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小沢城址を歩いた

《10月31日その2》
宇夫方路女史が上野で宣伝活動をしている頃、僕は自宅のそばにある小沢城址あたりを歩いていました。
デジカメは路さんが上野に持っていってしまったので、携帯で撮影した画像でご勘弁。
小沢城址の道 小沢城址の階段 小沢城址の林
もちろん、こういうところがあることは知っていました。何度か散歩したこともあります。でも、ここにどんな歴史があるのかなんてことには、ちっとも興味がありませんでした。
現地にある遊歩道の地図の一部分です。
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この地図の上のほうにも遊歩道は続いているのですが、今日は大よそこの範囲をウロウロしていました。上というのは読売ランドの方角。南向きの案内板なので、上は南です。でも地図屋としては南北逆さまなのは気持ち悪い。

川崎市がこんな地図を出しています。
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こっちはちゃんと北が上です。
ちょいと拡大。
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ところで、なんで今日ここを歩くことになったのか。それは枡形城主の稲毛三郎重成の息子である小沢次郎重政が小沢城の主だったから。
 ⇒関連記事「“枡形城 落日の舞い”があるらしい」

枡形城址も小沢城址も、川崎市の西北の丘陵にありました。小沢城が建てられたのは平安の末期、稲毛三郎重成の築城とも、その子小沢小太郎(重政の別名)の築城とも伝わっています。鎌倉時代、多摩川の南の東西に連なるこの丘陵は、東や北から鎌倉へ向かう交通の要衝で、軍事的にも極めて重要な場所、度々合戦の舞台ともなりました……
なんてことを、ちょっと勉強してみようかなという日なのです。

小沢城址の碑
いずれカメラを持って再訪しましょう。その時にはもう少し詳しく説明できるように勉強しておきます。といってもネットで「小沢城址」で検索すればいっぱい出てきます。“M.A.P.after5”ならではのネタを探さなくちゃね。

みなさんいらっしゃらないので、一足先に薬師堂へ向かうことにしました。
道標
薬師堂は我が家のすぐそばなのです。
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tag: 「枡形城落日の舞い」  川崎 

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