2010年10月31日(日)14時01分
菅の薬師堂
《10月31日その3》
菅の薬師堂は我が家のすぐそばにある。しかし何も知らない。ここに住んで20年近くなるにも拘らずである。

文治3年(1187)に、このあたりの領主であった稲毛三郎重成が建立したとされる。重成は妻が死ぬと即座に出家して、妻の供養のために極楽寺を建てた。その極楽寺がこの薬師堂だというのである。
どうやら獅子舞が有名らしい。

川崎市多摩区のHPに詳しい。
実は小生、一度も見たことがない。というか、そんなものをやっていることすら知らなかった。ひどいものである。
ご夫婦らしいお二人が、掃除をしていらっしゃったので、声をお掛けしてお話を聞くことができた。
御本尊は源義経の母、常盤御前で(何かの資料には「薬師如来秘伝」とあったが……)、本堂の奥にコンクリの出っ張りがあって、そこに安置されている。

60年に一度御開帳されるらしいのだが、この次がいつなのかよく分からない、なにしろ偉いお坊さん10人ほど、遠くからお越しいただかなくてはならず、それはそれはお金がかかるのだとおっしゃっていた。前回のことを知っているお年寄りが一人いるとか、もういないとか、おふたりは首を傾げた。
このご夫妻はご近所にお住まいで(ということは我が家のご近所さんでもあるわけだがお会いしたことがないという情けなさ)、管理を任されていると伺った。毎月、薬師様(つまり常盤御前ということか)の月命日の2のつく日に本堂を開ける。その時には御本尊が安置されている厨子を見ることができる。
「今本堂の中を掃除しているからどうぞ」
「本当ですか、それは嬉しい」
写真を撮ることもお許しくださったので、厨子を撮影したのだが、なんともピンボケで申し訳ない。

仏像の後ろにある黒光りした厨子がお分かりになるだろうか。是非また月命日に再訪して、今度はもう少し上手く撮ってご紹介しよう。火事になると、防火シャッターが下りて、たとえ本堂が焼け落ちても、ご本尊は守られる仕組みになっているとのことだった。
安産と眼の病に効くといってお参りに来る方がいる。
「きっと、ここをお参りして、たまたまそのあとお産が楽だった人がいたり、目がよくなった人がいるんでしょうねえ」
獅子舞の4人の舞手は、このあたりの農家の長男がやることになっている。ところが今の時代、農家の息子は家を出てしまって、もう次の代を近隣の農家の息子でまかなうことができなくなってしまった。そこで今、小中学校で子供たちに教えて、後を継ぐ人材を育成しているのだそうである。
ふじたあさや先生はじめ、川崎市民劇関係の御一行が、間もなくここに到着するだろう。そのことをお話をしたら、このまま本堂を開けておいてくださることになった。
やがてがやがやとやってきた殆ど初対面の皆様に、小生は今仕入れた話を、まるで10年前から知っていたかのようにご説明申し上げたのである。
そして皆さんは次の場所へと向かった。

小生は姿が見えなくなったご夫妻がお戻りになるのを待った。お礼も言わなければならないが、それよりも、60年間誰の目にも触れない常盤御前を、開けっ放しの本堂に置いたママここを離れてもし何かあったら、家族連れて引っ越さなければならない。
【追伸】
薬師堂を管理されている御夫妻のご主人から、ちょっと興味深いお話を伺った。
このあたりの寺社は、皆ここと同じように高台にある。それは多摩川がよく氾濫したかららしい。その昔、多摩川は暴れ川と呼ばれていた。
ここは川崎市だが、多摩川の向こうは東京の狛江市である。1974年9月の台風16号による狛江市の堤防決壊は、後に「岸辺のアルバム」というテレビドラマにもなった。
その時の堤防決壊の原因について、下記サイトが詳しい。「管理者(国)の過失(怠慢)」が「狛江水害事件」を引き起こした。つまり人災であった。
⇒http://www.tamagawa-kisui.jp…
ご主人は当時大手の建設会社にお勤めで、堤防の建設か管理かに携わっていらっしゃったらしい。「あれは天災じゃない。人災だった」とご主人も言われた。
だがその理由は、上のサイトの説明には一切書かれていないことだった。ただ、それをここで書いてしまっていいものか、躊躇している。
いずれにしても別途記事にて、後日あらためて、何らかのご報告をしたいと考えている。
菅の薬師堂は我が家のすぐそばにある。しかし何も知らない。ここに住んで20年近くなるにも拘らずである。
文治3年(1187)に、このあたりの領主であった稲毛三郎重成が建立したとされる。重成は妻が死ぬと即座に出家して、妻の供養のために極楽寺を建てた。その極楽寺がこの薬師堂だというのである。
どうやら獅子舞が有名らしい。
川崎市多摩区のHPに詳しい。
実は小生、一度も見たことがない。というか、そんなものをやっていることすら知らなかった。ひどいものである。
ご夫婦らしいお二人が、掃除をしていらっしゃったので、声をお掛けしてお話を聞くことができた。
御本尊は源義経の母、常盤御前で(何かの資料には「薬師如来秘伝」とあったが……)、本堂の奥にコンクリの出っ張りがあって、そこに安置されている。
60年に一度御開帳されるらしいのだが、この次がいつなのかよく分からない、なにしろ偉いお坊さん10人ほど、遠くからお越しいただかなくてはならず、それはそれはお金がかかるのだとおっしゃっていた。前回のことを知っているお年寄りが一人いるとか、もういないとか、おふたりは首を傾げた。
このご夫妻はご近所にお住まいで(ということは我が家のご近所さんでもあるわけだがお会いしたことがないという情けなさ)、管理を任されていると伺った。毎月、薬師様(つまり常盤御前ということか)の月命日の2のつく日に本堂を開ける。その時には御本尊が安置されている厨子を見ることができる。
「今本堂の中を掃除しているからどうぞ」
「本当ですか、それは嬉しい」
写真を撮ることもお許しくださったので、厨子を撮影したのだが、なんともピンボケで申し訳ない。
仏像の後ろにある黒光りした厨子がお分かりになるだろうか。是非また月命日に再訪して、今度はもう少し上手く撮ってご紹介しよう。火事になると、防火シャッターが下りて、たとえ本堂が焼け落ちても、ご本尊は守られる仕組みになっているとのことだった。
安産と眼の病に効くといってお参りに来る方がいる。
「きっと、ここをお参りして、たまたまそのあとお産が楽だった人がいたり、目がよくなった人がいるんでしょうねえ」
獅子舞の4人の舞手は、このあたりの農家の長男がやることになっている。ところが今の時代、農家の息子は家を出てしまって、もう次の代を近隣の農家の息子でまかなうことができなくなってしまった。そこで今、小中学校で子供たちに教えて、後を継ぐ人材を育成しているのだそうである。
ふじたあさや先生はじめ、川崎市民劇関係の御一行が、間もなくここに到着するだろう。そのことをお話をしたら、このまま本堂を開けておいてくださることになった。
やがてがやがやとやってきた殆ど初対面の皆様に、小生は今仕入れた話を、まるで10年前から知っていたかのようにご説明申し上げたのである。
そして皆さんは次の場所へと向かった。
小生は姿が見えなくなったご夫妻がお戻りになるのを待った。お礼も言わなければならないが、それよりも、60年間誰の目にも触れない常盤御前を、開けっ放しの本堂に置いたママここを離れてもし何かあったら、家族連れて引っ越さなければならない。
【追伸】
薬師堂を管理されている御夫妻のご主人から、ちょっと興味深いお話を伺った。
このあたりの寺社は、皆ここと同じように高台にある。それは多摩川がよく氾濫したかららしい。その昔、多摩川は暴れ川と呼ばれていた。
ここは川崎市だが、多摩川の向こうは東京の狛江市である。1974年9月の台風16号による狛江市の堤防決壊は、後に「岸辺のアルバム」というテレビドラマにもなった。
その時の堤防決壊の原因について、下記サイトが詳しい。「管理者(国)の過失(怠慢)」が「狛江水害事件」を引き起こした。つまり人災であった。
⇒http://www.tamagawa-kisui.jp…
ご主人は当時大手の建設会社にお勤めで、堤防の建設か管理かに携わっていらっしゃったらしい。「あれは天災じゃない。人災だった」とご主人も言われた。
だがその理由は、上のサイトの説明には一切書かれていないことだった。ただ、それをここで書いてしまっていいものか、躊躇している。
いずれにしても別途記事にて、後日あらためて、何らかのご報告をしたいと考えている。
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