサさんの文章では、いきなり「日米軍事同盟」という言葉が、何の注釈もなく当然のように使用されます。「だってそうだろう」というトミヒサさんの声が聞こえてきそうです。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。でもね、こう書いた瞬間、高江を知って考えてくださる可能性のある方の何パーセントかを失うのではないかと危惧するのです。むしろ日米安保条約に特に何の疑問も持っていないような方々にこそ、具体的な事例として高江のことを知って欲しいのに、これではその道の大半を失うでしょう。そういうことが分からない人が書いたと思われる文章は、僕も読みたいとは思わないのです。「日米軍事同盟に及ぼす影響」とは言わず、さらりと「日米関係に及ぼす」と書けばいい、それだけのことだと思うのです。
「普天間基地の移転問題」をどうするか、それが「好戦国アメリカの尻馬に乗って世界中へ自衛隊を送り込む軍事国家へ衣替えするか、あるいは唯一の被爆国として憲法9条の抑止力のもとに軍事力拡大を進める保守勢力に『否』を突きつけるか」、その分岐点だということですが、その表現はどうなのでしょう。何度でもいいます。トミヒサさんの気持ちはよく分かります。しかし僕は思うのです。普天間基地の辺野古移転賛成の人々全員が、あたかも軍事国家へ日本が移行することに同意しているかのような物言いは、せっかく高江のことをたくさんの人たちに伝える能力がトミヒサさんに備わっているのに、その芽を摘むことになってしまう。
トミヒサさん、僕は順序が逆だと思うのです。普天間のこと、辺野古のこと、グアムのこと、さらには高江のことを、極力ニュートラルな事実としてまず知ってもらうこと、重要なのはそれであり、それを知ってもらった後で、日本がどこへ向おうとしているのか、それが軍事国家なのかどうか、それぞれの人たちに判断してもらえばいいことなのではないでしょうか。
失礼ながらトミヒサさんの文章は、最後まである立場の色でいっぱいです。にもかかわらず、僕がここにトミヒサさんの文章を丸ごと掲載するのは、日本人の多くが殆ど高江のことを知らず、今もなお米軍基地が沖縄の人たちに日々苦悩を与えていることを、多くの日本人が忘れているからに他なりません。是非、トミヒサさんの労作をお読みくださいと、僕はみんなに言いたいと思います。トミヒサさんの文章は、その熱い言い回しと表現を除けば、これまでの経緯を大変分かりやすくまとめてくださっていますから。
(文責:高山正樹)
その前に7月17日の記事も読んでくださいね。あらためて……
⇒トミヒサさんが高江で座り込みをしているところへ行った時の記事)
今日は第二金曜日。第19回の沖縄語を話す会です。
さあ、トミヒサさん、一緒に楽しくウチナーグチの勉強しましょ。
※(おまけ)トミヒサさんから届いた画像
ムーラン(変な外人)と。国へ帰れば大学の助教授だとか……
(トミヒサさんによるコメント)
【沖縄通信 No.7】
九十九龍氏による東村・高江の記録最終稿
(※トミヒサさんには影武者がたくさんいるらしい)
【北部訓練所に機能強化拡大のためのヘリパッドが建設】
世界一危険な飛行場と言われる普天間基地の移転問題の帰趨が今後の日米地位協定ひいては日米軍事同盟に及ぼす影響は計り知れません。今は、好戦国アメリカの尻馬に乗って世界中へ自衛隊を送り込む軍事国家へ衣替えするか、あるいは唯一の被爆国として憲法9条の抑止力のもとに軍事力拡大を進める保守勢力に「否」を突きつけるかの分岐点にあります。私たちは普天間の移転先として決して辺野古を選ばせないのと同時に高江にヘリコプター訓練所の強化拡大の工事を赦してはならないと考えます。高江に新しいヘリパッドを作らせないために、今、高江で何が起こっているのかを広く知って頂きたいと思い、一覧して理解できるような文書を作成致しました。高江の政治的な位置を鮮明にするために沖縄県、名護市、東村の状況を必要に応じ書き添えます。
【原因・経過そして現在】
《1996.12》
SACOの最終報告がだされる。普天間飛行場の移設先として辺野古が選ばれる。又、国頭村と東村に広がるヤンバルの森を占領している広大な北部訓練所の過半を返還する条件として返還される部分に存在するヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)を残余の部分に移設することが米軍により要求される。
《1997.1》
普天間代替施設建設反対の高江区民大会で区民総意の反対決議が成立。
《2006.2》
移設予定地が公開され、高江集落を取り囲むような位置取りで6個のヘリパッド建設が予定されていることが判明。中でもオスプレイの離着陸帯と思われるような形状のものまで存在した。
高江区臨時総会にて全会一致のヘリパッド建設反対決議を採択。
《2007.5》
観光立村・ヘリパッド建設反対を公約にして当選し、2007.4に就任した東村村長伊集盛久氏が容認派に転向。
《2007.6》
二度の住民総会の反対決議にもかかわらず、話し合いと計画の見直しを要求する住民や支援者のすべての声を無視し、防衛局は工事着工を画策するが、住民達の阻止行動で工事着工は頓挫する。この日から住民及び支援者の座り込みによる監視活動・阻止行動が始まる。
《2007.8》
「ヘリパッドいらない住民の会」結成。
《2008.2》
「住民の会」代表団が「ヘリパッド建設即時中止」を求める署名21,830筆を携え国会請願を行う。
《2008.10》
東村村長伊集盛久氏がヘリパッドの工事中止を要請した高江区住民にたいして、「2割を犠牲にしてでも8割を生かした方がいい」と暴言を吐く。
《2008.12》
国と防衛局が、「ヘリパッドいらない住民の会」の座り込み行動に対し、「通行妨害仮処分」を那覇地方裁判所に申請した。訴訟の対象になった人の中には8歳の女の子(防衛局はこの女の子に対する訴えはすぐ取り下げた)がいたり、抗議行動に参加していない人までいるという杜撰な訴状であり、憲法で保障する「表現の自由」にまで違反する「スラップ訴訟」であった。
(筆者注:スラップ訴訟とは「公の場で発言したり、訴訟を起こしたり、あるいは政府・自治体の対応を求めて行動を起こした権力を持たない比較弱者に対して、企業や政府など、比較強者が恫喝、発言封じをし、場合によっては苛める事だけを目的に起こす、加罰的あるいは報復的な訴訟。)
住民側を援護する弁護師団が結成される。(弁護団は増え続け26名に及ぶ)
《2009.1》
東村高江区長、仲嶺武夫氏は消極的中立派であったが、ある日突然沖縄タイムス具志川記者に「高江区には反対・容認両論あるが、大半が容認している」(但し、この発言には具志川氏の恣意的な誘導があったという観測もある)と発言し、反対派の猛反撃をくらい、発言を取り消した(但し、沖縄タイムスには訂正記事は掲載されていない)。「小さな村の抵抗には限界がある。話し合うべきでは無かろうか」と条件闘争を匂わせる。(そのあと、中立を装ってはいたが、村長等と条件闘争について密談していたとの情報がある)
仮処分申し立てに対し那覇地裁で1月27日に第一回審尋が行われ、2,3,4,5回と開かれる。
《2009.12》
12名については申し立てが却下され、2名に対し禁止命令が下される。
《2010.1》
禁止命令が下された2名にたいし、国は通行妨害禁止の本訴訟を提訴。
《2010.2》
18日。那覇防衛局が工事業者を連れてN1及びN4ゲートへ来て工事用の仮フェンス(目隠しのため)を設置しようとした。しかし、住民側の抵抗に遭い、18日から26日までの間に僅かな作業しかできず「7月1日には必ず工事をするからな……」と恫喝しながら引き上げた。
(筆者注:3月1日〜6月30日は天然記念物であるノクチゲラ(キツツキの一種)の繁殖期のために一切の工事は行わないという約束がある故に防衛局は2月26日に時点で7月1日の工事を宣言した。
《2010.3》
仲嶺武夫氏の推薦を受け無投票で浦崎永仁氏が高江区長に当選する。
《2010.4》
仲嶺武夫氏は区長に就任するや否や「ヘリパッド建設には反対である」と言いながら「訊くべきところは訊き、言うべきところは言う」と実質的容認派の姿勢を鮮明にしていき、村長や容認派の村議を交えて防衛局と(勉強会と称し)謀議を重ねていることが反対派によって確認される。7/8の反対派との話し合いで「私が区長に選ばれたということは私が信用されていると言うことだから、私の思うようにする」と暴言を吐く。反対派の勉強会への参加要求に対しても「勉強会への反対派の参加は勉強会を混乱させるだけであるから参加させない」と拒否している。
《九十九龍の行動》
6月29日に高江入り。7月1日、2日は大雨。防衛局は顔を見せない。3日、4日は土、日曜日。
防衛局の襲来は明けた7月5日かと緊張しながら早朝4時を期してテント前に集合するが防衛局はこの日も姿を見せない。
結局、「住民の会」の予測は参議院選挙あけの7月12日(月)であろうということになった。防衛局はスポンサーの民主党、或いはスポンサー候補の自民党の活動に支障を与えたくないのだろう。緊張が一旦緩み、再び緊張の持続が始まった。
行政の首長になると、選出前の発言など簡単に放擲して他の何かに興味を持つようになるらしい。国政の話ではない。沖縄県国頭郡等の話である。比嘉鉄也元名護市長や島袋吉和元名護市長も言動がかわった。伊集盛久東村市長、仲嶺武夫前東村高江区長の話は既に報告済みなので、今回は浦崎永仁現高江区長の話を報告しよう。今年の四月に区長に選出される際「私は、ヘリパッド建設には反対である。……」と発言し、どうしてもヘリパッド建設を容認しなければならないときは(1)へリパッドの位置を現在の計画より奥へ1,500メートル移動させること(今の計画は一番近い住民の家まで500メートルしかない)(2)猪垣、農道、農業用水の整備、(3)公園、集会場、墓地の改修、(4)新たな公民館の建築、等をヘリパッド建設の補償として防衛省に要請するとして無投票で選任された。この時点でヘリパッド建設に反対する代議員は8名であり容認する代議員は同数の8名であった。但し、前区長の時に行われた2回の住民投票が建設反対であったことに支えられ、かろうじて建設反対の意志は担保されていた。しかし、この事実は防衛局などの策謀により無惨にも踏みにじられる。新しく区長になった浦崎氏は容認派の代議員を連れ、村役場の役人(村長も同席したと噂される)防衛省の職員と月に数度の勉強会と称する謀議を始めた。之を聞きつけた反対派の代議員有志が参加する事を申請すると、区長は「単なる勉強会だから……」と言って参加を拒否する。そして6月16日、代議員会が開かれマニフェストの中から(1)が削除された議案が出され9対4で可決される。賛成9票の内容は容認派8票と議長である区長の票であり、反対の4票は反対派であり、残りの4票は欠席2、棄権2で従来の反対派が2ヶ月余りの期間に区長等により切り崩され沈黙させられた結果となった。更におかしな議事運営は、賛成・反対同数の時にのみ投票すべき議長たる区長が最初から投票に参加したことにもあった。この代議員会のあと区長は報道関係者に「……、容認派と言われても仕方がない」と開き直った表現で対応した。
この結果を持ち、6月20日に村長を通じて区議会の議決内容を防衛局に要請をする。防衛局は(2)と(3)は防衛予算から出せる内容ではないと拒否せざるを得なかったし、(4)のみを相当の減額修正を加えた上で考慮の範囲と回答した。区長は住民及びマスコミに対し一切のコメントを拒否した。
「住民の会」の構成には区外からの移住者も多く、「通行妨害禁止仮処分」の被告の構成をみると殆どが村外からの移住者であり、半数くらいが県外からの移住者であることがこのような結果を招いたのでは無いかとの声もきかれる。しかし小生は、住民が安心できる生活環境を望んだり、動植物の生命を慈しむ心に些かも利己的な意図はないし旧住民との間に差違は無いと思うのだが……。この9月に村会議員の選挙があるが、この地縁・血縁の結束が優先すると反対派の立候補者は苦戦を強いられることになると心配する村民もいる。
扨、防衛局の困惑を追ってみよう。先の報告で7月上旬の報告はすませた。7月12日の参院選あけにも防衛局の姿は見えなかった。そこに16日の代議員会の情報がもたらされた。浦崎区長が水面下で防衛局と根回しをしていることは分かっていたので、代議員の分断を画策し、代議委員会を壟断する作戦であることが決定的となった。結果は前段で報告したとおりであり、本来ならば防衛局の行動も高江区の状況をふまえた行動になるはずであったが、21日以降も姿を見せない。
「通行妨害禁止仮処分」で禁止命令が下された2人に対して防衛局は本訴にでている。これを「136号通行妨害禁止請求事件」という。23日に福岡地方裁判所那覇支部で第三回口頭弁論が開かれた。弁舌さわやかな被告側代理人に対し、完全な書類を準備できなかった前回同様、またもや原告側の代理人の書類作成に不備が発見され傍聴席から失笑がもれた。書類の一部が間違った場所に綴じられていただけなのだが、このような単純なミスを犯すほどの緊張感しか持ち合わせていないところに防衛局のスラップ訴訟の全貌が見える。たぶん防衛局側の代理人達もこの仕事は嫌がっているのであろう。
裁判所は第四回口頭弁論に準備されていた9月1日を現場確認のための高江調査に切り替えることを告示した。これで、防衛局は8月一杯は身動きがとれまい。9月中旬は名護市議選・東村議選があり、11月には沖縄県知事選がある。振り上げた拳のおろし場所に困惑している防衛局がどのような愚行に出てくるか一刻も気が抜けなくなったが、表面上は8月一杯の愚考を控えるだろう。
選挙前の名護市議会は稲嶺進市長派12名、島袋吉和前市長(比嘉鉄也元市長の参謀付き)12名、中間派3名。巷間噂される「稲嶺支持派は比嘉鉄也氏の謀略に押され気味で大変分が悪い」との話に気が気ではない。
9月12日の投開票は「案ずるより産むが易し」の手本みたいな結果であった。
稲嶺市長派16名、島袋前市長派11名で辺野古移転反対派の圧勝。
これでは11月の沖縄県知事選で伊波洋一氏の邪魔をしようとする第三局を気取る連中も自分の首を捧げてまで悪さをする度胸は無いだろう。
様子見の防衛局も北澤氏も前原氏もチャースガ。
沖縄から情報が入った。福岡地方裁判所那覇支部では人事異動が行われた。「136号通行妨害禁止請求事件」の担当裁判官も替わった。新しく担当になった担当裁判官はこの事件の早期の結審を申し渡した。被告側が喜ぶ(裁判の成り行きから勝利を信じて疑っていない)反面、原告側防衛局の代理人は結審を遅らせようと画策したが裁判所側は受け入れなかった。原告側は沖縄県知事選や民主党の内紛の帰趨を確認した後に今後の行動方針を考えたかったに相違ない。
以上の事実から推論すると、民主党政権が県知事選挙で敗北すれば沖縄問題の解決の可能性は益々遠のき、ましてやねじれ国会で予算成立に注力せざるを得ない時期に米国や沖縄県民に対して政府案の説明をする能力も時間もない。当然、防衛局は隠忍自重の道を選ばざるを得ない。予算国会あけの行動になるであろうが、今回は3〜6月のノグチゲラの繁殖期休戦協定は守られないと覚悟した方が良い。
【10月27日の追記】
7月17日のことを書いた記事の中で、高江に配備が予定されている米海兵隊のオスプレイについて少し触れました。今日のニュースで、そのオスプレイが日本メディアに公開されたという報道がありました。
まず、午後3時前のニュース。

それから夕方のニュース。

17日にも紹介した「Voice of TAKAE」によると、現在、主に「NH46」というヘリコプターが配備され、夜10時を過ぎても飛行訓練をしているとのこと。低空飛行のため民家に近い県道脇の木が倒されていることもあるのだそうです。「オスプレイ」は「NH46」よりはるかにパワーがあり危険なのだとか。また「オスプレイ」は垂直離陸だけではなく滑走離陸もできるところがミソ。17日の記事に書いた、ふたつ並んだヘリパッドこそ、そのための「オスプレイパッド」ではないかと専門家は見ているらしい。
「しかもオスプレイは2000年の時点で生産された15機のうち、3基が墜落し、安全性が疑われ、米国内でも反対意見が多くでています。日本政府は未だオスプレイの配備を隠しています」
詳しくはPDFファイルをお読みください。
⇒http://nohelipadtakae.org/files/VoT2008June.pdf
九十九龍氏による東村・高江の記録最終稿
(※トミヒサさんには影武者がたくさんいるらしい)
【北部訓練所に機能強化拡大のためのヘリパッドが建設】
世界一危険な飛行場と言われる普天間基地の移転問題の帰趨が今後の日米地位協定ひいては日米軍事同盟に及ぼす影響は計り知れません。今は、好戦国アメリカの尻馬に乗って世界中へ自衛隊を送り込む軍事国家へ衣替えするか、あるいは唯一の被爆国として憲法9条の抑止力のもとに軍事力拡大を進める保守勢力に「否」を突きつけるかの分岐点にあります。私たちは普天間の移転先として決して辺野古を選ばせないのと同時に高江にヘリコプター訓練所の強化拡大の工事を赦してはならないと考えます。高江に新しいヘリパッドを作らせないために、今、高江で何が起こっているのかを広く知って頂きたいと思い、一覧して理解できるような文書を作成致しました。高江の政治的な位置を鮮明にするために沖縄県、名護市、東村の状況を必要に応じ書き添えます。
【原因・経過そして現在】
《1996.12》
SACOの最終報告がだされる。普天間飛行場の移設先として辺野古が選ばれる。又、国頭村と東村に広がるヤンバルの森を占領している広大な北部訓練所の過半を返還する条件として返還される部分に存在するヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)を残余の部分に移設することが米軍により要求される。
《1997.1》
普天間代替施設建設反対の高江区民大会で区民総意の反対決議が成立。
《2006.2》
移設予定地が公開され、高江集落を取り囲むような位置取りで6個のヘリパッド建設が予定されていることが判明。中でもオスプレイの離着陸帯と思われるような形状のものまで存在した。
高江区臨時総会にて全会一致のヘリパッド建設反対決議を採択。
《2007.5》
観光立村・ヘリパッド建設反対を公約にして当選し、2007.4に就任した東村村長伊集盛久氏が容認派に転向。
《2007.6》
二度の住民総会の反対決議にもかかわらず、話し合いと計画の見直しを要求する住民や支援者のすべての声を無視し、防衛局は工事着工を画策するが、住民達の阻止行動で工事着工は頓挫する。この日から住民及び支援者の座り込みによる監視活動・阻止行動が始まる。
《2007.8》
「ヘリパッドいらない住民の会」結成。
《2008.2》
「住民の会」代表団が「ヘリパッド建設即時中止」を求める署名21,830筆を携え国会請願を行う。
《2008.10》
東村村長伊集盛久氏がヘリパッドの工事中止を要請した高江区住民にたいして、「2割を犠牲にしてでも8割を生かした方がいい」と暴言を吐く。
《2008.12》
国と防衛局が、「ヘリパッドいらない住民の会」の座り込み行動に対し、「通行妨害仮処分」を那覇地方裁判所に申請した。訴訟の対象になった人の中には8歳の女の子(防衛局はこの女の子に対する訴えはすぐ取り下げた)がいたり、抗議行動に参加していない人までいるという杜撰な訴状であり、憲法で保障する「表現の自由」にまで違反する「スラップ訴訟」であった。
(筆者注:スラップ訴訟とは「公の場で発言したり、訴訟を起こしたり、あるいは政府・自治体の対応を求めて行動を起こした権力を持たない比較弱者に対して、企業や政府など、比較強者が恫喝、発言封じをし、場合によっては苛める事だけを目的に起こす、加罰的あるいは報復的な訴訟。)
住民側を援護する弁護師団が結成される。(弁護団は増え続け26名に及ぶ)
《2009.1》
東村高江区長、仲嶺武夫氏は消極的中立派であったが、ある日突然沖縄タイムス具志川記者に「高江区には反対・容認両論あるが、大半が容認している」(但し、この発言には具志川氏の恣意的な誘導があったという観測もある)と発言し、反対派の猛反撃をくらい、発言を取り消した(但し、沖縄タイムスには訂正記事は掲載されていない)。「小さな村の抵抗には限界がある。話し合うべきでは無かろうか」と条件闘争を匂わせる。(そのあと、中立を装ってはいたが、村長等と条件闘争について密談していたとの情報がある)
仮処分申し立てに対し那覇地裁で1月27日に第一回審尋が行われ、2,3,4,5回と開かれる。
《2009.12》
12名については申し立てが却下され、2名に対し禁止命令が下される。
《2010.1》
禁止命令が下された2名にたいし、国は通行妨害禁止の本訴訟を提訴。
《2010.2》
18日。那覇防衛局が工事業者を連れてN1及びN4ゲートへ来て工事用の仮フェンス(目隠しのため)を設置しようとした。しかし、住民側の抵抗に遭い、18日から26日までの間に僅かな作業しかできず「7月1日には必ず工事をするからな……」と恫喝しながら引き上げた。
(筆者注:3月1日〜6月30日は天然記念物であるノクチゲラ(キツツキの一種)の繁殖期のために一切の工事は行わないという約束がある故に防衛局は2月26日に時点で7月1日の工事を宣言した。
《2010.3》
仲嶺武夫氏の推薦を受け無投票で浦崎永仁氏が高江区長に当選する。
《2010.4》
仲嶺武夫氏は区長に就任するや否や「ヘリパッド建設には反対である」と言いながら「訊くべきところは訊き、言うべきところは言う」と実質的容認派の姿勢を鮮明にしていき、村長や容認派の村議を交えて防衛局と(勉強会と称し)謀議を重ねていることが反対派によって確認される。7/8の反対派との話し合いで「私が区長に選ばれたということは私が信用されていると言うことだから、私の思うようにする」と暴言を吐く。反対派の勉強会への参加要求に対しても「勉強会への反対派の参加は勉強会を混乱させるだけであるから参加させない」と拒否している。
《九十九龍の行動》
6月29日に高江入り。7月1日、2日は大雨。防衛局は顔を見せない。3日、4日は土、日曜日。
防衛局の襲来は明けた7月5日かと緊張しながら早朝4時を期してテント前に集合するが防衛局はこの日も姿を見せない。
結局、「住民の会」の予測は参議院選挙あけの7月12日(月)であろうということになった。防衛局はスポンサーの民主党、或いはスポンサー候補の自民党の活動に支障を与えたくないのだろう。緊張が一旦緩み、再び緊張の持続が始まった。
行政の首長になると、選出前の発言など簡単に放擲して他の何かに興味を持つようになるらしい。国政の話ではない。沖縄県国頭郡等の話である。比嘉鉄也元名護市長や島袋吉和元名護市長も言動がかわった。伊集盛久東村市長、仲嶺武夫前東村高江区長の話は既に報告済みなので、今回は浦崎永仁現高江区長の話を報告しよう。今年の四月に区長に選出される際「私は、ヘリパッド建設には反対である。……」と発言し、どうしてもヘリパッド建設を容認しなければならないときは(1)へリパッドの位置を現在の計画より奥へ1,500メートル移動させること(今の計画は一番近い住民の家まで500メートルしかない)(2)猪垣、農道、農業用水の整備、(3)公園、集会場、墓地の改修、(4)新たな公民館の建築、等をヘリパッド建設の補償として防衛省に要請するとして無投票で選任された。この時点でヘリパッド建設に反対する代議員は8名であり容認する代議員は同数の8名であった。但し、前区長の時に行われた2回の住民投票が建設反対であったことに支えられ、かろうじて建設反対の意志は担保されていた。しかし、この事実は防衛局などの策謀により無惨にも踏みにじられる。新しく区長になった浦崎氏は容認派の代議員を連れ、村役場の役人(村長も同席したと噂される)防衛省の職員と月に数度の勉強会と称する謀議を始めた。之を聞きつけた反対派の代議員有志が参加する事を申請すると、区長は「単なる勉強会だから……」と言って参加を拒否する。そして6月16日、代議員会が開かれマニフェストの中から(1)が削除された議案が出され9対4で可決される。賛成9票の内容は容認派8票と議長である区長の票であり、反対の4票は反対派であり、残りの4票は欠席2、棄権2で従来の反対派が2ヶ月余りの期間に区長等により切り崩され沈黙させられた結果となった。更におかしな議事運営は、賛成・反対同数の時にのみ投票すべき議長たる区長が最初から投票に参加したことにもあった。この代議員会のあと区長は報道関係者に「……、容認派と言われても仕方がない」と開き直った表現で対応した。
この結果を持ち、6月20日に村長を通じて区議会の議決内容を防衛局に要請をする。防衛局は(2)と(3)は防衛予算から出せる内容ではないと拒否せざるを得なかったし、(4)のみを相当の減額修正を加えた上で考慮の範囲と回答した。区長は住民及びマスコミに対し一切のコメントを拒否した。
「住民の会」の構成には区外からの移住者も多く、「通行妨害禁止仮処分」の被告の構成をみると殆どが村外からの移住者であり、半数くらいが県外からの移住者であることがこのような結果を招いたのでは無いかとの声もきかれる。しかし小生は、住民が安心できる生活環境を望んだり、動植物の生命を慈しむ心に些かも利己的な意図はないし旧住民との間に差違は無いと思うのだが……。この9月に村会議員の選挙があるが、この地縁・血縁の結束が優先すると反対派の立候補者は苦戦を強いられることになると心配する村民もいる。
扨、防衛局の困惑を追ってみよう。先の報告で7月上旬の報告はすませた。7月12日の参院選あけにも防衛局の姿は見えなかった。そこに16日の代議員会の情報がもたらされた。浦崎区長が水面下で防衛局と根回しをしていることは分かっていたので、代議員の分断を画策し、代議委員会を壟断する作戦であることが決定的となった。結果は前段で報告したとおりであり、本来ならば防衛局の行動も高江区の状況をふまえた行動になるはずであったが、21日以降も姿を見せない。
「通行妨害禁止仮処分」で禁止命令が下された2人に対して防衛局は本訴にでている。これを「136号通行妨害禁止請求事件」という。23日に福岡地方裁判所那覇支部で第三回口頭弁論が開かれた。弁舌さわやかな被告側代理人に対し、完全な書類を準備できなかった前回同様、またもや原告側の代理人の書類作成に不備が発見され傍聴席から失笑がもれた。書類の一部が間違った場所に綴じられていただけなのだが、このような単純なミスを犯すほどの緊張感しか持ち合わせていないところに防衛局のスラップ訴訟の全貌が見える。たぶん防衛局側の代理人達もこの仕事は嫌がっているのであろう。
裁判所は第四回口頭弁論に準備されていた9月1日を現場確認のための高江調査に切り替えることを告示した。これで、防衛局は8月一杯は身動きがとれまい。9月中旬は名護市議選・東村議選があり、11月には沖縄県知事選がある。振り上げた拳のおろし場所に困惑している防衛局がどのような愚行に出てくるか一刻も気が抜けなくなったが、表面上は8月一杯の愚考を控えるだろう。
選挙前の名護市議会は稲嶺進市長派12名、島袋吉和前市長(比嘉鉄也元市長の参謀付き)12名、中間派3名。巷間噂される「稲嶺支持派は比嘉鉄也氏の謀略に押され気味で大変分が悪い」との話に気が気ではない。
9月12日の投開票は「案ずるより産むが易し」の手本みたいな結果であった。
稲嶺市長派16名、島袋前市長派11名で辺野古移転反対派の圧勝。
これでは11月の沖縄県知事選で伊波洋一氏の邪魔をしようとする第三局を気取る連中も自分の首を捧げてまで悪さをする度胸は無いだろう。
様子見の防衛局も北澤氏も前原氏もチャースガ。
沖縄から情報が入った。福岡地方裁判所那覇支部では人事異動が行われた。「136号通行妨害禁止請求事件」の担当裁判官も替わった。新しく担当になった担当裁判官はこの事件の早期の結審を申し渡した。被告側が喜ぶ(裁判の成り行きから勝利を信じて疑っていない)反面、原告側防衛局の代理人は結審を遅らせようと画策したが裁判所側は受け入れなかった。原告側は沖縄県知事選や民主党の内紛の帰趨を確認した後に今後の行動方針を考えたかったに相違ない。
以上の事実から推論すると、民主党政権が県知事選挙で敗北すれば沖縄問題の解決の可能性は益々遠のき、ましてやねじれ国会で予算成立に注力せざるを得ない時期に米国や沖縄県民に対して政府案の説明をする能力も時間もない。当然、防衛局は隠忍自重の道を選ばざるを得ない。予算国会あけの行動になるであろうが、今回は3〜6月のノグチゲラの繁殖期休戦協定は守られないと覚悟した方が良い。
【10月27日の追記】
7月17日のことを書いた記事の中で、高江に配備が予定されている米海兵隊のオスプレイについて少し触れました。今日のニュースで、そのオスプレイが日本メディアに公開されたという報道がありました。
まず、午後3時前のニュース。
それから夕方のニュース。
17日にも紹介した「Voice of TAKAE」によると、現在、主に「NH46」というヘリコプターが配備され、夜10時を過ぎても飛行訓練をしているとのこと。低空飛行のため民家に近い県道脇の木が倒されていることもあるのだそうです。「オスプレイ」は「NH46」よりはるかにパワーがあり危険なのだとか。また「オスプレイ」は垂直離陸だけではなく滑走離陸もできるところがミソ。17日の記事に書いた、ふたつ並んだヘリパッドこそ、そのための「オスプレイパッド」ではないかと専門家は見ているらしい。
「しかもオスプレイは2000年の時点で生産された15機のうち、3基が墜落し、安全性が疑われ、米国内でも反対意見が多くでています。日本政府は未だオスプレイの配備を隠しています」
詳しくはPDFファイルをお読みください。
⇒http://nohelipadtakae.org/files/VoT2008June.pdf
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しかし、それがなかなか困難だということは、西山監督の映画会を企画して身に浸みています。
http://lince.jp/hito/1night...
http://lince.jp/hito/kitami...
しかし、たとえ見に来てくださった方がとても少なかったとしても、共感する人たちだけで会場を一杯にするよりはマシだろうと強がっているのです。
僕はこれからも、知らない隣人、無関心な隣人にこそ情報を伝える努力をしたいと思っています。決して内輪の悦楽に逃げ込まないこと、それを肝に銘じて。
ヘリパッド建設反対を公約にして2007年4月に当選し、しかし翌月の5月には容認派に転向した伊集盛久東村村長が2012年7月、建設容認を見直す可能性を示しました。
沖縄タイムスより。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-07-11_36179
東村高江への移設が予定されている米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)で、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの運用が明らかになったことを受け、伊集盛久東村長は「オスプレイが配備されるならば、ヘリパッド建設について、見直しも含めて再検討しないといけない」と建設容認を見直す可能性を示した。伊集村長が容認見直しに言及したのは初めて。9日、沖縄タイムスの取材に対して答えた。
伊集村長は「北部訓練場の半分の返還のために、条件となるヘリパッド移設容認の立場は変わらない」としながらも「SACO合意やヘリパッド移設はCH46中型輸送ヘリコプターが前提となっていたが、その前提が変わった」と指摘。「SACO合意や工事の環境アセスが、オスプレイに変わっても有効なのか」と合意内容を確認する意向を明らかにした。オスプレイ配備については「反対」と強調した。