2010年10月31日(日)17時43分
枡形城の勉強会と見学会【旧陸軍登戸研究所のこと】
《10月31日その4》
今日はこんなことをやっているのである。

枡形城は、秩父党の末裔、稲毛三郎重成が建てたと伝わる。
で、いったい何でこのところ唐突にこんな話ばかりを書き始めたのか。
実は自分でも、もうひとつはっきりとしていないのだ。
ともかく、ふじたあさや氏が川崎の市民劇の演出をすることになった。その市民劇は鎌倉時代の、ここ多摩区の丘陵あたりが舞台であり、稲毛三郎重成がその芝居の中心的な登場人物であるらしい。本番は来年の5月。ずいぶんと先のことなのだが、それがもう動き出したということなのだ。で、それが高山正樹とどんな関係があるのかなのだが、はて、それがどうもモヤモヤしている。まあそれについては、今しばらくお待ちいただきたい。もう少し見極めたいことがある。
ともかくだ。本日午前中の小沢城址&菅の薬師堂ツアーは、市民劇関係者が参加しての催しだったようだが、午後からは一般の市民の方々を交えての稲毛三郎重成についての勉強会と枡形城の見学会である。
薬師堂の本堂を閉めにいらした奥様にお礼を申し上げて、登戸にある専修大学まで歩いていくことにした。これも健康ゲームである。
ここから先は、我が家からかなり離れたことでもあるし、もう詳しいご説明はやめよう。

ただ、秩父一族の中の河越氏が、島津氏の祖だというちょっとした話が、M.A.P.的には妙に気になったのではあるが。
専修大学での地元の研究家の方による講義を終えると、本日の御一行は、枡形城址と重成の縁の広福寺を巡った。

広福寺は重成の屋敷跡であったとも伝えられている。
夕方、現地解散とあいなった。
そして、小生は新しく「川崎市」というカテゴリを作成したのである。
【追伸】
「枡形城 落日の舞い」の作者は、小川信夫氏です。あのNHKの名古屋支局制作の中学生日記の仕掛け人でもいらっしゃいます。この日の帰り、お車で送っていただきました。途中、ちょっとファミレスに寄って、結局3時間ほど、たっぷりとお話を伺いました。別役実のこと、桜美林で観た学生演劇のこと、今回の市民劇の前身である子供ミュージカルのこと、果ては徳之島の「湯たんぽ」の危なっかしい逸話まで、ここでご紹介する余裕はありませんが、とても興味深いお話をたくさん伺いました。
その中で、登戸という土地の近代史には暗い一面のあること、多少は聞いたことのある話ではあったのですが、それが朝鮮戦争のころまでも続くことだったとは、全く知りませんでした。
いずれ勉強して、お話できる段階になったら御紹介したいと思います。
川崎市のカテゴリを作ったのも、もっと足元をもう少しきちんと見なければならないと、柄にもなく反省したからでもあります。
そこで、今日はディープなお話をひとつ。
M.A.P.の沖縄語を話す会で一緒に学んでいる川崎市在住の日高さんから、8月くらいに送られてきたメールの抜粋です。1939年に開設された旧陸軍登戸研究所のことです。私にはコメントする能力がありません。全くの無知なので、真偽についての憶測も一切いたしません。ただ、こうした話のある施設が、身近にも存在するのだということを、知ってもいいのではないかと考えるのみです。
現存している建物のひとつ、正門近くにある「動物慰霊碑」。中国での人体実験は、南京1644部隊が1941年5月以降、731部隊が1943年12月以降、この頃に登戸研究所は陸軍技術有功賞を受賞した。
1989年、新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地から多数の人骨が発見された。鑑定の結果、銃創痕や実験的な手術の痕が明らかにされた。
中国で人体実験をした犠牲者の骨を持ってきたとは考えにくいので、登戸研究所で人体実験の犠牲になった中国・朝鮮のひとたちのものではないかと、確証はないけれど、私は疑います。
登戸研究所において、無造作に埋めていた人体実験の犠牲者の人骨を密かに堀出し、そこに「動物慰霊碑」を建立したのかも知れないと思うのです。
⇒「旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会」
今日はこんなことをやっているのである。

枡形城は、秩父党の末裔、稲毛三郎重成が建てたと伝わる。
で、いったい何でこのところ唐突にこんな話ばかりを書き始めたのか。
実は自分でも、もうひとつはっきりとしていないのだ。
ともかく、ふじたあさや氏が川崎の市民劇の演出をすることになった。その市民劇は鎌倉時代の、ここ多摩区の丘陵あたりが舞台であり、稲毛三郎重成がその芝居の中心的な登場人物であるらしい。本番は来年の5月。ずいぶんと先のことなのだが、それがもう動き出したということなのだ。で、それが高山正樹とどんな関係があるのかなのだが、はて、それがどうもモヤモヤしている。まあそれについては、今しばらくお待ちいただきたい。もう少し見極めたいことがある。
ともかくだ。本日午前中の小沢城址&菅の薬師堂ツアーは、市民劇関係者が参加しての催しだったようだが、午後からは一般の市民の方々を交えての稲毛三郎重成についての勉強会と枡形城の見学会である。
薬師堂の本堂を閉めにいらした奥様にお礼を申し上げて、登戸にある専修大学まで歩いていくことにした。これも健康ゲームである。
ここから先は、我が家からかなり離れたことでもあるし、もう詳しいご説明はやめよう。
ただ、秩父一族の中の河越氏が、島津氏の祖だというちょっとした話が、M.A.P.的には妙に気になったのではあるが。
専修大学での地元の研究家の方による講義を終えると、本日の御一行は、枡形城址と重成の縁の広福寺を巡った。
広福寺は重成の屋敷跡であったとも伝えられている。
夕方、現地解散とあいなった。
そして、小生は新しく「川崎市」というカテゴリを作成したのである。
【追伸】
「枡形城 落日の舞い」の作者は、小川信夫氏です。あのNHKの名古屋支局制作の中学生日記の仕掛け人でもいらっしゃいます。この日の帰り、お車で送っていただきました。途中、ちょっとファミレスに寄って、結局3時間ほど、たっぷりとお話を伺いました。別役実のこと、桜美林で観た学生演劇のこと、今回の市民劇の前身である子供ミュージカルのこと、果ては徳之島の「湯たんぽ」の危なっかしい逸話まで、ここでご紹介する余裕はありませんが、とても興味深いお話をたくさん伺いました。
その中で、登戸という土地の近代史には暗い一面のあること、多少は聞いたことのある話ではあったのですが、それが朝鮮戦争のころまでも続くことだったとは、全く知りませんでした。
いずれ勉強して、お話できる段階になったら御紹介したいと思います。
川崎市のカテゴリを作ったのも、もっと足元をもう少しきちんと見なければならないと、柄にもなく反省したからでもあります。
そこで、今日はディープなお話をひとつ。
M.A.P.の沖縄語を話す会で一緒に学んでいる川崎市在住の日高さんから、8月くらいに送られてきたメールの抜粋です。1939年に開設された旧陸軍登戸研究所のことです。私にはコメントする能力がありません。全くの無知なので、真偽についての憶測も一切いたしません。ただ、こうした話のある施設が、身近にも存在するのだということを、知ってもいいのではないかと考えるのみです。
現存している建物のひとつ、正門近くにある「動物慰霊碑」。中国での人体実験は、南京1644部隊が1941年5月以降、731部隊が1943年12月以降、この頃に登戸研究所は陸軍技術有功賞を受賞した。
1989年、新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地から多数の人骨が発見された。鑑定の結果、銃創痕や実験的な手術の痕が明らかにされた。
中国で人体実験をした犠牲者の骨を持ってきたとは考えにくいので、登戸研究所で人体実験の犠牲になった中国・朝鮮のひとたちのものではないかと、確証はないけれど、私は疑います。
登戸研究所において、無造作に埋めていた人体実験の犠牲者の人骨を密かに堀出し、そこに「動物慰霊碑」を建立したのかも知れないと思うのです。
⇒「旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会」
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tag: 小川信夫 「大いなる家族」 「枡形城落日の舞い」 川崎 日高
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